マスケットからライフルへ
ようやくライフルの話まで辿り着きました。
その前にいちおうおさらいですが、マスケット銃の定義というのは、
- 弾や火薬を前から詰める
- 銃身の内部がツルツル
です。
この2つは、マスケット銃の定義であり、マスケット銃の命中率を絶望的なものにしている原因でもありました。
命中率を上げる
「命中率を上げる」というのは、要は「狙った所にまっすぐ弾を飛ばす」という事であります。
マスケット銃は弾にランダムな回転がかかるため、撃つたびにあちこちに飛んで行ってしまうのです。
回転
ならばどうするか。
答えは簡単。弾丸に対して進行方向を軸とした回転を与えれば良いのです。
回転している物体は、その回転軸が安定するという性質を持っています。
いわゆる「ジャイロ効果」。コマを回転させると軸が安定して自立するのと同じ現象です。
なお、「回転させると弾道が安定する」という事実は、銃の登場以前から、弓射手の間では経験的に知られていました。
例えばクロスボウの矢なんかは、矢羽を少しずらしたりして、意図的に回転させるように工夫されていたのです。
そうした知識がベースとなって、15世紀の終わりの時点ですでに、ドイツの鍛冶職人が「銃身内部に螺旋状の溝を刻む」というアイデアを実現しています。
しかし、結局のところ、溝を切るのは手作業なので、量産は無理。
こういうフックのついた道具でガリガリ削る
さらに、溝に弾丸を食い込ませないと回転しませんので、弾と口径は最低でもピッタリじゃないといけません。本当は弾が少し大きいくらいがベスト。
前込め式の銃しかない時代は、相当苦労して弾を無理やり前から押し込んでいました。
ただでさえ連射のきかないマスケット銃。
高い命中率と引き換えに装填に時間をかけるくらいなら、数を揃えて一斉射撃の方が断然マシでした。
そのため軍用銃としては不適格と見なされ、15〜16世紀のヨーロッパでは、ライフル銃のメインユーザーは猟師くらいのもんだったのであります。
猟兵
17世紀に入っても、相変わらずライフル銃は量産できませんでした。
ライフリングを手作業で刻むのはとても難しい技術で、誰でもできるような技術ではございません。
しかし、ライフル銃の高い命中率と長い射程距離は、少しずつ見直されるようになっていきます。
ドイツはライフリング技術を継承していた数少ない地域の一つで、ドイツ人傭兵は各国でレアな「狙撃兵(猟兵)」として活躍するようになっていきます。
イェーガー(Jäger)
狙撃兵は、数はあまり揃えられなくても、遠くから敵の司令官や砲兵を狙撃できます。うまく使用すれば敵陣の指揮系統を壊滅させることができ、非常に有効な兵科でありました。
アメリカ独立戦争
このドイツのライフリング技術は、ドイツ系移民によって、新大陸アメリカへも伝わっていきます。
そんな中、イギリスとアメリカ現地住民の間で勃発したのか、アメリカ独立戦争(1775)。
ブリカスが自国の財政難を解消するために、新大陸に重税をかけようとしたことをきっかけに、事態は植民地の独立戦争へと発展してしまったのです。
この時、イギリスはきちんと組織された軍隊を持っていましたが、アメリカ側は民兵(地元のおっさん)の寄せ集め。
数の上ではアメリカが勝っていましたが、その練度や規律はイギリス軍の足元にも及ばないものでした。
しかし、この独立戦争の結果は、アメリカ軍の勝利に終わっています。
その勝因の一つに挙げられるのが、「民兵がライフル銃を装備していたこと」。他にも、補給線の問題とか、士気の問題とか、フランスからの支援とか、色々ありますが。
イギリス軍の基本装備は、旧態依然のマスケット銃。
一方、アメリカのおっさん達は、ライフル銃を装備していたのであります。
ケンタッキー・ライフル
このライフルを持ったおじさんたちは、ライフル銃を片手に1分で戦闘準備ができたため、ミニットマンと呼ばれるようになります。
40秒60秒で支度する男たち
1777年の「サラトガの戦い」では、猟師上がりのミニットマンが273mの距離からイギリス軍司令官を狙撃するなど、イギリス軍に多大な被害を与えています。
銃もようやく飛び道具っぽくなってきました。
ライフルを持っていたわけ
なお、アメリカの民兵たちはライフル銃は、軍用銃として用意されたものではなく、狩猟用・護身用として普及していたものです。
当時のアメリカはまだまだ開拓が進んでおらず、食力は狩猟によって得る必要がありました。また、突然バッファローの群れとかに出くわすことも多く、アメリカ人男性は皆ライフル銃の扱いに長けていました。
