この写真は、2000年10月29日、侵攻してくるイスラエル軍の戦車に対して石を投げようとするパレスチナの少年の姿を写したものです。
少年の名前は、ファリス・オーデ。当時14歳。
彼はこの写真が撮影された10日後、同じようにイスラエル兵士に石を投げつけました。しかし、石vs機関銃では勝ち目があるはずもなく、あえなく射殺されてしまいました。
彼がなぜ、絶対にかなわない戦車や機関銃に向かって石を投げたのか、今はもう知りようがありません。
しかし、勇敢に戦車に立ち向かったオーデを撮影したこの写真は、世界に衝撃を与え、パレスチナの抵抗のシンボルとなり、オーデはパレスチナの人々の間で「殉教者」として知れ渡ることとなりました。
投げたい!
少年オーデの「戦車に向かって石を投げる」という行為は、確かに無謀ではありました。
しかし、石を投げるという行為は、人間の原始的で根源的な怒りの表現だったのかもしれません。だからこそ、少年オーデの行為は讃えられ、世界にショックを与えたとも考えられます。
というか、そもそも人間は「投げる」という行為が大好きな生物だったりします。
古代オリンピックでも「円盤投げ」や「槍投げ」がありましたし、球技全般で「投げる」という動作はプレイの主役です。例外はサッカーくらいか。
古代ギリシャの円盤投げ
ところで、どうして人間は「投げる」のが好きなのでしょうか。
その理由の一つとして挙げられるのは、「投擲能力」こそが人類が生存競争に勝ち抜くための重要な能力だったからという点ではないでしょうか。
チンパンジーやゴリラも、ウンチや木の枝を投げることはあります。しかし、人類ほど正確に強くモノを投げることができる生物は地球上に存在しません。
どんな巨体を持っていようと、鋭い牙や爪を持っていようと、攻撃出来る範囲というのは、所詮はその体が届くところまで。当たらなければどうということはありません。
逆に、投げる事ができれば、その攻撃範囲は劇的に広がります。相手の間合いの外から一方的に攻撃を加えられるわけで、これは強い。
投擲を覚えた瞬間に、狩りの安全性は飛躍的に向上したのです。
投げ始め
チンパンジーがボールを投げた場合、だいたい30km/hくらいの球速です。
一方、人類の場合、素人の成人男性ですら、90km/hくらいの球を投げます。小学生でも50~70km/hは出ます。極めると、169.1km/hまで出ます※アロルディス・チャップマンというメジャーリーガーの記録。
ご存知の通り、チンパンジーはかなり邪悪な生き物で、単純な筋力は人類を遥かに凌駕します。
参考筋肉。握力300kg以上。
しかし、こと「投げる」という行為においては、どう逆立ちしてもチンパンジーは人類に勝てないのです。
この事から、どうやら投擲において重要なのは、筋力ではないということが分かります。
管理人のような素人のイメージでは、肩を回転運動させるパワーこそ投擲の威力に直結していると、ついつい考えてしまいます。
ですが、実際には、肩の筋肉が投擲に与える影響は半分程度とされています。
本当に大事なのは、「タメ」。
モノを投げる時、肩はゴムのような役割をしています。腕を後ろに引くと、肩の靭帯や腱が引っ張られて伸び、エネルギーを蓄積します。そして、投げる瞬間に靭帯と腱が縮み、溜めたエネルギーを一気に解放するのです。ルフィのパンチが強いのと同じ理屈ですね。
チンパンジーの肩は、人間と比べて可動域が狭いので、うまくエネルギーをタメることが出来ないのです。
左がチンパン、右が人間。チンパンの方は肩をすくめたような形状です。
さらに、人間は胴が長いため、上半身を回転させることができ、エネルギーをさらに上乗せしています。
こうした身体構造が見て取れるようになるのは、およそ200万年前の人類の祖先、ホモ・エレクトスという原人あたりから。
それ以前の猿人の関節の可動域を再現したギブスを嵌めると、野球選手でもやっぱりまともにボールを投げる事が出来ないという研究結果もあるみたい。
この身体機構を獲得できたこと自体は、たぶん偶然なのでしょう。
しかし、投石により強大な攻撃力を得た原人は、狩りの成功率を上げることに成功し、栄養タップリの肉や脂肪を口にできるようになりました。
その結果、体も脳みそもどんどん発達していったのでした。
投石の威力
さて、そんな人類が、石を投げた時、その威力はどれほどのものなのでしょうか。
我々現代人は、投石と聞くとどうしても原始的で威力が弱いものと考えがちです。しかし、投石は恐ろしいほどの殺傷能力を持っています。
本気の投石は、石でぶん殴られるのと同じです。ダルビッシュが本気で石を投げてきたら致命傷になりそうでしょ?
