胎内にいたときのことを記憶している子供は、実は少なくありません。
お風呂に入っているときに、「ママのお腹の中でぷっかんぷっかんしてたの」と言い出す子がいたり、不意に「お腹の中が暗かったから、暗いどーって怒鳴った」と言う子がいたり。
でも、それよりさらに遡って、前世の記憶を持つ子供も、世の中にはいるようです。
この話題は、油断しているとすぐにスピリチュアル(笑)な方面に行ってしまうので、注意が必要です。
学術的に ―イアン・スティーブンソンの研究
イアン・スティーブンソン
ヴァージニア大学精神科の主任教授だったイアン・スティーヴンソンは、おもにアジア地域で、前世の記憶を語る子供たちの証言を集め、『前世を記憶する子どもたち』という本を出版します。
この研究で注目すべきは、スティーヴンソンが、話を創作する能力をまだ持たない幼い子供を中心に、聞き取り調査をおこなっていることです。
彼が収集した不思議な証言のいくつかを紹介します。
ゴーパール・グプタ
彼は、1956年インドのデリーで生まれます。ゴーパールはしゃべるようになるとすぐ、自分の前世の話を始めます。
自分が薬品関係の会社を経営していたこと。現在の両親より高いカーストであったこと、弟のひとりと口論し、そこから撃たれてしまたこと。
半信半疑で父親がその街に行ってみると、その名前の会社があり、経営者のひとりが兄を射殺していたことがわかったのです。
マ・ティン・アウン・ミヨ
1953年ビルマ北部のナツル村生まれの彼女は、4歳の時、上空に飛来した飛行機を見て、ひどく怖がって泣き叫びました。
そうして自分は第二次大戦中にその村に進駐していた日本兵だったと言い出したのです。
自分は炊事兵で、飛行機が村に来て機銃掃射したときに死んだ。北日本の出身で、結婚していて子供がいる、と。
暑さや香辛料のきいた食べ物を嫌い、魚を半生のまま食べたがり、日本に帰りたいとよく口にし、ホームシックを訴え、英米人に対する怒りをあらわにしていたそうです。
ポロック家の双子
1958年、ポロック夫人は一卵性双生児を出産します。
ジェニファーとジリアンと名づけられたこのふたりには、奇妙なことがありました。
その前年、ふたりの姉、11歳のジョアンナと6歳のジャクリーンが車に轢かれて死んでいたのですが、双子の妹ジェニファーの眉間にある母斑は、死んだ妹ジャクリーンの傷跡と一致していたのです。
さらに、双子たちは亡くなった姉たちと、奇妙な一致を見せます。
ジャクリーンがジョアンナに頼っていたように、ジェニファーもジリアンを頼りにする。
死んだ姉たちが持っていたおもちゃを、ちゃんと見分けて遊んでいた。
ジリアンは鉛筆を難なく持てたのに、ジェニファーは死んだジャクリーン同様、鉛筆を握りしめてしまう癖が抜けなかった。
一歳の時、引っ越して以来、一度も訪れたことのない街にある学校や公園のことをよく知っていた。
など、姉妹の生まれ変わりと思われる点がいくつも見られました。
生まれ変わった考古学者
生まれ変わりを自称する人はたくさんいますが、前世の記憶をもとに考古学者にまでなったのは、この人だけでしょう。
オム・セティことドロシー・イーディ
1904年生まれのドロシー・イーディは、3歳の時、階段から落ちて意識不明になりました。駆けつけた医師により、一度は「死亡」と判定されますが、なんとか意識を取り戻しました。
この出来事を境に、ドロシーは毎晩ある夢を見るようになります。その夢には、果実のなった樹木がたくさんある庭と石の柱がたくさんある建物が現れ、次第に彼女はそこが自分の故郷だと思うようになりました。
4歳の時、ドロシーは両親に連れられて大英博物館を訪れます。エジプトの展示室に来たとたん、彼女は狂ったように走り回り、ミイラのそばに座り込んでしまったのです。
「ここにいさせて。この人たちはわたしの仲間なのよ」
以来、ドロシーは自分がいるべき場所はエジプトで、アビュドスのセティI世の宮殿であるという確信を持つようになるのです。
セティI世
ここまでであれば、ありがちな電波人なのかもしれません。
ところがこの人のすごいのは、エジプトに行き、エジプト人と結婚し、息子「セティ」をもうけたこと。
※以来、ファーストネームを呼ばない習慣から、セティの母、オム・セティと呼ばれるようになります。
さらには、古代エジプトの都市アビドスの専門家になってしまったのです。
彼女が夢で見た場所こそ、アビドスでした。
以降、オム・セティはアビドスの遺跡から神殿の庭の位置を言い当て、さらに地下にトンネルがあることを言い当て、エジプトの歴史に関する、いくつかの非常に興味深い主張をするまでになります。
これはまだ調査されていませんが、アビドスにある神殿の地下には貴重な文書が詰まった書庫があるとも予言しています。
ドロシーはこれらは全て、自分がセティI世の愛人の生まれ変わりだから、「知っていた」と言います。
眉唾?
ここまで、皆さんの眉は唾でびっしょりなことでしょう。
純朴な我々は、こういったエピソードに何度も期待しては裏切られてきているわけで、簡単には信じられません。
ただ、こういった事を主張する人がいて、その証言の内容に不思議な点があるという事は、少なくとも事実です。
冒頭のイアン・スティーブンソン教授も、うさんくさいオヤジかと思いきや、調べてみると、とてもちゃんとした人物でした。
彼の研究は、最古の歴史を誇る、由緒正しい科学雑誌に掲載されています。
当時の編集長は、次のようにコメントしています。
このような特集を組んだ理由は、執筆者が、科学的にも個人的にも信頼に足る人物であること、正当な研究法をとっていること、合理的な思考をしていること、といった点にある。
以上の条件が満たされるなら、人間の行動に関する知識の増進をめざす雑誌が、このようなテーマの論文を自動的に不採用にすべきではないし、そうしてはならない義務があると思う。
少なくとも、彼の研究はデタラメでも売名行為でも詐欺の類でもないと感じます。
記憶の解釈
「前世の記憶」に対しては、いくつか解釈があります。
常識的な説
・作り話である
・嘘の記憶を本物と思い込んでいる
・偶然、色々と一致した
超常現象的な説
・超能力で死んだ人の記憶を読んだ
・死んだ人の霊が乗り移った
・実際、生まれ変わった
要するに、前世記憶の事例が「事実」かどうかが論点だと考えていいです。
肯定派は事実だと言い、否定派は事実ではないと言います。
そもそも、科学的アプローチにおいて事実と認められる為には、「再現性」というのが非常に重視されます。
「一定の条件を整えれば誰でも同じ現象が再現、観察できる」という事ですね。
超常現象の研究ではこの点が困難な為に、未だに嘘だ本当だとあれこれ論争が終わらず、スッキリしないわけですね。このモヤモヤ感こそワクワク感の源でもあるわけですが。
イアン・スティーブンソン自身は、一連の事例研究の結果から、「生まれ変わり説」を受け入れていますが、自分の解釈は重要ではないと念押ししています。
生まれ変わりを信じるかどうかは、多少なりとも人生観に影響を与えます。そういった意味で、結局は個人の信仰の問題なんだと思いました(KONAMI)。