名詞
発音 bedləm
不穏な騒ぎ、混乱、気違いざた〔差別語〕、騒々しい混乱の場所
この嫌な感じの単語は「Bethlehem(ベツレヘム)」という言葉が訛ったもの。
ベツレヘムは地名で、イエス・キリストが生まれた、たいへんありがたい場所です。
語源と意味が全然違う訳ですが、これは何故かというと、悪名高い最古の精神病院「王立ベツレヘム病院」、通称「ベドラム」があったからなのであります。
王立ベツレヘム病院
歴史
まずはベドラムの歴史から。
元々ベドラムは、1247年にロンドンに建てられた修道院でした。
信仰の一環として、その修道院の人々は貧しい人や精神障害者の世話を始め、1330年頃には「ベツレヘム聖マリア慈善病院」となりました。
純粋で崇高な目的を掲げた精神病院でしたが、時代が進むにつれ腐敗してしまいます。
そこでの精神障害者の扱いは極めて劣悪で、監禁とほとんど変わらない状態だったようです。院内はおぞましいうめき声に満ち、暴れるような危険な患者は手錠をはめられ、壁や床に鎖で繋がれていました。
このベツレヘム聖マリア慈善病院は、1666年に起きたロンドン大火で施設が焼失したため、ロンドン郊外の新たな施設に移転しました。
新たな病院で行われた数々の治療行為は、やがてベドラムの悪名を確固たるものにしていくこととなります。
この新しい病院の入口の門には、虚ろな表情の男と鎖で繋がれ呻いている男の像が飾られていました。
もう外観からしてただならぬ仕上がりだったのであります。
「狂乱と憂鬱の狂気」キース・ガブリエル・シバー
患者の治療
とはいえ、お世辞にも医学的とは言えないものばかりでしたが、ベドラムでもいちおう治療は行われていました。
ベドラムでは、とりあえず、患者は拘束服もしくは鎖を着用され、社会から隔離されます。
そして、下剤の投与や瀉血(故意に血を排出させること)が、嘔吐が症状を改善させるとして、行われました。
これはおそらく、患者が憔悴して大人しくなった事を症状の改善と捉えたということでしょうか。
なお、嘔吐させる為に、けっこう大掛かりな装置も使われています。
それが、この回転椅子です。
だいたい数時間くらい回転させて、嘔吐や失禁を促します。
また、瀉血については、カッピングやヒルに血を吸わせる方法が取られていました。
カッピングによる瀉血。今でも一部の症状に対しては医療として行われています
健康な体から血をどんどん抜くわけで、患者たちは常に貧血状態でフラフラ。
体力の無さそうな患者は、逆に入院を断られていたりもしていました。
患者を見世物に
また、ベドラムでは、貴族等の見物人からひとり1ペニーの金を取って、患者たちの奇妙な振舞いや暴力行為などを見物させていました。
※毎月第一火曜日は入場無料!
また、見物客には患者を突いて興奮させるための長い杖の持ち込みも許可されていました。
病院の1年の観光客は、最大で96,000人にも上っていました。当時のイギリスの人々にとっての一大テーマパークだったとも言えます。
「放蕩一代記 - 『精神病院』」ウィリアム・ボガース
二人の着飾った貴婦人がべドラムの狂人を見物している
トマス・ローランドソンによって描かれた風刺画
やがて、時代が進むにつれ、ベドラムは観光客の誘致を辞め、外部との接触を断ち、秘密に包まれた病院となっていきました。
ベドラムの現在
1814年、エドワード・ウェイクフィールドという慈善家が、ベドラムを訪問しました。
ウェイクフィールドは、男性病棟を見学し、その患者たちのあまりに劣悪な環境にショックを受けました。
その中でも特に酷い環境にあったのは、元海兵だったジェームズ・ノリスという患者でした。彼は、金属製のハーネスを着けられ、鎖で繋がれていました。
鎖は、病院スタッフが管理する部屋に繋がっており、鎖を引っ張ることにより、いつでも体を壁に叩きつけられる構造になっていました。
ウェイクフィールドがどれくらいの間このハーネスを着用していたか聞くと、ノリスは「12年」と答えました。
ウェイクフィールドは、この事をすぐに新聞紙上で告発。このセンセーショナルな発表はイギリス国民に多大なショックを与え、ベドラムでの治療の実態についての公的な調査が行われる事となりました。
この調査は、精神病院に対しての調査としては過去最大のもので、数ヶ月に渡って行われました。
こうして、当時の病院長やスタッフ達は解任され、ベドラムはまともな病院へと転換していくことになりました。
その後、2度の移転を経て、現在は接触障害や薬物中毒の治療を行う地域密着型の精神病院として、頑張っています。
過去、多くの芸術家が入院していた事もあり、芸術療法には特に力を入れているようです。