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映画の父といえば、エジソン。
かの偉大な発明家によって、映画という素晴らしい文化芸術の礎が築かれたと言われています。
以前にもエジソンに関しての記事(これとこれ)を書きましたが、良い面と悪い面がありつつやはり偉大な人物であることには間違いありません。
しかし。
事実として、世界で最初に映画を発明したのはエジソンではありません。
あまり知られていませんが、ルイ・ル・プランスという人物こそが、本当の映画の父なのであります。
そしてプランスは、自身の発明をめぐって数奇な運命を辿ることになるのです…。
ルイ・ル・プランスの略歴
少年時代
1841年、ルイ・ル・プランスは、フランスのメスという街に生まれました。
ル・プランスの父は陸軍の砲兵隊長というガチ軍人。家庭も厳格そのものでしたが、そんな父の友人の中に「写真術の父」と言われるルイ・ジャック・マンデ・ダゲールという人物がいました。
Louis Jacques Mandé Daguerre
このダゲールは、写真家であり化学者でもありました。
彼が発明した、銀板を使った写真技術「ダゲレオタイプ」は、それまでより大幅に現像時間を短縮しつつ高精細な画像を得られるという優れもの。写真というメディアを世の中に広めたとてもすごい人物でした。
世界初の銀板写真。1837年撮影。
少年であったル・プランスもダゲールの写真に魅せられ、彼の写真スタジオに入り浸るようになります。ル・プランスは、ダゲールとの交流を通して、写真技術と化学技術を習得していきました。
やがてル・プランスは、パリで絵画を学び、その後ライプツィヒ大学で化学を専攻。後の映画発明の下地となる、科学技術と芸術を身につけたのであります。
イギリスへ渡る
1866年、25歳になったル・プランスは、大学時代の友人に誘われイギリスへと渡ります。
そして、その友人が経営する真鍮バルブの製造会社で働き、その友人の妹をお嫁さんにもらい、順調に新生活をスタートしました。
なお、新婚旅行の最中に、ル・プランスは後の映画発明の原点となる体験をします。
それは、透明な人物が舞台の上で動くペッパーズ・ゴーストというイリュージョン。鏡に反射した人物をガラスに映して幽霊っぽく見せる出し物です。
ディズニーのホーンテッドマンションのやつね
ル・プランスはこれにたいそう魅了され、新婚旅行中にもかかわらず奥さんそっちのけで何度も何度も公演に足を運んだと伝えられています。
この視覚の驚きは、ル・プランスの後の映画発明と無関係であったはずはありません。
そんなル・プランスですが、彼は本業の真鍮パルプ会社でも、写真を金属面に焼き付ける技術を開発するなど順風満帆。その技術は評判を呼び、英国女王や首相の肖像制作を任されるほどになります。
海を渡り、動く画像への挑戦
1881年、ルイはさらなる挑戦の地としてアメリカへと渡ります。
ニューヨークやシカゴなどを巡りながら、次第に彼の関心は「画像が動いたら面白いかもしれない」というアイデアに傾いていきます。
最初に開発したのは、16個ものレンズを搭載したカメラ。
最初のビデオカメラ
なぜ16個もレンズがついているのかというと、当時はまだ一つのレンズで連続撮影するのが困難だったから。
そのため、16個の独立したシャッターを持つレンズを順番に作動させることで、連続した16枚の静止画像を撮影する仕組みでした。
そのカメラで撮った映像がこちら↓。
当時としては驚異的な技術でした。
が、ル・プランスは映像がブレていることに気づきます。
言われてみれば当たり前のことですが、16個のレンズはそれぞれ微妙に位置が異なるので、各フレームの画角も微妙に異なり、スムーズな動きを再現することはできません。
そこで彼は、スリットの入った円形の金属板をシャッターに採用。この金属板が一定スピードで回転することで、露光のタイミングを制御する仕組みを考案しました。
これによって単レンズカメラが実現されました。
この映像はラウンドヘイの庭の場面として知られる、ル・プランスが彼の家族を撮影した映像。レンズが一つであることで画角のブレは最小限に抑えられ、現在のビデオカメラの原型が誕生したのであります。
このたった二秒の動画は、ギネスで世界最古の現存する映画フィルムとして認定されています。
そもそも映画の仕組みって?
ここで一旦、改めて映画の仕組みについておさらいしましょう。
素人でもパラパラ漫画と同じ仕組みなのはなんとなく分かりますが、なぜ静止画の連続が動いて見えるのでしょうか。
仮現運動
それは、我々の脳が持つ仮現運動(かげんうんどう)という機能によります。
人間の脳はわりと柔軟で、連続する似たような静止画像を受け取ると、その静止画の間を補完して「動いている」と解釈します。
赤い点が動いているでしょ?
