クロードグラス
18世紀末のヨーロッパで、クロードグラスなるものが知識人、文芸家の間で大流行した事がありました。
当時のヨーロッパでは、クロード・ロランという画家の風景画が物凄い人気を博していました。
彼の描く絵には、トーンが暗く、ややボカされているという特徴がありました。
この情景を手軽に見たいということで開発されたのが、このクロードグラスです。
開発というか、単に楕円形の鏡を煤のようなもので曇らせただけ。
風景に背を向けて、この鏡越しにそれを見ると、いつでもクロードの描いた絵のような情景が見られるという寸法です。
端から見てると、「いや、自分の目で見ようよ」そう言ってあげたくなる、ある種異様な光景です。
とはいえ、現代に生きる我々が、彼らを笑えるかと言えば、そんな事はありません。
写実への挑戦
幕末~明治くらいの日本では、それまで鎖国によって独自の文化が花開いており、そこに物凄い勢いで海外文化が流入してきました。
日本文化にとっては激しいカルチャーショックだった事は想像に難くありませんが、その結果として一風変わった美術様式が誕生しました。
例えば、「人着」という技術があります。
これは、撮影したモノクロ写真に絵具をのせてカラー写真にしようと試みたものです。
携帯電話でカラーの写真が撮影できる現代から見れば、何とも涙ぐましい努力です。しかし、当時の人たちからすれば「写真で撮った時の色彩」というものが存在すらしなかったわけで、この人着という技術は感動的なものだったに違いありません。
ただ、人着の画像を見てもらえば分かりますが、ここまで絵の具を塗っちゃうと、もうほとんど絵です。
写実画を本格的に学んだ人なら、この人着写真と同程度の肖像画を描くことはそれほど難しいものではありません。
「写実画」、「写実主義」の歴史はけっこう古く、13~14世紀のルネッサンスから始まっています。
「現実をそのまま写し取る」ということを目標にして絵を描くという姿勢ですね。
もちろん、この姿勢に対するアンチテーゼとして、印象派なども存在しましたが、ルネッサンスから700年以上たった今でも、日本の義務教育における「美術」とは、基本的には「写実主義」のことです。
みんなも小学生のとき、写生しましたよね?
逆に言えば、それほどまでに「現実を写し取る」というのは人間にとって大事な事であり、長年の夢だったとも言えます。そして、その夢は科学の力で実現することになりました。
写真の登場
もともとは、カメラ・オブスキュラと呼ばれる大がかりな仕掛けでした。
窓一つない部屋の中に小さな穴を開けることで、反対側の壁面に外の景色が反転して映る。
この映像を絵画の下絵にする事により、写実的な絵を描くという作画技術が17世紀末には確立していました。
かの有名なフェルメールも、この技法で写実的な絵を描いていたという説があったりもします。
カメラ・オブスキュラを利用して描かれたとも言われる「牛乳を注ぐ女」
この原理が応用されて生まれたのが、ダゲレオタイプです。
これは、社会の時間でも一応触れられます。これを覚えていたあなたはえらい!
1836年に発明されたこのダゲレオタイプは、銀メッキを施した銅板を感光させ、その銅板自体がそのまま写真となる仕組み。機能としてはほぼ完全なカメラです。
ダゲレオタイプは、最古のカメラであり、貴重な写真が多く残されています。
画面左下の片足を何かに乗せている人物が、初めて写真に写った人間と言われています。
作家エドガー・アラン・ポー
フレデリック・ショパン
モールス信号を発明した、サミュエル・モールス
第7代アメリカ大統領、アンドリュー・ジャクソン
第16代アメリカ大統領、アブラハム・リンカーン(髭なしver)
写真に色を塗る事の意味
ルネッサンス以降の写実画家達の夢であった、ほぼ100%の写実は、こうして実現しました。
しかし、人間は贅沢な生き物です。
当時の人々は、私たちが目で見ている形だけでなく、色彩をもそのまま切り取ってみたいという欲求を持ってしまいます。
それを満たすため、苦肉の策として開発したのが、上に挙げた「人着」でした。
「色が無いなら塗ってしまえばいいじゃない」という、実に素直な発想。人着は、モノクロ写真の未来を夢見たものでした。
技術の進歩は、やがては人々の夢を実現します。
カメラ業界ではカラー写真の開発が粛々と続けられ、20世紀に入るころに、ほぼ完成します。そして、人類はついに「今」という瞬間を、完全に切り取ることに成功しました。
現存する最古のカラー写真
倒錯する技術
ここまでは、「現実を切り取ってみたい」という素朴な夢が生み出した、ある種のサクセスストーリーです。
ところが、カラー写真が当たり前になると、もはや写実する事自体に価値はなくなります。そうして、新たな付加価値を探し求め、倒錯した技術・芸術が起こる事になります。
その一つが、懐古主義でしょう。
例えば、インスタグラムという画像投稿SNSアプリがあります。
スマートフォンで撮った写真を投稿、共有できるアプリですが、このアプリにかかると、ついさっきとったデジタル画像が、セピア色になったり、何十年も経ったかのような色あせを起こしたり、昔のフィルムで撮ったかのように色をにじませたりと、様々に加工できます。
最新鋭の技術を用いて、昔の技術を再現するという、よくよく考えてみたらなんだか不思議な話です。
この類の話は、写真の世界にとどまりません。
『Always三丁目の夕日』という懐古厨の象徴とも言うべき映画があります。
昭和初期の頃の東京を舞台にした、「あの頃はよかった」と言うためだけの映画ですが、その時代の光景を再現するために、すさまじい映像処理を施しています。
最新鋭の技術を用いて、昔の情景の再現をする。
こういった倒錯は、常に新しい表現や価値を欲する人間の特性が引き起こすものです。そして、結果として新しい技術や芸術技法を作り出してきました。
一部でブームを巻き起こした「廃墟」なんかも、同様です。
その起源は19世紀末のヨーロッパ。
今のように廃墟見学ツアーなどがあったほかに、「うちの庭にも廃墟が欲しいなぁ」などと言い出す輩がたくさんいました。
彼らは金にものを言わせて廃墟を「造りました」。本当は新品の柱を、何百年も経ったものかのように見せるために、莫大なお金を掛けて加工したのです。
次の倒錯は
今、人間は平面で現実を切り取るだけでは飽き足らず、3次元で切り取る方法を模索しています。
それはホログラム技術であり、3Dプリンター技術です。
いずれ現実を3次元で切り取る事が当たり前になれば、また新しい倒錯が現れる事になるでしょう。それはきっと、現代人には無い発想のはずです。
楽しみですね。