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お金がないなら借りればいいじゃない

ども。

引き続き、お金は借用証書であるという前提で、話を進めていきます。

今回は、現代紙幣の起源についてです。

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金の預かり証

もう割と有名な話ですが、紙幣の起源は、中世から近世にかけて登場した、金細工職人が発行する金の預かり証です。

金細工職人は、材料の金を安全に保管するため、頑丈な金庫を持っていました。

そこで人々は、いつしか金細工職人に金や銀を預けるようになっていきます。

金そのものを持つのは、空き巣や強盗に入られるリスクがあって、危険。

なので、金は預けっぱなしにしておいて、その代わりに受け取った預かり証でもって、直接取引を行うようになっていきました。

当時のお金

このように、個人の金細工職人や商人が独自に紙幣的なものや硬貨的なものを発行することは、しばしばありました。

そういうお金はプライベートマネーと呼びます。今で言えば、Tポイントみたいな感じ。

ただ、所詮は個人の金細工職人が発行した借用書。

信用の程度は知れていて、流通できる地域はせいぜいが町単位とか市場単位の限定的なもので、全国に流通することはありませんでした。

それに対して、政府(王様)が鋳造した金貨や銀貨、銅貨はソブリンマネー(直訳:支配者のお金)と言います。

王様が認定しているという点で、プライベートマネーとは信用がもう段違い。これこそがお金って感じで、国中どこでも使用可能でした。

では、現在流通しているお金の起源がソブリンマネーかというと、どうも違うっぽい。

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前置き

ここで唐突に、イングランドの歴史の話をちょっと挟みます。

中世から近世におけるイギリスの歴史というのは、王様と国民(※ただし上流階級or富裕層に限る)が権力を奪い合う歴史という風にみることができます。

マグナ=カルタ

無能にして陰険にして暴虐のイングランド国王ジョン。

相続の際、まだ幼かったジョンだけが父から土地を貰えなかった事から、「欠地王」などという惨めなあだ名で知られています。

死因は桃の食べ過ぎ。1167〜1216。

1214年。彼はフランスに大敗北を喫し、ヨーロッパ本土にあったイギリス領土の大半を失います。

それでも懲りずにまた戦争をしようとしたジョンは、貴族から庶民に至るまで、およそ全ての国民から総スカンを食らってしまいます。

国民の信を失った国王は処刑されるのが常。よくて隠居。

しかし、それでも国王の地位に固執するジョンは、不本意ながら画期的な文書にサインすることになります。

それが、マグナ=カルタ(大憲章)。「かっこいい世界史用語ランキング」の常連でもある。

いやいや署名するジョン

マグナカルタの内容は、

・教会は王様の命令を聞かなくても良い。
・王様が勝手に戦費を賄うために税を徴収するのはNG。
・イギリス人の自由や生命・財産がおかされるのは、法か裁判による時だけ。
 etc…

みたいな感じ。

要するに、それまでは法をも超越した絶対的権力者だった王様が、ついに法の制限を受けるようになったのです。

近世イングランドの適当なまとめ

と言いつつ、そのマグナ=カルタもそのうち忘れられ、権力はせわしなく王と国民(※上流階級or富裕層に限る)の間を行き来するのです。

「ワイは神様から任命されているんや!」と言って専制政治を行う王様。
王権神授説を唱えたジェームス1世(1566〜1625)
 ↓
それに反発して革命を起こすプロテスタント。
クロムウェルによる清教徒革命(1649)
 ↓
そのプロテスタントが敷いた厳格な独裁に嫌気がさした反動で、王政が復活。
王政復古
 ↓
その王様がやっぱり専制政治を敷く。
(チャールズ2世、ジェームズ2世)
 ↓
議会がキレて、その王様を追放する。
名誉革命(1688)

