ここ数回、銃の性能がどのようにして向上していったのか、つらつらと書いて参りました。
何しろ初期の銃というのは命中率が糞だった。
↓
それがライフルに変わっていく中でかなり改善していった。
↓
人がたくさん死ぬようになった。
とまあ、大体こんな感じの話の流れでしたね。
これね、嘘。
すまんな。
人は人を撃てるか?
何が嘘かと申しますとですね、どうも実際の戦場では、歩兵たちは敵に向かって発砲したがらないのです。
正確にいうと、「殺人」に対して物凄い忌避感がある。
最前線で敵と向き合う兵士すら、ほとんど発砲しない。仮に発砲しても、狙いを定めようとしない。
この事実は、我々の想像とかなりギャップがあります。
祖国を想う気持ち、殺される恐怖、正当防衛。
戦争において敵を殺す理由はいくらでも用意できそうなものですが、それでも彼らは敵を撃たない。
それまでの人生で刷り込まれた倫理観、宗教観、はたまた本能なのか。
その原因はともかく、少なくとも第二次世界大戦までの戦場において、ライフル銃をきちんと敵に向かって発砲する兵士は15%〜20%しか存在しなかったのであります。
南北戦争での発砲率
兵士が発砲したがらない事の根拠の一つとして挙げられるのが、アメリカ南北戦争。
アメリカ史上最悪の数の死傷者を出した内戦であります。
その中でも最大の激戦であった「ゲティスバーグの戦い」については、前々回の記事でもご紹介しました。
ピケット・チャージ
この戦いのクライマックスは、「ピケット・チャージ」。
南軍が12500名の大軍でもって、時代遅れの横隊突撃を敢行し、当たり前のように北軍のライフルの前に粉砕されてしまったところです。
ピケットの突撃
北軍の構える1万挺ものライフルを前に、ノーガードで1.2kmもの距離を突撃した結果、南軍は1時間後に兵の半分を失い敗走しました。
しかしこれ、ちょっとおかしい点がありますよね。
応戦する北軍のライフルの命中率が50%だとしても、一度の斉射で数千人単位の死傷者が発生します。
で、一人の兵士が1時間あたり撃てる弾数は、だいたい200発くらい。
単純計算で、5000人×200発=100万人を殺せるはずです。
しかし、現実の死傷者は、たったの6000人でした。
撃たれなかったライフル
なぜ南軍の被害はこんなに少ないのか。
答えは簡単。
北軍が真面目に射撃していなかったからなのであります。
この戦場からは、2万7000挺ものライフル銃が回収されています。
そして、そのうちの90%近くは、弾が装填されたままでした。撃たれないまま打ち捨てられていたのです。
そして、そのうちの約半分、1万2000挺には複数の弾が装填されていました。
さらにそのうちの約半分、6000挺には3発以上の弾が装填されていたのです。
中には23発も弾が装填されていた銃もありました。
この事実を合理的に解釈するならば、司令官の指示に従って装填はしたけど発砲はしなかった兵士が、かなりの割合で存在したということになります。
第二次世界大戦の発砲率
同じことは、第二次世界大戦におけるアメリカ陸軍でも起こっていました。
あるアメリカ陸軍所属の学者が、日本やドイツとの近接戦闘を経験した米兵数千人を対象に聞き取り調査を実施した結果、驚くべき事実が判明したのです。
兵士の80〜85%は、最前線にいたにもかかわらず、自分のライフル銃を発砲していなかったのです。
真面目に敵に向かって発砲していたのは、たったの2割。
残りの兵士は、率先して負傷者の救護・武器弾薬の運搬・伝令などの任務に精を出していたのです。
なぜ人を撃てないのか
アメリカ以外の国には、そもそも戦争における兵士の発砲率を調べたデータすら存在しませんので、実態は不明です。
しかし、同じ人間であるからして、おそらくは各国でもある程度似た傾向が見て取れるのではないでしょうか。
もちろん、兵士である彼らは、「敵を殲滅することが使命」であると、誰よりも理解しています。
しかし、それでもなお発砲を避け、わざわざ危険度の高い伝令などの任務を選んでしまう。
それほどまでに、人間には「殺人」に対して、非常に高い心理的ハードルが存在するのです。
物理的な距離
そうしたハードルの高さと直結するのが、標的との距離であります。
敵との距離が遠ければ遠いほど、殺人への抵抗感は薄まります。