そうした事情が幸いして、独立戦争でライフル銃兵として大いに活躍できたわけです。
そして、この経験は、アメリカ人の銃に対する意識に今でも大きな影響を与えています。
彼らが銃社会を脱却するつもりがない事の背景には、こうした歴史もあるのかもしれません。
ライフルの進化
ライフリングを刻む
19世紀に入ると、産業革命を契機として、様々な工作機械が発明されるようになります。
そんな中、より簡単に、一定の品質でライフリングを刻む方法が考案されました。
その一つがこちら。
これは、外側の木枠に溝を切って往復運動に回転を与え、一定の螺旋を刻むアイデアです。
その後も工作機械は進化が進み、様々なライフリングの方法が考案されます。
・「ブローチ」と呼ばれる刃を、鉄パイプに突っ込んで溝を削る方法。
ブローチ。左から右へ、少しずつ刃が大きくなっていきます。
・完成型より少し口径の小さい鉄パイプに「ボタン」と呼ばれる工具を突っ込んで、溝を無理矢理押し広げる方法。
ボタン。
こうして、マスケット銃は、ライフル銃となり、少しずつそのシェアを伸ばしていきます。
ミニエー弾の発明
ライフル銃の欠点の一つ、ライフリングの「めんどくささ」については、こうして技術の進歩が解決しました。
それでは、もう一つのライフル銃の欠点、「装填しにくい」については、どうだったのでしょうか。
ライフル銃は、前(銃口側)からライフリングに食い込むほどの大きさの弾を装填しなくてはなりませんが、単純に力で押し込むほかありません。
これが、致命的な装填しにくさを引き起こしており、軍用銃としての普及を妨げていました。
この問題を一挙に解決したのが、フランス陸軍のミニエー大尉が1849年に発明した「ミニエー弾」でした。
このドングリ型のミニエー弾自体は、銃口より少し小さく、マスケット銃と変わらない労力で装填が可能でした。
銃口より小さいと、ライフリングに噛み合わず、うまく回転しませんよね。
しかし、このミニエー弾は、底がくぼんでおり、そこに陶器製の円盤が仕込まれています。
いざ発射されると、その円盤が弾底のくぼみを押し広げて、ガッチリとライフリングと噛み合います。
これが、弾に正確な回転を与え、命中精度は飛躍的に向上しました。
また、弾の形状も現在のものに近い円錐形になっており、球型よりも長く、重い。
さらに、ふくれたくぼみが火薬の燃焼ガス漏れを防いだため、破壊力もそれまでとは段違いの凶悪兵器となりました。
ミニエー弾で撃たれた兵士。痛そう。
ミニエー弾で撃たれた頭蓋骨。即死である。
これは、たちまち欧米各国でコピーされ、「エンフィールド銃」や「スプリングフィールド銃」という有名な銃の開発へと繋がっていきました。
エンフィールド銃
スプリングフィールド銃
雷管の発明
着火方式にも進化が訪れます。
それまで主流であったフリントロック式の欠点は、雨の日には火花が出ずに使えないこと。
そして、引き金を引いた瞬間、火打石が擦れた衝撃で手元が大きくブレること。
この二つを克服したのが、現代の銃弾には欠かせない「雷管」という装置です。発明者は1807年に特許を取得しています。
雷管というのは、中に雷酸塩という、僅かな衝撃で爆発する超危険な薬品が少量詰められた代物。
この雷管を叩いたり針で刺したりして衝撃を与えることで、雷酸塩が爆発、火薬に着火させるというものです。
1807年に紙製の雷管が発明されましたが、危ないのでちょっと実用化はできませんでした。
しかし、1822年には銅製のリチウム電池みたいな容器が発明され、「パーカッションロック式」という着火方式が成立しました。
それまでのフリントロック式で火花を起こしていた部分にこの雷管を仕込めばOK。ちょっとした改造で済むというのも嬉しい点でした。
火種が全く必要ないため、雨天でも普通に使用でき、発射しても閃光とか出ないという、夢のような起爆装置だったのであります。
薬莢
銃を撃つためには、「弾」と「火薬」と「火薬に火をつけるもの」の三つが必要です。
で、マッチロックもフリントロックもパーカッションロックも、これらが全部バラバラでした。そのため、相変わらず装填には手間がかかっていたわけです。
時代が進むにつれて、「弾」と「火薬」はセットになっていきましたが、なかなか着火装置まで一つにはできなかったのですね。
しかし、雷管の発明により、それがようやく実現できる下地が整いました。
雷管いろいろ
後ろから入れる
それまでのすべての銃は、装填方法が前からの時点で原理的に連射できません。
