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出エジプト記(エジプトとは言っていない)

全39巻に及ぶ旧約聖書の2巻目にあたる、「出エジプト記」。

旧約聖書の中でもひときわストーリー性に富んでおり、「モーゼが海を割った」や「神様から十戒を授けられた」といった、よく知られたエピソードが登場する書物であります。

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出エジプトのあらまし

この出エジプト記で語られているのは、いわゆるイスラエル人の集団脱走です。

時のファラオに迫害されたかわいそうなイスラエル人たちが、偉大な預言者モーゼに率いられ、約束の地へ移動していくという筋書き。

ものすごく端折ってあらすじを書くと次のような感じ。

当時イスラエル人はエジプトで奴隷状態

モーゼが生まれる

神様がモーゼに、イスラエル人をエジプトから逃がすよう指示する

いろいろ奇跡を起こしつつ、200万人連れて脱出成功!

詳しいストーリーは、ビジネスホテルに泊まった際にでも旧約聖書を読んでみてください。物語調で、わりと読みやすいですよ。

民を率いた預言者モーゼ。統率力◎。

で、よく議論になるのは、この「出エジプト」は史実かどうかという点です。

もちろん、旧約聖書に書いてあることが全て事実というのは考えにくい。その内容には史実と神話が混在していると思われます。

それでも、一般的にはこの「出エジプト」の元になった出来事は実際にあっただろう、というのが通説になっています。

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本当に史実なのか

しかし、そうした風潮とは裏腹に、イスラエル人が当時エジプトに住んでいた痕跡は、今の所一つも発見されていません

大量のイスラエル人がエジプトから出て行ったことなどどこにも書かれていませんし、そもそも「イスラエル人」という民族がエジプトに住んでいた痕跡すらないという有様。

古代のエジプトというのは、世界屈指の文明国。石碑とかパピルスとか陶片とか、当時の記録が相当量残されています。

それこそ、王墓建設の作業員名簿とか、落書きとか、男に奢ってもらったものリストとか、本当に細かいものまで発掘されているのです。


「夫婦喧嘩」とか「二日酔い」とかの理由で休む古代エジプト人の様子が書かれた出勤簿

にも関わらず、イスラエル人に関する記述はゼロ

彼らがエジプトにいたというソースは、旧約聖書だけなのであります。

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いつ脱出したのか

くどいようですが、現在のところ、イスラエル人がエジプトにいたことを証明する遺物は何一つ見つかっていません。

ですので、出エジプトがいつ頃の出来事だったのかも、もちろんサッパリ分かっていません。

旧約聖書の内容を信じるならば、「出エジプトの480年後にソロモン神殿の建設がスタートした」と書いてあり、さらに、証拠はないけどソロモン神殿の建設スタートがB.C.960年くらい。逆算してB.C.1440年くらいとなります。

別の説では、旧約聖書によるとイスラエル人を強制労働させて「ラムセス」という都市を建設したと書いてあるので、出エジプトはラムセス2世の時代だろうというのもあります。この場合は、B.C.1290年くらいとなります。

ずいぶん年代に差がありますね。

どちらの説にせよ、推測の域は未だに出ておりません。

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エジプトを脱出できていない件

モーゼ一行がエジプトを旅立った後の足取りも、やっぱりよく分かっていません。

例の海を割った場所も、十戒をもらった場所も、不明です。

が、まあ一応の定説としては次のルートを通ったとされています。

モーゼの足取り

なお、この地図で薄オレンジ色がついてるエリアは、当時のエジプトの領土です。

出エジプトが起きたとされるB.C.15〜13世紀は、エジプト新王国時代という時代で、エジプトの国力が充実しまくっていた時期でした。

出エジプトの目的は、「ファラオの迫害から逃れること」だったはず。なのに、なぜかその移動範囲はほぼエジプト領土内という違和感。

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翻訳が怪しい件

ヘブライ語からギリシャ語へ

現在、広く読まれている旧約聖書というのは、もともとは古典ヘブライ語で書かれた書物でした。
「旧約聖書」という言葉はキリスト教目線で、本当は「ヘブライ語聖書」と言います。でも、こんがらがるので「旧約聖書」で統一します。

ヘブライ語

この古典ヘブライ語は、B.C.5世紀くらいから使われなくなっていき、一旦はそのまま消滅してしまった言語。

「このままでは誰も旧約聖書を読めなくなっちまう。」

そう思ったユダヤ教徒たちは、B.C.3〜1世紀にかけて、旧約聖書を当時の国際言語だったギリシャ語へと翻訳したのです。

このギリシャ語の旧約聖書は、伝説では72人の学者が72日間で翻訳したとされており、それにちなんで「七十人訳聖書Septuaginta」と呼ばれています。

翻訳のようす

ヘブライ語という言語は、子音しか表記されず、母音は省略されます。「ggrks」みたいに書かれます。

そのため、どのような発音なのか、どういう意味なのか、かなり想像しながら翻訳しなくてはなりません。訳者たちがかなり苦労したであろうことは、容易に想像できますね。

この七十人訳聖書は、メジャーなギリシャ語だったということもあり、ヘブライ語聖書以上に広く読まれ、のちの聖書解釈の基礎になったとも言われています。

しかし、このギリシャ語翻訳版聖書。果たして原典を忠実に翻訳したものかというと、どうもそういうわけではないようです。

「エジプト」を意味する単語

そもそも、「出エジプト記」の原典に「エジプト」という国名が書かれているかというと、かなり微妙。

厳密には「エジプト」ではなく「msrym」という表記です。

七十人訳聖書の訳者たちは、これを「ミツライムmisrayim」という単語だと考えました。

この我々には馴染みのない「ミツライム」という単語。これは、直訳すると「2つの都市」みたいな意味になります。

都市を意味する「ミスルmisr」という単語があり、それの双数形が「ミツライム」というわけです。
※「双数形」とは、複数形の一種。ヘブライ語やアラビア語では、1つなら単数形、2つなら双数形、3つ以上なら複数形、という変化をします。