これは対応関係(correspondence)と呼ばれる処理で、脳が前後の画像の中で同じ対象を見つけ、位置の変化を“移動”と認識するのです。
この脳機能は、進化の過程で獲得したものだと言われています。
まず、動きを素早く認識することは、「動くもの」である獲物や捕食者を察知することであり、もろに生存に直結します。
また、木々の間を移動する動物など、断続的にしか見えない対象を連続した動きとして認識することで、周辺の環境をより正確に把握できます。
さらに、目に入ってきた画像の全てを逐一比較するのではなく、特徴的なパターンや輪郭、明暗の塊だけ抽出して目立つ変化に注目する。これによって、膨大な情報を高速で処理できるわけです。
初期の装置
こうした脳機能は利用した初期の動画装置として、1833年に発明されたフェナキスティスコープというおもちゃがあります。
円盤上に絵が描かれたもので、絵と絵の間に覗き用のスリットが空いている形状。
こういう円盤
鏡に向かって、裏から覗くスタイル
謎の失踪
さて。
1888年、単レンズの動画撮影用カメラを発明したル・プランスは、この技術をアメリカで公開し、特許を取得する準備を進めていました。
ル・プランス一家。プランスは一番右。
アメリカ進出は、彼にとって発明者としての名誉を確立する絶好の機会。妻と子どもたちはすでにニューヨークで待っており、彼も渡米の準備を進めていました。
ところが1890年9月、フランス・ディジョンからパリへ向かう列車に乗ったまま、ル・プランスは謎の失踪を遂げます。荷物も遺体も見つからず、煙のように消えてしまったのです。
すぐにフランス警察が大規模な捜索を実施しましたが、列車の乗客への聞き取り調査では、誰も彼を見ていないと証言。納得できない家族は多額の資金を投入して捜索を続けるも、やはり手がかりゼロ。
そして現在に至るまで、失踪の真相は明らかになっていません。
特許を巡る疑惑
ここからは、証拠がない話も混じってますので、話半分で読んで頂戴。
時系列
まず時系列。これは全て裏付けのある内容です。
1886年11月2日
ル・プランスがアメリカで、16レンズカメラの特許を申請。1888年1月10日に認可。
この特許では撮影するカメラだけでなく、それをスクリーンに映写する方法についても記述されていました。
1888年10月14日
ル・プランスがラウンドヘイの庭の場面を撮影。
1888年10月16日
ル・プランスがイギリスで、16レンズカメラの特許を申請。同年11月16日に認可。
1888年10月17日
エジソンが、突然蓄音機が耳に対して行うのと同じことを目にする装置(つまり、動画視聴装置)についての特許予告を行う。
特許予告というのは、いわゆる仮出願。アイデアを保護するため「この発明を近く申請する予定です」と宣言するための手続きです。
ただし、この時点でエジソン側には、まだ具体的な仕組みはありませんでした。
1889年3月22日
ル・プランスがフランスで、16レンズカメラの特許を申請。1890年6月に認可。
1889年3月22日
同日、エジソンが動画視聴装置について、2度目の特許予告。
1度目よりは少し仕組みについて触れられていて、キネトスコープという動画視聴装置の名前が初めて記載されました。
1890年7月20日
エジソンが、3度目の特許予告。
ただし、エジソン陣営が開発していたカメラキネトグラフで撮影した動画は、まだこのレベル↓。
ル・プランスのものと比べて技術レベルの違いは明らかでした。
1890年9月13日
ル・プランスが、自身の発明したカメラと映写の仕組みをアメリカで公開することを決意。
渡米する前に、フランス、ディジョンにいる兄の元を訪ねる。
1890年9月16日
ル・プランスが、ディジョンからパリに向かう途中に失踪。
1891年5月20日
エジソンが、キネトスコープを初公開。
ル・プランスはスクリーンに映像を映すことを想定していましたが、エジソンのキネトスコープは、箱を上から覗き込むタイプのものでした。
これ以降、エジソンは自身を「映画技術の唯一の発明者」と称し、映画に関する特許を持って映画産業を支配するようになりました。
疑惑
ル・プランスの失踪について、公式には自殺か事故であるとされていますが、真相は分かっていません。
しかしこうした時系列を見ると、ル・プランスの特許取得の動きに呼応してエジソンも動いているように見えて、どうにも怪しい感じがします。
実際、ル・プランスの家族たちは、エジソンに暗殺されたと確信していたと言われています。
未確定情報ですが、ル・プランスの特許を担当していた弁護士とエジソンが談笑していたという目撃証言もあったりします。
