ビットコインが再び高騰しているようで、未だ心の傷は癒えません。
さて、前回は広く一般に受け入れられている「お金」の起源や歴史について、簡単に眺めてみました。
しかし、その定説は本当に正しいのか。
今回からは、その辺についてちょっぴり考えてみたいと思います。
お金の起源?
お金のない世界
現代の世の中から「お金」だけがスッポリとなくなったら、我々の生活はいったいどのようになるでしょうか。
物々交換するしかありませんね。
しかし、物々交換で生きていこうとすると、想像するだけで気が滅入る手順が必要になります。
朝ごはんを食べようとすれば、パン屋と牛乳屋に行って、物々交換をすることになるわけですが、自分が必要な分のパンや牛乳とぴったり釣り合う価値の何かを持っていかなくてはなりません。
さらに、仮に自分が鉛筆を持っていたとしても、パン屋や牛乳屋がそれを欲しがっているとは限りません。
パン屋に「鉛筆じゃなくてタバコが欲しい」などと言われたら、先に鉛筆とタバコを交換してくれる人物を見つけなくてはなりません。
これが毎日毎日続くようでは、わらしべ長者だって挫けてしまいます。
不都合な事実
このメンドくささを流れにすると、こうです。
↓
都合よく欲しいモノと自分の持っているモノを交換してくれる相手を探すのは、超大変。
↓
「大麦だけは、交換相手がすぐ見つかるなあ」
※地域によって、貝殻とか牛とか色々
↓
「せや!自分の商品もいったん大麦に替えておけばええんや!」
↓
物 品 貨 幣 誕 生
この定説は、とっても理解しやすいストーリーです。
現代の我々にとって、お金の主な役割は「モノを買える」という事。それはすなわち、「モノと交換できる」という事。
であるからして、その起源が物々交換にあると考えるのはごくごく自然な事ですね。
しかし、この説が正しいかどうかを判断するにあたり、ある不都合な事実があります。
それは、純粋に物々交換だけで成立していた社会は見つかっていないということ。
ところが、古今東西の歴史学者や人類学者が血眼になって探しているにも関わらず、そうした社会の痕跡は、一切見つかっていないのです。
冒頭に挙げた、「我々の生活からお金だけが無くなったら…?」というシチュエーションは、あくまで思考実験でしかありません。
物々交換はシビア
詐欺師ウソップ
麦わらの一味が、空島を訪れた時のことを思い出してください。
ウソップが、空島の人々の無知につけこみ、たかが輪ゴムを素晴らしい品と偽り、いくつもの貴重な貝と交換していました。
漫画なのでここではギャグっぽく表現されていますが、実際のところ、物々交換には常にこういった危険性が潜んでいます。
つまり、騙されるというリスクです。
ニューヨークの場合
というか、他人同士の物々交換では、価値のないモノを押し付けて価値あるモノを手に入れるのは、当たり前の行為です。
その最大の成功例(失敗例)は、オランダ商人とインディアンの取引でしょう。
1626年、オランダ西インド会社とインディアンは次のような取引を行いました。
オランダ人:布や靴下や洋服(25ドル相当)
⇅
インディアン:マンハッタン島
騙されすぎててワロタw
彼らは、たったの25ドルで北米東海岸の要所を手に入れたのであります。
※一説には25ドル相当ではなく1000ドル相当とも言われていますが、どっちでもいいです。
バーターの語源
こうした騙しの事例は、程度の差はあれ、歴史のあちこちで起こってきたのは疑いの余地がありません。
その証拠は、物々交換を意味する ”barter(バーター)”という英単語。
その語源は、古期フランス語の”barater”から来ています。その意味はなんと「騙す・裏切る・巻き上げる」なのです。
英語に限らず、いくつもの言語で、「交換・取引」を意味する単語は、こうした悪い意味の語源を持っています。
つまり、物々交換において「騙し」が付き物であることを、昔の人々はよ〜く分かっていたのであります。
物々交換の現実
とはいえ、物々交換が歴史上存在しなかったかというと、そんなことはもちろんありません。
物々交換は、自分たちの余剰材を自分たちが持っていない財物に換える有効な手段の一つではありました。
怒号飛び交う物々交換
20世紀頃の世界には、まだまだお金という概念が無く、原始的な生活を送る部族がいくつも存在していました。
例えば、ブラジルのナンビクワラ族という部族は、身内では決して物々交換はしませんが、稀に別の集団と物々交換を行います。
その交渉では怒号が飛び交い、お互いが納得するまで口論が続きます。片方が騙されたと感じると、最悪の場合、殺人や部族同士の抗争に発展します。
騙されるかもしれないという危険性が、こうした暴力を生むのです。
何とか交渉が全て済むと、祝宴が行われてお開きとなります。
似たような事例は、いくつもの部族社会で見られます。
いずれにも共通するのは、赤の他人としか物々交換をしないという点。
そして、祝宴や、時には乱行パーティーをも伴う、非日常的な一大イベントであるという点。
決して、身内や仲間と行なえるような、軽い感じの取引ではありません。
沈黙交易
異国人と貿易を行う際に取られる手法の一つに、沈黙交易というものがあります。
これは、古くはヘロドトスの『歴史』にも登場する、由緒正しい交易方法です。
沈黙交易は、その名の通り、交易をする際に言葉を交わしません。
手順としては、
↓
Aは遠くに離れ、太鼓を叩いて合図する。
↓
Bは置かれた品物をチェックして、それと同価値の自分の交易品を置く。
↓
Bも遠くに離れる。
↓
再びAがやって来てBの品物をチェックし、満足すればそれを持って去る。
↓
Aが去った後、BがAの品物を持って帰る。
この一連のやりとりの最中、双方は言葉だけではなく一切の物理的接触を慎重に避けます。遠くからそっと見守るだけであります。
イメージ図
この沈黙交易は、西洋世界だけで見られたものではなく、中東・アフリカ・南米・アジア・日本等々、およそ世界中で普遍的に見られます。
どの地域であっても、物々交換はリスクを孕んでおり、そしてそのことを先人たちはよく理解していたため、こうした回りくどい方法が取られたのではないでしょうか。
物々交換の起源
というわけで、村人同士が日常的に「やあボブ。あんたの斧と俺のニワトリ5羽を交換しようぜ。」などと言っているような社会は、歴史上のどこにも存在しなかったっぽい。
そうだとするならば、お金の起源は物々交換ではないということになります。
それでは、次回更新時にまた来てください。本当の起源をお見せしますよ。
参考文献
・負債論 貨幣と暴力の5000年
・21世紀の貨幣論
・貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで (早川書房)