木炭と硫黄と硝石を混ぜた結果www
ここ何回か、「飛び道具」について、終わりの見えない話を続けておるわけですが 、今回から「火薬の時代」に突入します。
皆さんのご賢察の通り、あれほど有能だった弓を駆逐したのは銃です。
ですが、その登場までには、これまた長い試行錯誤がありました。けっして「火薬を発見したンゴwww銃を作るンゴwwww」みたいなノリではないのであります。
木炭×硫黄×硝石=…
古代中国は、国力だけではなく、科学技術の面でもおそらく世界の先端を走っていました。
そんな偉大なる古代中国の4大発明の一つが、「火薬」なのであります。残りは、「紙」「印刷術」「羅針盤」ね。
なぜ中国が火薬を発見することができたのか。
それは、中国に古来より伝わる「神仙思想」、すなわち、仙人になって不老不死の超人となることを願う思想があったためと考えられています。
「不老」じゃない気もする
普通、人は仙人にはなれません。無理。
100歩譲って仮になれるとしても、たいへんな修行や勉強が必要になってきます。
そこで、簡単に仙人になれる「クスリ」を製造する技術が研究されるようになっていきます。
彼らのその試みは、やがて「練丹術」という一種の学問となります。これが紀元前4世紀のこと。西洋の錬金術より遥か昔のことです。
練丹術は、水銀をベースにありとあらゆる物質を混ぜてクスリ(※体には悪い)を製造するというものですが、その試行錯誤の中で、火薬が発見されたというのが通説となっています。
7世紀(唐の時代)になると、「硫黄と硝石と炭を混ぜるとめっちゃ燃えるから気をつけろ」と書かれており、すでに火薬の原型が製造された事が分かっています。
9世紀には、ある練丹術師が、硫黄と硝石と蜂蜜と炭を混ぜて、見事に爆発。顔面と手足に大火傷を負い、自宅が全焼したという、気の毒な記録があります。
ま、そんなこんなで、中国人たちは、見事「火薬」をゲット。それ以降、様々な火薬を使った兵器を生み出していきます。
初期の利用法は、今も中国人が大好きな「爆竹」。
中国では昔から「大きな音を出すと悪霊が逃げていく」というおまじないがあり、お祭りや儀式などで轟音を出すために、少量を竹に詰めて封をしたわけですね。
どんな楽器よりも大きな爆音を轟かせたであろう爆竹は、やがて、悪霊ではなく、人間を退散させるために使われるようになりました。
火薬の軍事利用
中国の歴代王朝の一番の悩みの種は、周辺にいる騎馬民族の存在でした。
前回も書いた通り、この時代の騎馬民族は鬼神の如き強さ。農耕民族である中国人は真っ向勝負では勝てません。
960年に中華の大部分を統一した北宋も、例外ではありませんでした。
北部には「遼」や「金」という騎馬民族の国があり、どうにも落ち着かない。大金を払って和睦を結んだりしてなんとか凌いでいました。
また、北方の馬の産地も騎馬民族に支配されていたため、深刻な馬不足に陥っており、歩兵で騎兵に対抗しなくてはなりませんでした。
しかし、こうした北宋の軍事的な制約が、様々な火薬兵器を生み出していったのです。
燃焼系
とはいっても、初期の火薬は不純物が多くイマイチ爆発力に欠けおり、爆発そのもので敵を粉砕する事は出来ませんでした。
そこで開発されたのが、「火槍」という兵器。
槍の先に火薬を詰めた筒を設置し、火薬を炸裂させることで敵をひるませたり火花を浴びせかけたりするというものです。
威力の極端に低い火炎放射器みたいな感じか。
画像のショボさとは裏腹に、その音と閃光は、人と馬をビビらすには十分なものであり、騎兵に対してはまぁまぁ有効だったと考えられています。
また、攻城戦においては、その燃焼力を活かした「火球」なるものも開発されています。
手榴弾の先駆け。紐をつけて、スリングの要領で遠くに投げられるようにしています。
火薬を球状の紙で固め、投擲して使用しました。
火薬と一緒に油を混ぜて焼夷弾にしたり、毒を混ぜて毒ガス兵器にしたりと、意外に幅広い用途が可能でした。
これらの兵器は、10世紀に描かれた仏教画にも登場しており、この時代にはすでに存在していた事が分かります。
お釈迦さまを襲おうとする悪鬼を書いた絵。右上の鬼に注目。
しかし、こうした新型兵器の活躍も虚しく、北宋は金王朝に勝てず、中華の南まで追いやられてしまいました(以後を南宋といいます)。
爆発系
領土を半分失った南宋でしたが、彼らは復讐を誓い、火薬兵器の研究開発を続けていました。
彼らのたゆまぬ努力の結果、火薬の純度が上がり、木炭・硫黄・ 硝石の混合比率も調整され、爆発力は飛躍的に向上します。そして、ついには「爆発」によって、致命傷を与える事が可能となりました。
当然、この優れた火薬の製法は最高機密。実践に投入するときも、爆発に全然関係のない物質をダミーで入れるなど、秘密を守る工夫がなされました。
こうして考案された強烈な爆弾が、「震天雷」というもの。
天を震わすほどの雷。名前からして凄そうでしょ?
