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死後の幸せを手に入れる方法www

皆さんは神様の存在を信じますか?

人間は、この世に宗教という概念がある限り、神様を信じるか信じないか、どちらかに賭けざるを得ません。

信仰を持ってる人もいるでしょうし、無神論者もいるでしょう。

「宗教なんて興味無いよ」「神様なんているわけないじゃん」という人は神様が存在しない方に賭けてると言えますし、「神様を賭けの対象にするなんて!」と怒っちゃう人は、神様がいる方に賭けてます。

それで、まあどちらに賭けるかはその人の勝手なんですが、これは「パスカルの賭け」と呼ばれる思考実験です。

考える葦で有名なあのパスカルね

パスカルの結論は、神様を信じた方がぜったい得!との事です。

考え得るパターンは4つ。

①神様を信じる-神様は存在する
②神様を信じる-神様は存在しない
③神様を信じない-神様は存在する
④神様を信じない-神様は存在しない

このうち、

①は大当り。天国で幸せに暮らします。

②は残念。でもまあどうせ死ぬわけだしあんまり損はしません。

③は最悪の結果です。地獄で永遠に苦しみます。

④は信仰に労力を割かなかった分、ちょっぴり得します。

確かに、こうして見ると、神様が存在する方に賭けるのはローリスクハイリターン。存在しない方に賭けるのはハイリスクローリターンだということが分かりますね。

お暇な方は、原文をどうぞ

「神は存在するか、しないか。きみはどちらに賭ける?

― いや、どちらかを選べということがまちがっている。正しいのは賭けないことだ。

― そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」

すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。

賭け金は自分の人生である。神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。

反対に、神は存在しないという方に賭けたとしよう。その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。死後は虚無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。来世の幸福をすべて失うことになるからである。

パスカル『パンセ』

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未来の医療技術の発達に賭ける人々

例えば、あなたが現代の医療技術では絶対に治療不可能な不治の病にかかったとします。

パスカルの時代には、死に抗う事はほぼ出来ませんので、死後の幸福をキリスト教の神様に祈るしかありませんでした。

しかし、現代において、科学、医療技術、遺伝子工学等の進化は日進月歩です。
そうすると、今は治らなくてもそのうちきっと…、と思っちゃうのが人間のSAGAです。

そんな人へ、未来へ一方通行のタイムマシンを提供しているのが、アルコー延命財団です。

この財団では、希望者の死体を冷凍保存し、将来確立されるであろう安全な解凍技術、死体の蘇生、クローン技術等に備えています。

全身保存で15万$、頭部だけの保存で8万$。死後も保存されている限り年会費400$がかかります。

これが高いか安いかはよく分かりませんが、現在のところ、121人が-196℃の液体窒素の中で、目覚めの時を待っています。

保存容器

人体冷凍保存については、様々な面での論争は続いています。

医師が死に立ち会わないまま冷凍保存したケースがあり、法的には殺人と見なされる場合もあります。

将来、安全に解凍できる保証がどこにおるのかという批判もあります。

単なる埋葬に高額の費用を取っている詐欺行為と見る人もいます。

杜撰な衛生管理をしているという内部告発もありました。

ただ、一つ言えることは、冷凍保存される人々は、いつか復活させてもらえる事に賭けたという事です。

賭け金は、保存費用と社会的批判。

賭けに勝ったら、健康な体を得て未来で暮らす。負けたら死んだまま。

これってけっこう割のいい勝負だと感じますが、実際どうなんすかね。

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エジプトの場合

人体冷凍保存の先駆けとして真っ先に思いつくのがミイラ。ミイラと言えば、エジプトですね。

元々、エジプトではファラオを始めとする偉い人は現世に復活すると信じられていました。復活するためには器としての肉体が必要なため、ミイラを作るという風習が生まれました。

しかし、いつまで経っても復活しないファラオを見て、当時のエジプト人は思います。「え…復活しないじゃん…」

そうして、徐々に信仰は変化していき、現世に復活しないのなら、あの世で復活するに違いないと考えらるようになります。
新しい解釈では、死者の魂はあの世に行きますが、夜には体に戻って充電しないと、あの世でも死んでしまうと考えられており、信仰が変わってもミイラは必要なものでした。

さらに時代が進むと、一般人もあの世で幸せに暮らしたいと思うようになり、ミイラ需要が高まります。元々偉い人の特権であったミイラ化も、貴賎の別なくしてもらえるようになりました。

そして、需要あるところに供給あり。ミイラ職人の数も増え、ミイラビジネスが行われるようになりました。

王様コース、普通コース、廉価コースというように、お金でミイラの処置に段階を付けていた様子が、ヘロドトスの『歴史』に記録されています。

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お金で買える幸せがある

死を商売にするなんて、ミイラ職人えげつねえな…、と一瞬思いますが、よくよく考えると、現代の日本でもこういう商売は普通に成立しています。

例えば、戒名。「~院◯◯居士」みたいなやつですね。お坊さんに支払う金額によって、文字数が変わります。

仏教では、死ぬと成仏(=仏様に成る)し、あの世で仏門に入り修行に励むという思想があります。そうした時に、生前の徳や修行の度合いを示す戒名は、長ければ長い程偉いとなるわけですね。墓石のランクなんかも同じです。

こういったビジネスには色々と批判はありますが、死後幸せになる可能性を売ってると言えます。

賭け金はお金だけですから、良心的なギャンブルかもしれません。

現代ではパスカルの時代とは異なり、ローリスクハイリターンの選択肢は神を信じるだけではありません。

皆さんも一度自分の考える死生観の期待値を考えてみてはいかがてしょう?

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