その解決策として「だったら後ろから入れればいいじゃない」というアイデアは、15世紀にはもう存在していました。昔の人はえらい。
最初の後装式は、大砲に採用されています。
大友宗麟が輸入した「国崩し」。1576年くらい。名前がかっこいい。
また、銃に関しても18世紀初頭にはもうスペインやイギリスで実用化されていました。
スペインの後装式マスケット銃。1715年くらい
ファーガソンライフル。1770年くらい。
ファーガソンライフルの取説。
このファーガソンライフルなんか、1分間に5〜6発も打てるという優れもの。例のアメリカ独立戦争でもイギリス軍が少し採用しています。
が、導入された数が少な過ぎて、全く目立ちませんでした。
それもそのはず。
産業革命のおかげで金属加工技術は飛躍的に進歩したものの、それでもまだこの後装式の機構は複雑すぎたのです。
当時はまだ大手銃器メーカーとか無いので、あちこちの零細メーカーや小さな鍛冶屋とかに分散して発注していた状況。彼らがこれを製造するには、ちょっと荷が重すぎました。
また、この複雑な機構は、ガスが漏れ放題で威力はイマイチ、事故も起きやすく、そして壊れやすい。
というわけで、残念ながら軍用銃にはあんまり向いていませんでした。
ドイツの科学力は世界一ィィィッ
1841年、こうしたライフル関連の進歩はようやく一つの形になります。
その偉業を達成したのは、プロイセン(ドイツ)で開発された「ドライゼ銃」という銃。
開発者は、プロイセン(ドイツ)の銃工ヨハン・ニコラウス・フォン・ドライゼ。
実に12年間にも渡る無数の試行錯誤の末に完成したものであります。
この銃の素晴らしい点は二つ。
一つは、銃身後部の薬室につけられたハンドル。
これを下げると薬室が開放され、そこに専用の紙製薬莢を入れ、ハンドルを押し薬室を閉鎖するだけで装填を完了することができる革新的なシステムでした。
装填のイメージ。簡単そう
もう一つは、紙製薬莢の中に雷管が仕込まれていたこと。
引き金を引くとバネの力で長いハリが雷管を貫き、それが爆発することで発砲します。(この長いハリゆえに「ニードルガン」と言われました)
爆発に晒される針の寿命は200発程度
装填に関して言えば、前込め式と比べて軽く5倍以上。毎分10〜12発という驚異的な連射性能を誇りました。
その上、手元のハンドル操作だけで装填できるため、身を伏せたまま作業が完結するという圧倒的なアドバンテージを持っていました。
しかし、開発当初、このアドバンテージは誰にも理解されず、またドライゼ銃は前込め式と比べて薬室の密閉性が低いため、どうしても飛距離に劣っていました。
こうしたことから、採用したプロイセンにおいても冷遇され、欧州各国はほとんどドライゼ銃に興味を持ちませんでした。
しかし、プロイセンが1860年代に各地の戦争で勝利を積み重ねるうちに、ドライゼ銃の実力が証明されていきます。
プロイセンの強さを目の当たりにしたフランスは、大慌てでドライゼ銃をコピーした「シャスポー銃」を開発し、大量配備に成功します。
シャスポー銃は、ドライゼ銃より射程距離が倍近くもあるという優れもの。
なお、ドライゼは、ドライゼ銃を開発した功績で爵位を叙されています。
戦列歩兵の終焉
こうして、銃は加速度的に進化のスピードを上げましたが、いくら優れた兵器といえども、実戦での試行錯誤なしには最適な戦術は生まれません。
その悲しい例が、アメリカにおける南北戦争(1861)であります。
南北戦争
南北戦争は、ご存知の通り、「奴隷制の是非」に端を発するアメリカでの内戦。細かいことは置いときますが、この内戦は、アメリカ史上最も大量の死傷者が出た戦争でもありました。
その大量の損害の原因は、戦列歩兵作戦から脱却できなかったことであります。
思い出してください。
戦列歩兵という戦術の大前提は、マスケット銃の命中率がクソだということでした。
敵の弾はあんまり当たらないから、みんなで前進できる。そして、こちらの弾もあんまり当たらないので、少しでも近づいてから撃たなくてはならない。
ところが、南北戦争の時点では敵の銃は普通に命中しますし、こちらの銃も普通に命中します。
だってお互いにライフルなんだもの。
敵に近寄ると狙い撃ちになるため、攻撃側のリスクは激増。
防御側が「塹壕」にこもって敵を迎え撃つという戦術も、南北戦争から使われ始めたものでした。
南北戦争での将軍たちは、こうした状況の変化によく対応していました。それでもやっぱり攻撃する際には「隊列を組んで前進する」という発想から抜け出すことはできませんでした。