陶器や鋳鉄の容器に、火薬と一緒に石・鉄片などを入れ、殺傷力を高めた爆弾です。まさにボンバーマンの世界です。50メートル四方が焼き尽くされ、その爆音は100km先まで届いたと伝えられています。
なお、元寇の際にモンゴル軍も使用した「てつはう」も、これと同様のものです。
当時の記録によると「投げつけられると人馬ともに大きな音に驚き、煙で追撃ができなくなった」とあり、これにより死傷者がでたという記録はありません。
しかし、2001年に沈没船から引き揚げられた実物を調査した結果、中に鉄片などが封入された事が判明し、わりと「殺る気マンマン」だった事が分かっています。
沈没船から引き上げられたてつはう実物
銃の起源
そしてもう一つ、南宋が開発した兵器が、「突火槍」。
竹筒の中をくり抜いて火薬と弾丸を充填し、発射するというもの。
相変わらず、画像はショボい。
ついに、「火薬の爆発によって筒の中のモノを飛ばす」という原理の兵器が登場します。銃の起源です。
南宋という王朝は、結局モンゴル帝国に滅ぼされちゃいますし、あまり創作の対象にもならない地味な王朝です。
しかし、現代まで続く火器の原型を考案た、何気に凄い王朝だったりするのです。
なお、こうした火薬技術は、すべてライバルの金王朝にパクられ、結局のところ優位性を確保することはできませんでした。
最終的には、金と南宋を滅ぼしたモンゴル帝国が火薬技術のすべてを引き継ぎ、のちの快進撃に利用していくこととなります。
この突火槍も、モンゴル軍が南宋との戦争の中で手に入れ、複製品を製作。ヨーロッパ侵攻の際に使用したりしています。
そうした中で、ようやく「火薬」と「その利用法」が、ユーラシア大陸の左側へと伝わっていったのです。
中国の外で、文献に残る最初の銃らしきものは、イスラム兵が使用した「マドファ」というもの。
完全に突火槍のバクリ。
これが文献に描かれたのが、1300年のこと。
この後、やっと西洋で火薬が兵器に利用されるようになったわけですが、中国が火薬を発見してから実に400年以上もの時が経過していたのであります。
いや、昔の中国って、本当に有能だったんですね。
コメント (113件)
中国って大昔から爆発してたのね
待ってました。
このシリーズメチャおもしろい!
続き楽しみにしてますよ
てつはうって、音でびびらすだけだと思ってた
相変わらず面白い!
結構大事なところが抜けてたので補足
黒色火薬の原材料の木炭と硫黄と硝石の作用について。
[硝石]
正確には「硝石」という塊から大量に取れるのであって
硝石以外からも微量ながら採取できる<硝酸カリウム>
肥料や防腐剤として使われていて、
反応作用すると「酸素」を供給する。
これが火薬の爆発の元であり、銃とかの推進力の元。
[木炭]
燃焼反応させる媒体。
[硫黄]
低い温度でも発火する媒体。
この中で一番重要なのは硝石。
硝酸カリウムの酸素供給によって、他の構成物の燃焼と爆発を促進させる。
逆に硫黄は実は無くても火薬は出来る。
むしろ硫黄のない火薬は煙が少ないという利点がある。
でも硫黄がないと発火温度が100℃以上になるから着火性が悪くなる。
木炭は実質的な燃料。
木の材質によっては、燃える速度や性質が違うから、国や地域別にどの木炭が使われていたかが違う。
また、調合比率も国や地域別、さらに兵器別に推進力と、爆発力で調合も違うし、
火薬の粒の大きさ別に効能もぜんぜん違う。
次に黒色火薬の短所としては
1.使用時に金属を腐食させる物質を生成する。このカスが銃口を塞いでしまうから撃つ度に掃除する作業が必ず必要になる。
2.使用時に大量の煙を排出する。2発撃ったら目の前が真っ白になるくらい視野が遮られるし、煙には窒息を起こす成分があって大変危険。
3.硝酸塩は水気があると、凝固する性質が合って、水にさらされると、大きな塊になって使用が難しくなる。
4.粉末状でも木炭と硫黄と硝石が振動によるブラジルナッツ効果で分離する可能性がある。(これが不発の原因。)
5.黒色火薬のほうが燃焼の転移速度が早いから、密閉した容器に集めて火をつけると爆発する性質がある。(輸送/保管がむずかしい)
相変わらず面白いですねぇ
書籍化決定
こういう雑学系ほんとすこ
面白い
面白いねえ
1543年に銃が貿易船とともに漂着して
二年ほどで全国に広がり16世紀末にはその9割が日本にあったというのはどうゆことなんだろう。
※12
輸送が大変で、火薬が大量に必要で、製造には放熱処理のための合金と大型の鋳造が出来なきゃいけない大砲を使わない/使えない代わりに、代替火力として用いられたんじゃない?
次回も楽しみにしております。
蒙古は馬と弓だけってイメージする人も多いけど
最新の兵器(火薬や攻城兵器など)を多用していたんだよね
平原の戦闘だけでは無く
城(城塞都市)攻めも普通に得意だった
さすがは世界征服の数歩手前まで行った国だよ
身内のゴタゴタが無かったらガチで世界統一していたんじゃね?
マドファってのは大砲みたいなもんかね?
これの小型軽量化の結果が銃になるんだろうか。
※16
正確には大砲ではなく、ハンドキャノン。
中国=爆発は、そんな昔からやったんやな
それでも、世界最先端だった昔の中国、いまじゃ面影すらないとか、栄枯盛衰・諸行無常やな
歴史ものは大して興味なかったけど、このシリーズは読んでしまう面白さが有りますね。
続きを楽しみにしてます!
