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金銀財宝の賢い使い道

やーなんかうかうかしてたら新年になっていました。

みなさま、あけましておめでとうございます。

今回のテーマは、硬貨。つまり貴金属製のお金についてであります。

時系列的に言えば、「メソポタミアの粘土板」と前回お話しした「紙幣」の間に来るお金です。

浅い理解のまま行き当たりばったりで書いているので、こういう変な順番になってしまいました(๑´ڤ`๑)テヘ♡

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お金に価値の裏付けは必要か?

ここまで、お金というのは借用証書であり、負債を目に見える形にしたものという論調で話を進めて参りました。

実際、お金の起源とも言える、メソポタミアの粘土板は、それ自体は土の塊でしかありません。

しかし、その粘土板に書かれた負債を返済する約束が、価値を生み出しているのです。

同じように、イングランド銀行券も紙っぺらにすぎません。

しかしその実態は、国王ウィリアム3世の借用証書。しかも、法律で税金を返済の財源にしますと確約されている。

だから、みんながその銀行券を信用し、価値を受け入れたのであります。

ここから分かるのは、お金がお金であるために必要なのは「価値の裏付け」では無く、「信用力」ということなのです。

金属主義という考え方

そうは言っても、「お金には価値の裏付けが必要」という感覚はなかなか拭えないものです。

例えば、金貨や銀貨。

たしかに、金貨や銀貨というのは、ゴールドやシルバーが含まれているから価値があるような感じがします。

こうした考え方は、「金属主義」と呼ばれます。

つまり、「100円玉は、100円分の価値の金属で作られるべき」という考え方。

しかし、この金属主義は、次の事実によって否定されます。

それは、金貨や銀貨は常に、それに含まれる金属の価値より高い価格で流通していたということ。

過去に流通した金貨や銀貨は、ほとんど例外なく、激しく摩耗していました。

自然に磨り減ったわけではありません。

皆が、通貨性を損なわないギリギリのラインまで、コインの縁を削り取ったのです。

そうして、額面上の価値を保持しつつ、貴金属を盗み取っていたのです。

その結果、ひどい場合には、元々の重量の半分くらい しか貴金属が含まれていなかったのです。

にも関わらず、それらの硬貨は普通に額面どおりの価値で流通していたのであります。

つまり、硬貨の価値は、それに含まれる貴金属の量には左右されないのであります。

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根本的な疑問

ゴールドの価値は

そもそも、ゴールドやシルバーは、古来からなぜ「価値あるもの」とされてきたのでしょうか。

たしかにキラキラしてきれーい +。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚:.。+゚なので、宝飾品の用途としては有能。

ただ、少なくとも古代の人々にとって、貴金属はあんまり使い道がないはずです。

武器や道具を作るには柔らかすぎる。鉄の方がよっぽど硬くて軽い。

お皿とか家具とかの日用品を作るにも、木材や陶器で十分。

宝飾品なんつーのは貴族やお金持ちにとっての使い道であり、庶民にとってゴールドなんて屁のツッパリにもなりません。

無人島に現金を持っていく人はいませんが、同じように、金の延べ棒を持っていく人もいませんよね。

工業的に優れた性質を持つ(電気を通しやすい、超伸びる、とか)から価値があるというのは、現代の視点から見た後付けの理由でしかありません。

現代のように、工業が発達していて、しかも庶民に至るまで食うに困らない程度には豊かになっているのならいざ知らず、大昔のゴールドに「実質的な価値」があるかというと、かなり微妙。

にも関わらず、ゴールドやシルバーはいつの間にか、誰もが欲しがる価値の尺度とされ、硬貨の素材として選ばれるようになりました。

なぜなのか。

これはちょっとした難問であります。

なんで税金取るの?

ここに、もう一つの視点を加えてみましょう。

仮に、ゴールドやシルバーが普遍的・実質的な価値を持っていて、自然とみんなが欲しがるようなものだったとします。

だとすると、なぜ歴史上の為政者は国民から税を徴収したのでしょうか?

これもまた難問。

もしゴールドやシルバーがそれだけで価値を持つものならば、為政者はその権力を活用して金銀鉱山を支配すれば、それで事足りるのではないでしょうか?