エジプトは、大昔は上エジプトと下エジプトに分かれており、B.C.3150年にようやく1つに統一されたという歴史があります。そのため、「2つの都市」→「エジプト」という理屈になるのです。

実際、現代でもイスラム圏においては、エジプトのことを「ミスルMisr」と呼んでいますので、一般的には、アラビア圏では古代から伝統的にエジプト地域を「ミスル」と呼んでいたという風に説明されます。

だとすれば、旧約聖書に記載されている「msrym」を「ミツライム=エジプト」と解釈するのは、ごく自然なことであります。

しかし、エジプトや周辺諸国の遺跡や記録から分かることは、七十人訳聖書が成立したB.C.3〜1世紀より以前は、誰一人としてエジプトを「ミツライム(ミスル)」とは呼んでいないという事実です。

ギリシャでは「アイギュプトス」、アラビア世界では「アル=ギプト」と呼ばれていました。どちらも「エジプト」に近い発音ですね。

イスラム圏でエジプトを「ミスル(ミツライム)」と呼ぶようになったのは、イスラム教が成立したA.D.7世紀以降のことです。

だとするならば、七十人訳聖書の時代(紀元前3〜1世紀)において、「msrym」を「ミツライム=エジプト」と解釈する合理的な理由は一切ありません。

しかし、七十人訳聖書で「ミツライム=エジプト」と定義されてしまったために、それ以降の旧約聖書の解釈は全てがこの定義にならうという事態になってしまったのです。

コーランの場合

ついでに、イスラムの聖典コーランについても軽く触れておきます。

コーランが成立したのは、A.D.7世紀。ムハンマドが示した神の啓示を、彼の死後にまとめたものです。

その内容自体は、旧約聖書と新約聖書の再解釈(焼き直し)で、アダムとイブの話や出エジプトのエピソードなんかも織り込まれています。

コーランのスタンスは、人の手で歪められた聖書に代わり、改めて神様が正しい啓示を下したもの、という感じ。したがって、イスラム教徒にとってこのコーランは絶対的に正しいものとなっています。

しかし実際のところ、このコーランの成立過程で七十人訳聖書の影響がないはずはありません。その結果として、コーランにおいても「ミツライム(ミスル)=エジプト」となってしまいました。

コーランは絶対に正しいので、以後イスラム教徒は、エジプトを「ミスル」と呼ぶようになったと考えられます。

そういう意味でも、イスラム圏でエジプトを「ミスル」と呼んでいるからといって、旧約聖書に書かれている「ミツライム」がエジプトを指しているという根拠にはならないわけですね。

エジプトの王は誰か

エジプト関連では、他にもおかしな翻訳があります。

それは、「ファラオ」という単語。

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この「ファラオ」を旧約聖書の原典で見てみると、元は「pr’h」と書かれています。

それを例の72人が、「パロparoh」という単語だと決め、「エジプトの王」を意味すると解釈したのです。

この「パロ」が変化し、英語圏では「ファラオpharaoh」、アラビア語圏では「フィルアウンFir’awn」となりました。

もともとの「pr’h」は、古代エジプト語で「大きな家」を意味する「ペル=アアpr=aa」のヘブライ語読みだというのが通説です。

しかし、実際のところ、古代エジプトでは「パロ(ファラオ)」という単語が王の称号としては使われた事例は一切ないという事実。

また、語源とされる「ペル=アア」も、王宮を意味することはあっても、王そのものを意味した事例は一つもありません。

エジプトでは、王は「王」と呼ばれていたのであって、決して「パロ(ファラオ)」ではないのです。

実際、10世紀頃のイスラム歴史家がエジプトの歴史を調べている時、エジプト人学者と次のような会話をしています。

イスラム「ファラオって元々はどんな意味なの?」
エジプト「え?」
イスラム「ファラオだよ。王様の。」
エジプト「ファラオ?なにそれ」

A.D.10世紀のエジプト人学者は、「ファラオ」を知らなかった。

この事実は、すなわち「ファラオ」という称号はエジプト以外でしか使われていなかったということを意味します。

だとするならば、「パロ=エジプトの王」と解釈することに、合理的な説明はつきません。

例の七十人訳聖書が初めて「pr’h」を「パロ=エジプトの王」と解釈したわけですが、これは、ミツライムがエジプトだという前提があって初めて可能な翻訳なのであります。

『出エジプト記』はフィクションなのか

・証拠が全然ない
・年代もハッキリしない
・移動のルートが変
・エジプトとは言っていない
・ファラオはエジプトの王ではない

こうした事実を列挙すると、「やっぱり出エジプト記は作り話じゃないか!」となりそうです。

しかし、これらの事実は、もう一つの可能性を示唆しているのです。

それは、そもそもエジプト関係ないんじゃないの?という可能性であります。

詳細は次回。


参考文献、サイト様
聖書アラビア起源説
ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか
Homeland of Abraham and the Israeli prophets
オルタナティブを考えるブログ
数えられなかった羊 - 『聖書アラビア起源説』カマール・サリービー 広河隆一訳 旧約聖書とクルアーン

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