つまり、射程の超長い鈍器と捉えるのが正しいと言えます。
そんな投石を、さらに進化させたのは、投石紐(スリング)でした。
スリングとは、こんな道具。
眼帯のような形をしていて、中央の袋っぽい部分に石を入れ、二本の紐の端を握って数度振り回し、勢いがついたら片方の紐を放す装置です。
紐の片っぽは輪っかになっていて指に引っ掛けられるように工夫されています。
これを使うと、石を100km/h以上で発射することが出来、その射程は400mにも及びます。
それくらいの威力になってくると、肉体も簡単に貫通するレベルです。こわい。
スリングがいつ頃発明されたのか、正確なところはわかっていません。材料が繊維質なので、すぐ朽ちてしまうためです。
ただ、スリングに最適化するようアーモンド型に加工された石なんかも発見されていて、少なくとも新石器時代(約1万年前)には存在したのは確実視されています。
ダビデの投石
このスリングの最も有名な使い手はダビデ王でしょう。
この「ミケランジェロのダビデ像」。だれでも知っている超有名な彫像ですが、風呂上がりにちょっとかっこつけてるシーンだと思っていませんか。
実はこの彫像、巨人ゴリアテとの戦いに備えて背中にスリングを背負っているシーンなのです。左手に持っているのは手ぬぐいではありません。
ダビデはこのスリングを巧みに利用してゴリアテの眉間を石で打ち抜き、すぐさま剣を奪って首を切り落としました。このシーンは多くの芸術作品で表現されています。
眉間にくっきりと石の跡が
余談ですが、この旧約聖書の逸話にちなみ、イスラエルが誇るミサイル迎撃システムは、「ダビデ・スリング(David’s Sling)」と命名されました。
世界一の投石兵
地中海の西側、スペインに近い所に浮かぶバレアレス諸島。
この美しい島は、かつて「投石に特化した優れた傭兵」を輩出する島として、古代世界で名を馳せていました。
この投石傭兵は3種類のスリングを使い分け、その威力は、敵の盾や兜をやすやすとぶち破ったと言われています。
英雄カエサルが残したガリア戦記には、「どんな兵士より長距離を正確に投げ、威力は絶大だった」と記されています。
バレアレス諸島出身の傭兵は、なぜそれほどまでに投石スキルが高かったのか。
それは、幼少期より非常に厳しい訓練を受けてきたためです。
バレアス諸島の子供は、パンを手に取れない棒の上に置かれて、それを撃ち落とさなければ食事を許されなかったと伝わっています。
トラヤヌスの記念柱に残された投石兵の姿
現代の戦場では、さすがに投石の出番はなくなってしまいましたが、今でも暴動なんかの際には、投石は銃器を持たない民衆の基本戦術の一つだったりします。
そういった意味で、冒頭のオーデ少年は、さすがに相手が悪かったわけですが、採用した戦術は決して見当違いのものではなかったと言えます。
日本でも、学生運動のとき、過激派による投石で警察官が何人も死亡しており、素人でも充分に人を殺せるのを証明しています。
危ないので良い子は真似しないように!