人工硝石も考えた奴すげーわ
いいですよねヒエロンの硝酸アンモニウムによる吸熱反応。
「木炭×硫黄×硝石=…」って管理人さんはあの漫画好きなんですね、たぶん。
それにしても同じようなことをやっていた錬金術と練丹術で生み出したものが違うというのはなかなか面白いですね。
三役そろうとたまぐすりであ〜る
古代中国は本当に偉大だね
日本が石器時代でフンバボフンバボいいながら狩猟で暮らしていた頃には(村すら無く家族単位の集まりで暮らしていた頃)
古代中国には、国があり、青銅製の武器を持ち、戦車(馬引き)に乗って戦い、漢字を使い、箸で物を食べていた
※24
古代の華南地方を中心にあの辺が進んでいたことは事実だが、
日本の石器時代が二万年前から一万5千年くらいまで、
以降紀元前十世紀(春秋戦国時代辺り)までは「縄文時代」というのだ
フンボバフンボバとか良いながらとか明らかに縄文人馬鹿にしてるだろ、
彼らの広域網の広さを舐めるな。
当時の日本の気候変動や火山の影響で極端に人口が少なく国土の割に人口の少ない
「クニ」という概念が必要のなかった時代だったから、と言う事情も含まれる。
恐らくその春秋戦国時代から交易のあった人達で戦禍を逃れて来た人達が「渡来人」
として色々日本にもたらしつつ現地にど同化していったのが弥生時代、
ここに来て「ムラ」から「クニ」になり、農業の大規模化により土地を巡り
大きな争いも起るようになった。
そして古墳時代から飛鳥時代にかけて「大凡日本を平定」した時期においても
その間に秦→漢(間に新挟む)→三国(魏→北魏)→晋→隋とコロコロ王朝がひっくり返る
西の国を見続けて「そうはなるまい」と表向き中華思想の中に組み込まれつつ
吸収するモノを吸収していって唐の時代に「ああ、ウチの国名日本だから、アンタらとは
違う独立国家だから」というところに行くのだ。
古代日本を数百年「現代の尺度で科学的遅れてる」からといって
馬鹿にするな、古代日本には古代日本の見るべきモノは沢山あるんだぞ。
※22
硝石丘法が入ってきたのは幕末じゃないの?
※25
渡来人って、南中国より半島からの人のほうが圧倒的に多数だよ。
つまりほむらちゃんはマドファでまどかを守ってたってことやね
※25
あのー
縄文時代は普通に石器時代(中石器時代)ですよ?
それと文明の遅れは数百年では無く
数千年単位の遅れですよ?
少しは調べてから書き込もうよ
数百年に渡り戦場で使われ続けるの
超画期的な武器を作っても負けちゃうなんて戦争は難しいね(´・ω・`)
.
東方見文禄で竹でバズーカ作ってたのを思い出した
本当古代中国には舌を巻かざるを得ない
なお
もののけ姫のエボシが持ってたのはこれがモデルだったのか
日本では硝石がほとんど採れないので、実は戦国時代にどうやって黒色火薬を作っていたのかは詳細不明じゃなかったっけ
※34
硝石の生産は東アジア全体でしてたみたい。
作り方は千差万別だけど、基本理論は一緒。
窒素化合物を含む土を、
糞尿の硝酸アンモニウムと、
白くなった炭の炭酸カルシウム混ぜることで
硝酸カリウムを作ってた。
ただ、このやり方で生成した硝酸カリウムは炭成分が多くて
燃焼時間が天然硝石と比べると、爆速が遅くて、燃焼時間が長い。
爆弾のような爆発力より
ロケットや推進力を得るための火薬になりやすい。
このやり方はすごく手間と時間がかかる割には得られる硝石は少ないから、
琉球貿易で硝石をゲットするか、
南蛮貿易で火薬を買った方がはるかに安上がりだけどね。
※12
「戦国時代の銃の保有数は、日本がダントツで多かった」ってのは実はちゃんとしたまともなソースはかったりする。ちなみにソースとしてよく挙げられるのはノエル・ペリンの著作「鉄砲を捨てた日本人」って本です。
この本によると、「1569年、フランスのスパイが調べたところ、イギリス軍の鉄砲保有者数は6000人であった。一方で1584年、竜造寺隆信は9000人の鉄砲隊を有していた」「石山本願寺は信長と戦うために8000挺の鉄砲を用いた」などと紹介してたりします。
ただ、この時代は傭兵も多い事から戦時になれば兵隊も増えるし、何より紹介の仕方が違う。方や保有者数に対して、もう片方は鉄砲隊員数。全員が鉄砲持ってるわけではなさそう(実は詳しく調べてない!)
