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十字軍「あの棒なんだろ?」→

さあさあ、飛び道具シリーズもいよいよ大詰め。

今回から銃についての話に入っていきますよ。

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銃の黎明期

中国に起源を持つ「突火槍」は、モンゴル帝国を経由して、ついにはヨーロッパまで伝わっていきました。

ヨーロッパでは、特に、筒の部分の材質に改良が施され、初期は「竹筒」や「鉛」だったものが、青銅製や鉄製の筒になっていきます。

そうなると、込められる火薬の量も増え、火薬自体の性能もUPしており、殺傷能力は徐々に向上していくようになります。

そして、そのまま「破壊力」に焦点を当てて進化していったのが、前回触れた「ボンバード」でした。
これはやがて、カタパルトとかバリスタとかの攻城兵器に取って代わるようになります。野戦砲についてはおいおい…

一方、人間が一人で運用できる遠距離武器が、「ハンド・ボンバード」から始まる銃の系譜になります。

ハンド・ボンバードというのは文字通り、「手に持って撃つボンバード(砲)」のことです。
ボンバードとの違いは、口径が小さいこと。それだけです。

形状についても、原始的な突火槍と比べても、ぜんぜん変わっていません。あいかわらず、棒の先っぽに、筒がくっつけられているだけ。

もののけ姫に出てきたアレも、この亜種ですね。

このハンド・ボンバード、当たれば甲冑をも貫く威力ではありましたが、とにかく当たらない

というのも、威力が向上した分、反動も結構すごいので、発射の際には棒を壁に突っ張らせなくてはなりません。また、発射するには、ハンド・ボンバードを小脇に抱えて、もう片方の手で火縄などで火薬を着火させる感じになります。

そんな体勢では、満足に狙いを付けることも出来ません。

それに、銃口から発射される弾の軌道も無茶苦茶で、狙いをつけたとしても、どこに飛ぶかわからない代物でした。

この程度の性能では、血を血で洗う戦場では主力兵器にはなれません。だって、ロングボウやクロスボウの方が命中精度射程威力も優れているんだもん。

従って、ハンド・ボンバードは、これまでの火器と同じように、破壊力よりも爆音と閃光で敵に恐怖を与えるのが主目的でした。

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銃っぽいもの

この初期のハンド・ボンバードは、口径がだいたい3cmくらいの中途半端なもの。

しかし、ボンバードが大型化して「大砲」となっていくのと対照的に、ハンド・ボンバードの口径はどんどん小さくなっていき、やがて我々がイメージする銃くらいの口径に収まっていきます。

その代表的なものが、チェコで開発された、「ピーシュチャラ “píšťala”」という武器。

「ピーシュチャラ」というのは、チェコ語で「笛」を意味する言葉です。形が似てる事から、そう呼ばれました。

この「ピーシュチャラ」という言葉が「ピストル」の語源であることは言うまでもない。(民明書房)

プラハの軍事博物館に展示されている「笛」の現物。口径1.6cm、長さ42cm。

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フス戦争の勃発

口径が小さくなれば、弾道がブレる角度も小さくなるわけで、銃の命中精度はちょっぴり向上したものの、まだまだ弓にはかないません。戦場で弓に取って代わるなど、とてもとても。