北軍南軍どちらも、このパターンでこっ酷くやられていますが、その代表的な例が、1863年のゲティスバーグの戦いにおける、「ピケットの突撃Picket’s Charge」でありました。
Picket’s Charge
この戦いは、3日間にわたって繰り広げられたものですが、1〜2日目は、名将リー将軍率いる南軍がまあまあ優勢に進めていましたが、北軍もかなり頑張り陣地を守り抜きます。
そして3日目。
北軍にどんどん援軍が集まり始めたことに焦ったリー将軍は、ピケット将軍たちに敵陣中央への歩兵突撃を命じます。
突撃の効果に疑問を持つ部下もいむしたが、ピケット将軍は「いっちょやりますか!」とノリノリで、総勢12500人もの横隊を組みました。
ピケット将軍。
その長さは、横1.6kmにもなったと言われています。
敵陣までの距離は、およそ1.2km。この距離を、ピケット達は粛々と歩み始めました。
レミングスの完成形。
集中砲火を浴び、次々に倒れる南軍兵士たち。
この突撃はもはや屠殺でしかなく、たった1時間後には死傷者は50%にも上りました。
もちろん、ほとんど何の戦果も上げることなく撃退されたわけですが、奇跡的にピケット自身は無傷で生還しています。自陣に戻った際のヘコみようは尋常ではなかったと伝えられています。
なお、南軍はこの大敗以後勢い取り戻すことはなく、1865年に南北戦争は終結を迎えます。
この戦争により、戦列歩兵という兵科は完全に終焉を迎えました。
これ以降は、兵をなるべく密集させない散兵戦術、そして塹壕に篭って敵と睨み合う塹壕戦が主流となっていきます。
コメント (104件)
(・∀・)
アメリカ人は銃を好むけど、
銃における主要な発明は、ほとんど西ヨーロッパ発なんだな…
自分が命じたわけでもないのに後世で汚名を着せられかねないピケットかわいそうw
散兵線作れるのはもう少し後の話やな……
こうやってみると段々指揮官一人辺りの兵隊の数が減っていくのがわかる気がする
横隊組んで仲良く突撃!は第一次大戦のフランスでも行われた。
ドイツでは既に機関銃の防御戦術が確立されていたので、フランス軍横隊は一瞬で壊滅。
フランス軍司令部がこの現実に気付くまでに多大な犠牲を払うことになった。
もともとフランス軍は防御ではなく攻撃に特化した軍隊だったので、塹壕線の構築も軽視していた。
>>※2
たぶんここで後々取り上げるかもしれないけど中から折れて簡単にリロードできたり引き金を引くと次弾が撃てるようになる機構、自動拳銃の原型を作ったのはアメリカ発だね。
ただ、確かに個人的には雷管やライフリングの発明や後装式にくらべたら主要な発明とは言い難いかも。
別スレにも書いたけど、ライフリングのDIY動画、
フックカッティングの原理が良く解るよ。
機械作りの発想が感動モンだったので、
書き込ませて、
ttps://www.youtube.com/watch?v=ihPFjuxBjPo
独立戦争を戦ったミニットマンの末裔が、オールドヴァージニアンとしてピケット師団の中核になってるんだよな。
スナイドル銃も取り上げて欲しかったね。
>>3
ピケットラインって言葉が残った。
ライフリングを掘る技術も弾を作る技術も凄い!
日本の戦国時代にこの発想が産まれてたら日本無双だったな!
なるほどね
ライフリングのシステムも結構難しいものだったんか
あと、「5倍以上の速度」より「1/5以下の時間で装填可能」のほうがいいんじゃね?
まあどっちでも意味は通じるからいいんだけどさ
うわぁどんどん兵器として強力になってくな
これは撃たれたら死にますわ・・・
わくわく南北戦争なんて言うけど全然わくわくしない
更新待ってました!
日本に火縄銃が伝わる前から、ライフリングの発想は
存在してたんですね。
南蛮人はライフリング技術は教えてくれなかった
のか…。
長州征伐で4000vs150000でも長州が勝ったのはこの銃の性能差のせい。散兵戦術も敵だった外国勢から学んでいた。
今でも先取の気性か質実剛健な物を好み雪も降らないのにハイパワースポーツ四駆に乗るものが多い。異様なスバル率。
ライフリング繋がりだけど、M16系統の223レミントンバレル。 同じ223NATOバレルに比べライフルツィストピッチがキツイく、彫りも深い。
高砲圧、高初速、高回転により横風に強く、ソフトなターゲットに対する破壊力が大きい反面、ブッシュ等の直進貫通に支障が出るらしい。
実銃のバレル覗いた時、あまりのツイストピッチと深さにビックリしたよ。
黒色火薬から雷管式に移ったのはどの銃からなんでしょう?
エネミー式の時も黒色火薬ですか?
火薬カスとかどう掃除してたんでしょう?
