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オーパーツとかいうロマンの塊

オーパーツとは、

それらが発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる物品

英語の「OOPARTS」からきた語で、「out-of-place artifacts」つまり「場違いな工芸品」という意味。

日本語では「時代錯誤遺物」「場違いな加工品」と意訳されることもあります。

要は、その時代には技術的に制作不可能なものや、当時の人が知っているはずのない情報が盛り込まれている物品です。

オーパーツは、オカルティズム業界の方々のある種の必須知識であり、これまで超古代文明や宇宙人、霊的存在等の立証の一つとして大活躍してきました。

また、我々パンピーに対しても科学的、学問的っぽい説明書きにより物凄いワクワクを与えてくれていました。

だが現実は非情である。

著名なオーパーツは、実は全て偽物もしくはオーパーツではないと判明しています…。

順に見ていきましょう。

まずは有名どころから。

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ヘッジスの水晶ドクロ

概要

ヘッジス水晶髑髏は、1927年にイギリス人のF・A・ミッチェル=ヘッジスがベリーズ南部の古典期の遺跡ルバアントゥンで発見した。ミッチェルの養女アナの17歳の誕生日に発見され、彼らが遺跡の調査を中断して水晶髑髏を私蔵したため、様々な憶測を呼んだ。このヘッジスの水晶髑髏は実物大で、解剖学的にみても精緻に造られている。

カリフォルニア州にあるヒューレット・パッカードの研究所における1970年代の分析結果によると、
・ヘッジスの水晶ドクロは、1個の水晶から造られていて「下顎骨」部分は、取り外し可能である。
・道具による加工痕がない。また、ひびも入っていない。
・水晶の石目を無視して彫られている。
・復顔をした場合、マヤ人と同じモンゴロイドの顔立ちになる。しかし年齢は特定できない。
・制作年代は不明。
とのことであった。このため、オーパーツではないかという憶測を呼んだ。

真相

2008年4月、スミソニアン研究所で電子顕微鏡による精密な調査が行われた結果、水晶髑髏の表面にはダイヤモンド研磨剤による切断跡が確認され、この髑髏が制作されたのは19世紀末以降であることが判明。ベリーズの遺跡で発掘されたものではないと結論付けられた。

この髑髏はもともとセントラルロンドンの美術商シドニー・バーニーが所蔵していた物で、彼は1943年にサザビーズの競売に出品し、当時のサザビーズのカタログにも登録されている。しかし、バーニーは競売にかけられる直前に髑髏の出品を取り下げてヘッジスに400ポンドで売却した。しかも、髑髏を「発見」したとされる日、既にヘッジスはベリーズからイギリスに帰国しており、発見者であるとされるアナもベリーズに入国したことが無いことも判明している。また、発掘作業の写真には水晶髑髏の写真はまったく無く、発掘に参加した他の学者も水晶髑髏の存在を知らなかった。

水晶ドクロにまつわる言い伝えには、「水晶ドクロは全部で13個あり、全てが再び一ヶ所に集結した時、宇宙の謎が暴かれる」「2012年までに一箇所に集めないと世界は滅びる」などがある。なお、2011年時点ですでに19個も「発見」されている。ピンク色の可愛らしいものや、かなりいびつな形をしたものまで様々である。

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コソの点火プラグ

概要

1961年、アメリカのカリフォルニア州オランチャから北東に10kmほど離れたコソ山脈で、不思議な物体が発見された。
この物体は、明らかに加工された金属のシャフトが石化した土に覆われたもので、地質学者がこの土を鑑定したとこよ、50万年前のものという結果だった。

真相

2000年6月に懐疑主義団体「パシフィック・ノースウェスト・スケプティクス」が発表したところによると、アメリカ点火プラグコレクター協会の会長、同協会副会長、コレクター、点火プラグの私立博物館館長という、全米を代表する4人の点火プラグコレクターたちが「コソ加工物」のX線写真をもとに鑑定を行った。

その結果「1920年代にアメリカのチャンピオン社によって造られた点火プラグに間違いない」という、メーカー名まで一致した鑑定結果が出されている(1920年代、コソ山脈周辺では採鉱が行なわれており、そこに出入りしていた作業車両のT型フォードのエンジンに当該の点火プラグが使われていた可能性がある)。

ちなみに「ある地質学者が鑑定を行ったところ50万年前という鑑定結果が出た」という話については、発見者の一人がそう言っているだけで、その地質学者が誰だか分からないなど、証拠となるものが何もなく、著しく信憑性に欠ける話である。

