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においつき映画の悲惨さ

秋になってキンモクセイが咲き始めると、「トイレを思い出す」というおっさんがけっこういます。

おっさん達が若かりし頃、トイレの芳香剤の主流は「キンモクセイの香り」でした。

1970年~1990年前半くらいまで、ずーっとトイレの匂いはキンモクセイだったため、条件反射的にトイレを思い出すよう刷り込まれてしまったのですね。

キンモクセイの香りといっても、別にキンモクセイの花を圧搾してそのエキスを入れているわけではありません。

キンモクセイの香りのもとになっているのは、ベータ-イオノンやリナロールといった化学物質です。

芳香剤は、キンモクセイのにおいと同じ成分の化学物質を配合して「キンモクセイの香り」として売っていたわけですね。

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嗅覚

ベーターイオノンをかいでキンモクセイ(あるいはトイレの芳香剤)を思い出すのも、フェニルエチルアルコールをかいでバラを思い出すのも、酢酸アミルをかいでバナナを思い出すのも、すべて脳の働きです。

ある分子が空気の流れに乗って鼻の中に入ってくると、鼻の中にある嗅覚受容体を刺激し、脳への電気信号に変換されます。

人間は347種類の嗅覚受容体があり、ほとんどの匂い分子が2種類以上の嗅覚受容体を刺激します。その膨大な組み合わせにより、様々な匂いを嗅ぎ分けられる仕組みになっています。

ヒトの嗅覚系
1. 嗅球
2. 僧帽細胞
3. 骨(篩骨の篩板)
4. 鼻粘膜上皮
5. 嗅糸球
6. 嗅覚受容細胞

また、嗅覚は人間の本能や感情を司る大脳辺縁系を直接刺激します。

その為、嗅覚は五感のうち最も感情に影響を与える感覚とも言われています。アロマテラピーなんかはその特徴を利用しているわけです。

塩素のにおいで夏のプールを思い出したり、火薬のにおいが花火と結びついていたり、青いミカンのにおいが運動会と結びついていたり。

あるにおいがそれを嗅いだ時の出来事の記憶をよみがえらせる事は、よくあります。

だとしたら、人ににおいを嗅がせることで、どこか違う場所にいるような気持ちにさせることもできるのではないか。
そう考える人がいても、不思議はありません。

たとえば映画を観ていたとして、海の映像や波の音とともに潮の香りが漂ってきたらどうでしょう?

私たちはいっそう作品世界に入り込めるかもしれません。

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最初はニュースから

最初に「映像ににおいをつける」ことを思いついた人が登場したのは、1906年、無声映画の時代にまでさかのぼります。

カリフォルニアで毎年元旦に行われるローズパレードの様子を伝えるニュース映画の中で、コットンにバラの精油を含ませ、それを扇風機の前に置いて、バラの香りを振りまいたのです。

ローズパレード

そんな突拍子もないことを思いついたのは、ニューヨークでラジオ・シティ・ミュージック・ホールを始め、大きな劇場をいくつも経営していた映画興行主サミュエル・ライオネル・ロザッフェル。

彼は無声映画に合わせてオーケストラを演奏させる等、映画に革命的な手法を取り入れたことで知られています。

通称”ロキシー”

扇風機でふりまいたバラのにおいが不評だったのか、それともごく一部の人しか気がつかなかったのかは定かではありませんが、ロザッフェル自身は二度とこれを繰りかえすことはありませんでした。

それでも、それを模倣した人はその後も何人か現れて、香水を換気装置に流し込んだり、オレンジの花のにおいをふりまいたりする試みは、何度か繰りかえされたようです。

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映画とにおいのシンクロ

1930年、アーサー・メイヤーという劇場主が、無名の発明家から映画とにおいを同期させてみないか、という提案を持ちかけられ、1933年に初めての本格的な劇場用においシステムを導入しまました。

