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【聖遺物】ロンギヌスの槍について調べてみた。

今日は、エヴァでお馴染みのロンギヌスの槍について。

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由来

ロンギヌスの槍は、ゴルゴダの丘で磔にされたイエス・キリストの死を確認するために、脇腹を刺したとされる槍。
名前は刺したローマ兵の名「ロンギヌス」に由来するとされています。

磔にされて死んだはずのイエス体から血と水が流れ(普通、死体から血は流れない)、それに触れたロンギヌスは、もともと患っていた白内障が完治したとも伝えられています。

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聖遺物

キリスト教において、イエスの受難にまつわるアイテムは、聖遺物として物凄く尊重され、信仰の対象となっています。また、奇跡を起こすものとも考えられています。

聖十字架:イエスの磔に使われた十字架

※現在発見されているものを合わせると、十字架10本分

聖釘:磔の際にイエスの手足に打ち込まれた釘

※現在30本以上の聖釘が世界中で祭られている

聖骸布:イエスの遺体を包んだ布

※過去に複数あったが現存するのはトリノの聖骸布のみ

聖杯:最後の晩餐にてイエスが使用した杯

※現在までに、4つの聖杯が発見されている

…キリスト教徒なら絶対欲しいものでしょうから、数が増えるのは仕方ないところでしょうか。

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ロンギヌスの槍の場合

さて、肝心のロンギヌスの槍はというと、

ローマの聖槍

この聖槍はサン・ピエトロ大聖堂に保管されている。
1492年、オスマン帝国のスルタンバヤズィト2世が、かつて聖墳墓教会に存在したものであるとして教皇インノケンティウス8世に贈ったもの。

この像の下部に聖槍が安置されている

アンティオキアの聖槍

第一回十字軍がアンティオキア攻囲戦で苦戦しているとき、ペトルス・バルトロメオなるものが、聖アンデレのお告げにより聖槍を発見したと主張した。十字軍将兵の士気は高まり、勝利を得たが、槍の真贋を疑うものも多かったため、自ら神明裁判を買って出た。

ペトルス・バルトロメオは槍をたずさえ火に飛び込んだが火傷が酷く、数日後に死亡した。この聖槍はその後行方不明となった。

神明裁判の様子

神聖ローマ皇帝の聖槍

神聖ローマ皇帝のレガリアである帝国宝物のひとつである聖槍。10世紀から伝わるとされている。

この槍が歴史上に登場するのは、古くは紀元4世紀のことである。初代ローマ皇帝、コンスタンティヌス1世は聖槍を探し求めており、その母親ヘレナはエルサレムへの巡礼の旅の途中、キリストを磔にした聖十字架や聖釘と共に、「ロンギヌスの槍」を発見したという逸話が残されている。

その後所有者を転々とし、8世紀頃、西ローマ帝国皇帝シャルルマーニュの手に渡ったと言われている(シャルルマーニュはその後、槍を手にして以来47回に及ぶ戦いで勝利を収め続けたが、ある時槍を落とすと、その直後に死亡した)。

そしてその後再び所有者を変え、19世紀になると、ナポレオンが「ロンギヌスの槍」に興味を示し、アウステルリッツの戦いに勝利するなり、槍を探し求めた。

しかし、戦争の直前、槍は略奪を恐れた王家によって既にニューンベルクからウィーンに運ばれていた為、ナポレオンはとうとう槍を手にすることはなかったという。そしてウィーンに運ばれた槍はハプスブルク家が所有することとなる。

真ん中には聖釘が収められている

アルメニアの聖槍

アルメニアのエチミアジン大聖堂に保存されている聖槍は、現在のゲガルド修道院がある場所で発見されたと言われている。

以上の4つが、「現存する」ロンギヌスの槍なのであります。
ロンギヌスの槍には、「所有する者に世界を制する力を与える」また、逆に「失うと所有者は滅びる」という言い伝えがあり、権力者には喉から手が出るほど欲しいものであったことは想像に難くありませんね。

ちなみに、4つの聖槍の中で一番本物っぽい(本物とは言ってない)のは、「神聖ローマ皇帝の聖槍」でしょう。

本物っぽいというのは、来歴もさることながら、この槍とヒトラーのエピソードがなかなか印象的だからです。

1912年のことである。同書によれば、その年の9月、当時ウィーンの水彩画家であった若き日のヒトラーは博物館を訪れ、「ロンギヌスの槍」をはじめて目にしたという。そしてその時の様子を同行した人物はこう語っている。

「我々が初めて”運命の槍”を目にした時のことだった。私の隣で槍を見ていたヒトラーは急に恍惚状態に陥り、まるで完全に意識を失って朦朧としているようだった。」

そしてヒトラー自身、後にその時の事を回想し、次のように語ったという。

「私はその槍の前に立って、数分間、ただ静かにそれを見つめていた。するとそれが何か、私の奥底で眠っていたもの、あるいは私が直視することを避け続けてきた何かを強烈に呼び覚ましているような感覚に襲われたのだ。そして私はその槍を、自分が生まれる以前、数世紀前にも一度手にしていたような気がした。私はその槍を持って世界を手中に収めようとしていた、そう感じたのだ、、、。」

ヒトラーが戦前から戦中にかけて、オカルトに一定の興味を示していたこと、そして側近のヒムラーがオカルティズムに深く傾倒していたことは事実である。

そして、ドイツへと移住して徐々に勢力を拡大し、1921年にはナチ党党首に、やがて1933年には第一党党首としてドイツの首相に就任する。

1938年にはオーストリアを併合し、ハプスブルク家の財宝もろとも「ロンギヌスの槍」を当時ナチスの大本営が置かれたニューンベルクに持ち帰るのである。

そして翌年の1939年、ナチスは電撃的にポーランドに侵攻し、第二次世界大戦の口火を切って落とした。

その後ヒトラーは快進撃を続けるが、ロシアへの進軍で致命的な敗北を喫する。そして1945年4月30日午後2時10分、米軍のウォルター・ウィリアム・ホーン中尉が「ロンギヌスの槍」を保管していたニューンベルクの教会に踏み込み、槍を再び奪還、ヒトラーは「ロンギヌスの槍」を失うことになる。

ヒトラーがベルリンの地下壕で拳銃自殺したのは、それからわずか80分後のことである。

とはいえ、現在の所、本物認定された聖槍はありません。むしろ、全部捏造説が一般的ぽいみたいです。
真偽を問うのが野暮なのかも。

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