また、晶洞石(ジオード)の中から発見されたとされる場合もあるが、晶洞石の特徴とは全く異なっており、「実際は点火プラグを核に泥の塊になっていただけだ」との指摘もある。

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ピリ・レイスの地図

概要

1513年に、オスマン帝国の海軍軍人ピリ・レイスが作成した世界地図。

当時知られていた最新の地理知識を使ったと考えられる航海地図で、1929年にイスタンブルのトプカプ宮殿博物館に収蔵された写本類の中から発見された。地図はガゼルの羊皮紙で作られたもので、インド洋を描いていたと思われる右半分は失われてしまっており、現存する部分は大西洋を中心に描いた左半分の断片である。

この地図には、南アメリカの南から伸びた陸地がさらに東に伸び、大西洋の南へアフリカ大陸の下に回り込むように地図中に書き込まれているという不可解な点がある。この陸地は、地図が描かれた時代よりもかなり後の19世紀に発見された南極大陸の北岸と酷似しており、歴史資料としてより、むしろオーパーツとして有名になっている。

地図に付された文によると、この地図は総計で33枚の地図を参考にしたという。ピリ・レイスが地図を描くにあたって参考にした情報源には、イスカンダル王(紀元前4世紀のアレクサンドロス大王のこと)の時代から伝わるものを含んでいたともいわれる。8枚はイスラム世界の地理学者のもの、4枚はポルトガルの航海者の作成したもの、1枚はコロンブスの新大陸地図であるといい、残り20枚の詳細は明らかにされていない。

真相

南極大陸と思われる大陸の海岸線の形状は南極大陸よりむしろ南アメリカの海岸線に近い。

また、地図にははっきり地名が記されているが、「南極」などとは書かれていない。さらに「灼熱の砂漠」という表記もある。南アメリカ大陸の太平洋沿岸部に砂漠が存在することを知っているということは、当時の調査が極めて詳細に行われていたことを意味する。
地図左上の色の濃い島はizle destania(エスパニョーラ島)と記されており、南極(と主張されている線)が南米の南端から中米まで延々と伸びている。

地図の南極大陸とされる部分に描かれた動物は南アメリカ大陸に生息するグアナコと考えられる。

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バクダッドの電池

概要

バグダッド電池とは、現在のイラク、バグダッドで製造されたとされる土器の壺である。

大きさは高さ約10cm、直径約3cm程度。粘土を焼いて作った素焼きの土器の中にアスファルトで固定された銅の筒が入っており、その中にアスファルトで塞がれたシリンダーの中に鉄製の棒が差し込まれている。また、底に何らかの液体が入っていた痕跡が残っていた。

発掘当時は用途が不明の出土物であったとされているが、電池メーカーのボッシュによる復元実験で電解液として酢やワインを用いた結果、電圧0.9~2ボルト程度で発電された。パルティア時代にも使用可能な電解液とされる液体が次々に試され、作製されたレプリカにおいて、微弱ながらもそれらが実際に電流を発生させることが示された。

真相

近郊で、実は同様の壷が発見されている。その中にはパピルスの繊維が確認されている。また、壷が建物の基礎部分から発見されていることから、実際は宗教的な祈祷文を入れて埋める壷であり、金属棒は巻物の芯棒、周りの金属は金属製の保護容器である可能性が高い。

電池によく似た構造になったのは巻物に使われたパピルスが腐敗して無くなり、鉄製の芯棒が残ったためでたまたま電池に似た構造になっただけの可能性が高い。

また、上記の実験も、発見された状態と違い開放状態で、それも原理だけを復元した(壷やシリンダーを復元したわけではない)状態で行われており、発見時と同じくアスファルトで口を閉鎖した場合はすぐに電流が止まってしまう。

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インカの黄金シャトル

概要

コロンビアの古い遺跡から発掘された、飛行機や宇宙往還機を思わせる黄金細工。

これを鑑定した動物学者のアイヴァン・T・サンダーソン博士は、他のどの生物とも似ておらず、三角翼と垂直尾翼がありジェット機やスペースシャトルにも見えるといったことから、「ベル・ヘリコプター」の設計者として知られるアーサー・ヤングに検証を依頼した。彼の検証の結果は、航空力学の理にかなった形状をしているというものだった。

真相

同種の黄金細工はいくつもあるが、紹介されるのは大抵の場合この一つだけである。 これ以外にも、垂直尾翼がないもの、翼が大きく湾曲しているもの、目があるもの、ヒレや羽などの模様がついているものなどがあり、一般には魚や鳥を模したものという説明がされている。