そのシステムは、映画館の天井の通風口から、コマに合わせてにおいを送るというもの。メイヤーは、この画期的なシステムの成功を確信し、導入を決意したのです。

ところが、観客席に向けてにおいを送り出すシステムはあっても、観客席のにおいを換気するシステムはありません。

おかげで、スイカズラやベーコン、熟したリンゴなどのにおいが混ざって劇場内に充満するという事態を招き、さらには空気をすっかり入れ換えるのに何日もかかるという悲劇。

においつき映画の系譜も断たれたかと思いきや、今度はあのウォルト・ディズニーがこれに目をつけます。

1938年の映画『ファンタジア』のなかで、「花のワルツ(くるみ割り人形)」では花の香りを、「アヴェ・マリア」と「クレド」の場面では香(こう)を、「魔法使いの弟子」のシーンでは火薬のにおいを使おうと考えたのです。

指揮者のレオポルド・ストコフスキーもこの計画に夢中になりましたが、金銭的理由から、結局この計画は断念する事となり、ディズニーがその後、においつき映画に乗り出すことはありませんでした。

いまもDVDなどで見ることができる名作『ファンタジア』を、においつきで楽しむのも一興かもしれません。

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Smell-O-Vision(スメロビジョン)

次に登場するのは、ハンス・ラウベというスイス出身のアメリカ人。

においつき映画に生涯をささげてしまった人物です。

彼は、映画の上映中に様々なにおいを放つ、「劇場用においシステム」を開発しました。

1954年に、ラウベは回転盤とフィルムのトラックを組み合わせた装置の特許出願をおこなっています。

これは、映画フィルムのトラックに記録されたにおい情報によって、回転盤が回転し、決められた香料を選び出します。

そうしてノズルがそれを吸い上げ、管を通して、劇場内ににおいを送り出すという仕組み。

「臭気中和剤」も搭載され、そのおかげでいつまでもにおいが残るなんてことはありません。過去の欠点を克服し、劇場用においシステムは、より高みに達しました。

これに目を付けたのが、天下の大プロデューサーとして知られたマイク・トッドでした。

特許を取得したラウベに資金提供を約束し、映画に応用することを検討し始めます。

トッドは間もなく飛行機事故で亡くなりすが、息子のトッドjrが父の夢を引継ぎ、有名な香料メーカーと手を組んで、新しいにおいつきの映画「Smell-O-Vision(スメロヴィジョン)」を制作することを発表します。

向かって左がマイク・トッド、右がハンス・ラウベ

スメロヴィジョンのキャッチフレーズはこのようなもの。

1893年、映画は動き始めた。
1927年、映画は語り始めた。
そして1959年、ついに映画はにおいを放つ

読む者をワクワクさせる、実にカッコいいフレーズです。

実際に、においつき映画の制作も始まりました。

作品名は、『セント・オブ・ミステリー(秘密の香り)』

主演がエリザベス・テイラーという豪華さw

映画の中でエリザベス・テイラーがつけている香水も、〈セント・オブ・ミステリー〉として限定販売されました。

こうして、スメロヴィジョンに巨額の資金と労力がつぎこまれていきました。大成功を信じて。

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アロマラマ

1959年、『セント・オブ・ミステリー』の公開にぶつけるかのように、においつき映画の『ビハインド・ザ・グレート・ウォール』が、ウォルター・リード率いる映画配給会社のコンチネンタル・ディストリビューティングから公開されます。

既に公開済のイタリア映画に、においと吹き替えをつけただけのもの

そのにおいつけも、「アロマラマ方式」と大々的に銘打ってはいますが、フロンガスを媒体にして、既存の空調ダクトを通して匂いを拡散させ、空気清浄機で観客席のにおいの蓄積を防ぐというだけ。

スメロヴィジョンとはまるで技術レベルの異なる原始的なシステムだったのです。

この映画は、スメロヴィジョン公開の三週間前に慌てて公開されました。ライバル社のスメロヴィジョンを脅威に感じていた事がよくわかります。

そして、その評判は以下の通り。

「ブラッドハウンドが頭痛を起こすくらいきつい」タイム誌

「嗅覚神経に対するすさまじい暴行」ニューヨーカー誌

観客の洋服ににおいがしみつき、そのため、においつき映画というアイデアそのものが、悪評を被ることになってしまったのです。

年が明けて1月12日、ニューヨークで『セント・オブ・ミステリー』が公開されました。

エリザベス・テイラーを乗せたチャーター機が到着し、華やかなカクテル・パーティが催され、ワーナーは宣伝攻勢をかけました。

映画自体も、転びそうになる場面で、昔ながらのギャグをひねって、画面には登場しないバナナの香りをただよわせたり、パイプの煙のにおいで犯人を暗示したり、様々な工夫がなされていました。

