犯罪組織というものは、世界各国に存在します。日本なら「ヤクザ」がそうですね。
その中でももっとも代表的なのが、イタリアのシチリア島発祥の「マフィア」です。
「マフィア」というと、「犯罪組織」を意味する普通名詞として使われる場合が多いのですが、元々は特定の組織名を指す固有名詞。「マフィア」があまりにも代表的過ぎて、そういう使われ方をされるようになりました。
「ホッチキス」とか「サランラップ」とかと同じです。
まぎらわしいので、この記事では「マフィア」というのはこの特定の組織を指す意味で使いますね。
シチリア島の歴史
シチリア島は、イタリア南西に位置する、たいへん美しい島です。
こんな美しい島から、なぜマフィアが生まれたのでしょうか。
まず前提として知っておかなくてはならないのは、歴史的にシチリア島が置かれてきた状況です。
ご覧の通り、地中海のど真ん中にあるシチリア島。
紀元前11世紀頃から人が住むようになり、ギリシアやローマの一部として栄えました。
しかし、ここからが苦難の歴史。長いので箇条書きにします。流し読みでおk。
- 440年~:ヴァンダル王国に併合される
- 535年~:東ローマ帝国に征服される
- 550年~:東ゴート王国に征服される
- 552年~:東ローマ帝国が取り返す征服
- 827年~:アラブ人に征服される
- 1061年~:ノルマン人に征服され、シチリア王国が成立
- 1194年~:神聖ローマ皇帝にシチリア王位を奪われる
- 1266年~:フランスの王族に征服される
- 1282年~:スペインに半分支配され、シチリア王国とナポリ王国に分裂
- 1713年~:トリノの王族がシチリア王国の王位を得る
- 1720年~:シチリア王国がオーストリア・ハプスブルク家の支配下に入る
- 1734年~:スペインがシチリア王国を奪回
- 1816年~:シチリア王国とナポリ王国が統合される
- 1860年~:イタリアの義勇軍に占領され、イタリア王国へ統合される
このように、物凄い勢いで支配勢力が代わっています。地中海のど真ん中という恵まれた立地のせいで、各国がすぐ手を出してくるわけです。
その為、シチリア島の人々の間には、公権力に対する強い不信感が根付き、「公権力に頼らず、自分の力で問題を解決していく」という価値観が生まれていきました。
マフィアの成り立ち
マフィアの成り立ちには諸説あり、コレだ!というのはありませんが、一般的には、18世紀頃の「農地管理人」という存在が元になっていると言われています。
農地管理人とは、こんな感じの人
当時、シチリア島の土地を所有していた領主や地主はナポリのような都会に住み、領地の経営は農地管理人に任せっきりでした。
その地主たちの無関心を利用して、農地管理人達は収益をチョロまかし、余った金で高利貸しを営むなど、私腹を肥やしていきました。
もちろん、悪事ばかりではありません。
例えば、盗賊から守ってあげたり、不動産や金銭を巡るトラブルの仲裁人だったり。まるで警察や裁判官のような役割も果たしていました。
こうした農地管理人の姿は、シチリア人が持つ「公権力に頼らず、自分の力で問題を解決していく」という価値観にピッタリ。誇り高い生き方であるとされ、シチリアの人々は、困ったことがあればマフィアを頼るようになっていきました。
マフィア自身も、自分を「名誉ある男」などと呼んだりします。
やがては政治家、警察、貴族、教会、盗賊をも取り込み、19世紀には農村部を中心として、確固たる基盤を固めていきました。
マフィアのシノギ
こうして力を持ったマフィアですが、その代表的な資金源をご紹介します。
安心な闇取引を提供
例えば、お肉屋さんとレストランが、税金を逃れるために、帳簿に載せず、契約も交わさないで取引をしたとします。
この場合、レストランが肉の代金を払わなかったとしても、肉屋は泣き寝入りするしかありません。帳簿も契約も無い取引なので、警察に泣きついたら自分も捕まってしまいます。
逆に、レストラン側としても納品された肉が腐っているかもしれないみたいな不安があります。闇取引をしたくても、買い手・売り手双方に、不安がいっぱいなわけですね。
そこで、双方は、マフィアにこの取引の仲介を頼む事となります。お互い約束を破ったらぶっ殺されますので、実にスムーズな取引になります。
もちろん、麻薬や密輸といった不法取引の仲介も請け負います。
泥棒から守る
一般市民が日頃から頭を悩ます問題の一つが、盗難です。コツコツ稼いだお金や、大事な宝物を盗まれてはたまりません。
しかし、そんな問題も、マフィアにはお願いすれば簡単に解決します。
マフィアは自分の縄張りにいる全ての泥棒を把握しているので、万が一、自分の”顧客”が盗難に遭ったら、犯人を地の果てまで追いかけて、金品を取り戻し、キツい処罰を与えます。
※もちろん、”顧客”ではない人への盗みは推奨してます。
※さらに、子分に盗ませてから勧誘するというマッチポンプ的営業も。
価格競争から企業を守る
あるビジネスマンが、どうしても公共工事を落札したいと思いました。
談合できればいいのですが、裏切られたら一巻の終わり。
そこで、マフィアの友達に相談すると、察しの良いマフィアはライバル会社の担当者を脅してあげます。
起きたらベッドに馬の首が…みたいな感じ
入札妨害だけでなく、”顧客”の扱うコーヒー豆だけを使えや、と地元の喫茶店に圧力をかけるなんてパターンもあります。
一般的には、過当競争になりがちで、かつ他者との差別化が難しいような業界(ゴミ処理、食料品、建設など)で、こういったサービスの需要が高まります。
