今回はサグラダ・ファミリアについてです。
いつまで経っても工事が終わらない建物
かつては、完成まであと100年とか300年とか好き勝手な事を言っていましたが、つい最近、完成予定が2026年と大幅に短縮され、話題になりました。
あと11年!
完成予想CGも公開されました。
しかし、そもそも工事が始まったのは1882年。たかが教会を作る程度で何故140年以上もかかるのでしょうか。
例えば、日本一高い建造物「東京スカイツリー」の工期は3年6ヶ月。日本一高いビル「あべのハルカス」は4年2ヶ月です。
これらとの違いはいったい…。
建設がはじまるまで
あまり知られていませんが、サグラダ・ファミリアの建築主は、「聖ヨセフ帰依者協会」。イエスの養父ヨセフを信仰するカトリック系の民間宗教団体です。
ここの会長のボカベッラが、イタリアに旅行した時に、荘厳な教会に感動し「ワシも作りたい!」と思い立ったのが、すべての始まりでした。
Josep Maria Bocabella
その正体は、書店のオヤジ。
サグラダ・ファミリアは、日本語に訳すと「聖家族贖罪教会」。
「聖家族」とは、イエス・キリストの家族(母親のマリアや、養父のヨセフ)のことを言います。彼らへ捧げる教会として、このサグラダ・ファミリア建設プロジェクトはスタートしたわけですね。
また、「贖罪教会」というのは、文字通り「贖罪」のための教会のこと。
そもそも、キリスト教において、人間は罪多き存在なわけですが、その罪を償う方法の一つに「寄付」があるのです。言い方を変えると、この協会の建設資金を寄付することそれ自体が「贖罪」となるという理屈です。
ただ、この聖ヨセフ帰依者協会は60万人もの会員を抱える大きな団体でしたが、その構成員はけっこう貧しい人が多く、初っ端から資金繰りには苦労したようです。
教会を建てるには、なにはともあれ土地が必要になりますが、一等地なぞ購入できるはずもなく、しぶしぶ中心街から外れた土地を購入しました。
※今では、市街地が拡大して中心部になっていますが、当時ここは町外れでした。
なお、購入した土地の広さは驚きの14,700㎡。野球のグラウンドより大きな敷地。
お金がないわりに、ハナからでっかい教会を作る気満々です。
次に必要なのは、素敵な教会をデザインする設計者。
もちろん一流の建築士がいいのですが、何しろ金が無い。それに、そもそもこの教会は贖罪教会。
というわけで、「無償で設計してくれる一流の先生」という無茶な条件で建築家を探し始めました。そうして見つけた建築家が、当時バルセロナ建築学校の教授でもあった、フランシスコ・ビリャールという人物。
初代設計者のFrancisco de Paula del Villar y Lozano。
スペインの建築家協会の会長とかもやってました。
さらに、建築の顧問として、ジョアン・マルトレルという著名な建築家にも協力してもらうこととなり、万全の体制が整います。
こうして、聖ヨセフの記念日である1882年3月19日、サグラダ・ファミリアの建設がスタートしました。
当初のデザイン。なんか普通。
ガウディ登場
プロジェクトが始まって1年ほど経ったある日のこと。
設計者ビリャールと顧問マルトレルの間で、仕上げに使う石材のグレードについて意見が別れました。
この時、マルトレルの案の方が安価だったので、会長はマルトレル案を採用してしまいます。これにキレたビリャールは、設計をブン投げて出ていってしまいました。
まぁどうせ元々無償の仕事だったのでビリャールは全然困らないわけですが、会長たちは困ってしまいます。せっかく見つけた設計者なのに。
そこで、顧問のマルセールは、後任に、自分の教え子でもあった若い建築家アントニ・ガウディを強く推薦しました。
2代目設計者Antoni Placid Guillem Gaudi i Cornet。
当時まだ31歳であった。
ガウディは、今でこそ稀代の天才建築家として高い名声を得ていますが、当時はまだ学校を卒業したばかりの駆け出し建築家。
街灯やショーケースのデザインのように、小さな仕事を行っていました。
レイアル広場の街灯
手袋のショーケース(のスケッチ)
サグラダ・ファミリアの設計は、ペーペーのガウディにとってはまさに大抜擢と言える仕事でしたが、はじめは自身の経験不足を理由に、この話を辞退しています。
それに、そもそも当時のガウディは完全な無神論者でした。そんな自分が教会を設計するのはふさわしくないとも考えたのでしょう。
しかし、マルセールはしつこく熱心に口説き続け、ガウディもついには首を縦に振りました。
建築家アントニ・ガウディ
ここで、ちょっと時代は前後してしまいますが、ガウディとはどのような建築家だったのかを見てみましょう。
といっても、技術的・思想的な話は難しくてよく分かりませんので、表面的なとこをサラッとね。
とりあえず、素人でも分かるガウディ建築の最も目を引く外見的な特徴は、曲線・曲面を多用したデザイン。まるで生き物のような、異様な造形です。
言葉ではピンとこないと思いますので、彼の代表作をいくつか。
カサ・バトリョCasa Batllo
大繊維業者ジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバスからの依頼を受け、1904年から1906年にかけて改築された邸宅。
外観
地味なビフォー※右端
龍の背骨をイメージしたと言われる屋根
内部の吹き抜け
玄関
カサ・ミラCasa Mila
実業家ペレ・ミラの邸宅として、1906年から1910年にかけて新築された。
建設当初は、その独特の外観から「石切場」と呼ばれ、忌み嫌われていた。
溶岩の塊のような外観
夜景
バルコニー
内部
吹き抜け
グエル邸
スペインの富豪、エウゼビ・グエイ伯爵の邸宅。
グエイ伯爵は、若い頃のガウディが設計した「手袋のショーケース」に一目惚れし、親交を持つようになった。
生涯を通して、ガウディの最大の支援者であり理解者であった。
外観
エントランス
天井
地下室
ガウディのパトロン、エウゼビ・グエイ伯爵
グエル公園
エウゼビ・グエイ伯爵とガウディの夢が作り上げた分譲住宅用地。1900年から1914年の間に建造された。
工業化が急速に進むバルセロナにおいて、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる住宅地をテーマに設計された。
なお、当時の人々には理解されず、60軒の分譲計画に対し、売れたのは2軒だけという悲しさ。
※買ったのは、もちろんグエイ伯爵とガウディの2人。
グエイ伯爵が亡くなると工事が中止され、バルセロナ市に公園として寄贈された。今では多くの人で賑わう広場となっている。
公園入り口
トカゲの噴水
回廊
高台からの眺望
ガウディも、最初からこのような自然にインスピレーションを得たような有機的な造形ばかりデザインしていたわけではありません。初期はゴシック調であったり、イスラム建築に影響を受けたり、時期によって変遷があります。
それらがやがて融合して、サグラダ・ファミリアのあの独特の造形へと実を結んでいくことになるのです。
ただ、こうしたガウディの作品群をご覧になればお分かりになると思いますが、現代のそこらにある建物とは比較にならないほど自由奔放な設計ですよね。
当時の「建築」というのは、芸術というか金持ちの道楽というか、なんかそういう側面が、現代よりも大きかった事がよく分かります。
再スタート
というわけで、ガウディがサグラダ・ファミリアの2代目設計者の任に就きます。
最初にガウディが行ったのは、ビリャールが設計したデザインの見直し。
すでに、地下の掘削工事だけはビリャールの設計に基づいて進められていましたが、そこの辻褄を合わせつつ、一から設計し直してきます。
こうして、サグラダ・ファミリア建設の長い長い長い長い長い長い長い歴史が始まります。