1963年11月22日、若きアメリカのリーダー、J.F.ケネディ大統領が公衆の面前で狙撃され、暗殺されました。
暗殺の2日後に容疑者のオズワルドが殺され、真相は今も闇の中。
数々の陰謀論も飛び交うなど、いまだ人々の興味を引き続けるこの事件。
今一度おさらいしてみませんか。
真実はいつもひとつ!
事件の概略
まずは事実の整理から始めましょう。
狙撃まで
その日、ケネディ大統領は遊説のためにテキサス州ダラスを訪れていました。
大統領がダラスを訪れたのは、翌年に行われる次期大統領での再選へ向けた選挙活動の一環として。
ダラスという地域は、前回選挙で民主党が敗北した地域であり、次期大統領選では最も重要なエリアの一つと位置付けられていました。
ケネディ大統領からは「市民と親近感を持ちたい」という強い要望が出され、空港からスピーチ会場までオープンカーでパレードを行う計画でした。
リンカーン・コンチネンタルをリムジンに改造した車には、大統領夫妻とコナリー州知事夫妻、ホワイトハウスのシークレット・サービス助手ロイ・ケラーマンとSS兼ドライバーのビル・グリアー、計6人が搭乗。
パレードの先導は、ダラス警察の車とシークレット・サービスの車、計2台が務めました。
パレードのルート
そして12時30分頃。
テキサス教科書倉庫ビルの前を通過した直後、事件は起こります。
突然、複数の銃声が響き渡り、その直後、大統領は首を押さえるようなしぐさを見せ、横に座っている夫人にもたれ掛るように崩れました。
続いて、前に座っていたコナリー州知事が前のめりに倒れます。
さらに1発の銃声が聞こえた瞬間、大統領は頭部の上半分を吹き飛ばされ、頭蓋骨の破片と脳の一部が飛び散りました。
散らばった夫の頭蓋骨の破片を拾いながら、ジャクリーヌ夫人は「夫が殺された!」と叫び、背中に弾丸を受けたコナリー州知事も「大統領が殺された!」と呻きます。
この間、わずか5.7秒。
大変な事態を理解したシークレット・サービスは、そのまま全速力でパークランド・メモリアル病院へと直行しました。
コナリー州知事は重傷だったものの一命は取り留めます。
しかし、ケネディ大統領は頭部の損傷が激しく、病院に到着した時点ですでに息絶えていました。
容疑者の逮捕
暗殺の実行犯と思しき男は、その実行から約80分後に現場近くの劇場で逮捕されました。
テキサス教科書倉庫ビルの従業員で、大統領が狙撃された時にビル内にいた、リー・ハーヴィー・オズワルドという男です。
オズワルドが逮捕されたのは、職務質問をした警官を、銃で殺害したため。
そして同日の夜遅く、大統領暗殺の容疑で再逮捕されました。
容疑者の死亡
暗殺実行犯のスピード逮捕で、大統領暗殺の全貌はすぐに明かされると思われた矢先、またしても衝撃の事件が起こります。
大統領暗殺事件2日後の11月24日。
オズワルドは警察署から拘置所へと移送されることとなりました。
厳重な警戒態勢の中で警察署内を歩いていた時、突然男が侵入し、オズワルドに向かって発砲したのです。
数発の弾丸を受けたオズワルドはその場に崩れ落ち、すぐに病院に運ばれましたがそのまま死亡しました。
オズワルドを撃った犯人はその場で逮捕されました。
犯人の名はジャック・ルビー(本名:ジャック・ルーベンシュタイン)。
ダラス市内でナイトクラブ経営を経営していた男でした。
ルビーは犯行の動機について、
「夫を殺害されて悲しんでいるケネディ夫人と子供たちに代わり、敵をとるため」
と語りました。
こうして、最重要容疑者だったオズワルドの死により、ケネディ大統領暗殺事件は多くの謎が残ったままとなりました。
世論の反応
ケネディ一族は、アイルランド系の名門一族で、多くの政治家、実業家を輩出していました。
その為、王室のないアメリカにおいて、ロイヤルファミリー的な人気を持っていました。
また、ケネディ大統領の葬儀で、まだ幼いケネディjrが見せた敬礼は、多くの国民の涙を誘い、暗殺者への怒りを燃やしました。
かなC
ウォーレン委員会の調査
アメリカの現職大統領が公衆の面前で暗殺されたこの事件。
政府公認の調査組織「ウォーレン委員会」が、事件から一週間後に設立されます。
ウォーレン委員会は、10ヶ月の期間をかけて事件を徹底調査。
その結果は888ページの報告書と20,000ページ以上の関連資料にまとめ、ジョンソン大統領へ提出されました。
このウォーレン報告書での結論は、「オズワルドの単独犯行」。
共産主義に傾倒していたオズワルドが、3発の銃弾を撃ち、1発は外れ、もう1発がケネディ大統領の喉を、3発目が頭部を撃ち抜いたというものでした。
このシンプルな結論は、シンプルであるがゆえに説得力に欠け、人々に陰謀の存在を印象付ける結果となりました。
実際、アンケート調査によると、アメリカ国民の実に6割超が、なんらかの陰謀説を信じていると言われています。
本当に単独犯だったのか?