戦国時代、銃が日本に伝来してブームを巻き起こす1550年~1600年あたりは、西洋で言えばオランダ独立戦争とか、英西戦争(スペイン無敵艦隊が敗北したアルマダの海戦で有名な奴!)の時代です。
オランダ独立戦争では、カウンターマーチって呼ばれる戦法(撃ったら一番後ろに戻って弾込めってのを繰り返す戦法)が開発された事から解るように銃への理解が深まった時代でもあり、米西戦争では何百隻もの軍船に数千門もの大砲が積み込まれていた事から解るように、銃砲が戦争の主役になりつつあった時代でした。
戦争の主役になっている以上、また数千門もの大砲を決戦にブチ込むレベルの生産力がある以上、西洋の銃の保有数は日本の保有数に引けを取るものでは無い、と考えられます。
当時最先端の軍制を保持していたオランダ軍ではこの時代、ガチムチ最強最硬最速兵種である騎兵に対抗するため、テルシオと呼ばれるパイク(クソ長い槍)兵+銃兵による軍編成を採用していましたが、これは一個大隊550名のうち、300名が銃兵で250名がパイク兵でした。(先の本に書いてあった鉄砲隊と違い、こちらは純粋に銃を持った兵隊が300人、パイクをもった兵隊が250人ってことです)
テルシオ自体はスペイン発祥でしたが、本家テルシオでもパイク兵と銃兵の比率は4:1~2:1ほどです。時代が下るほど銃兵の割合がどんどん増えていきました。
1度の会戦で純戦力の兵士が10万人も集まったら大会戦の時代でしたから、1度の会戦で多くても1カ国につき大体3万人~4万人の兵力を保持するわけです(この時代にたった1人で12万人以上の兵力を保有する変態が出てくるのですが、それはまた別のお話…)
1万人のテルシオがあったら大体2500人~5000人が銃持ちな訳ですね。騎兵先進国のポーランド以外は歩兵と騎兵の割合も大体は3:1くらいなので、4万居たら3万が歩兵であるとスゲー雑に仮定すれば、7500挺~15000挺。双方同じ兵力であれば多くて3万挺が一度の会戦で集まるわけです。戦闘後には破損などの理由から破棄される銃も多々あるでしょう。そういった事あたりまで考えると、生産数はちょっととんでもない事になりそうですが、果たしてこれを日本が越えられるのでしょうか…。
以上のように、西洋の生産力を見ると日本が火縄銃に慣れ親しみ、大いに活用し、また大量に生産した事は確かに事実ではあるものの、世界の火縄銃のうち9割が日本にあったってのはやっぱり眉唾物だと思うわけです。
ちなみにアジアでは銃は流行らなかった物の、大砲はめっちゃ流行ってました。スペインでは槍、日本やオランダでは銃、ポーランドでは馬、中国では大砲。軍隊の興味の先が国によって向く方向が違うってのは、なんだか面白いものですね。
ごめん※36長文書いた上に変なところがあった…
当時最強だった騎兵に対抗する為に作られた陣形・軍編成がテルシオで、これはスペインが使用したら「なんか騎兵以外にもめっちゃ強い。何なのコイツ…」状態でした。足遅いくらいしか欠点ありませんでした。
そんな奴らから独立しようとして戦争になっちゃったもんで、むっちゃ強いスペインのテルシオに対してもっと強いオランダ版テルシオを作ろう!ってな事で、騎兵への対抗手段を持ちつつ、ギリギリまで銃兵の割合を増やして「チンタラ歩いてる内に撃ち殺したろ」ってした訳です。
ちなみにこれを「ほーん、そんならもっと遠くから大砲百門揃えて薙ぎ倒せばええやん」「ついでに前進しながら銃撃つわ」「トドメに騎兵ぶち込んだろ」とかいう鬼畜コンボにまで昇華させ、現代戦の基礎を築いた国がスウェーデンです。
※36
日本が世界で一番銃を持ってたトンデモ説は同意だけど、
テルシオが西欧に広まる16世紀~17世紀には各国の軍の騎兵割合が急激に増加してるよ。
フランスはもともと騎士の発祥の地でもあるから軍の50%が騎兵だったよ。
テルシオの欠点は「圧倒的な機動力の無さ」で、陣形を組み続けられるわけでもないから
撹乱、補給への打撃、奇襲で騎兵は活躍してたし、対騎兵のためにも騎兵を使ってた。
ナポレオン期の戦いの基本は※37のスウェーデンのグスタフの偉業だけど、
流れが微妙に違う。
アルケブス(小口径銃の名称 日本に伝来した火縄銃)ではなくマスケット(大口径銃の名称)を制式採用し、
マスケットの軽量化をすることで銃を支える叉杖が要らなくなって、
のちに銃身を伸ばして銃剣を付けて槍代わりにできるようになって、
銃兵を守る槍/パイク兵が要らなくなる。
近世の戦列歩兵は
銃兵→戦列歩兵ではなく
槍兵→戦列歩兵というのが正式な流れ。
大砲は口径を小さくすることで携帯性を高めて、
戦場に持ち込める大砲の数を増やした。
騎兵は、銃との競争で過剰重装化が進んでいて、
大口径のマスケットを至近距離から撃たれても弾くほどの装甲もあったけど、
重すぎるし、高すぎるし、
装甲を胸甲だけにして軽量化&コストカットして機動力と衝撃力を上げた。
あと徴兵制による兵員補給の安定化。
騎兵は騎兵でピストル装備がデフォだし
装弾数の関係上、ピストル複数持ちで連射しながら突撃…なんてのも居たからなあ
単純な銃の数なら圧倒的にヨーロッパの方が多いんじゃないかな?
それでも、聖職者や女子供までが銃で武装する国なんて16世紀じゃ日本ぐらいだろうけれどもw
※16
日本語も表記揺れが多くてはっきりしないのですが
ハンドキャノン・ハンドゴンネ・手砲・手銃(銅手銃、銅銃)などと呼ばれてますね。
個人携行用の砲が徐々に口径が小さくなって小銃に近くなって行く感じかと。
初期はタッチホール式(指火式)といって大砲に近い点火方式でした。
アルケブス(アーキバス)の意味はフック・ガンで、元々は鉤付きハンドキャノン(手銃)のことで、そこに銃床が付き、さらにサーペンタインロック式(S字金具)の点火方法に発達していきました。マスケットに行くまで、欧州でも色々なタイプが開発されたようで、ハンド・ボンバード(射石砲)、騎兵用の(ハンド)カルバリンや、アックス・ハンドキャノンや十眼ハンドキャノンなんていうものもありました。
中国でも元代から明代まで青銅製の手砲(手銃)が出土しています。
明代に入ると中央の宝源局で統一規格製品が大量製造され(地方の衛でも製造)、永楽帝の頃には火器専門部隊の神機営が設置され、異民族との戦争などに投入されました。『大越史記全書』に胡朝ベトナムの象兵突撃を明軍の火銃部隊が撃退したという記述があります。鄭和の艦隊にも手銃や碗口銃が大量配備されていました。土木の変の京師防衛戦では、エセンハーン率いるオイラート軍が兵部尚書于謙に大敗させられていますが、その際于謙の部下范廣が指揮する神機営が手銃・大砲・地雷などを運用して活躍しています。
その後も徐々に進化していき、三眼銃・十眼銃・神銃・拐子銃・迅雷銃などが開発されましたが、近代小銃型には発達せず、西洋で急速に進歩して16世紀に逆流入してきた鳥銃(アルケブス・マスケット)には敵わず、役に立たない火器とされ評され、明から清にかけて全て倭式鳥銃や嚕蜜銃などに刷新されました。
さらっと書いてるけど50メートル四方を焼き尽くすって相当じゃんね?
