さて、いろいろあってアメリカに集結してきたユダヤ人。
持ち前の勤勉さのおかげか、長い歴史の中で培った金融ノウハウのおかげか、教育に力を入れた結果か、はたまたYHVHの御加護のおかげか。
兎に角、20世紀初頭のアメリカ経済界において、幾つかの分野で彼らは一定の成功を収めました。
ユダヤ人の苦手分野
しかし、その一方で、ユダヤ人たちがどうやっても進出できなかった分野もたくさんあります。
銀行
例えば、「銀行」なんかはその最たるものです。
マンハッタンのJPモルガン銀行
いわゆる銀行には、大きく分けて「商業銀行」と「投資銀行」の2種類があります。
「商業銀行」というのは、顧客から預金を預かって、それを投資運用して儲けるタイプの、いわゆる「銀行」という感じの銀行です。
逆に、「投資銀行」の方は、顧客のお金を預かることはしません。投資運用のアドバイスと、株式売買の仲介で手数料を稼ぎます。
で、この商業銀行を牛耳っているのは、いわゆるWASPと呼ばれる人々。
White、Anglo‐Saxon、Protestant。
すなわち、「白人」かつ「アングロサクソン」かつ「プロテスタント」という、絶対的なエリート層がアメリカには存在しており、ユダヤ人はもう全然相手にされていませんでした。
典型的WASP。気取っていやがる。
実際、大手銀行はユダヤ人を一切雇わず、ユダヤ人がアメリカの銀行業に入り込むのは事実上不可能でした。
そのため、ユダヤ人は投資銀行の方に力を入れていくわけですが、その投資銀行業界においても、ユダヤ人を雇っていたのは半数程度。
その半数も、ユダヤ人が自ら立ち上げた会社か、そうでなければユダヤ人の顧客がいる場合に限られていました。
自動車
自動車産業も、ユダヤ人が仲間外れにされていた業界でした。
少なくとも、当時の自動車メーカーのトップにユダヤ人の姿は全く見られないのです。
自動車王ヘンリー・フォードなんかは大のユダヤ人嫌いで、わざわざ「国際ユダヤ人
この本は、ヒトラーの「我が闘争」にもかなりの影響を与えています。というか、パクってる部分が結構ある。
ナチスドイツから勲章を受けるフォード
ただし、タクシー、レンタカー、ディーラーといった自動車関連企業にはユダヤ人が多く見られます。
有名なところでは、ニューヨークを走る回る「イエローキャブ」と、世界最大のレンタカー会社「ハーツ」。
これは、どちらもジョン・D・ハーツというユダヤ人によって創業されました。
ジョン・D・ハーツ。チェコスロバキア系ユダヤ人
基幹と枝葉
商業銀行はWASP、その一部門である投資銀行はユダヤ人。
自動車を作るのはWASP、その自動車を使って商売するのはユダヤ人。
このように、作るのはWASP、販売・流通させるのはユダヤ人という役割分担は、多くの分野で見られた傾向です。
保険業界で言えば、大手保険会社はWASP、その代理店はユダヤ人という傾向がありました。
また、その他多くの業界でも、小売や流通といった分野にユダヤ人が集中しています。
つまり、アメリカにおいては基幹の分野はWASPが支配し、その枝葉の分野でユダヤ人が商売するという構造がハッキリとできていたのです。
当時の価値観からすると、基幹の分野は、モノを生産してお金を稼ぐという点で、アメリカにおけるビジネスの本分「make money」を体現するものでした。
一方、ユダヤ人が関わるような枝葉の部分は、モノを生産しない単なる「金稼ぎ(get money)」と見なされました。
こうして、ユダヤ人はアメリカ経済界で、ますます軽蔑されていったのです。(その後は、枝葉の方が儲かる業界になっていくわけですが。)
政界への進出
さて、ビジネスの方はそんな感じでなかなか主流にはなれない状況でしたが、政治の方はどうかと言いますと、こちらもかなりイマイチでした。
上院と下院
アメリカ議会には「上院」と「下院」がありまして、日本で言う参議院と衆議院みたいな感じになっています。
アメリカ議会
ただ、日本と異なっているのは、上院と下院のそれぞれにキチンと意味がある点です。
まず、前提としてアメリカは”United States“でして、State(=州)の集合体なのであります。
そのため、アメリカ建国当初より、「中央政府はあんまし出しゃばってはいけない(戒め)」みたいな風潮がありました。
