どもども。
長らくお待たせしてしまいましたが、今回は本当の「お金の起源」について考えてみたいと思います。
一般には「物々交換」からやがてお金のようなものが生まれたとされています。が、その説はちょっと信憑性に欠けるっぽい、というのが前回の内容でしたね。
では、お金は一体どのようにして誕生したのでしょうか。
大昔の取引
そもそも、物々交換は赤の他人と行うもの。
お互いに少しでも得をしようとするので、騙し騙される危険を孕んだ、シビアで油断のならない取引であります。
決して、村の仲間とか身内のような間柄で行うようなものではありません。
では、昔の人はどのようにして日常の物資を手に入れていたのでしょうか。農夫はどうやって肉を、漁師はどうやって野菜を手に入れていたのでしょうか。
その方法をうかがい知るには、まずは大昔のコミュニティとはどういうものだったのかを考えなくてはいけません。
隣人が困っていたら
まず、原始社会というものは、現代の我々の暮らしからは想像もできないくらい狭い。
ほとんどの場合、彼らにとっての社会とは、数十人からせいぜい100人規模の集落というか村というか、そんなもん。
全員が親戚みたいなもので、メンバーは全員がお互いのことを知っている状況です。
そういう前提で、ちょっと想像してみましょう。
ある日、ビルの靴が壊れてしまいました。
ビルは牧場を持っていて、たくさんの豚を飼っています。でも、余分な靴は持っていません。
そんなビルの隣に住むトムは、たまたま靴を2足持っていました。
しかし、トムは食料を十分に持っていたので、今は豚肉は必要ありません。
・ビルは豚しか持っていなくて、靴が欲しい。
・一方のトムは、靴を余分に持っているけど、豚肉は欲しくない。
こんな状況において、ビルは靴を手に入れることができるでしょうか?
ビルが靴を手に入れる方法
もし彼らの住む村が物々交換経済だったなら、ビルは靴を手に入れられません。
不可能です。
物々交換が成立するためには、いわゆる「欲望の二重一致」が起きなくてはなりません。
すなわち、ビルが靴を必要とした時に、まったく同じタイミングで、トムも豚肉を必要としなくてはなりません。
ビルとトムのそれぞれの欲望が一致しなくてはならないのです。
もし今トムが豚肉を必要としていないなら、トムが豚肉を必要とするまで、ビルはずうっと裸足で生活しなくてはなりません。
こんな調子では日常生活もままならないわけで、ちょっと考えにくい。
つーか、あり得ぬでしょ。
実際、原始社会の人々は、このような面倒な物々交換など行ってはいませんでした。
狭い村で、隣人が困っている。
だったら、トムは「やあビル。ちょうど靴が1足余ってるんだ。よかったら使うかい?」と言って、靴をプレゼントしてあげる。
貨幣が存在する前の社会の経済とはこういうものなのです。
贈与と貸し借り
しかし、ここで注意しなくてはいけないのは、トムは決して純粋な善意で靴をプレゼントしたのではないということ。
これは一見すると、無償の贈与のように見えます。
しかし、実際には「トムがビルに靴を贈与する」のと同時に、「ビルはトムに靴1足分の借りがある」状態になります。
借りがあるというのは、言い換えれば「負債がある」ということ。
この貸し借り状態は、ビルとトムが暗黙のうちに共有している認識です。
したがって、冬になってトムの食料が足りなくなってきた頃、ビルはトムの家を訪ね、「やあ、豚肉でもどうだい?」と言うのであります。
お金の原型
お金は必要ない?