※39
カラコール戦法ですね。射程外で弾込めて、有効射程内まで駆け抜けて、全弾発射したら弾込めに帰るという地味な割にうざそうな突撃・・・。
個人的に※6がとても参考になりました。ありがとう。
米欄含めてこのサイトは楽しいね。
雑学ダイスキー
起源前に火薬を発見してるとか
やっぱ古代中国ってやばいわ
あ
古代中国は船の技術もすごいからね。
マドファがティロフィナってますなぁ
火薬で飛ぶ玉座で爆発四散した人がいたとかきくけどホントなんだろうか
やっぱりどこぞの漂流者が出てきたか
中国は話を盛るから50mが燃えて100km先まで爆発音が聞こえたは
ちょい誇張しすぎだね
まあでも火薬を発明したのは偉業
昔の中国すごいすごいいうけど昔は陸路メインで内陸国が発展しやすいんだから当たり前じゃね?
今は海路がメインで海洋国が発展しやすいってだけ
いつの時代も人と物の集まる中心地が発展するもの
中国は単純に環境と状況と地理地形が味方しただけ
あと昔はすごかったのに今はってよく聞くけど歴史をよく見れば今も昔もまったく変わってないよ
ガワだけ見て過大評価しすぎじゃね?
時代が変わって凋落しただけで、今がダメだと思うなら昔もフツーにダメだよ
※50
その機会を活かせるだけでも十分すごい事だよ
今の中国も国共内戦のグダグダ具合から大日本帝国との戦い
共産化によるアメリカとの対立、ソ連との関係悪化なんかの数多の問題を抱えつつ
今現在世界トップクラスの大国に成長したわけで
君は個人的な偏見か何かで過小評価しすぎだと思うよ
※51
悪いが偏見でもなんでもなく事実だよ
それにあくまで○○の時代まではすごかったのに~って言う意見に対してのもので
今の中国もすごいと思うなら何の問題もない
文化大革命以降は~とか、さも昔の中国は別物のようにいうけど紀元前の昔から何も変わっちゃいないってこと、時代の後押し以外は
変わらなすぎるのがまた問題なんだが…
それに機会を活かせるはずならもっととっくの昔にトップクラスになってるはずでしょ
実際はおお~きく遠回りしてようやく、それでも周回遅れは否めない
19世紀の混乱から先いったい何度機会を逃したか
過小評価というなら今を過小評価して昔を過大評価する人に言ってよ
※52
※51ではないけど、
※50の
「中国は単純に環境と状況と地理地形が味方しただけ」
は暴論じゃないかと思うよ。
むしろ環境と地形と周辺状況に影響されない地域、国家、民族なんか存在するのかって話になるよ。
逆説的に言えば日本の発展を日本人の努力や歴史を排除して
「日本は単純に環境と状況と地理地形が味方しただけ」
と評価してるのと同じことだよ。
それはあまりにも敬意がなさすぎる態度だよ。
※53
いやそれは単に「昔はすごかったのに今は~」論に対する答えだよ
昔はすごかったのはなぜか?=地理地形その他が味方したから
今ダメなのはなぜか?=時代が変わったのと悪い意味で変わらなかったから
なぜか今の中国と昔の中国を=で結べない人がいる
そのつじつまあわせが人種が違うという苦し紛れの答えだが
歴史をよくみりゃ昔とち~とも変わってないというのがよく分かる
ガワだけみりゃ火薬を発明した!すげぇ、ともいえるし
世界第2位()の経済大国だ!すげぇ、ともいえる
だが実態は火薬を発明してもそれを活かし発展させたのは西洋だし
15世紀以降は追い抜かれて今や周回遅れ
日本もそうだろうと言うが日本は島国という利点を活かしつつやりくりしてんじゃん
中国のやってることは昔から資源の食いつぶし、枯渇すると外界へ遠征、この繰り返し
勘違いしないでほしいんだが何も中国をとぼしめたいわけじゃなくて
歴史もよく知らず昔は偉大だな~それに引き換え今は、というのが間違いだということ
適度な距離を置いていたからそう思うわけで、近すぎる今はむしろやっかみの対象だ
昔の中国はいいのに今は嫌だ~というのは、日本のアニメは好きだが日本人は嫌いだ~という向こうの人らとメンタリティが同じ
おもちろいよう ひいいい
古代中国がすごいからって、まさか
漢民族や中華人民共和国がすごいって結論になってないだろうなwww
現在アメリカ合衆国は繁栄しているが
北アメリカに文明がもたらされたのはごく最近だし
数多くの人材を輩出した松下村塾のあった萩が古今未来永劫
人材先進地域というわけでもない。
支那は古代から時間差で様々な人種が流れ込む「人種のるつぼ」だった。
様々な文化が持ち込まれ混じり合い醸成される土壌があった。
だからこそ文明が進展した。
しかし、やがて自閉的な朱子学という思想に冒され、
るつぼの蓋が閉ざされて以降
進歩は止まり、錬金術から科学を生み産業革命をむかえた西洋諸国に
弄ばれるに至る。
今の中国の小繁栄の成り行きを見ていてもわかるだろう。
様々なものを呼び込み受け入れる「場」であることが大切なのだ。
閉せば停滞する。
どの地域がすごい、すごくないなどというものはない。
どういう状態かというのが大事なのだ。
その「るつぼ」を閉ざしたのは思想もあるけど内陸国から海洋国へ時代が移ったってのもある