後装式自体はフリントロックの時代からあったよ。
ただ雷管が発明されてからじゃないと密閉された銃身が作れないから威力メッチャ低くて普及しなかった。
管理人の書き方だと後装式自体がドライゼによって発明されたみたいな書き方だから修正頼む。
あと雷管使うと引き金引いたらすぐに弾が出るってところも重要。
フリントロック式だと引き金引いたら火皿がシュパーっつって1秒くらい経ってから弾が出るとか普通だから。マジで。
しかも1秒だったり0.5秒だったり安定しないのがなおのこと命中させるのを難しくする。
※17
ご指摘の通りです。
ちょっと直しますね。
※17
ファーガソンライフルの事かな、
此処に動画が有るよ。
ttp://www.pideo.net/video/nicovideo/3c0b779a1bcaae3d/
>>16
黒色火薬と雷管は別カテゴリ。 速燃性の黒色火薬(爆轟)と遅燃性の火薬、それと無煙火薬。
それまでの速燃性の黒色火薬は一気に砲圧が上がるから、大口径、大きく重い弾丸を使ってた。
遅燃性の火薬はじっくり砲圧が高まるので小口径、小さく長い弾丸を使うことが出来る様に。
日本の場合は村田銃で検索すると遍歴がわかるとおもう。
そうなると雷管の役割に変化が必要になり、ただ点火するだけから効率の良い、燃焼速度に合わせた設計が必要になる。
※17
管打式の初は、謎だね、僕も教えて欲しい。
ゲベール銃辺りかとは思うけど。
ミニエー式のライフルは、間違いなく黒色火薬使用だと思ったよ。
清掃方法は、普通に銃口から洗矢を突っ込む、
徹底的にやるなら、ばらして尾栓を外さないと無理だと思う。
無煙火薬を使用した銃は、B火薬を使用した、
ルベルM1886小銃が初だったと思う。
>>22
火縄銃の火皿へ雷汞(雷酸水銀)を載せたのが最初か?。
不安定で発火しやすく実用化しなかった。
かんしゃく玉の原理、銀アセチリド ヨウ化窒素などにより実用に至る?。
安定した機能が得られれば、あっという間に浸透。 既存のマッチロックやマスケットに
ニップル付けるだけの改造で済むので、コマーシャライズされた製品以外の元祖は不明。
※22
有難うございます
ミニエー弾の時も黒色火薬だったんですね
洗い矢とは今でいう先っぽにブラシを付けてコップを洗う道具みたいな奴ですかね?
フリントロック→ライフリング製造半機械化→ミニエー弾開発→雷管開発→後装式てな感じで
進化してったんですか?
雷管の発想と実装が凄いですね一体何を目的に瞬間的に爆発する火薬を作ったのか
配合素材の選定や配合比にすごく時間が掛かったんでしょうね
『大草原の小さな家』シリーズでお父さんが狩猟に使ってた銃は先込め式+雷管だったなあ
暖炉で鉛を溶かして自分で弾を作る様子も仔細に書いてあった
1867年生まれの作者の幼少期の話だけどどこの銃だったんだろう
マスケット銃 (滑腔式小銃)ならこのサイトはかなり詳しく解説されてますね
ttp://kodaman-empire.kir.jp/Napoleon/18c-weapons.shtml?BB=weapon/weapon1.html
イギリスの名マスケット銃ブラウン・ベスによる命中精度実験では、熟練兵が約100m先の騎兵サイズの的を狙った命中率は約50%(一般兵40%)だったとか。フランスの代表銃シャルルヴィルでも、それより少し大きな的を使った実験でだいだい同じくらい数値が出てるようですね。180mとか200m離れると30%くらいで、300m離れると20%以下になるかな。
ただこれは万全な状況での結果であって、実際の戦場では、命中率より射撃速度重視の戦術、対象目標の移動、粗悪銃の使用、銃剣戦闘後の銃身の歪み、疲労や緊張や恐怖から装填操作の粗雑化やミス、湿気などの環境条件による不発、殺人への抵抗感から、命中率は約90mで15%くらいになるだろうという推定もされていたそうで。そーなると「敵兵の白目が見えるまでは撃つな」になったと。
※23
これね、君の言いたいことは分かるよ、
雷酸水銀は、現在のジアゾジニトロフェノールより
遥かに鋭敏だ、ただマッチロックの落とし金に使われた松葉バネで撃発が可能かどうかは、
悩む所だよね、やっぱりフリントロックの置き換えが無難な様な気がするんだけど。
※25
僕も見てたよ、
ローラ のお父さんの銃だけど、
妥当な所ならケンタッキーライフルとは思うけど、何しろ記憶が定かで無い。
ちょっと脱線するけど、お父さんが作った丸い鉛弾が綺麗なもんで娘が一個失敬する
ところが、熊か狼に襲われたお父さんが一発の弾の重要性を説き、娘がいたく反省する
と言う話が有ったような気がするのだが君知らない?
