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発明王エジソンの畜生エピソード

さて。

世間はクリスマスムードかも知れませんが、俺たちにそんなの関係ないよね!

いつも通り一人で家にいるよね!

というわけで前回からの続き。

偉人の代名詞のように評価されているエジソンですが、その一方で彼の暗黒面についてはわりと無視されていたりもします。

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部下の扱い

ワーカーホリック

現役時代のエジソンの平均睡眠時間は、たったの4時間。

さらに、基本的にはラボに籠もりっぱなしで研究に没頭し、時々ラボに持ち込んだベッドで仮眠を取るという生活を送っていました。

ラボの仮眠ベッド

エジソンに言わせると、睡眠は時間の無駄であり、何かを成し遂げるなら一日に18時間は働かないといかんということのようです。

実際、エジソンは仕事の虫。彼に就業時間という概念はありません。

週に100時間以上働くなんていうのは日常茶飯事だったのであります。

いつの時代にもワーカーホリックはいるもの。個人が好きでこういう生活を送るのは自由であります。
 
しかし、エジソンの助手はたまったものではありません。

夜、帰宅して自宅のベッドで寝ていたら、研究室から呼び出しの電話が来るなんていうのはまだ可愛い方。

「今夜は二人でこの研究テーマの答えが見つかるまで、絶対に寝ないようにしようね!」などと、エジソンに言われてみてごらんなさい。

この時の助手の気持ち

こうして、この激務に数多くの助手が心を折り、エジソン研究所を去っていきました。

ただ、去っていった助手はまだマシ。

エジソンの鬼畜ポイントは、それだけ助手たちを働かせておきながらもその努力に報いようとしなかったところにあります。

アメリカンジョーク

エジソンの常套手段はボーナスをチラつかせるという卑劣なもの。

助手たちに課題を与え、それを達成すれば多額のボーナスを払うという約束をする。

助手たちが不眠不休で頑張る。

研究成果を挙げる。

ボーナスを請求する。

HAHAHA!あれはアメリカンジョークだよ。

この書いてるだけでイラつくテクニックで、エジソンは助手たちを徹底的に搾取していたのであります。

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電流戦争前夜

このアメリカンジョークの被害者の一人が、かの天才ニコラ・テスラでした。

ニコラ・テスラとかいう天才

ニコラ・テスラはクロアチアの天才科学者。

天才でイケメン

幼い頃から勉学に励み、特に数学や物理学の分野で突出した才能を見せたテスラ。彼はクラーク工科大というオーストリアの名門大学を卒業し、さらにプラハ大学に留学して学びました。

その後、既に発明家として世に知られていたエジソンに憧れたテスラは、渡米してエジソン・カンパニー(のちのゼネラル・エレクトリック社)に入社。

エジソンの下で1日18時間くらい働くことになりました。エジソン・カンパニーでは一般的な労働時間ですが、超ブラックであることに変わりはありません。

でも「憧れのエジソン先生と一緒に働けて幸せ!」と、テスラは一生懸命頑張りました。

持ち前の天才的な頭脳で、テスラは与えられた課題を全て解決し、発電機やモーターの改良に多大な貢献をしました。

そんな健気なテスラには、一つの夢がありました。

それは、交流電流を実用化するというもの。

直流と交流

まあ管理人もよく分かっていないのですが、電気には直流交流の2種類があるというのは、理科の時間に教わった気がします。

直流というのは、電気が1方向にだけ流れるやつ。

交流というのは、電気の流れが行ったり来たりするやつ。

直流はわりと素人でもイメージしやすいですね。川の流れのように電子が流れるみたいな感じです。

問題は交流の方で、これはイメージしにくいですが、例えば直流が普通のビンタだとすれば、交流は往復ビンタ。行きと帰りで仕事をします。ウチワは往復運動で風を発生させ、扇風機は1方向に回転して風を発生させます。