ミサイルを撃つとか、爆撃機で爆撃するとか、狙撃銃を撃つとか、そういうレベルの距離になると、ほとんど罪悪感は残りません。
人間を殺したと実感せずに済みます。
それが、敵の姿を直接目視できるくらいの距離になると、少し勝手が変わってきます。
兵士たちは、自分が発砲して敵が倒れたのを見ると、「別の誰かの弾が当たったのかも」という具合に殺人を否認するようになります。
そして、さらに距離が近づき、相手の年齢とか怯えている様子などを認識できてしまうと、かなりの割合で撃てない兵士が発生します。
顔
一般的に、「相手の顔が見えない」というだけで、殺人に対する抵抗感はグッと下がります。
死刑囚の顔に袋を被せるのも、その効果を期待してのことです。
また、誘拐された人質が顔を覆われると殺害される確率がかなり高くなると言われています。
これは、戦争においても、同じこと。
顔が識別できないほどの距離からであれば、けっこう撃ちやすい。
白兵戦においても。正面で戦っている時よりも敵が敗走してこちらに背を向けている状態の方が、死傷者が発生しやすいのです。
仲間の目
逆に、兵士が殺人を行う際の最大のモチベーションは、愛国心でも正義感でもありません。
自分が所属する集団からの見えない圧力こそが、敵を殺す原動力となるのです。
敵を撃てない自分を戦友や上官が失望するのを恐れて、敵を殺すのです。
マスケットの命中率
こうした事を踏まえてみると、マスケットの命中率がクソだった理由は、ライフリングが施されていなかったこと以上に、兵士たちが発砲しなかったからというのが大きいように思えます。
そうした意味で、例の「戦列歩兵」という戦術はある意味かなり有効な戦術だったと言えます。
前後左右にビッシリ仲間がいるので、相互監視が効いていて、兵士は発砲しないわけにはいきません。
しかし、それでもなお、兵士に「キチンと」射撃させることはできませんでした。
というのも、マスケット自体の純粋な命中率は、100mの距離で人間大の的を狙って、だいたい50%くらいでした。
しかし、実際に戦列歩兵1000人が同数の敵に攻撃した場合、一度の射撃で実際に倒せる人数は5人程度だったと言われています。
命中率で言えば、たったの0.5%。
50%のはずが、0.5%。
この100倍もの命中率の開きは、実際の戦場での緊張や地形、障害などを差し引いても説明しきれるものではありません。
「撃ってないやつ」と「狙いを外していたやつ」がいたとしか考えられません。
やがて、ライフルが開発されて銃自体の命中率は大幅に改善されるわけですが、それでもなんか期待したほどは命中しなくて、司令官は「っかしいな〜」と首を傾げていたことでしょう。
しかし、司令官にとって、「勇猛な我が軍の兵士たち」が敵を撃つことを躊躇しているなど、夢にも思いません。
また、兵士たちも、「俺なんか罪悪感があって撃てなかったよ」などと、普通は口外しません。
こうして、兵士が発砲しないという事実は「隠蔽」され続けたのであります。
戦場で人を殺すには
じゃあなんで戦争であんなに死傷者が出てるんだよ!
という話になるわけですが、それは遠距離から、複数人で運用する兵器があったからです。
野戦砲
古くは「野戦砲」なんかがそれ。
これは、遠くから敵の陣地に向かってドーンとぶっ放すもので、標的との距離はかなりあります。
さらに、細かく照準を定めるわけではないので、逆にワザと外すわけにもいきません。
また、複数人で運用するので、相互監視もバッチリ効いています。
そのため、野戦砲なら無慈悲に敵を攻撃できるのです。
実際、近世までの戦争における死傷者のほとんどが、この野戦砲によるものだったという説もあります。
機関銃
そして、「銃」というジャンルで言えば、19世紀の半ばに誕生した「機関銃」。
これもまた、野戦砲と同じように複数人で運用し、狙いを定めずワーっと撃ちまくり、そして十分な射程距離を持っていました。
第二次世界大戦におけるライフルの発砲率はだったの15%〜20%でしたが、機関銃はほぼ100%発砲されていました。
すなわち、機関銃こそが、史上初めての「人を殺せる」銃だったのであります。
詳細は次回。
※今回の記事は、↓の超乱暴な抜粋なのであります。
『戦争における「人殺し」の心理学(ちくま学芸文庫)』
結構面白かったので、ご興味のある方は是非。