其のとき、お父さんが使っていた鋳型が、良く有るペンチ状の物で無く、
一発で数十個出来る様な、箱型の物だったのを覚えている。
未だにそれが記憶に引っかかる。
MGCのサイクロンバレルを思い出したよ。あれは弾が回転する訳じゃなくて均等にガスがあたるってことだったような。球形にねじれ回転つけたら変化球になるから当然だけど。
※29
これ、これ、
僕もちょっと不思議に思っていたことなんだよ、
じつは、ドイツのヤーゲル銃もイギリスのベーカーライフルも、
アメリカのケンタッキーライフルも、基本丸弾なんだよ。
コイツをグリス漬けのリネンパッチに包んで銃口に押し込んだ、
後装のパッカーションリボルバーも、初期は丸弾だ。
シイの実弾なら理屈は簡単だけど、
丸弾だと野球のカーブみたいな事に何故ならないんだろうか?
弾低が丸いのにそれほど均一に力が加わるのだろうか?
ドライゼ銃かっこ良すぎる 持ってるだけでどんなにいい女が横にいるより誇らしい気持ちになれたろうな
独立戦争で勝利してできたのがアメリカ
その独立戦争で勝利した一因が銃
銃で勝ち取った国が銃を捨てる日など来るはずがない
銃をすてるすなわち国をすてると同義
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/home/fknews/fknews-2ch.net/public_html/wp-content/themes/stinger5ver20150505b/single.php
丸弾使ったのは単に横弾対策では?
国民国家の時間だぁぁあああああ!!!!!(CIV4)
ライフリングって発明から実用化までこんなに時間あったのか
内燃機関も発明自体は19世紀前半だっけ
>食力は狩猟によって得る必要がありました。
>ふくれたくぼみが火薬の燃焼ガス漏れを防医だため、
暇があればこの辺のタイプミスの訂正も
ハンドル操作するのがボルトアクションかな
いつもの管理人らしさが消えててあまり面白くなかったね。
発達の経緯を追うだけで人間があまり見えてこない。
このままオタク御用達のサイトになっていくのかな?
ちょっと残念。
※38
民兵を地元のおっさんと説明するセンスとかキレッキレだとおもうで
まあ、猟師は割合簡単に兵隊になるだろう。
日本のマタギなんか巻狩りやるせいで、
極めて組織立ってるし、下のもんが上に絶対服従とか軍隊その物。
実際、戦時の武役を大名から課せられたりしてるし。
世界最多のヘッドヒットをやらかしたシモ・ヘイヘも元猟師だもんな
マヌケットからライフル?都市襲撃メイスからアプグレライフルだろ(civ並感
戦国時代で火縄銃にはライフリングは意味が無かった。というのは本解説で説明されたとおり、弾丸を溝にピッタリ合わせる技術が無くて、南蛮人も銃を売りに来た当時では知りえなかった。
※38
黙って去れ
次は管理人叩きを始めるつもりか?
呆れたクレイマー野郎だな
ドライゼ銃と、シャスポー銃の性能の差は、閉鎖機構の差だった。
ボルト先端に環状のゴムシールを使用したシャスポーは、ほぼ完全な閉鎖を実現した。
当然腔圧も上がり初速も飛距離も伸びる。
当時インドシナを植民地とし、ゴムのプランテーションに
血道を上げていたフランスならではとも言えるね。
因みに、無薬莢式の銃を考える時には、必ず手本にされるほど機構の完成度は高い。
連発は、未だ答えがないけど。
※28
自分が知ってるのはドラマではなく原作なんだけど、そちらの描写では弾丸の鋳型は一個ずつ作るものだったと記憶してます
※44
では去ることにしよう。
あれが「管理人叩き」になるのなら何もいうことはない。
お気に入りからも削除したし、もう二度と開くことはないだろう。
今まで出会ったブログの中で一番面白いブログだったが
何事も始まりがあれば終わりがあるものだ。
管理人が選んだ道なら文句はない。
管理人さん、いままで面白い記事をありがとう。
※44
開いてるやん、後顔真っ赤やね
※46
そうかー
ご返事ありがとね。
※31
子供の頃読んだ本には、プロシャの「ドライゼ撃震銃」と誤植されてた。
ドライゼニードルガンの直訳だろうが、
えらく中二心を刺激された思い出が有る。
ナチュラルなブリカスに草
次の話題は古代の歴史をキボンヌ
日ユ同祖論とかのオカルト物が読みたい
※44
気持ち悪すぎ
文体から判断すると長文書き込んでたやつかな
なにが管理人さんが選んだ道なら仕方ないだ シネよ荒らし 二度と戻ってくんな
間違えた
※44へのコメントですわ
訂正※44→※47
申し訳ない
ROMります
ミニエー銃の威力おかしいだろwwあれヘルシングの世界観もってったら旦那抜きで凡人だけでも吸血鬼殲滅できるレベル。
アメリカ独立戦争の勝因は単純に戦力の差だよね
約三倍の兵数差は如何ともし難いよ
ライフル銃はイギリス側も装備していたし(主にドイツ系兵士が)
そもそも両軍の主力銃はマスケットじゃん
ライフル銃が勝利の一因とは流石に大袈裟だと思う
見やすくって面白かったよ~
火縄式みたいな滑腔銃でも高い所から撃ち下ろすと飛距離と命中率が飛躍的に上がる。
それがライフルになると更に顕著になる。
猟師の場合、集団で殺る巻狩りと個でやる渉猟と潜伏待ち伏せ猟に分かれるからね。
14ミリ口径の侍筒は、霞玉を使うと鳥撃ち用単発散弾銃に変わる。12番が17.8ミリ口径だから
20番位になるんかな?