人、物、金の中心地ではなくなった挙句門戸を閉ざして排外的になればまぁそうなるわな
中国の最大の発明はやはり漢字という文字であり、これのおかげで太古からのものを読み取れる一方、あらゆるものが中国出だと錯覚させる一因
たとえばEUを一括りにすれば結構なあらゆるものがEUの発明ということになる
昔からコピー商品が得意で市場に流通しまくってたということと
漢字で書かれれば自動的に中国発になるというマジックの合わせ技
文化はキャッチボールなんだからどこどこが起源ですげぇ、なんてことはないんだよ
大陸文明にロマンは感じるがね
※56
>北アメリカに文明がもたらされたのはごく最近だし
それはアメリカの開拓時代の行いを正当化させるために作られた「イメージ」だから。
面積だけで神聖ローマ帝国やオスマン帝国より広い土地に
当時2000万人も住んでいて、農業をし、個別の言語を持ち、戦争と外交をやってた。
少なくとも都市国家レベルの文明が、代表的なやつだけでも27以上あったよ。
それが天然痘の流行で北米の原住民人口が140万まで減少して、文明崩壊したんだよ。
コロンブスが上陸した島なんて、推定人口80万人が、0人になったんだから。
しかもイギリス清教徒共は飢えで死にかけた所を原住民に助けてもらいながら
意図的に原住民の「除去」を行った。
むしろ、虐殺のイメージを持つスペインは
アステカ・インカを滅ぼす時も、帝国に虐げられた諸部族と同盟を結んで倒し、
同盟を結んだ部族はちゃんと尊重してて、
のちに全てをアメリカ原住民を自分達と同じ文明人と認めて、奴隷化を禁じ、自国民と同じ待遇にした。スペインの方が遥かに紳士的だよ。
※53
日本は王朝交替や長期的に異民族から支配を受けた経験がほぼないに等しいから
わかりにくくても仕方のない面もあるだろう。
もし日本が支那のように
多数の民族が入れ代わり立ち代わり王朝を建てては滅ぼされ
その度にガラガラポンで過去を断絶するような歴史を繰り返していたとしたら、
おそらく誰も現在の日本の繁栄や豊かな文化の源泉を
歴史に求めることはしなかっただろう。
日本はあなたが思っている以上に特殊だし、
支那もあなたが思っている以上に特殊だ。
仮にソビエト連邦がロシア・シベリア地域ではなく今のEU地域だったとして
ヨーロッパ各国の特色ある歴史を
「ソビエト史」と称してひとくくりにしているのが
ちょうど我々の中国史の認識だと思えば
真実を理解する手がかりになるのではないか。
その場合、ローマ帝国やギリシャの繁栄が語られている時に
「ソビエト(EUでもいいが)はすごい」というやつがいたら
どう思われるかは言うまでもない。
公式にはチャイニーズタイペイと呼ばなけれなならないだろう。
しかし真実を知った上で心の中で舌を出しながら言うのと
何も知らずに機械的にチャイニーズタイペイと発音するバカとでは
雲泥の差があるのだ。
※58
そういうツッコミは大歓迎
古代中国を過小評価するのは歴史を知らない極一部の馬鹿だけだからスルーでいいよ
>昔の中国はいいのに今は嫌だ~というのは、日本のアニメは好きだが日本人は嫌いだ~
>という向こうの人らとメンタリティが同じ
さらっと書いてあるけどそれらを比べるのは全然違うと思うんだが
「昔の中国はいいのに今は嫌だというのは、昔の日本はいいのには今の日本は嫌だ」
というのと一緒だとか
「中華料理は好きだだが中国人は嫌いだというのは、日本のアニメは好きだが
日本人は嫌いだ」
というのと一緒だって言うならわかるんだけどね
>南宋という王朝は、結局モンゴル帝国に滅ぼされちゃいますし、あまり創作の対象にもならない地味な王朝です
中国史上最高の英雄と言われている岳飛は、その南宋時代の武将なんだが……。
他の諸将を含め「抗金の名将」と並び称される英雄たちは、『三国志演義』しか知らない日本ではマイナーだが、あっちでは日本の「戦国大名」並に有名だぞ?
>結局モンゴル帝国に滅ぼされちゃいますし
そのモンゴル帝国の攻撃に対して絶対の防御陣を敷いて抵抗し、死後も30年近くに渡って南宋の平和を保ったといわれる名将・孟珙も、日本ではまったく知られてないよね。
知らないのはしょうがないにしても、自分の無知を棚に上げて「創作の対象にもならない地味な王朝」っていっちゃうのは恥ずかしいわぁ~。
水滸伝って南宋じゃないの?
※63
評価されてるものにケチをつけることで自分の存在価値を確かめたがる
自我の脆弱なやつw
お笑い番組にKYなクレームつけて一人悦に入っているタイプだわ。
誰からも共感されてないのにね。
恥ずかしいわあ~
水滸伝は北宋だよ
※63
日本ではマイナーだけど実は中国ではそうでもないんだよー
ぐらいのコメントにしておけばいいのに
恥ずかしい奴
クロスボウで騎士のうんちく語ってた者ですけど
※65、※67みたいに思われてたんですね。
すみません、自重しますね。
いちいち画像がショボいというのがシャクに触る
テメ-で描いたのならいざ知らず
君の存在のほうがショボいよ
なぜだかわかるかい?