というわけで、1方向運動でも往復運動でも、工夫次第で仕事をさせることは十分可能なのです。

東日本の電気は60Hz、西日本は50Hzというのは聞いたことがあると思います。これは、電気が1秒間に50回とか60回とかのオーダーで行ったり来たりしていることを意味します。

電気のスピードは秒速30万km電線の中だとその半分くらいらしいなので、控えめに言っても1往復で電子が3,000kmくらい動くことになるので、全然オッケーなわけです。

どっちも大事

直流と交流というのは、どっちが優れているかみたいな話ではなく、向き不向きの問題 です。

直流は1方向に水を流すようなものなので、遠くに電気を送ろうとするとどうしても無駄が出てしまう。かと言って、無駄を減らすために電圧を上げると危ないし、電圧の変換も大変な設備が必要になります。

その一方で、常に一定の方向に一定の勢いで電気が流れているので、電気回路の設計がシンプルで済むとか、モーターのパワーを出しやすいとか、電圧のON・OFFで論理演算するような回路に向いている、みたいなメリットがあります。

一方の交流は、電線の中に電気が満ちていて、ギュンギュン行ったり来たりしているイメージでしょうか。

この「ギュンギュン」の度合いは変圧器によって簡単に変換することができます。したがって、発電所から遠くまで超高電圧で送電し、それを使いやすい電圧に下げて使用するというのが可能になります。

決別と対立

電球や蓄音機の成功で巨万の富を得ていたエジソンが取り組んでいたのは、一般家庭にも電気を普及させること。なんとも素晴らしい志であります。

そして、直流によって 各家庭に送電する事業に多額の投資をし、その実現に邁進していました。

しかし、テスラは直流と交流のメリット・デメリットを正しく理解し、各家庭に電気を送るという点においては交流が圧倒的に有利であることをエジソンに訴え続けました。

しかし、エジソンはこれをにべもなく却下。

既に多額の投資をしている状況で、今更方針転換するのは無理。なのにしつこく「交流交流」言ってくる男がもうウザくて堪らないわけですね。

それでもしつこく食い下がるテスラに、エジソンは一つの課題を与えます。

エ「うちの工場にあるモーターの一つでも交流で動かすことができたら、5万ドルのボーナスを払ってやるよ」

テ「マジすか」

エ「男に二言はない!」

2週間後・・・

テ「出来ました。ボーナs」

エ「ボーナスぅ!?貴様はアメリカンジョークが分からんのか!!」

この時、エジソンはやや逆ギレ気味だったとも伝えられています。

努力の人を自称するエジソンにとって、このスマートな天才はあまりにも眩しすぎる存在でした。

何れにせよ、この瞬間テスラはエジソンを見限り、逆にエジソンと対立することになったのでした。

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電流戦争勃発

こうして生まれた二人の確執は、直流vs交流という形をとって激しい論争へと発展していきました。

まあただの論争であればそれは科学技術の発展に有意義なものですが、この戦いにおいてエジソンは持ち前の鬼畜性を存分に発揮させたのであります。

ワンちゃんの命の輝きを見よ!