これらのサービスはマフィアに限ったものではありません。
およそ、犯罪組織が提供するサービスというのは、「暴力を背景として、”顧客”に保護を与える」というのが本質です。
これは、事実として需要があり、犯罪組織しか提供できないサービスです。そこで手数料を得ることで、彼らは生計を立てています。
なお、マフィアにおいては、売春だけはご法度でした。
シチリア島には、「売春は人間の尊厳を犯すもの」という価値観が強く、誇り高い男たちに相応しい仕事ではないと考えられていました。彼らなりの矜持があるわけですね。
マフィアの組織
マフィアというのは、一つの組織ではありません。「ファミリー」と呼ばれる疑似家族的なグループのゆるやかな連合体というイメージ。
ファミリーは、ボスを筆頭に、完全なピラミッド型で構成されています。
ボスの下に、アンダーボスがいて、その下には複数のカポ・レジーム(班長的な存在の幹部)がソルジャー(構成員)やその下のアソシエーテ(準構成員)をまとめて、二次組織を形成しています。
基本的に、1都市に1ファミリーというのが原則。お互いに縄張りを尊重しています。
徹底した秘密主義
ここに書いた内容が、公に知られたのは、1963年の事。
日本のヤクザなどと違い、マフィアは秘密結社のようなもの。徹底した秘密主義を貫いており、外部からその中身を知る術はありませんでした。
外見は一般人だし、いったいいくつのファミリーが存在するのか、何人いるのかすらハッキリしていませんでした。
その秘密主義の象徴が、「オメルタ」、「血の掟」と言われるマフィアの十戒でした。
- 第三者が同席する場合を除いて、独りで他組織のメンバーと会ってはいけない。
- ファミリーの仲間の妻に手を出してはいけない。
- 警察関係者と交友関係を築いてはいけない。
- バーや社交クラブに入り浸ってはいけない。
- コーサ・ノストラにはどんな時でも働けるよう準備をしておかなくてはならない。
それが妻が出産している時であっても、ファミリーのためには働かなければならない。 - 約束は絶対的に遵守しなければならない。
- 妻を尊重しなければならない。
- 何かを知るために呼ばれたときは、必ず真実を語らなくてはならない。
- ファミリーの仲間、およびその家族の金を横取りしてはならない。
- 警察、軍関係の親戚が近くにいる者、ファミリーに対して感情的に背信を抱く者、素行の極端に悪い者、道徳心を持てない者は、兄弟の契りを交わさないものとする。
7番あたりにイタリア人らしさが出ている気もしますが、基本的には秘密を守る、そして組織内でモメないための掟です。
マフィアの一員になる際は、この掟を遵守する事を誓う儀式を受ける事になります。
流れはこんな感じ
①3人のマフィアから、加入の意思確認をされた後、守るべき掟について伝えられる。
↓
②銃を持つ手(利き手)の人差し指を傷つけ、聖母マリアの像に血をつける。
↓
③像を両手で包むように持ち、その像に火がつけられる
↓
④火のついた像を持ちながら、「私が誓いを破る事があれば聖人の貴方の様に我が身も燃え尽きる」と唱え、誓いを立てる
なお、誓いを破った場合、当然ですが、死体となって発見されます。タップリと拷問を受けた上で殺され、その死体の口には石が詰められるのが基本のようです。
マフィアの隆盛と壊滅
前述の通り、元は農地の管理人だったマフィア。19世紀まではシチリア島の農村部が活動の拠点でした。
しかし、20世紀に入る頃には、その豊富な資金力や有力者との人脈をもって、徐々に都市部へも進出していくようになります。
こうして飛ぶ鳥を落とす勢いだったマフィアが壊滅の危機を迎えたのは、1922年。ベニート・ムッソリーニが政権を握った時のことでした。
Benito Amilcare Andrea Mussolini
演説のようす
このムッソリーニは、一般には「独裁者」であり、悪人というイメージ。見た目も怖い。
ですが、イタリアではかなり評価されている人物だったりもします。
少なくとも、マフィアを徹底的に弾圧、壊滅状態にし、犯罪件数を激減させた事は、彼の功績として高く評価されています。
ムッソリーニの墓には、今でも献花が絶えない
見た目とは裏腹に、元教師で教養人だったムッソリーニは、大のマフィア嫌い。
シチリア島に視察に来た際、
「ここは、すべてが悪党どもの集団で、動くたびにマフィアの悪臭がする」
と発言したと言われています。
1925年、ムッソリーニは、チェーザレ・モーリという人物をシチリアの県知事に任命。白紙委任状を託して、マフィア撲滅を命じます。
“鉄の知事” チェーザレ・モーリ
このモーリがとったマフィア撲滅作戦は、実に苛烈なものでした。
人権などという概念はなく、マフィアと思しき人物は片っ端からしょっ引いて拷問。ガンガン自白を引き出し、芋づる式にマフィア構成員を投獄しました。
また、騙し討ちも辞さず、マフィアのボスに決闘を申し込んでノコノコ現れたところを逮捕したり、マフィアの家族を人質に取ったり、マフィア顔負けのエゲツなさを見せました。
結果、モーリは1万人以上のマフィア関係者の逮捕という快挙を成し遂げます。また、多くのボスがアメリカへ逃亡するなどし、イタリア国内のマフィアはほぼ壊滅。犯罪件数も激減しました。
マフィア達に、この徹底的な弾圧に対抗する術は無く、地下でじっと息を潜め、復活の時を待つこととなります。
次回につづく。
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