その論点は、オズワルド一人で本当にあの暗殺が出来たのか?という点です。
狙撃の条件
オズワルドが単独でケネディ大統領を狙撃したとすれば、その条件はなかなか厳しいものであります。
使用された銃は、カルカノM91/38。
これは、ボルトアクション型のライフルで、一発撃つたびに手元のレバーをガチャガチャやるタイプのやつです。
ケネディ大統領が狙撃された時に聞こえた銃声は3発。
音声記録により、5.7秒間で3発撃たれている事が分かっていますが、この時間でキッチリ照準を合わせるのはなかなか難しいようです。
なのに、1発目外れ→2発目首→3発目頭と狙撃精度が上がっているという違和感。
オズワルドの段取りの良さ
もう一度、この俯瞰写真を見てみてください。
このパレードのルートが一般に発表されたのは、11月21日。事件前日の新聞でした。
さて、あなたが暗殺者だとして、このルート上でケネディ大統領を狙撃するとしたら、どこに陣取りますか?
オズワルドが選んだのは、テキサス教科書倉庫ビル。
ケネディ一行は、テキサス教科書倉庫ビルの目の前の急カーブに備え、減速しながらヒューストン通りを進んでいくことになります。
そして、これをオズワルド側から見ると、ケネディ一行は自分の真正面でゆっくりとカーブを曲がっていく形になります。
確かに、狙撃をするならここしか考えられません。
オズワルドは、なんと事件の3週間ほど前の10月中旬にテキサス教科書倉庫ビルに倉庫作業員として就職しています。
そして、誰に疑われることもなく、絶好の狙撃ポイントを確保したのです。
事件直前に就職した場所の前が、たまたまパレードの通り道になったということでしょうか?
オズワルドの供述
彼は、「嵌められた」「俺はやってない」等という言葉を繰り返すだけで、その動機については一切話しませんでした。
そして、詳しい事情もわからないままルビーに殺害されてしまいました。消されたということか?
