地中海→イタリア→フランス→イギリス

かつては太陽の沈まぬ国と称されるほど広大な領土を誇ったイギリス。

最盛期の20世紀初頭には、世界中に領土(植民地)がありまくって、常に領土のどこかに太陽が出ている状態。

1910年の版図。すげえ。

学問、文化、芸術、経済、産業、どれをとっても世界トップレベルの国なのであります。なのに、なぜか料理だけはCRAP TIER

今回は、歴史や文化といった側面から、なぜそうなっちゃったか考えてみたいと思います。

古代ギリシャが起源

基本的に、私たちがイメージするヨーロッパの美味しい料理というと、フランス料理、イタリア料理、スペイン料理あたりでしょうか。

現代ではメジャーなこれらの料理は、主に古代ギリシャ料理にその起源を求めることができます。

先史時代のことは置いておくとして、紀元前7世紀頃からギリシャで都市国家が登場し、紀元前4世紀くらいに古代ギリシャの文化が隆盛を極めました。

そこで成立した古代ギリシャ料理は、オリーブオイルパンワインを基盤とした、まさに現在の地中海料理の源流とも言えるもの。

食材も多様で、豚肉や鶏肉はもちろん、イカやタコなどの新鮮な海産物、そして様々な魚が流通していたことが分かっています。

野菜、果物、乳製品も豊富で、調味料としてコショウやハーブが使われていました。

イギリス料理とは段違い

美を探求する古代ギリシャでは、料理も芸術の一つと見なされており、多くの料理人が美食を探求していたと言われています。

紀元前4世紀頃のアルケストラトスという詩人兼美食家は、地中海の美食を求めて漫遊し、「ガストロノミア」という長詩を書きました。原典は散逸してしまっていますが、どうやら魚の入手方法や調理方法が書かれており、人類初の料理本とも言われています。

アルケストラトスの胸像。いい表情。

ガストロノミアという言葉はガストロノミー(美食学・美食術みたいな意味)の語源になっています。

古代ローマで発展

その後色々あって、古代ギリシャの都市国家はマケドニア王国に吸収・統合。さらにその後はいわゆるローマ帝国がこの地域を支配するようになりました。

そんな中でも、古代ギリシャの食文化はローマ人からも超高評価で、そのDNAは古代ローマ料理にもしっかりと受け継がれていきます。

そもそもローマ帝国というのは、なんだかんだやっぱりヨーロッパの文化の基盤とも言える存在なわけです。

ローマ帝国の最盛期は、現在で言うイギリス、フランス、イタリア、ルーマニア、ギリシャ、トルコ、イスラエル、イラク、エジプト等々、実に30か国にも及ぶ範囲に広がっていました。

ローマ帝国の版図

このように広大な領土である上に、さらに芸術や建築とかの文化度もめちゃ高い。

料理にいたっては、もうほとんど現在の西洋料理に引けを取らないレベル。むしろ古代ローマの方が上かもしれん。

ローマ料理

モザイク画に描かれた古代ローマの食材

前菜は、サラダ、ピクルス系、ゆで卵やオムレツ、エスカルゴ、ウニ、貝とか。

メインディッシュは、豚肉、鶏肉、牡丹肉、ソーセージなど。フォアグラの技法も既に古代ローマで考案されていたみたい。

魚介料理も高級品として好まれていて、イワシやニシンなどオーソドックスな魚だけでなく、マグロやカツオ、海老、カニ、イカ、タコ、キャビア等も口にされていました。ウナギの蒲焼も人気だったし、ウツボやボラの養殖も行われていました。

古代ローマのシーフード

古代ローマになかった食材はトマトじゃがいもくらいどちらも新大陸起源。わしらがイメージする西洋料理のほとんどが、もうこの時点で成立しているのがすごい。

古代ローマ市民は一日3食。そのうち最低でも一回はコース料理にして、たっぷり2〜3時間かけて楽しんだと言われています。

イタリア料理からフランス料理

ローマ帝国は西暦395年に東西に分裂し、1453年に歴史の幕を閉じました。しかしその文化的影響力はヨーロッパ全域に影響を与え続けました。

ローマ帝国の中心地はローマなので、古代から中世までヨーロッパの食文化の頂点は、実質的にはイタリア料理だと言えます。

現在では世界3大料理の一つに挙げられるフランス料理にしても、イタリア料理に比べると所詮は田舎料理の域は出ません。貴族たちですら、ローストした肉や野菜を硬く平らなパンに乗せて供される素朴な料理を食べていました

コース料理みたいな概念はなく、料理は雑多にテーブルに並べられ、作法も何もありません。


スプーン、フォークもないので手掴み

そんなちょっとイマイチなフランス料理が急速に進化したのは、1533年のこと。

カトリーヌ・ド・メディシス

イタリアはフィレンツェの超大富豪、メディチ家

その娘として生まれたカトリーヌ・ド・メディシスは、1533年にフランスの王子アンリ2世に嫁ぎました。

カトリーヌ・ド・メディシス

彼女はメディチ家のお嬢様であるからして、当然に美食家であり文化芸術をこよなく愛する教養高い女性でした。そんな彼女にとって、フランス料理のガサツさは耐え難く、自ら大量の料理人をフィレンツェから連れて行ったのです。

