そんなこんな※で、17世紀に入ると、出遅れた国々も盛んに航海に乗り出すようになり、スペイン、ポルトガルの2強だった大航海時代は新時代を迎えます。
それを象徴するように、スペイン(ポルトガル)の東インド独占を打破し、東インドで直接貿易をするという快挙を成し遂げる国が現れます。
※そんなこんな→
香辛料美味すぎワロタwww
会社をつくるということ
思わぬ伏兵
その国の名は、オランダ。
それまで歴史の表舞台に出ることもなく、じっと息を潜めていた伏兵が、ここに来ていきなり世界経済の頂点に立ったのです。
というかまぁ、オランダがそれまで歴史の表舞台に出てこなかったのは当たり前で、もともとオランダはスペインの一部「ネーデルラント地域」でした。
この地域は、中世以来、商工業が発展しており、ヨーロッパの中でも一、二を争う先進地域であり、スペインにおいても非常に重要な場所でした。
世界で最も豊かな都市だったアムステルダム
しかし、カトリックを国教とするスペインに対し、ネーデルラント地域にはプロテスタントが多く住んでいました。
それでもそこそこ上手くやっていましたが、フェリペ2世がスペイン王に即位すると、プロテスタントへの弾圧が始まってしまいます。
重税を課したり、自治権を奪ったり。現地の人々がこれに反抗的な態度を取ると、ついには異端審問まで行うようになりました。
異端審問イメージ
我慢の限界に達したオランダの人々は、スペインに対して反乱を起こし、そのまま独立戦争へと発展。1581年にはスペインの統治を否認し独立を宣言します。その後もスペインとの戦争は続きますが、
この時、オランダ側をこっそり支援していたのがイギリスでした。さすがw
「80年戦争」と呼ばれる長い独立戦争。1648年まで続きました。
もともと、経済が発達した地域だった上に、儲けるのが大好きなプロテスタントが周辺国からドンドン移住してくるようになったオランダ。
瞬く間に、世界一の商業国へと変貌していきました。
ただ、オランダは新興国。地力ではスペインやイギリスといった大国には劣ります。それらに対抗するには、とりあえず稼ぐ。ガンガンお金を稼いで国力を増強させていく必要がありました。そうして「貿易」に力を注いでいくようになったのです。
東インドへの到達
1594年、アムステルダムで、「直接東インドに行って香辛料を調達してくる」ための会社が設立されます。
その名は、「遠方会社Compagnie van Verre」。9人の豪商が出資した会社でした。
この会社が東インドへ航海するにあたって、越えるべきハードルはたった1つ。
スペイン(ポルトガル)が支配している拠点(港)を使わないこと。きびC。
従来のインド航路は、
こんな感じ。アフリカ大陸南端を経由したあと、コツコツ補給を繰り返しながら北上してインドを目指していました。
これに対し、この航海で取られたルートは驚くべきものでした。
敵の港が使えないなら、一気に進めばいいじゃない
このように、すげー飛ばして一気にジャワ島まで到達したのです。
実際、旅程は厳しもので、壊血病や飢餓や原住民との闘い等により249人のクルーは89人にまで減りました。
しかし、わずかながら見事に香辛料を持って帰ることに成功し、ヨーロッパの国々に衝撃と希望を与えました。
東インド会社ブーム
このオランダの大成功で、東インドへ到達することが可能だと分かると、後発国もグイグイと東インドを目指すようになります。
この時期以降に設立された「東インド会社」をざっと並べると、
・イギリス東インド会社
・オランダ東インド会社
・フランス東インド会社
・ポルトガル東インド会社※5年で倒産
・デンマーク東インド会社
・スウェーデン東インド会社
ただし、注意して欲しいのは、これらはすべて、あくまでも「東インド」との貿易を行うための会社だということ。白々しく聞こえるかもしれませんが、けっして領土を拡張しようとか侵略してやろうみたいな意図はありません。
「会社」ですから、あくまでその本質は民間営利企業なのです。
その「利益追求」という目的を達成するための手段として、「貿易」「略奪」「搾取」「侵略」があっただけです。
彼らは「民間企業」ですが、現地を統治する権利、軍隊を持つ権利、通貨を発行する権利などなどを王様から認められた勅許会社です。だからこそ、こういった手段を選べました。
相手が強ければ「貿易」を選ぶし、相手が弱ければ「略奪」「搾取」を選ぶ。
そんな中、当時の中国や日本が西洋の植民地にならずに済んだのは、中国・日本が強かったからです。
勝敗がどうなるかは別として、東インド会社にとって、中国・日本との戦争は多大なコストがかかるのが見え見え。運良く侵略に成功したとしても、そのコストをペイできないという打算的な判断だったというわけですね。
「東インド会社」の意味
ちなみに、インドに設立したから「東インド会社」という名前だと思っている方も多いと思いますが、それは誤解です。
そうではなく、当時はアジア全域を「東インド」と呼んでいたから「東インド会社」なのです。
その活動領域はインドだけではなくアジア全域に及びますし、本社は本国にあります。
イギリス東インド会社の本社(17世紀)
イギリス東インド会社の本社(18世紀)
東があれば西もある。
新大陸方面の貿易については、これも各国が同じように「西インド会社」を設立し、せっせと貿易を行っていました。
こちらは特に奴隷貿易なんかが得意分野でした。アフリカ→新大陸→ヨーロッパ→アフリカ→…の三角貿易のアレですね。
参考:奴隷貿易の効率性www
東インド会社と比較すると畜生度の高い行為を行っていますが、やっぱり目的は利益追求であって、侵略したり植民地化したりというのはその手段にすぎません。
といった3記事に渡る前置きを経て、次回は「イギリス東インド会社」について書きます。