という具合に。

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金欠王ウィリアム3世

で、その名誉革命の結果、1689年にウィリアム3世がオランダから呼ばれ、イングランド王に即位しました。

ウィリアム3世とその奥様

経緯が経緯なので、このウィリアム3世は議会の要請に従い権利章典なる法律を発布。

・議会を召集すること。

・議会の同意を経ない法律の適用免除・執行停止の禁止。

・議会の同意なき課税、平時の常備軍の禁止。

・議会選挙の自由、議会内の発言の自由、国民の請願権の保障。

・国民の請願権、議会における議員の免責特権、人身の自由に関する諸規定。
 etc…

要は、議会をちゃんと尊重することを確約したわけです。

戦争は金だよ

しかしそんなことよりも、ウィリアム3世の目下の悩みは金がないことでした。

イングランドに限らず、古今東西の王様の多くは金欠に苦しんできました。

そもそもがお坊ちゃんなので、金銭感覚はザル。

にもかかわらず、戦争とかやっちゃうので、もういくら金があっても足りません。

ウィリアム3世も、ちょっと背景は複雑なので割愛しますけど、当時最強国だったフランスと戦争を始めちゃって、戦費が青天井で増大していったのです。

もちろん戦費を賄うため、ウィリアム3世はガンガン増税し、その結果、歳入は年400万ポンドにまで登りました。当時としては破格の金額でした。

なお、歳出は600万ポンド

そして、新たに貨幣を鋳造しようにも、その元となる金銀が無い。

ウィリアム3世の心境

国王の信用度www

金が無いなら借金をするしかないわけですが、実際のところ、当時の国王の信用力は激低でした。

もちろん国王は国で一番偉いので、権威も権力もある。

しかし、その国王にお金を貸してもキチンと返ってくるとは限りません。

というか、歴史上、国王の代替わりに合わせて借金を踏み倒すケースがけっこうあって、多くの金貸しが破産しています。

その結果、みんな国王にお金を貸したがらず、貸す場合の金利は年30%にまで高騰していました。武富士を超えています。

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イングランド銀行設立!

そんな厳しい状況の中、なんとか80万ポンドまでは根性で調達したウィリアム3世。

しかし、残りの不足分120万を調達するアテはなく、国庫の破綻は時間の問題かと思われました。

が、その時。

超魅力的な申し出がウィリアム3世の元へ舞い込んで来ます。

うまい話

それは、「たった8%の年利で120万ポンドお貸ししますよ。」というあまりにも美味しい話。

申し出たのは、ウィリアム・パターソンという男。元海賊だったとかいう噂の、わりと怪しげな人物でした。

しかし、パターソンのプレゼンは、非常に魅力的なものでした。

彼のアイデアを一言で言えば、「民間から出資を募ってイングランド銀行ってのを設立しましょう!」というもの。

その銀行が、国王に破格の低金利で、長期に渡ってお金を貸すのです。金利さえ払えば元本はずっと借りててOK。

国王はこの申し出に飛びつき、1694年にイングランド銀行が設立されました。

設立の様子

踏み倒しを許さない

イングランド銀行は、なぜ信用激低の国王に低金利で融資ができたのでしょうか。

その秘密は、国王に借金を踏み倒されないための対策をバッチリ取ったことでした。

イングランド銀行は、1694年に発布された財源調達法という法律の中に記載されることで、正式に創設されました。

その条文の中には、トン税(港に停泊する船にかける税金)や酒税の一部を、必ず利息の支払いに充てることが明記されました。

権利章典の発布からも分かるように、この時点でのウィリアム3世は、もはや普通に法の制限を受ける存在です。

後になって、法律を無視して踏み倒すことなんてできないのです。

こういう仕組みを元に、イングランド銀行は民間から出資金を募りました。

貸し倒れるリスクの少なさから、富豪たちはこぞってイングランド銀行へ出資。公募からわずか2週間余りで120万ポンドが集まったのであります。

通貨発行権

こうして集まった120万ポンドのお金は、主に金貨や銀貨といった、ソブリンマネーです。

普通なら、これをそのまま国王に貸すわけですが、ここからがイングランド銀行の工夫です。

その工夫とは、融資と引き換えに銀行券発行の許可をもらうこと。

財源調達法に、「トン税を利息の支払いに充てる」ということの他に、「国王に融資する予定の120万ポンドと同額まで、銀行券を発行する権利」を明記してもらったのです。

この条文を根拠に、イングランド銀行は120万ポンド分の銀行券を発行し、それを国王へ貸し付けたのでした。

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国王の借用証書

この時なにが起こったか

さて、この銀行券は一体なんなのでしょうか?

