“Genius is 1% inspiration and 99% perspiration.”
このよく知られた名言に表されるように、発明王エジソンは天才肌というよりは努力の人でした。
たくさん勉強し、たくさん挑戦し、たくさん失敗した。その回数が尋常でなかったために、今日の彼の名声があるのです。
皆さんの多くも、小学生の頃、エジソンの伝記を読んだでしょう。
今回は、軽いおさらい的な感じで、エジソンの略歴を振り返ってみます。
問題児エジソン
発明王の育て方
エジソンは、1847年にオハイオ州で7人兄弟の末っ子として生まれます。
彼は、4歳になるまで言葉を話せなかったと言われています。一般的に、赤ちゃんは1〜2歳でもう意味のある言葉を話し始めますので、これは相当遅い部類。
子供エジソン
さらに性格が異常なほどの知りたがりであり、事あるごとに「なんで?」「どうして?」としつこく質問するタイプのちょっとめんどくさい子供でした。
彼のこうした性格は小学校に入学しても変わらずむしろエスカレートします。
1+1=2を教わったときに、「1つの粘土と1つの粘土を合わせても、1つの大きい粘土だよ」などと教師に突っ掛かったのは有名なエピソードですね。
またある時には、モノが燃える理由を知りたくて藁を燃やし、うっかり自宅の納屋を全焼させてしまうなどの問題行動を起こします。
こうした行動の結果、エジソンは教師から「このクサレ脳ミソがァー!」という物凄い悪口を浴びせられます。
このコマは明らかにその教師のオマージュ。
およそ教育者とは思えない発言ではありますが、逆に言うと、エジソンはそれほど可愛くない子供であったということでもあります。
ママ〜
これらのエピソードから、エジソンが何らかの発達障害的なハンデを持っていたのはほとんど間違いのないところですが、彼が幸運だったのは優しいお母さんがいた事でした。
エジソンのご両親
J( ‘ー`)し「子供の好奇心に理解を示さないような器の小さい学校に行かせては、この子の才能が潰されてしまうわ!」
母の愛は偉大であります。
それからエジソンは小学校をわずか3ヶ月で退学し、自宅でお母さんに勉強を教えてもらうことになります。
エジソンが特に科学分野に興味を示すようになると、お母さんは自宅の地下室を実験室として自由に使わせ、実験に必要な薬品や器具類を推しいなくエジソンに買い与えました。
彼は図書館で本を読み漁っては自宅で実験を繰り返し、やがて人並みどころではない科学的知識を得ることになったのでした。
なお、友達にガスを発生させる薬品を飲ませて人間気球にさせようとする実験なども行っており、相変わらず危険な人物ではありましたが…。
エジソン21歳の夏…
16歳になったエジソンは、当時花形だった電信技師になるための勉強を始めました。
電信というのは、モールス信号で遠くの人とやりとりする通信方法。電話のない時代、電信技師はとても重宝されていたのです。
およそ3ヶ月で電信のあらかたを学んだエジソンは、すぐに電信技師として働き始めます。収入もかなり良かったようですが、エジソンはその給料の大半を学術書につぎ込み、最新の科学技術を学び続けていきました。
そんな彼にとっての転機、発明王への道を切り開いたのは、ある一つの発明でした。
1869年、22歳になったエジソンはウォール街の株式投資会社で電信技師をやっていましたが、その時に株価を受信してプリントアウトするティッカーという機械に着目します。
当時の投資会社は、株価を電信で受信して株の売り買いの指標にしていましたが、その受信した株価を出力するプリンターがしょっちゅう不具合を起こすことに悩まされていました。
プリンターが復旧するまで、その投資会社は情報を受け取ることができないわけで、これは死活問題なのです。
そこでエジソンは、複数のティッカーを親機に接続できるような改良を施します。
Universal Stock Ticker
株式市場から来た電信をオペレーターが親機で入力すると、会社のあちこちに設置したティッカーが同時に「同じ情報」を出力するという仕組み。
パソコンがある今だと、ものすごくショボい発明に感じますが、これは当時としてはかなり画期的でした。
エジソンは早速このアイデアの特許を取得すると同時に株式投資会社に売り込んだところ、その特許はなんと2億円で買い取られたのです。
彼が初めて「発明」でお金を稼ぎ、そしてエジソンが発明王への道を歩みだした瞬間でした。
エジソンは何を発明したのか
エジソンは、20代の時点ですでに、得意の電信分野を中心に100以上の特許を取得しています。
キレッキレのエジソソ
中でも重要なのが四重電信というやつで、一本のケーブルで両方向に同時に2 件(計4件)の電信メッセージを送信できる優れもの。この装置の権利はまたもや数億円で売れ、彼の発明人生はついに軌道に乗ったのです。
こうして手に入れた資金を元手に、エジソンはその人生で最大の発明をします。
エジソン最大の発明
それは、研究開発施設の設立。
今風に言うなら、R&Dラボみたいな。科学技術の研究 (Research)と、研究成果を実用化する(Development)ための機関です。
古来から、科学的な研究の成果を道具に応用するというのは行われてきましたが、それは研究とは独立したものでした。
科学の原理を研究することと、その成果を実際に活用することは別々の概念だったのです。
そもそも研究というのは学者が一人で行うのが普通で、たくさんの学者や技術者がチームを組んで研究に取り組むことは滅多にありませんでした。
そうした状況に対して、エジソンが明確な問題意識を持っていたのかは定かではありませんが、とにかく彼は1876年にニュージャージー州メンロパーク (メロンパークではないことに注意)に史上初の研究開発施設を建設したのでした。
研究室外観