宝クジ当たれば410番スラグ散弾銃で所持申請したいですね〜。。定職有っても借金有ったり
家人にメンヘラ居ると、絶対に所持許可が降りませんので。
しかし、日露戦争でヨーロッパの観戦武官が旅順要塞攻略戦見に行ってた筈なんだがな。トーチカに塹壕と鉄条網と水冷重機関銃が組み合わされると、歩兵戦闘は通用しないと看破できなかったのかね?
ドイツ人観戦武官が利用した軍事情報はロシア軍将軍間の仲の悪さだけじゃ無いのか?ロシア系とドイツ系の高級将校が
参謀にもかかわらず満州鉄道の駅頭で部下の目の前で殴り合いの大喧嘩した幕僚が
東部戦線のロシア側の二大将軍で、そんな事があり相互連携出来なく各個撃破される事態に。
その上
日本陸軍は同じWWIで青島要塞にドイツが塹壕に鉄条網と機関銃組み合わせて来たから
旅順要塞と同じと見て、歩兵戦闘する前に砲撃と地雷爆破組み合わせた、正攻法で手も無く陥落させている。
それでも戦死者は100人以上出してるんだ。
確かアンリーファルマン機で仮装巡洋艦や陣地に空爆もした。当たらなかったようだがな。
歴史は繰り返す。歴史を学ばない者は滅びる。
非韓三原則は絶対に守りましょう!
民間に、元自衛隊員のオッサンが多数居ると、緊急志願招集のお願い!
って奴を警察権力使って逮捕連行を仄めかして要請するって超法規的措置をすれば
徴兵制なんか無くても、数十万人搔き集められる。毎年18000〜24000人が任期満了か依願退職で民間人に戻ってて、それが自衛隊出来てから60年経ってるんだよ?ドシロート集めるのと
オッサンでも、銃の扱いに慣れた奴と、どっちが使い易いかな?どうせ、補給物資の搬入先となる駐屯地警備の警衛隊と迫撃砲到達範囲を車両に機関銃搭載しての車両巡察しか出来ないんだし。
民兵=その辺にいる銃器に慣れたオッサン
いい表現だと思うよ。
このあたりから、名将がどうのこうのより
科学兵器を以下に有効に使い切れるか、という知恵が試されるようになってきているねぇ
※60
マキシム機関銃の十字砲火に
何度も何度も突撃をさせた
乃木は無能だよね
※47
二度と来るなよ
※60
※63
当時永久陣地に多重防御された恒久要塞を落とすには正面攻撃を繰り返して一つ一つ陣地を落とす以外に方法はなかった
良く言われてる203高地だけを狙えばよかったなんて妄言にもほどがある
周囲を永久陣地に囲まれた高地に攻め込むとか蜂の巣にしてくれと言ってるだけ
児島が着陣したときは既に陣地の制圧はほぼ完了してて203高地なんて抑えることもなく旅順艦隊に命中弾を出し始めてたんだよ
ミニッツマンですら40秒で準備できる少年には勝てないのか。
そんな少年に3分もの時間を与えた大佐がああなるのは仕方が無い。
連載シリーズじゃなくて一回完結の話題にしてくれー
待ち疲れる
その辺のオッサン(人間を射殺する技術に長けている)…か…。
まあ日常的に開拓の邪魔になる先住民族をアレしてたんでしょうね(偏見)
※65
君の言っている事は全く正しいが、犠牲が妥当な結果と言う事は、計らずも乃木将軍が、
軍人として、無能では無いが、有能でも無かったことを証明してしまっている。
残念ながら将帥たる者は、人並みでは評価されない。
ただ、乃木将軍を批判するつもりは全く無い、むしろ賞賛すべき偉人だと思う。
漢詩人としては一級、人間としても特一級の人物なのは間違いない。
彼が世の中に与えた影響を考えれば、
軍人として並だったとしても、之は大した問題では無い。
※68
偏見では無く正史だよ
実際に人狩り(娯楽でインディアンを狩る)していたと記録も残っている
オーストラリアのアボリジニ狩りも有名だよね(こちらも娯楽で虐殺)
開拓民の基地外率は異常
※70
まあ、基地外と言うより人間の基準の問題かな、
奴らの基準では当時、アボリジニは人ではなくサルに分類されていた。
動物園で展示されるレベル、酷い話さ。
米66わろたわ
管理人さん
ミニエー弾の説明で「陶器製の円盤が仕込まれています」って書いてあるけど
鉄製じゃないかな?