当然、魚や鳥がモデルであれば流体力学的に「理にかなった」形状を持っていても不思議ではない。

中でもモデルとして有力視されている生物に、同じ南米に生息するナマズの一種であるプレコが挙げられる。この付近に生息するプレコは華やかな色彩のものが多いため、黄金細工の対象として選ばれたと考えられている。

未解明のオーパーツ

ここまで、有名なオーパーツの真相をつらつら書いてきましたが、実はまだ解明されていないものもあるのです。

そもそもの情報が少な過ぎて真偽の判別が難しいものもありますが、それでもいつか本物が発見されるかもと期待してしまいます。オーパーツのロマンはまだまだ続いてほしいですね。

秦の始皇帝の兵馬俑坑出土のクロムメッキの剣

西欧においてクロムメッキが開発されたのは近代であるが、それより遙か以前の古代中国においてどのような方法でメッキされたかは不明である。

南アフリカの金属球

南アフリカの西トランスヴァール州の鉱山で見つかった用途不明の金属球。

現地では複数発見されており、内部が空洞のものと繊維状のガラスのような物質が詰まったものの2種類あり、外側には中心に平行に走る3本の溝がある。

この金属球が展示されているクラークスドルプ市博物館の館長によれば、ガラスケースの中にある金属球が、年に1、2回時計回りに自転するのだというが、館長は近くにある鉱山からの振動によって少しずつ傾くせいだとみなしている。この球体は葉ろう石の中から見つかったが、この葉ろう石が形成されたのは約28億年前とされている。

カンブリア紀の金属ボルト

1997年、ロシアのブリャンスクで発見された、15億年以上前に生成された石の中に埋まっていたボルト。

数トンの力を加えても変形せず、X線で石を見たところ、中に同様のボルトが10個ほどあるのが確認できたという。

モスクワ航空大学のチェルノブロフ教授は「15億年前に地球にやってきた宇宙船が何らかの原因で故障・爆発し、飛び散った部品の一部」だと主張している。

バールベックの巨石

世界遺産として登録されているバールベックのジュピター神殿の土台として使われている、トリトンと呼ばれる3つの巨石。

重さは650t-970t。人力では15000人の人間が必要な計算になるが、それだけの人間の力をまとめて石に働かせるのは現実問題として不可能であるとされている。

南西1kmの石切り場には南の石と呼ばれる更に巨大な切石があり、高さ4.2m、幅4.8m、長さ21.5m、重さは1200t-2000tと見積もられているが、この南の石に関しては動かされた形跡はない。

パレストリーナのナイルモザイク画

パレストリーナ遺跡に描かれているモザイク画。ナイルワニらしき生き物のほか、恐竜や氷河期に絶滅した動物、空想上の生き物などが描かれている。

トリンギット族のラトル

トリンギットが鳥を模して作ったといわれるラトル。姿かたちが海竜に似ている。

タ・プロームの恐竜レリーフ

カンボジアのタ・プローム遺跡に描かれている恐竜らしき生き物のレリーフ。

エル=バウル記念碑27号「球戯者の石碑」

エル=バウルにあるレリーフで異星人らしき人物が描かれている。

恐竜の岩絵

アリゾナ州のハバスパイ渓谷にある岩絵。

中国の衛星撮影地図

湖南省の湖南博物館に収蔵されている縮尺18万分の1の地図。
2100年前の馬王堆漢墓から発見されたもので、長沙国南部を描いたものとされるが、非常に精確な地図であり、遺物を管理する王世平教授は、人工衛星が撮影した写真に基づくものだと主張している。

褐炭の頭蓋骨(フライベルグ・スカル)

19世紀初頭に発見された、褐炭、褐鉄鉱石、磁鉄鉱石で構成される頭蓋骨の工芸品。1500万年前に形成された中央ヨーロッパの褐鉄鉱石の地層から見つかった。

何度も分析が行われ、無名の一般人が作った贋作という見解が一般的だったが、1998年にこの頭蓋骨をCTスキャンで調査したところ、頭蓋骨内部が樹木の年輪のような層をなしていることが判明した。もし本当に贋作だとすれば、高熱の素材(褐炭の融点が110度~360度であるため)の薄膜を一枚ずつ重ねて作り上げたことになり、また、当時このような方法で制作された工芸品は存在しないことから、贋造の可能性は低いとする主張がある。


というわけで、まだまだネタはたくさんあります。諦めるのはまだ早い!

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