エジソンの言うことをなんでも聞く男たち
研究室+ガラス工房・鍛治工房・材料倉庫などを含む巨大複合施設である
ラボの成果
エジソンが生涯で獲得した特許は、アメリカ国内だけで1,093件、国外の特許は1,239件、合わせて2,332件にのぼります。
もちろんこの膨大な特許取得を可能にしたのは、エジソン一人の能力ではなく、それを補うメンロパーク研究所があったからであります。
蓄音機
音が空気の振動であることは、古代からよく知られていました。
しかし、その振動を保存しようという試みは、19世紀に入ってようやく始まりました。
世界で初めて「録音」に成功したのは1857年のこと。エドワールというフランス人技術者が、タルの底に取り付けた針を音で振動させて、ススを塗った紙に波形を記録する装置を開発します。
しかし、この装置は音の波形を紙に図形として記録するだけなので、当時これを再生する術はありませんでした。
再生が可能になったのは、2008年のこと。コンピューター処理によって、この装置で1860年に録音された歌声の再生にようやく成功しました。
若干、不気味である
1877年、エジソンはこの装置の原理を改良し、蝋管に針で波形の溝を刻み録音し、その溝を同じように針で読み取ることで再生するという画期的な蓄音機を発明しました。
エジソンの蓄音機
エジソンは、メリーさんの羊の歌詞を朗読したものを録音・再生し、人々を大いに驚かせました。
この発明で、エジソンは「メンロパークの魔術師」と呼ばれた
この世で初めて、記録された音声が再生された瞬間でした。
この蓄音機はその後も改良が施されていきますが、その作業で5日間徹夜した後のエジソンの様子が写真に残されています。
その後のレコードの発展に繋がる規格は、後発の別の発明者によるものですが、録音・再生の道筋を開拓したのは紛れもなくエジソンの功績なのであります。
電球
とはいえ、1877年頃のエジソンは、蓄音機よりむしろ電球の開発の方に興味があったようです。
エジソンの電球
実際、エジソンの「発明品」の中でも電球こそが最も有名なものでしょう。
しかし、電球それ自体は1802年くらいにはすでに考案されていて、エジソンが電球を発明したとは言えませんし、エジソン自身も「電球を自分が発明した」とは言っていません。
では、エジソンは何をしたのか。
それは、フィラメント(実際に電気が流れて光る部分)に適した素材を発見したのです。
当時存在していた電球の寿命はおよそ40秒(笑)。しかもフィラメントには高価なプラチナを使っていたりして、とてもランプやガス灯の代わりになれる代物ではありません。
そこでエジソンは、ラボの総力をあげて様々な素材を片っ端から試します。このマンパワーこそが、ラボの強みであります。
そうして1879年に、硫酸で処理した木綿糸をフィラメントに採用して40時間の点灯に成功します。
さらにその翌年には、竹を採用して200時間もの連続点灯に成功し、記録を大幅に塗り替えます。
どうやら竹がフィラメントに向いていると分かったあとは、エジソン10万ドルもかけて世界中からありとあらゆる竹を集め、これまた片っ端から実験を行います。
最終的には、日本の竹を使うことで1200時間までその記録を伸ばしたのであります。
電球に関してよくエジソンが揶揄されるのが、エジソンは改良しただけで発明したわけではない、みたいな話。
確かに、エジソンが生まれる前から電球という概念は存在していました。しかし、点灯時間を40秒から1200時間に伸ばしたのは紛れもなく偉業。
エジソンがいたから、電灯が実用化される道筋が切り開かれたと言えます。
企業家として
エジソンは、ただ研究と発明をしていただけの人物ではなく、企業家としても非常に優秀でした。
彼がもともと電球を売るために1878年に設立した会社エジソン電気照明会社は、やがて電球だけでなく送電事業や各種家電も扱うようになっていきます。
そして種々のライバル社との合併を経て、今ではゼネラル・エレクトリック社として、世界有数の大企業として存続し続けています。
GE社が扱う分野は、航空機エンジン、医療機器、産業用ソフトウェア、各種センサ、鉄道機器、発電および送電機器、鉱山機械、石油・ガス、家庭用電化製品、金融事業、、、など多岐に渡っており、その年商は1,220億ドル13.7兆円くらい!にものぼります。
創業当時のGE社
最初のロゴはエジソンが針金細工で作った。
このGE社の特徴とされるのが、社長の任期が長いこと。
任期20年が基本とされていて、40代で誰かが社長になったらその時点で、それより20歳下までの社員が社長になる目はもうなくなるという。
エジソン電気照明会社の設立から数えて今年で140年目になりますが、その間の歴代社長はたったの9人。だからこそ、目先のことに捉われず、長期的な視野で経営ができるという仕組み。
この仕組みの優位性は、GE社が様々な分野で成功していることで証明され続けているのです。
詳しくはこちら↓
CEOはわずか9人。インフォグラフィックで見るGE137年の歴史
しかし…
という具合に、発明王エジソンの偉業を振り返りはじめると、ちょっと終わらなくなってしまうので、でこの辺で一旦締めます。
今回の記事は彼の人生のほんの一端にしか触れられていません。
ただ、彼の「良いところ」についてはよく知られているものばかりで、本当は今更扱う必要もないくらいです。
むしろ注目したいのは、エジソンの闇の部分。彼の生涯は、その偉業を讃えるエピソードと同じくらい、クズエピソードにも満ち溢れているのであります。
その辺は次回。
参考文献・サイト様
エジソン (おもしろくてやくにたつ子どもの伝記)
ジョジョの奇妙な冒険 49 (ジャンプコミックス)
偉大なる発明家トーマス・エジソン
電球の歴史
General Electric