管理人が特に深い意図もなく描いた「昔の中国は有能だった」という一説に
「今も昔も中国が有能なわけないだろふざけんな」という一派と
「昔はとはどういう事アルか!中国は今も昔も有能アル」という一派が…。
とりあえず火薬とそれによって生まれたモノの話をしましょう
中国じゃなくて昔の表記で書かないと
とてもじゃないが全ての結果が今の中国だと思うと残念で仕方ないんだよな
三国志も歴史もいい物も全てが今の”中国”ではないし
国民党がやるべきパレードを共産党が国民抑えるためにやっちゃう恥の部分しか目に入らない
中華の魂はもはや無いだろ
木炭と硫黄と硝石って、土に混ぜたらいい肥料になるな
火薬は古代ギリシャで既に発見されていたという説もあるよ
それと縄文文化は世界最古の土器文化であると同時に太平洋を航海し文明を伝播させ
ニージーランドからチリにまで足跡が確認されている世界最大の文化圏でもあるんだよ
※74
ファンタジーが過ぎるぞ?
縄文が世界最古の土器文化(笑)
縄文人が太平洋を航海し文明を伝播させニージーランドからチリにまで足跡が確認されている世界最大の文化圏(笑)
まあ、九分九厘釣りだとは思うが、韓国人のウリジナル並に酷いホルホルだね
昔の中国は芸術とか技術とか凄かったのに、いまの中国人が全部台無しにしてるなあ。
※76
辛亥革命からの大混乱と文化大革命で何も無くなっちゃったからなあ
なお韓国人は何の進化も発見もできなかったとさ
トンスラーは死ぬべき
古代中国人は今の中国人とは民族が違うからな。
※78
君が彼らのことを呼んでいるトンスルを発明したのは朝鮮民族だぞw
人糞を使った薬は漢の薬学にもあったが、
酒を使ってトンスルにしたのは韓国人だけ。
火薬の起源は韓国です
次はフス戦争かな?
戦国時代に加賀や飛騨の方で硝石作ってたって話を聞いたな
※24
縄文時代に関して言うなら大きな遺跡から見て取れるように、ムラ社会であり
保存食の技術を持ち他のムラと物々交換で交易をしたりアクセサリーで身を飾り
死者を弔うなど、結構文化的な生活であったと思われます
※82
古土法でしょ?
でも、戦国時代あたりから
武士の貴族化が始まって、禅や仏教を基礎教養として身に付けるようになると、
肉食の減少とともに畜産もされなくなって、畜産技術が急激に退化して、産業的畜産が壊滅する時代だから、人の糞尿を使うから、かなり効率は悪いみたい。
※83の訂正。
間違えた。培養法だ。
加賀藩は昔から蚕の生育と生糸の生産で生計立ててた場所で、蚕の糞使ってた。
※27 半島からって・・・もともと半島自体が 日本領ですので。
百済、高句麗、和府、普通に日本のひとつの国です。 沖縄の方が遠くて 最果ての日本の国
すんでいたのも Koreanじゃなくて日本人です。民族生物学的に。
Koreanが発生したのは 小氷河期以降。 廃墟に住み着いた流民です。
※74
なので60~70年代の極左テロ集団は農業資材や園芸用品を扱う店
(当時はまだホームセンターという業態が一般的ではなかった)で
爆薬の原料を調達してたんだけど、そういう実態が行政側に知られる
ようになって硝酸アンモニウム(硝安)、硝酸カリウム(硝酸カリ)
といった硝酸系肥料を匿名で大量に購入するのは困難になった
※85
ちょっと何言ってるか意味不明でなんだが。
こんな面白いスレにもチ.ョンがわくのか・・・
本当に有害だな、あいつら
確か子供が囲炉裏のそばでいたずらしてたら火薬の原料に火がついて
爆発したのが始まりだと聞いたけど
※85
任那日本府の話?
日本領だったのは任那+加羅で百済と新羅は属国だよ
要するに朝鮮半島全土では無く
半島の南が古代日本の勢力下だった
少しは調べてから書き込もうよ(そもそも年代が違うじゃん)
ここのコメント欄は嘘知識を垂れ流す人が多すぎる
※85
※90
話題がそれるけどちょっと横から。
日本領だったのはおそらく伽耶だけで、百済は立場的には対等な同盟国じゃなかったかな?