実際のところ、こうした贈与経済において貨幣が発明される余地はありません。
「物々交換から貨幣が発明された」という説の理屈はこうでした。
↓
したがって、ビルは豚肉を欲しがっている人としか物々交換できない。
↓
自分の欲しいモノを持っている人が常に豚肉を欲しがっているとは限らない。
↓
お互いの欲求が一致しない限り、物々交換は成立しない。不便。
↓
そこでビルは、豚肉を誰もがいつでも必要とするものに変えておくことを思いついた。
↓
ある地域ではそれは大麦であり、別の地域では塩や貝殻であった。
しかし、先のビルとトムのやり取りを見てください。
彼らのやり取りにおいて、「欲求の二重の一致」の問題は、綺麗さっぱり消えています。
ビルはトムから靴をもらったけれど、その時ビルはトムの欲しいモノは持っていませんでした。しかし、隣人同士ならば、そう遠くないうちにビルの持っている何かを、トムが必要とする時が来ます。
貸し借りを清算するのはその時で十分。
そして、小さなコミュニティであれば、誰が誰に借りがあるのか皆が記憶しているので、貸し借りは必ず清算されるのであります。
狭いコミュニティでの贈与経済において、借りを踏み倒すのは自殺行為。そんな事をしたら、その人はたちまち村の贈与経済の輪から弾き出され、過酷な自給自足生活に突入します。
というわけで、貸し借りをその場で清算する必要がない以上、自分の財産を「誰もがいつでも欲しがるモノ」に替えておく必要はありません。
だって、そんなことをしなくても、「自分の信用」で取引できるんだもの。
信用経済の拡大
小さなコミュニティにおいては、こうした貸し借りの裏付けは、「メンバーみんなの記憶」だけで十分でした。
しかし、人類の進歩とともに、コミュニティの規模は徐々に徐々に大きくなっていきます。
登場人物が増えていくにつれて、さすがに貸し借りの裏付けは、記憶だけでは追いつかなくなっていきます。
そこで、帳面がつけられたり、借用書が書かれるようになったのです。
お金は借用証書
ビルとトムの例をもう一度。
ビルはトムから靴をもらったけれども、その場でお返しできるモノを持っていませんでした。
そこでビルは、「いつか靴一足と等価値のモノを送る」と約束し、トムに借用証書を渡すことにしました。
冬になってビルがトムに豚肉を贈り、トムに渡した借用証書を破り捨てれば、この話はここでおしまいです。
しかしもし仮に、トムがさらに隣のジョンに、牛乳と引き換えにこの借用証書を渡したとすれば?
すると、ビルはいつの間にか、トムの代わりにジョンに対して、靴一足分の借りを負うことになるのです。
もし、ジョンがさらに隣のジェフに借用証書を渡したら?そしてジェフがさらに隣の…(以下略)
こうしていつしか、ビルの借用証書はどこか遠いところへ行ってしまいました。
しかし、ビルの借用証書を受け取った人がビルを信用する限り、この借用証書はまさに通貨として流通し続けるのであります。
そして、この借用証書が長い間通貨として流通すれば、それ自体が信用を持ち、やがて人々は一番初めに借りを作ったビルのことなど気にも留めなくなるのです。
ビルが発行した借用証書は、こうして通貨になりました。
お金とは借用証書である
一旦まとめます。
お金の裏付けは?
よく、「お金というのは、実質的な価値が裏付けにないと成立しない」という誤解があります。
例えば、「金や銀と交換できる保証があるから価値がある」みたいな考え方ね。
こうした考え方は、お金の起源は物々交換だというのを前提としています。
物々交換を起源とするなら、もともとお金というものは、大麦とか貝殻とか塩とかみたいな、実質的に価値があるモノだったとされているからです。
つまり、お金の本質は「価値」であると考えてしまうのです。
しかし今や、お金の起源が物々交換でないことは明白ですので、こうした前提は成立しません。
例えば「金貨」。それらは金で出来ているから価値があったのでしょうか?
答えはNo。
もしそうなら、金貨の価値と、同量の金地金が同じ価値でなくてはなりません。
しかし、ほとんどすべての金貨が、金地金より高い価値で流通していたのです。
「ある人」の信用
では、お金とは何なのか。
それを一言で言うなら、「借用証書」であります。
お金とは、ある人の負債を証明するものなのです。
その「ある人」というのは、時には商人であり、時には王様であり、時には国家そのものであります。
「ある人」なら負債を返済してくれるはずという信用こそが、お金の価値を担保しているのです。
上の例で言うならば、ビルが普通のオッサンであれば、その借用証書が通用するのはせいぜいが仲間内程度。
狭い村の中では通用しても、国の通貨にはなり得ません。
普通のおっさんであるビルが、国でやり取りされる取引の全てを賄えるほどの借用証書を発行しても、絶対に返済できないのがバレバレ。
そんなものは、誰も信用しません。
しかしもし仮に、ビルが普通のおっさんではなく、ビル・ゲイツだったとしたら…?
あなたが誰かから受け取った借用証書がビル・ゲイツが負債の証明として発行したものだったら、なんか信用できそうでしょう?
そうして、ビル・ゲイツの借用証書は、彼が負債を返済する日まで問題なく流通し続け、いつしか貨幣になるのです。
という話を踏まえて、次回はお金は借用証書だったという考え方を裏付ける、歴史上の事例をいくつか見てみたいと思います。