こういうのを読むと、なんだかウォーレン報告書の結論って怪しい感じがしてきますね。
実際、
オズワルドの背後には黒幕がいる
オズワルドはスケープゴートで実行犯は別にいる
そんな推測が瞬く間に人々の間に広がっていきました。
巷に出回る情報の虚実
しかし、慌ててはいけません。
この事件には、不可解な謎がある一方で、我々の陰謀論を愛する気持ちを利用するかのように、たくさんの嘘が溢れています。
そこで、陰謀論者の代表的な嘘をいくつかピックアップしました。
ここに書かれている内容をあたかも事実のように語っているものは信用しない方がよろしいがと思います。
嘘1:パレード直前のルート変更
警護の観点からも、急カーブで減速するルートより、まっすぐ進めるルートの方が好ましいに決まっています。
ところが、何故かパレード当日の朝になって、ヒューストン通りへ右折していくルートへと変更されました。
前日に出た新聞(ダラス・モーニング・ニュース)にも、メイン通りを直進するルートが載っています。
確かにメイン通りを直進するルートになっている
パレード直前になって、暗殺者が待つテキサス教科書倉庫ビルへと向かうルートに変更したのは、ダラス市長のアール・カベル。
アールの実兄は、当時ケネディ大統領と対立していたCIA副長官チャールズ・カベルであった…。
これ、嘘です。
一見それっぽいですが、真っ赤な嘘。
というのも、前日の新聞に掲載された地図の大きさは、
こんなもんです。
スペースが小さいから、メイン通りで曲がるところを端折っただけ。
その証拠に、別の新聞では、
これはダラス・タイムズ・ヘラルド
このように、メイン通りからヒューストン通りへ右折していくルートがバッチリ書かれています。
嘘2:カルカノM91/38の性能
こんなのでは、精密狙撃なんて出来るはずがない。
残念ながら、これもまったく根拠の無い話です。
少なくとも、1960年代当時は、速射性や扱いやすさ等から、スポーツ射撃にオススメの銃として雑誌で紹介されたりしてます。
嘘3:どの方から狙撃されたか
オズワルドがいたテキサス教科書倉庫ビルは、ケネディの後ろ側に位置しており、彼とは別の狙撃手が前方にいたに違いない。
ザプルーダー・フィルムと呼ばれる、ケネディ大統領狙撃の瞬間を捉えた映像があります。
有名なので、目にした事のある方が多いと思います。
この動画を見ると、たしかにケネディ大統領は頭を撃たれた後、後方に倒れていきます。
この事から、オズワルドがいた後方の教科書倉庫ビルではなく、前方から狙撃されたという説が出てきました。
しかし、実際には前方からの狙撃はあり得ません。
狙撃直前のケネディ大統領の姿勢と、頭部の損傷箇所は、明確に後方上(教科書倉庫ビル)からの狙撃を示しています。
まず、ケネディ大統領の頭部に残された損傷を確認します。グロ注意。
モザイク無しは画像クリック
頭部右側にポッカリと大穴が開いているのが分かりますね。
このような大穴を開けるには、側頭部に下のような弾道の銃弾を受ける必要があります。
上の図では後ろからになっていますが、この銃弾が前方から飛んできた可能性はあるのでしょうか?
狙撃直前のケネディ大統領の姿勢に注目してみて下さい。
ケネディ大統領は2発目の狙撃で首を撃たれており、前方にうつむいているのがわかります。
これを前方から撃とうとした場合、「下から上」に向かう、アッパーカットのような弾道でなくてはなりません。
しかし、実際には、
このように、ケネディ大統領の前方には
車のフロントガラス(防弾)、運転手、州知事という邪魔者がいます。
もし、頭部を撃ち抜いた銃弾が前から飛んできたものなら、フロントガラスをすり抜け、2人の人間を避けつつ、HOP-UPする弾道を描くことになります。
あり得ません。
なお、大統領が後方に倒れた点については、「脊髄反射」か「脳みその噴出の勢い」という説明が通常なされます。
少なくとも、弾丸は人体を容易に貫通しますが、重い人体を動かす力はほとんどないので、倒れる方向と狙撃の方向は無関係。
それともう一点。ケネディ大統領が乗った車の前方に、狙撃可能な場所はありません。
唯一の可能性は陸橋ですが、これも写真を見る限り、人が多過ぎて、ちょっと狙撃出来る雰囲気ではないですね。
ここで狙撃したら、流石に目撃証言があるかと…
嘘4:魔法の弾丸
最初の1発は外れ、2発目が大統領の首とコナリー州知事に計7ヶ所の傷をつけ、最後の弾丸が大統領の頭部に命中した
2発目の弾道
このセックスピストルズの如き、あり得ない弾道の弾丸が、「証拠物件399」。通称「魔法の弾丸」です。
これは、単純にケネディ大統領とコナリー州知事の位置、姿勢の誤認に基づく説でしかありません。
調査の初期段階で、正しい銃弾と二人の位置関係は判明しています。
これは、ザプルーターフィルムを元にした再現実験で確認されており、残念ながら疑問の余地はありません。
嘘5:変形していない弾丸
証拠物件399
これは、誰かが意図的に実際には発射されていない弾丸を入れたのではないか。
しかし、この弾丸、何故か横方向には大きく変形しています。
これを合理的に説明するのは、「回転説」と言われる説です。
これは、弾丸がケネディ大統領の体を通過した後、回転しながらコナリー州知事の体に入っていったというもの。
これが唯一、弾丸が横方向に変形している理由を説明できます。
逆に、何者かが州知事の担架にこの偽の弾丸を入れたとしたなら、何故わざわざ横方向に変形した弾丸を入れたのか、説明できません。
嘘6:ウォーレン報告書の未公開部分
これも事実と異なっています。
現時点で公開されているウォーレン報告書の内容は99%に及び、残りの1%も2017年には公開されます。
当初は2039年でしたが、大幅に前倒しされました。
そして、その残りの1%も、「関係者のプライバシーに関連する部分」だけです。
残念ながら、2039年に陰謀が明るみに出るなんて事はありません。
オズワルドってどんな人?