表面的に見れば、イングランド銀行が出資者からお金を借りて、その借用証書を発行している形になります。

つまり、イングランド銀行の出資者に対する借用証書というわけ。

この仕組みは、以前から金細工職人が発行していた金の預かり証と同じ、あんまり信用のおけないプライベートマネーです。

しかし、この理解は実は本質を見誤っています。

実際には、発行された120万ポンドのイングランド銀行券は、民間の出資金とは全く無関係。

あくまでも、この銀行券の根拠は法律で「国王への貸し出しと同額までこの銀行券の発行を許された」から、発行されたものなのです。

ここが味噌です。

ハイブリッド借用書

ポインヨは2つ。

・イングランド銀行が発行した銀行券の根拠は、国王から与えられた120万ポンド分の「通貨発行権」。出資金ではない。

・その120万ポンドの担保は、「税金(トン税と酒税)」。

ここから分かることは、国王が将来に渡る税収を担保に、イングランド銀行から借金をしたこと。

そして、その借金の証明=借用証書を、銀行が発行することを許可したということです。

つまり、イングランド銀行券とは、表面的にはプライベートマネーでありながら、本質的にはウィリアム3世の借用証書なのであります。

ただ、国王の借用証書というだけでは、また踏み倒されちゃうかもしれません。

そこでイングランド銀行は、重要な役割を担います。

それは、保証

民間から120万ポンドの出資を受けて、確かな資力を持ったイングランド銀行。それが、国王の借用証書の信用を保証したわけです。

紙幣に書かれた「紙幣の持参人に、額面分のポンドを支払うことを約束するよ」という文言は、そういう意味なわけですね。

1700年頃のイングランド銀行券。やっぱり「Promise to pay …」と書かれている。

この文言によって、イングランド銀行券は「国王の権威」と「民間銀行の信用」を併せ持ったハイブリッド借用書へと進化しました。

このハイブリッド借用書の信用力は、それまでに存在した金細工商人の金の預かり証なんぞとは段違い。瞬く間にイングランド全土でお金として流通していきました。

イングランド銀行は、その後も国王に融資を続けるとともに、預金、融資、手形割引、為替といった一般銀行業にも精を出し、急成長を続けます。

そして1833年にはついに、イングランド銀行券が正式にイングランドの法定通貨に制定されたのでした。

借金の行方

歴代のポンド紙幣をいくつか見てみましょう。

最近発行されたポリマー製の紙幣にも、やっぱり書かれています。

どの紙幣にも、例の文言が書かれています。

これが意味するところは、1694年の最初の銀行券発行から現代に至るまで、イングランド銀行は一貫して国王の借金を保証し続けているということ。

なぜ保証し続けているのか。

それは、1694年にウィリアム3世が借りた120万ポンドの元本が、未だに返済されていないからであります。

途中で借り換えが何度かあり、金利はもうゼロになっていますが、それでも元本は残ったまま。

それはすなわち、現代でもなお、1694年のウィリアム3世の借金が、英国の金融システムの根底にあるということ。

もし、この120万ポンドの借金が返済されてしまったら、どうなるでしょうか。

当然ながら、その借用証書は破棄されますね。

でも、今のイギリスの金融システムの大元は、その借用証書なわけです。

それが破棄されてしまったら、おそらくは、イギリスの金融システムが根底から瓦解…。そして、その影響で世界経済は崩壊することになるんだよ!!

ΩΩΩ

参考文献、サイト様
負債論 貨幣と暴力の5000年
21世紀の貨幣論
貨幣の「新」世界史――ハンムラビ法典からビットコインまで
マネーの進化史
富国と強兵
MAREIX 『英蘭の金融史(3)』
金貸しは、国家を相手に金を貸す「イギリス名誉革命以後の近代史」
シグルイ 13 (チャンピオンREDコミックス)

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