上映を重ねるうちに、スメロビジョンも技術的な微調整を重ね、三度目の上映が終わったあと、新たなにおいを放つ前に、ポンプを逆回転させて残り香を弱めるというアイデアが生まれ、残り香の問題も解決できるようになっていきました。

しかし、その興行成績は惨憺たる結果。

「アロマラマ」で浸透してしまった、においつき映画の悪評を、ついにくつがえすことはできませんでした。

そうして、マイク・トッドjrは父の遺産を食い潰して破産。スメロビジョンは早々に撤退が決まってしまったのです。

ポリエステル

そんなわけで、どうも映画館を改造してにおいを出すみたいなのはリスクが高過ぎることが分かりました。

1981年に発表された「ポリエステル」という映画は、このリスクを回避する画期的なにおいシステムを採用しました。

その名も「オドラマ・システム(Odorama system)」。

超肥満の主婦が主人公の悲劇的な生活を描いた怪作

この映画の観客には、スクラップカードが配られました。映画の中の支持に従い番号を削ると、様々なにおいが嗅げるのです。

花、おなら、新車の内装、ピッツァ、スカンク、ガス、接着剤、う○こ、腐ったテニスシューズ、脱ぎ捨てた靴下、etc…。

なんか微妙なにおいばっかりですが、そもそもこの映画のストーリー自体がかなり退廃的。

超肥満体の主婦であるフランシーヌの息子デイスターはシンナー中毒で、町中が警戒する足先踏み魔である。
デイスターはルルとほうきを使い街行く通行人の尻突き悪戯をする。ポルノ映画館経営の夫エルマーは秘書と浮気して駆け落ちし、色々な嫌がらせをフランシーヌに仕掛けて彼女を慢性のアルコール中毒にしてしまう。
唯一の相談相手で祖父の遺産で大金持ちになった元女中カドルスも自分の社交界お披露目に夢中になっていてフランシーヌの悩みすら聞く耳を持たなかった。
幼少のころより自分を虐待し続けた実母の訪問はフランシーヌを更に神経質にさせるような話題ばかり。
そして娘ルルの妊娠発覚。息子デイスターの逮捕。
フランシーヌは悲観し自殺をしようとするが、失敗。結局は三面記事のネタになってしまう。
しかし、フランシーヌに救世主が現われた。出会ったトッドはハンサムなドライブ・イン・シアターのオーナーでコルヴェットに乗ってのデートがフランシーヌを夢うつつにして、トッドとの愛を誓う。

この退廃的な作品世界に入り込むには、こうした微妙なにおいがぴったりでした。

ま、時代的なものもあるのでしょうが、けっこう評価が高い作品です。

においビジネス

そんな紆余曲折を経た結果、においつき映画というアイデアは、やがて笑い話になってしまいました。

例のスメロヴィジョンに至っては、
20世紀最悪のアイデア100タイムズ誌
や、
ハリウッド史上、最も無意味で迷惑な『技術的進歩』
にノミネートされてしまいました。

また、21世紀に入ってDigiScents社が開発したiSmell(特定のWebページやEmailにアクセスすると、においがするというもの)も、PC World Magazineの選ぶ「オールタイム25のワーストテク」に選ばれています。

さらに、2013年4月1日のGoogle社のジョークは、GoogleNoseBETA

所詮、こんな扱いです。

だがちょっと待ってほしい。

においつき映画はそんなに馬鹿げた発明だったのでしょうか。

もしかすると、前人未踏、ではなくて、死屍累々しか転がっていないところだからこそ、ビジネスのチャンスはあるのかもしれません。

においを制するものが、次の時代のメディアを制すると、私は信じています。

願わくば、この記事を読んだ方々の中から、次世代の覇者が出て来ることを。

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