貼られてる画像にも「with iron cup」って書いてあるし・・・
エンフィールド銃の古式銃登録した奴をもってるけど、口径がデカイ分銃身が重くて
構えてると手がプルプルしてくるぞ(笑)
自衛隊の駐屯地祭で持たせてもらった89式小銃とは大違いだ。
火薬のカスが銃の内部にたまらないように溝を掘った結果、偶然命中率が上がったのであって、最初から命中率のためにやったわけではないよ。ディスカバリーチャンネルで言ってたけど
夢がらいふりんぐ
撃たれて痛そうな兵の絵画や即死な頭蓋骨、民兵についてなど、分かりやすい画像があるので、理解しやすいです。
おもろいだけに更新速度なんとかなりませんw?
マスケットのことを「マスケット銃」と記述してるあたり
この人は本当に銃のことに詳しいのかと疑問を感じる
「イングリッシュ語」みたいな奇妙な単語だ
マミさん?
※78
そんな事は百も承知だと思うよ
Wikipediaにも書いてある情報だし
少なくともドヤ顔で書き込む程の事では無いよね
※80
そんなこと言い出したらこの人の書いてる情報こそ全部Wikiにあるだろ
本当に理解してんのか微妙な記事も以前から結構あるし
百も承知とか都合の良い解釈してドヤ顔で擁護されても困るわ
※81
都合が良いも何も
前の記事に「マスケット」とは元々「大型のアルケブス銃」という意味って書かれているぞ?
文盲なのかな?
ブリカスってなんだよ
※82
文盲はお前じゃねーか
いったいどこの部分に噛み付いてんだよ
ちゃんと日本語が理解できるようになってから書き込めよ
※84
くでーよ、お前
お前こそ、何に噛み付いてんだよ
そんな事、どーでもいいんだよ。
どこぞの魔法少女は、マスケット銃VS現代銃で五分五分だったが、実際はありえないってことかw
たとえ表現や文言がどうだろうと、おれはさらっと「ブリカスが自国の財政難を解消するために」とか書く管理人のセンスが大好きだわ
こんな人に勉強教えて貰ったら好きではなかった歴史も好きになれたかもしれない、と思うね
ホームが画像表示されるだけなんだけどやばくないかこれ
少し前からまとめサーフィンしてて武器関係だとこのサイトに移ったから拝見してたけどなんでこんなに詳しいの?しかもわかりやすく説明してくれるし。
更新マダー?
※86
命中精度はカスだけどマスケットのほうが威力上だぞ
弾のサイズの関係で
司馬遼太郎の幕末モノを読んでいたから、ゲベール銃(幕府、旧式)だのミニエー銃(官軍、新式)だのは未だにセットで覚えているわ。
くそったれ山口組 住吉会 稲川会 極東会 外国マフィア(アメリカ、中国、イラン、ブラジル、南アフリカ)
ただな~ このマスケットからライフルに移る時期の戦闘の犠牲者は非常にきついんだよな~
看護婦が・・ナイチンゲールが・・と言う時期
イギリスでの負傷兵の損耗率と言うより死亡率も非常に高かったんだよな
衛生に対しても意識薄かった時期だし
なんでナイチンゲールが看護婦の組織を創設したかって、損耗率が多すぎて国家としての運営が出来なくなるという判断だもんな
結論・・・ナイチンゲールは戦場の天使じゃなくて、兵隊を使い捨てするんじゃなくて再利用する悪魔じゃないのかってことだわ 人間を治療するんじゃなくて、機械のように修理する感覚だもんな
更新まだー?
半月経ってんですけど?
投げ槍のところからみて最新まで来た
面白かった!
次まだかなぁ・・・
更新まだですか?(´・ω・`)
このブログは年末のプレゼント企画とかやらないの?
一万円分のアマゾンギフト券とか配ってほしい
俺達あってのブログなんだし
アフィリエイトの利益を読者にも分けてほしい
アンテナサイトを見て嬉々として来たのになんかあって引っ込めたみたいだね。
100かな。
銃って試行錯誤の末に今の形が出来たのねー
雷管とか信管とか
なんか大事な部品なんだろうなぁ
程度しか知らなかったから
その意味と本当の危険性が解ったよ
アメリカライフル協会は自分達が独立した力そのものを扱っている
という自負が有るのだろうか?
絶対的な正解が無い世界で何かおかしい?
という時に戦う力は重要だからだろうな
つまんないはなし
面白いわー