新羅は基本的に属国ではなく敵対国であったし。
百済と新羅が属国であったというような記述は広開土王碑のみにあり、その後は上で述べたような関係になっているからおそらく属国状態は一時的なものだったんじゃないかな。
もっと更新頻度あげてください(´・ω・`)
日本の米作りは6500年以上前から始まっている事が判明している、
縄文土器が現状見つかっている中で世界最古の土器、
縄文時代に半島から人類の足跡が5000年間途絶えその後に縄文人が移り住んだ足跡が残っている、
現代の朝鮮人は縄文人とはほぼ関係なく母系遺伝子が極わずかに残っている程度。
宋(北宋)、南宋の時代は、地味どころか、中国史の頂点の1つでした。運河は国土に広く張り巡らされたし、人類史上初の紙幣も発行された。靖康の変で、中国文明はとりあえず滅亡し、明による再興はあったものの、基本的にはモンゴルなどによっての武力制圧に屈したのです(漢民族自身はモンゴル文化を吸収併合したと言い訳していますが)。
※93
世界最古の陸稲(畑で栽培される稲)は中国で1万2000年前の物が発見されているからね
世界最古の水田稲作は7000年前に中国で始まったと考えられている
日本最古の水田は3000年前だよ(陸稲は6000年前頃)
水田栽培と陸稲栽培とは同じ稲作でも文明の進歩に与える影響は天地の差がある、重要な事だけど説明が面倒臭いからググッて
>縄文土器が現状見つかっている中で世界最古の土器
これ良く見かけるけど、普通に嘘だからね
現時点で世界最古の土器は中国で発掘された2万年前の物だよ
そもそも2万前の日本は縄文時代では無く旧石器時代(無土器時代)だよ
残りのも言いたい事があるけど時間が無い
※75
横からで縄文人と繋がりがあるかどうか知らんが、太平洋に文化があったことは近年解ってきている
星を使った航海術で島を行き来し貿易があったことがね
アメリカ大陸は太平洋を渡って発見されていたらしいことも
島国である日本が、その文化圏の一部だったとしても何の不思議もない
歴史に向き合いたいなら、自分の狭い価値観で決め付けて他人を馬鹿にするのは止めろ
議論に競争や政治を持ち込むな
自分は何ももたらさないくせに恥ずかしいと思わない※65,67みたいなのが日本の議論の場を壊す
※95
嘘は言い過ぎ
ttp://www.tokachi.co.jp/news/201304/20130411-0015273.php
2万年前の物が見付かる前は青森のが最古だったわけだし、発表されて3年じゃ検証され尽くしたとは言えないでしょ
神の手事件みたいなのもあるくらいだし
※97
あれはやな事件だったね・・・
あれから数年間は、国際学会での発言権が無くなって座ってるだけだったし、
信頼を取り戻すために遺跡の年代検証を、日本と対立する韓国に託したりと、
日本の考古学界の黒歴史の日々だった。
ここはいつも大阪叩きのガセネタを
リンクに張ってるよな
解説面白い!
めっちゃ燃えるから気をつけろで草
※96
>太平洋に文化があった
>星を使った航海術で島を行き来し貿易
それ縄文人じゃ無く
ポリネシア人の事だよ?
日本にも辿り着ているけどね
でも海流の関係で片道切符だぞ?
元も南太平洋の島には帰れんぞ?
行き来は無理だぞ?
※75
「ギリシアの火」ってアレだろ。失伝してしまって作り方がわからないそうだが、
絵に残された描写を見ると火薬というよりは火炎放射器みたいな…
※97
それも嘘知識だよ
仙人洞で発見された2万年前の土器よりも前に
中国の玉蟾岩遺跡で1.8万年前の土器が発掘されていますよ?
ちなみに日本最古の土器は大平山元の1.6万年前だよ?
意図的に嘘情報を流しているのか
ただ単に無知のは知らんが
知識が無いのなら書き込む前にググろうよ
いわゆる黄河文明発祥の地だからなぁ 文明の発展は人口およびその密度が重要だというし
産業革命と政治体制で決定的に後れを取る19世紀までは、世界のスーパーパワーだったのは
間違いないだろう 中国、または中原を支配する勢力が有能でなかったのはここ200年くらいのこと
むやみに自国上げするのは、どこぞの半万年と同じだと判って欲しいな
火薬にしても、唐入りの時ですら明国の大砲に苦戦してるじゃない。
自宅全焼大火傷の気の毒な練丹術師で笑っちまった
※12
1543に種子島に鉄砲伝来ってのはあくまで伝説だからねえ
実際には日本の各地に同時多発的に貿易で伝わったってのが有力
火縄銃より古い形式の火器なら応仁の乱の頃には既に実戦投入されていたとも言われてる
※106
元寇の時すでにてつはうの現物を見てるわけだから、
まったく無いとも言えないな、ただネジの概念は無かったみたいだから、
種子島発で問題無いのではないかと愚考する。
モンゴル帝国は火薬使いすぎて城攻めの時に西洋人にドラゴンが攻めてきたと勘違いさせてたくらいなんだよね。
ちょっと前まで、硝石は薬局で売っていました。実験用か、手製のハムを作る為でした。
硫黄は温泉地に行くと塊が買えました。買いたくなければ硫黄臭い山に行けば拾うこと
もできます。炭はどの家にもあり。。薬局で硝石を売らなくなったのは極左の赤軍派が
暴れたことが原因。硫黄の入手方法は他にもあって、少数の子供は知っていました。
皆が皆温泉のそばに住んでいるとは限りませんからね。
辞書を見れば「使用目的により、硝石,硫黄、炭3種の割合を変える」「その割合はこ
のように、」とまで載っています。
戦地に行った人が周りにごろごろしていたので、自分で作った火薬の使い方まで当時の
子供は知っていました。
震天雷って封神演義に出てくる武器みたいだな
そっと開いたドアの向こうに壊れそうな世界はある ※自宅で火薬調合中引火危険有
朝が来るのか夜になるのか迷いながらひかりは綻びて※睡眠不足実戦で使えるか迷う
声が呼ぶまではもう少し遊ぼう花のように廻る時を繰り返し※ワルプルギス迎撃失敗
夢はこの部屋の中で優しい歌をずっと君に歌っていた ※謎のギロチン部屋で妄想中
何がほんとのことなの一番強く信じられる世界を追いかけて※彼女の幸せは私が造る
君の銀の庭へ※神にも等しく聖なるものを蝕んで悪魔の能力を手に入れる
昔の中国人って日本人みたいな連中だったのかね?
つかギャンの盾って北宋由来なのか・・・
まるで民族ごとに優劣があるみたいな意見だな。
君が優秀か下等かは知らないが、凄い人が凄いだけだぞ。
まあ優秀な人間は主語を大きくして自分を含めようなどとはしないけどなw