また、1898年に行われたエジソンとアメリカ・ムートスコープ社の間での特許裁判では、ル・プランスの息子アドルフがムートスコープ社側の証人として法廷に立ち、エジソンより父ル・プランスの発明が先であることを証言しました。
一審ではエジソン側が勝訴しますが、その判決は翌年に覆され、ル・プランスの技術的先行性が再評価されることになります。
ただし、アドルフはその逆転判決を聞くことなく、1901年にニューヨーク州で猟銃とともに遺体で発見されました。事故か他殺かは不明ですが、母親は「息子も口封じされた」と周囲に語っていました。
映画マフィア、エジソン
実際、エジソンがかなりの特許ゴロ的な商売人だったことは事実だし、アイデアの盗用疑惑が数多くありことも事実です。
映画産業に関して言うと、
- エジソン・トラストという団体を立ち上げ、映画スタジオに加盟を強制。
- 高額な機材使用料を要求。
- 非加盟スタジオの映画は上映させない。
- 使用するカメラとフィルムを指定。
- 従わない映画スタジオは訴訟。もしくは、マフィアを雇って襲撃。
現在、映画のメッカは、西海岸、カリフォルニア州のHollywoodですね。これは、当時エジソンがニュージャージー州に住んでいたためです。
要するに、当時の映画人たちが、エジソンからの迫害によって、西海岸にまで逃げて行ったことに起因するのです。
逆サイドへ逃げる。
まとめ
ル・プランス失踪の真相は謎のままですが、彼の偉業は少しずつ認められるようになってきました。
この記事では扱いきれなかった多くの先人たちの努力と情熱のおかげで、今日の我々は面白い映画を楽しめると考えると、もう感謝しかありません。
とりあえず記事更新して一休みするので、おすすめ映画教えてください。
参考文献・サイト様
The Man Who Invented Motion Pictures
Louis Le Prince – The Life of The Father Of Cinematography
Thomas Edison Drove the Film Industry to California
The Thomas A. Edison Papers Digital Edition
コメント
そういえばエジソンには、メリエスの”月世界旅行”の海賊版を大量に制作して
大儲けした、なんて話もありましたか。
記事が更新されるたびにこのサイトが復活したことを喜ばしく思う
乙です!
やっぱりエジソンおじは碌でもないぜw
エジソンってこんなヤバいやつ疑惑があるのか
ル・プランスは失踪しなければ間違いなく億万長者だったな
しばらく休載は悲しいなー
またネタを提供してください
最近は映画を見倒しているのですが、私のおすすめ映画は以下です。
・奇跡の人(1962:米)。
・それでも夜は明ける(2013:米)
・キング・オブ・コメディ(1982:米)
・復活の日(1980:日)
ご存じのものが多そうですが…
記事は一通り読ませて頂いています。
またの更新お待ちしてます。
哀れなピエロという1892年の映画もありましたね 19世紀だとフランスが映像技術を先駆けていたんだな
個人的に勧め映画は「モーターサイクル・ダイアリーズ」。
これ。このサイトでも何度も取り上げているチェ・ゲバラの青春自伝映画でして
アルゼンチンの富裕層出身で医学生のゲバラが、太っちょの悪友とバイクで南米縦断のたびに出るとバイクというロードムービー。
そこで坊ちゃまゲバラは南米の現実を目の当たりにして、ショック受けまくり、最後の目的地でハンセン病の病棟に行くんだけど、当時は感染説が強くて医学生のゲバラは何もできない・・。
こうして現実に打ちひしがれてボロボロになって帰国住んだけど、その後、あのゲバラが登場するわけですよ。
ガンダムでいえば、「坊やだから」なガルバザビがコンスコンと一緒に地球に行って、ボロボロになって帰国、その後、反連邦組織のアナベル・ガトーになってしまう、感じ?
面白いのは、この映画、アメリカ製で監督はかのロバート・レッドフォード.
青春映画としても面白いし、チェ・ゲバラの前史としても面白かったですよ
内田けんじ監督作。タランティーノやガイ・リッチーに影響を受けた群像劇。一見関係なさそうな出来事が繋がっていく様に脳汁出っぱなしです。
“Knocking On Heaven‛s Door”(1995、独)おススメです。
映画の出来もさることながら、監督がタクシー運転手をしていた時にたまたま客として乗ってきた人気俳優に自前の脚本を見せたところ気に入られて映画化に至ったっていうエピソードがそそられます。
日本でも“ヘヴンズドア”ってタイトルでリメイクされてますがこちらは...
映画ってストーリーが同じでもここまで差が出るものなんだ、って感じられると思うので比べてみるのも一興かと。