なぜ、鉱山から掘り出したゴールドや敵から略奪したシルバーを、わざわざ一回溶かして、自分の肖像を刻印した上で国民の間に流通させ、それを返すように求めたのでしょうか?

最初っから国民に流さずに、自分で持っていれば済む話であり、完全な二度手間のようにも見えます。

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金属貨幣の本当の役割

金属製の硬貨が発明されたのは、紀元前7世紀ごろ。

少なくとも、リディア(今のトルコらへん)・インド・中国で、ほとんど同時に発明されました。

リディアのエレクトロン貨

戦国時代の布貨

古代インドの銀貨

戦乱の時代

この3つの文明は、それぞれ独自に硬貨を発明したと思われます。

紀元前7世紀頃のリディア、インド、中国に共通するのは、戦乱の時代 だったということ。

リディアのあったアナトリア半島は、B.C.1200年にヒッタイト帝国が崩壊して以降、諸王国が乱立する状態でした。

中国は、ちょうど春秋・戦国時代。

古代インドも、十六の大国が互いに争う時代でした。

そういう時代における君主の課題。それは、常備軍の設置と維持です。

万単位の軍を維持するのは、古代においてはもうめちゃくちゃ大変なこと。

食料や物資を輸送して、全員に配るためだけに、ほとんど兵隊と同じだけの数の人間を雇わなくてはなりません。

この効率の悪さは異常であります。

金銀財宝の使い道

それでも、軍隊があれば、戦争が起こります。そして、見事に敵に勝利すれば、食料やら物資やら宝物を略奪できます。

食料は物資は、そのまま軍の維持に使えるので大変ありがたい。

問題は、宝飾品であります。

金銀財宝で作られた装飾品の数々は、貴重で綺麗なのでついつい集めたくなるけれど、マジで使い道がないのです。

しかし、有能な君主は、この宝飾品の実に有効な使い道を思いつきます。

彼らは、まずこの金銀財宝を溶かして、一定の大きさのコイン状に加工。そして、そのコインを兵士への給料として支払いました。

これだけは、まだこのコインは実質的な使い道の無い、君主が発行したただの借用証書でしかありません。

しかし、ここからが工夫です。

君主は、兵士にコインを配ると同時に、全国民に対して「年末になったらこのコインで税金納めろよ」と布告したのです。

この瞬間、国民はコインを集める巨大な機械へと変貌したのであります。

およそ全ての人々が、このコインを手に入れるためにあれこれと工夫をするようになる。兵士の持つコインを手に入れるために、彼らの欲しがるものを提供することに知恵を注ぐようになる。

こうして、駐屯地の周囲に市場が生まれ、硬貨によって取引が行われるようになっていったのであります。

兵士からしてみると、ただの借用証書だったコインは、それが納税方法として定められた途端、食べ物や酒や女と交換できるマネーへと変貌を研げたのであります。

君主からしてみると、わざわざ軍を維持するために必要な物資を国民から徴収する必要も、配り歩く必要も、無くなりました。全ては市場が勝手にやってくれるのです。

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国家が貨幣を創る

こうした経緯を踏まえるならば、「金貨はゴールドを含んでいるから価値がある」という発想はありません。

国家が、「それ」による納税を認めたからこそ、人々は「それ」を必要としたのです。

前回見たイングランド銀行券も、国家が「それ」による融資を認めた(受け入れた)から、人々がその銀行券を信用したという見方もできます。

いずれにせよ、お金がゴールドやシルバーでなくてはならない根本的な理由は、何一つありません。

国家が「それ」による納税を認めるのであれば、「それ」は石ころでもプラスチックでも紙でもなんでもOK。

ただ、ゴールドやシルバーが「綺麗」+「あんまり使い道ない」から、たまたま硬貨として使われ始めたのであります。

地球上のあちこちで同じように硬貨として使用されていることから考えるに、ゴールドやシルバーがこうした経緯を辿るのは必然なのかもしれません。しかし、それは決してゴールドやシルバーが自然に価値を持っているということではありません。

まあ昔のことだから、証拠は無いけどね。

参考文献、サイト様
負債論 貨幣と暴力の5000年
21世紀の貨幣論
富国と強兵

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