というわけで、
「【経済】お金が腐るとこうなります。」
の続きです。
お金は誰が発行しているのか
小渕政権の時代。
政府は「地域振興券」という金券を配りました。
これにはハッキリと発行元の市区町村が明記されていました。
次に、お手元のお札を確認してみて下さい。
こちらには、「日本銀行券」とハッキリ書かれていますね。
では、何故我々が普段使うお金には、「日本国発行」と書かれていないのでしょうか。
通貨発行権
結論から言うと、
日本という国が発行した金券ではないから
という事になります。
あくまで、「日本銀行」という独立した機関が発行した金券ですよというわけです。
これは、広い意味で言えば、ビール券と変わらんのです。
日本政府は、毎年国債を大量に発行していますが、これは日本銀行にこの国債(借金の証文)を買ってもらい、現金を入手する必要があるからです。
もし、日本政府自身が通貨発行権を持っていれば、ペロッとお札を刷って終わりです。
なのに、通貨発行権を持っていないばかりに、借金をしてお金を手に入れ、それを流通させるというよく分からない状況になっています。
通貨の番人
とはいえ、本質的に、政府と通貨発行権を持つ機関は、互いに独立し、影響や圧力があってはならないというのが定説です。
そういった意味で、中央銀行は「通貨の番人」とも言われています。
政府が通貨発行権を掌握していた為に失敗している例としては、かの有名なジンバブエドルがあります。
年間のインフレ率は最高で6.5×10の108乗(6500000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000%)らしいwww
経済政策の失敗もあっての事ですが、何しろお金が足りなくなるとす、考えなしに紙幣を刷っていた為、あっという間にスーパーインフレになってしまいました。
では、例のヴェルグルの事例における、オーストリア国立銀行の「貨幣発行権の独占を侵害された」という訴訟は、そのような善意によるものなのでしょうか。
その事を考える前に、まずは貨幣の成り立ちをサラッと見てみます。
原始的なお金
大昔は、基本的に物物交換です。
物と物(魚と肉とか、野菜と毛皮とか)をお互いが納得する量に合わせて交換されていました。
そういった交換が盛んに行なわれるようになると、いちいち現物を用意する不便を取り除くため、物品貨幣が使われるようになりました。
物品貨幣とは、貝殻や石などを使った、原始人が使うコインのイメージみたいなやつですね。
ヤップ島の石貨
鋳造貨幣の登場
時代が進むと、青銅や鉄、銅、あるいは金・銀などの金属が貨幣として使われるようになります。
最初は金属自体の重さを秤量することで、貨幣として使用していましたが、やがて金属を鋳造した貨幣が現れました。
現存する最古の鋳造貨幣は、紀元前7世紀頃のものといわれています。
金属は、保存性・等質性・分割性・運搬性など貨幣としての必要な条件を満たしていることが普及につながったと言われています。
古代ローマ帝国の時代には、兵士の給料は銀貨で払われていたようです。
しかし、鋳造貨幣は、政府や領主などの通貨発行権者が、貨幣を額面より安く作る事によって利益を得る目的で発行される事がしばしばありました。
500円玉を100円のコストで作れば、400円儲かりますよね。
これを通貨発行益といいます。
当然、貨幣発行権をもっている政府や領主は超ぼろ儲けですが、こういうのは必ずエスカレートする奴がいるものです。
古代ローマ帝国でも、デナリウス貨という銀貨は、当初98%の銀を含有していましたが、軍費調達や財政再建の目的で徐々に品質を下げ、最終的には含有率3%以下となってしまいました。
いろんな時代のデナリウス貨
この結果、起こったのが、「悪貨は良貨を駆逐する(グレシャムの法則)」です。
簡単に言うと、手元に銀98%の貨幣と銀3%の貨幣があって、どっちも同じ金額で使えるなら普通は3%の方から使っちゃうよね、という法則です。
いつか物物交換をする時がかもしれない。
ならば、「銀」という確かな価値を、より多く手元に置いておきたいのは当然です。
この結果、市場から質の高い貨幣は姿を消し、貨幣の信用は大きく下がりました…。
紙幣の登場
中世になると紙幣が登場します。
当時のヨーロッパでは、商業的に大量の金銀が使用されていましたが、この金銀を直接取引に使用すると、盗まれる危険もあり、また、使用しているうちに磨り減って目減りしてしまうかもしれません。
そのため、立派な金庫を持つ金細工商人や両替商に預け、代わりに預り証を受け取るようになります。
1725年のイギリスの金細工商人が発行した預り証
人々は、やがて、いちいち金銀を引き出して取引するのが面倒になります。
預り証は、いつでも金銀に交換可能なため、紙切れでありながら価値を保証されているので、直接証書を使用して取引するようになります。
一方、金を預かっている商人は、金銀が意外に引き出されない事に気づきます。
試しに、預り証を金銀の裏付けの無いまま発行しても、全然バレない。金銀が一度に引き出されない限り、破綻することはないのです。
そこで、商人は預り証を発行して融資する業務を開始しました。
この商人は、その多くがユダヤ人でした。
ユダヤ人は、当時のキリスト教社会から激しく差別されており、殆どの職業に就く事を禁止されていました。
そんな中で残った数少ない職業が、この金貸しだったのです。
旧約聖書には、
と書かれており、利息を取る行為は、当時のヨーロッパ社会では、不労所得であり大変卑しいものとされていました。
ユダヤ人にとって、金貸しの道を歩むのは、やむを得ない選択だったのかもしれません。
しかし、何の裏付けも無い紙切れを貸して、利子を取る行為は、物凄い利益を産みました。
貸した金が返ってくれば、その分丸儲け。
貸した金を返せなければ、担保として取った金・銀・宝石・土地等の、本当に価値のあるものを差し押さえる事が出来る。
笑いが止まらなかったでしょう。
中央銀行の設立
やがて、様々な商人が証書を発行するようになったため、バラバラの「預り証」が流通するようになります。
これを統一させるために紙幣発行権限をもつ中央銀行を、銀行家が出資して設立する事となっていったのです。
さらに、法律で中央銀行以外の銀行が紙幣を発行する事は禁じられていきます。
そんな中、当然ですが、有力だった銀行家は、中央銀行に大きな影響力を持つようになります。
事実、かの有名なロスチャイルド家は、1825年にはイギリスの中央銀行である、イングランド銀行の通貨発行権を手に入れています。
イングランド銀行
「何の裏付けも無い紙切れを貸して、利子を取る」を国家レベルで行う訳です。加速度的にその資産を増やした事は想像に難くありません。
さすれば法律など誰が作ろうと構わない
マイアー・アムシェル・ロスチャイルド-1790年
この有名な言葉が、それを証明しています。
ヴェルグルの事例は、この仕組みを脅かす可能性を潰す処置のように思えてきます。
長くてすいません…。
もう一回だけ続きます…。