そうしてフランスに渡ったイタリア料理がフランスの食材と融合し、現在の素晴らしいフランス料理の基盤を作っていったのであります。

他にも、カトリーヌはフランス貴族たちのあまりに粗野なテーブルマナーに業を煮やし「食事作法の50則」という本を出したとか、フォークを初めてフランスに持ち込んだとか、マカロンをフランス人に教えたとか、様々な伝説があります。

その頃のイギリス

イギリス史の概略

イギリスは、ちょくちょく民族が変わったり侵略を受けたりと、なかなか大変な歴史を持っています。

そもそも、同じ島国の日本と違って、イギリスは本土との距離が近い。ドーバー海峡はヨーロッパ本土からたったの34kmしかないので、かなり攻めやすいわけです。

ウッチャンナンチャンでも渡れる

イギリス史は複雑で難しいので超大まかにまとめると、次のような流れ。

もともとブリトン人というケルト系民族が住んでいて、そこをローマ人が支配。さらにゲルマン民族(アングロサクソン人)が侵入してきて、ブリトン人は周辺に追いやられました。

しばらくはアングロサクソン人が建国した王国が乱立していましたが、今度はデンマークからやってきたデーン人に攻められてその支配下に入ります。

気合いで独立するも、今度はフランスのノルマンディー公国から侵略されて、ノルマン朝が成立。これ以降、イギリスとフランスは複雑な関係になっていきます。

ブリトン人の食生活

イギリスの原住民であるブリトン人の食文化の様子は、カエサルの「ガリア戦記」やタキトゥスの「アグリコラ」などいくつかの資料に残されています。

古代ブリトン人

そこに書かれているのは、意外に豊かな食生活。

基本は狩猟と漁業。さらに、羊、馬、牛、豚が飼育されていて、その肉を食べ、乳を飲んでいました。

大麦小麦が栽培され、ビールなんかも飲まれていたことが分かっています。少なくとも富裕層はかなり良いものを食べていたっぽい。

ローマの影響

そこにローマの食文化が流入してきます。

まずはワインやオリーブオイル、また様々な野菜類が交易を通してイギリスへ上陸。玉ねぎやニンニク、キャベツ、キュウリなどはこの時代に普及しました。

味付けも、元々は素朴な塩味だけでしたが、様々なハーブ類やガルムという魚醤が伝わり、料理のレベルもグンと上がったようです。

イタリアの魚醤「コラトゥーラ」みたいな味

アングロ・サクソンの食卓

ゲルマン民族大移動によりローマ軍が撤退すると、ローマの洗練された文化を持つブリトン人はウェールズなど周辺に追いやられました。

この時に侵略してきたゲルマン人(アングロ・サクソン人)は、絵に描いたような蛮族なので、都市は徹底的に破壊され、食文化も断絶。イギリスは一気に原始的な生活に戻ってしまいます。

強い

アングロ・サクソン人は料理の技術などないので、主食は麦を煮込んだポリッジ

というオートミールのような粥。

健康的ではある

あとは、ゴッタ煮にした野菜や豆、魚の塩漬け、たまに焼いた肉、くらいの感じ。

アングロ・サクソン人はワイルドなので、その後何百年もイギリスの料理に特段の進化はありませんでした。

10世紀に入っても、「俺たちゃ料理なんて興味はねえ。焼くもんは焼くし、煮るもんは煮るんだ(参照:Aelfric’s Colloquyみたいなノリ。

ノルマン人の食卓

11世紀、ノルマン・コンクエストによって、イギリスは一時ノルマン人(フランス)に支配されます。

ここでようやく地中海料理がイギリスの上流階級の間で復活します。少なくとも貴族はフランス料理を食べ、庶民の間にも少しずつパンが広がっていきました。

貴族だけでなく教会も贅沢してた

ちなみに、pig:豚pork:豚肉cow:牛beef:牛肉みたいに動物とその肉が別の言葉になったのも、この時代に起因します。

当時の貴族はノルマン人なので、常用語はフランス語。一方の庶民であるアングロ・サクソン人たちはずっと英語を話していました。

基本的に肉を食べるのは貴族なので、自然と料理された肉にはフランス語が用いられるようになったらしいです。

ここまでまとめ

という感じで、古代ギリシャで成立した地中海料理が基盤となって、ローマ帝国→フランス→イギリスという経路で食文化が伝わっていきました。

ここまでの歴史を見ると、現代のイギリス料理のような悲惨な状況になるように思えませんが、実際に悲惨なのでもう少し歴史を見ていきます。

が、ちょっと長くなってしまったので一旦この辺で。わりとすぐに更新できると思います!

参考文献・サイト様
食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命
ナポリタンはいつからあるの?~World cultural history’s Blog
食文化からイギリスを知るための55章
ガリア戦記

コメント

  1. 名無しさん@腹筋崩壊 より:

    更新待ってたよ〜
    動画はゆっくりまちゃさん
    読みはここで知識欲を満たすよ〜

  2. 名無しさん@腹筋崩壊 より:

    再開ありがとうございます

  3. 名無しさん@腹筋崩壊 より:

    ドーバー海峡、ウッチャンナンチャンでも渡れる
    今の若い子に分かる?

  4. 名無しさん@腹筋崩壊 より:

    イギリス料理のオーバーキルやめたげて!!

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