州の意思を尊重しなくてはならなかったのです。
そこで、議会を二つに分け、次のように役割を分けました。
上院
各州から平等に2名ずつ選出。
任期6年。
「各州の代表」という位置付け。
下院
各州の人口比率に基づき、1名〜53名選出。
任期2年。
「民意の反映」という位置付け。
当然、州の代表である上院の方に、より強い権限が与えられています。
例えば条約締結や宣戦布告みたいな外交政策の承認権とか、重要な官職の任命権とか、大統領の弾劾権とか。
そういう国の方向性に関わるような権限は、上院のものなのであります。
ユダヤ人議員の数
なお、1850年〜1950年の100年間でユダヤ人の上院議員は、わずか6名。
1913年〜1950年に限れば、0名です。存在感としては鼻くそ程度です。
下院の方は100年間で62名と、それなりにいますが、そのほとんどが1期目か2期目で選挙に負けています。
これは、2〜3%という人口比率からしても、かなり少ない。
この議員の圧倒的少なさは、当時のアメリカにおけるユダヤ人の存在感をそのまま表していると言えるでしょう。
政治に食い込む
そんなわけで、ビジネスも政治も、どうもいまいちアメリカに食い込めていけないユダヤ人でしたが、1933年に大きなチャンスが訪れます。
共和党と民主党
ご存知の通り、アメリカは、共和党と民主党による2大政党制を敷いています。
共和党は、日本で言うと自民党みたいな感じ。
古き良きアメリカの価値観を守る政党であり、WASPは基本的にみんな共和党支持です。
それに対して民主党は、リベラル寄りの政党。日本で言うと「キチンとした民主党※今は民進党」みたいな。
貧困層とかマイノリティーが支持基盤であります。
F・ルーズベルト
そんな折、1933年の大統領選で、民主党のフランクリン・ルーズベルトが勝利を収めました。
フランクリン・ルーズベルト第32代大統領
時は世界恐慌の真っただ中。
何よりも経済政策が重視された時期でした。
そんな中、「ニューディール政策」を掲げて大統領となったルーズベルトは、経済に精通したブレーンを喉から手が出るほど欲していたのです。
しかし、ルーズベルトは民主党であり、WASPからうまく人材を集めることができず、頭を抱えていました。
当時のアメリカで、白人以外で経済に明るい人材を揃えていたのは?
そう、ユダヤ人です。
ユダヤ人は巧みにルーズベルトへと近づき、ルーズベルトへ協力することを約束します。
こうして、ルーズベルト政権には、連邦最高裁判事、財務長官、大統領首席補佐官、大統領特別顧問、証券取引委員会委員長、といったそうそうたる職務に計10名ものユダヤ人が登用されることとなったのです。
この人事は、当時のWASPから相当の反発があったようで、「ニューディール政策」も、「ジューディール政策」などと揶揄されました。「ジュー(Jew)」はユダヤ人の意。
ニューディール政策の恩恵
ルーズベルトがニューディール政策の中で実施した経済政策のうち、最も有名なのが公共事業による雇用の創出です。
テネシー川流域の大規模開発とか
早い段階でアメリカに渡ってきたユダヤ人たちは、アメリカ社会に結構馴染んでいて、もう「準WASP」扱い。
多くが共和党を支持していました。
しかし、ロシアや東欧で迫害を受けて難民同然でアメリカに渡ってきた東欧系ユダヤ人たちは、人数こそ多いものの、まだまだ貧しくそして就職差別も厳しいものでした。
そんな彼らが、ニューディール政策によって職にありつく事が出来たのです。
結果、東欧系ユダヤ人はルーズベルトと民主党を熱狂的に支援するようになり、それに引っ張られるように、ユダヤ人社会全体が民主党寄りになっていきます。
ルーズベルトは通算4回の大統領選に勝利していますが、2回目以降の選挙では、ユダヤ人の実に90%がルーズベルトに投票したと言われています。
その後
こうして、民主党とのつながりを得たユダヤ人。
ここから、ユダヤロビーがどのようにして世界最強のロビー団体へと成り上がっていったのか。
次回はそこらへんを見ていきたいと思います。
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