おそらくエジソンは、直流送電が不利であることを分かっていたのでしょう。

そこで、技術論争ではなくイメージ戦略によって戦うことを決意したのであります。

方針はシンプル。事実はどうあれ、交流は危険というイメージを徹底的に広めることに尽力したのです。

その中でも話題を呼んだのは、野良犬殺しでした。

まずは、地元の子供達に小遣いを与えて、野良犬を何匹も集め、それを交流電流で殺すというデモンストレーションを行ったのです。

しかも、交流電流を流す前に、あらかじめコッソリと直流電流で半殺しにしておくという念の入れよう。

実際に手を下したのはブラウンという電気技師でしたが、彼に裏で指示を与えていたのはエジソンに他なりません。

こうしたデモンストレーションはやがてエスカレートしていき、ついには馬まで殺すようになっていきました。

胸糞

電気椅子の推進

もう一つよく知られているのが、エジソンによる電気椅子への支援であります。

エジソン自身は死刑反対派として知られる人権派でした。にも関わらず、テスラ陣営を貶めるために、電気椅子による死刑執行を積極的に支援していました。

1890年頃のニューヨークでは、伝統的な絞首刑は非人道的だとして、よりスマートな処刑方法を検討する委員会を設置していました。

エジソンは相当な資金をつぎ込んでこの委員会に電気椅子をねじ込み、その電源としてテスラ陣営の交流を採用させたのです。(エジソン陣営の直流は、刑務所まで十分な電圧を届けられなかったという技術的な都合もありました。)

こうしたイメージ戦略に対抗して、テスラは交流電流がいかに安全かをアピールするために、あの有名な写真を公表しました。

交流電流の中で優雅に読書するニコラ・テスラ

完敗

こうしたエジソンの卑劣な努力も虚しく、最終的にはテスラ陣営の推進した交流による送電が勝利しました。

象徴的なのは、ナイアガラの滝に設置された大規模発電所。

これにテスラ陣営の交流発電が採用されたことで、この電流戦争は終結を迎えたのでありました。

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被曝

最後にもう一つエピソードを。

エジソンは電流戦争に敗北した後も、精力的に様々な研究、発明を続けていました。

こうしたタフなメンタルはうらやましい限りではあります。

その中の一つが、X線の研究でした。

1895年11月、ドイツの物理学者ヴィルヘルム・レントゲンがX線を発見しました。

この発見が電信で報じられるのを聞いたエジソンは、わずかその10時間後にはX線の実験と研究に取り掛かりました。

そこからいつものように不眠不休の体制で研究を続け、わずか4ヶ月後の1896年3月にはフルオロスコープと呼ばれる、レントゲンのような装置の完成に漕ぎ着けたのであります。

メガネのように覗き込むタイプのレントゲン装置

その後もX線の研究を続けたエジソンでしたが、1901年以降はいつもクレアレンス・ダリーという助手が実験台になっていました。

エジソンの常軌を逸した長時間の実験に、ダリーは忠誠心を持ってつき合いましたが、X線を浴びた手足の痛みは相当なものだったようです。

毎晩寝るときは赤く腫れた手を水に浸して眠り、原因不明の水疱に見て見ぬフリをして、実験を続けました。

しかし、わずか2年で彼の両手両足は皮膚がんを発病し、切断してしまいました。それでもガンはすでに転移しており、 1904年にダリーは亡くなってしまったのです。

彼は、世界で初めて被曝により亡くなった人物と言われています。

エジソン自身も同時期に目に異変を感じたため、X線の研究は諦めることになりました。

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エジソンはそれでも偉大

エジソンは精力的に研究をしていたのは事実だし、その後の人々の生活を大きく変えたのも事実。

ただ、その影では多くの被害者がいて、多くに人に恨まれてもきたのです。

エジソンは「善人なおじさん」という感じのイメージが広く普及しています。

また、自己啓発系の下らん書籍の中では「仕事に熱意があれば労働時間なんて関係ない」的な、社畜養成的な文脈で崇められることもわりとあります。

しかし、実際のエジソンには嫌な面もたくさんあって、そう単純なものではないよ、というお話でした。

参考文献・サイト様
変人偏屈列伝 (集英社文庫―コミック版)
新書765知られざる天才 ニコラ・テスラ (平凡社新書)
交流のしくみ 三相交流からパワーエレクトロニクスまで (ブルーバックス)
凡人が一流になるルール (PHP新書)
蒼天航路(7) (モーニングコミックス)
brain pickings”Thomas Edison, Power-Napper: The Great Inventor on Sleep and Success”
LITERATE APE ”Lives That Science Claimed: A Piece of Radiological History”
天才?未来人?物語としての二コラ・テスラ

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