オズワルドが単なる囮であったというのは、この事件に陰謀があるかないかを語る上での前提みたいな感じです。
- オズワルドが犯行を否定する供述をしていた
- オズワルドは二級射手程度の腕前しか無いヘボ狙撃手だった
- 硝煙反応が両手から出たが頬からは出なかった
特にこの3点は、オズワルド濡れ衣説の根拠になっています。
一つずつ見てみましょう。
犯行を否認した
狙撃犯かどうかはおいとくとしても、事実として、オズワルドは職務質問をしてきた警官を射殺しています。
全くの濡れ衣なら、オズワルドが職務質問をしてきただけの警官を殺した理由は何?
暗殺の犯人だったからこそ、警官を殺したと考えるのが自然な気がします。
スナイパーオズワルド
オズワルドの狙撃の腕に関しても、謎の過小評価があります。
海兵隊では、隊員全員が狙撃のテストを受けます。
そこで、試験の成績により、
・特級射手(expart)
・一級射手(sharpshooter)
・二級射手(marksman)
・無資格
にランク付けされます。
オズワルドは1956年は一級射手、1959年は二級射手のスコアを獲得しています。
本当に狙撃の腕がからっきしなら当然「無資格」なわけで、狙撃手として無能であるという認識は、まったく正しくありません。
むしろ、スナイパーとしてはなかなかの腕だったのであります。
硝煙反応
硝煙反応については、推理小説などのイメージからか、「銃を撃ったら必ず残る痕跡」と思われがちです。
しかし、実際には銃を撃っても硝煙反応が出ないケースはよくあります。
また、硝煙は水でゆすげば簡単に落ちちゃいます。
オズワルドの人となり
そもそも、オズワルドはかなりイかれた男でした。
ケネディ大統領暗殺の半年前には、反共主義者として有名なエドウィン・ウォーカー陸軍少将を狙撃しています(失敗してますが)。
また、共産主義への憧れから一時はソ連へ亡命もしていましたし、幼い頃は分裂症の傾向があると診断されたりもしています。
つまり、大統領狙撃という大それた事を実行してもおかしくない人物だったと言えます。
まとめ
ケネディ大統領暗殺の陰謀論をご紹介したくて書き始めたこの記事ですが、どうも調べれば調べるほど、陰謀論側の話の方が嘘臭く…。
ここまでの話をまとめると、要はオズワルド単独犯でも十分合理的に事件を説明出来そうですよということです。
もちろん、オズワルドに何者かが指示をしたという可能性はあります。
ケネディは選挙でマフィアに多大な協力をもらったのに、マフィア壊滅作戦を進めたため、とても恨まれていた。
ベトナム戦争からの撤退を計画したため、 軍産複合体に消された。
https://fknews-2ch.net/archives/31345914.html
不仲だったジョンソン副大統領による謀反。
ケネディ死亡の直後、エアフォースワン内で行われた緊急の大統領宣誓式の様子。ジョンソンにウィンクしている議員がおり、ジョンソンの横顔も笑っているように見える
などなど、動機のある人物、組織はたくさんあります。
しかし、ウォーレン報告書の99%が既に公開されている事を考えると、仮に黒幕がいたとしても、もはや明るみにでる可能性はありません。
し…真実はいつもひとつ!(白目)