しかし、そんな銃に転換点が訪れます。
それは、ヨーロッパ世界で初めて火器が主役となったと言われる「フス戦争」です。

15世紀初頭、プラハで大学教授をやっていたヤン・フスという神学者が、カトリック教会の腐敗を批判し、改革を訴えました。

ヤン・フスの思想はボヘミア(今のチェコ)で広く支持され、フス派と呼ばれるキリスト教改革派が出来上がりました。

しかし、カトリック教会はもちろんそんなの許しませんので、1415年、フスを異端の罪で火炙りの刑に処してしまいます。

ヤン・フスの最期

また、その後もフス派とカトリック教会の間では、信仰のあり方について衝突が続き、いよいよ緊張が高まっていきました。

そして、1419年。

カトリック教会の圧力によって、プラハの参事会※議会みたいなもん がカトリック教徒に牛耳られるに至り、ついにフス派がブチ切れ。

フス派は市庁舎に殴り込みをかけ、神聖ローマ帝国から派遣されたプラハ市長と役人たち13人を、窓から投げ捨てるという事件が発生します。13人はもちろん全員死亡。

第一次プラハ窓外投擲事件。
1419年、1618年、1948年と、第三次まであるチェコの伝統行事です。

この事件で、フス派とカトリックの対立は決定的となり、ボヘミアと神聖ローマ帝国の間では小競り合いや小規模戦闘が頻繁に起こるようになります。

1420年には、いよいよローマ教皇と神聖ローマ帝国により、十字軍が組織され、ヨーロッパ各地から10万もの軍勢が集まりました。

十字軍の構成員は、ドイツやハンガリーを中心とした騎士や傭兵。誰もが「一瞬でフス派は壊滅する」と考えたに違いありません。しかし、その結果は予想を覆すものでした。

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ピーシュチャラ強すぎワロタwww

1420年7月。

プラハをぐるりと包囲した十字軍10万と、フス派の中でも急進派で知られるターボル派の軍8千が、プラハ近郊のヴィートコフの丘で対峙します。

ターボル軍は圧倒的に兵数が少ない上、構成員の大半は農民。女子供も相当数が含まれていました。ほとんどが、まともに武器を扱ったこともないような人々だったのです。

そんな数で劣るターボラ軍を率いるのは、軍事の大天才、ヤン・ジシュカという人物。

隻眼のジシュカ。

彼が採った陣形は、奇妙なものでした。それは、荷車のようなものでグルリと円陣を組むというもの。

再現ジオラマ

数の圧倒的優位に加え、相手が素人集団だと知っていた十字軍は、この陣形に対してなんの警戒もしませんでした。

農民兵たちが「棒のようなもの」を持っているのは目につきましたが、特に深く考えもせず、得意の騎兵突撃で農民たちを蹂躙しようと試みます。

そして、騎兵が荷車に近づいたその時。

ターボル軍は荷車に大量に積んでいた「笛」と大砲、そしてクロスボウを一斉射撃。神聖なる十字軍の騎兵たちを瞬く間に壊滅させてしまったのです。

そして、一斉射撃にひるんで敗走する騎士達は、農民兵にフレイルで丁寧に撲殺されていきました。

なお、この時使われた「笛」は、射程も短く、命中精度もかなりイマイチ、装填にも2~3分かかる代物。野戦における兵器の使い勝手としては、クロスボウの方がはるかに優れていました。

しかし、「笛」には、クロスボウには無い利点がありました。

1.安価に大量生産が可能

「銃」といっても、要は鉄の筒に棒をくっつけただけのシンプルな構造ですので、複雑な機構を持つクロスボウよりは、よっぽど数を揃えやすいものでした。

2.扱いが非常に簡単、腕力も不要

火薬と弾を込めて、着火するだけ。そして、クロスボウのように、高張力の弦を引き絞るための力も入りません。極端な話、子供にも扱える武器でした。

3.馬がビビる

火薬の爆音は、馬に強いショックを与え、制御不能にします。それはすなわち、騎兵に対して非常に有効だということなのです。

ヤン・ジシュカは、ど素人ばかりという自軍の構成を踏まえて、この「笛」を大量に用意しました。そして、それを荷車に搭載し、即席の移動要塞に仕立て、無敵の軍隊を作り上げたのでした。

このジシュカの荷車は、「ワゴンブルク “wagenburg”」と呼ばれています。

フス派を駆逐するための異端撲滅十字軍は、最終的に第5次まで組織されましたが、最後までこの戦術に対応することができず、ことごとく大敗を喫します。

第5次異端撲滅十字軍に至っては、フス派軍が賛美歌を歌っただけで、心が折れ敗走してしまうという有様。

この無敵のフス派軍の名声とともに、銃の有効性はヨーロッパ・アラブ世界に広く知られるようになりました。

この「フス戦争」については、「乙女戦争」という漫画が詳しいです。おすすめ。

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銃の可能性

フス戦争で使われた「笛」は、優れた司令官であったヤン・ジシュカがいたおかげで、強烈な次世代型遠距離兵器であることを証明しました。

しかし、黎明期であるがゆえ欠陥も多く、命中精度や発射速度だけでみればクロスボウのほうがよほど信頼できる兵器でした。そのため、ヨーロッパ世界で銃が再び戦争で表舞台に出るのは約100年後になります。

しかし、ジシュカが目をつけた、「誰でも使え」「農民を短期間で兵士にできる」という要素は、後の戦争の形をも変えてしまう可能性を秘めていたのであります。

「なにせ引き金一つで誰でも簡単に兵になる。それは民が皆 兵になる事への道ぞ。」by信長

※参考文献

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