マスケット銃の命中率www
フス戦争での大活躍によりその存在をヨーロッパ世界に轟かせた「銃」。
しかし、黎明期の銃は、ライバルであるクロスボウやロングボウと比べると、著しく劣る点がありました。
それは、とにかく命中しないということ。
誰にでも扱えて、轟音と閃光で敵を怯ませられる、という利点はあったものの、それ以上に、純粋な兵器としての性能に難がありました。
銃の進化は、この命中率を改善させるための創意工夫の歴史だったのであります。
タッチホール式
15世紀初頭時点、銃の最大の問題点は、着火方法にありました。
当たり前ですが、銃を発射するには火薬を着火させねばなりません。「笛」を始めとする初期の銃は、銃身に穴が空いていて、そこに火種を差し込んで着火させていました。
これを「タッチホール式」と言います。
銃を小脇に抱えて片手で着火させるわけですが、このような体勢では「狙う」とか無理。
この「着火する際に片手で保持せざるを得ない」という点を改善するには、もっと簡易な着火方法を考案する必要がありました。
火縄の発明
そもそも、着火方法の前に、火種をどうするかというのがまずかなりの難問でした。
火縄が無い頃は、真っ赤に焼いた鉄線とか普通の麻縄とかを火種にしていましたが、これでは長時間の使用には耐えられません。
そこで、炭のようにゆ〜っくりと燃焼し、かつ持ち運びやすく、銃に取り付けやすい大きさの火種が待ち望まれていました。
こうした中で考案された火縄。
その作り方は意外に簡単で、麻縄に硝酸を染み込ませるだけ。硝酸は燃焼に必要な酸素を供給する役割を果たします。
普通に麻縄に火をつけるだけでは自然に鎮火してしまいますが、硝酸が酸素を供給してくれるので、長い時間ゆっくりと燃えてくれるというわけです。
この火縄が考案された事により、着火方式はものすごい勢いで進化していきます。
サーペンタインロック
最も古いアイデアは、すでにフス戦争より古い1411年に、すでにオーストリアで考案されています。
どこかホッとする絵柄である。
このZ型の金具の片方を握ると、反対側の先っぽに取り付けた火縄が火穴にスポッと入り、見事に着火するという仕組み。
着火方法自体はタッチホール式と変わりませんが、両手で銃を保持したまま発射することが可能となったのです。
このあたりの機構は、クロスボウというお手本もあったため、比較的スムーズに工夫されていきました。
このZ型金具は、すぐにS型金具へと改良されます。
このくねった金具は蛇に見立てられ、「サーペンタインロック式」と呼ばれるようになりました。
こうして、ついに「引き金」のようなものを持つ、形状的には我々の持つイメージとほとんど変わらない「サーペンタインロック銃」が誕生しました。
マッチロック式
サーペンタインロック式は、すぐに次の段階へと進化します。
それが、「マッチロック式」という着火方法。
サーペンタインロック式では、銃身にあいた穴に火縄を直接突っ込む仕組みでしたが、金具が少しズレただけで、もう着火しません。いざという時に撃てないのは致命的です。
そこで、より確実に着火させるために、考案されたのが、「火皿」。
この、銃身の脇から突き出た小さなお皿は、小さな穴で銃身内部へと繋がっています。
ここに粉末状にした燃えやすい火薬を盛り、火縄で着火させると、銃身内部へと火が伝わります。
発射の仕組み
また、こうした工夫と合わせて、銃の形状も扱いやすいよう工夫がなされていきます。
引き金と着火機構
まずは、「引き金」と「着火機構」が独立した概念として認識されるようになったこと。
引き金と着火機構の間には板バネが仕込まれ、常にアームが上がっている状態を保ちます。引き金を引かない限り、アームは絶対に下がらないようになっており、暴発の危険性を下げます。
さらに、こうしたカラクリを入れることで、引き金の位置もより握りやすい位置へと移動できました。
肩当て
「肩当て」がつけられたことにより、狙いをつける時の安定性が上がり、発射の反動も支える事が出来るようになりました。
こうして、「アルケブス銃」と呼ばれる、いわゆる一つの火縄銃が完成しました。
ヨーロッパへ火器が伝来したのが、13世紀の終わり頃。
たったの200年足らずで、ほらもう火縄銃にまで進化しましたよ。速い!
なお、よく聞く「マスケット」という言葉。これは、元々は「大型のアルケブス銃」という意味。
というか、アルケブス銃の威力を高めるために大型化していったものが、マスケット銃でした。
2mに及ぶ長さ。支え棒無しでは構えられないほどの重さ。
取り回しは結構大変で、これを扱う銃士はエリートだったとか。
なお、時代が進みマスケット銃が軽量化されるにつれ、アルケブスとマスケットはあんま区別する必要がなくなっていきました。
そうして、17世紀くらいになると、「銃身の内側がツルツルで、前から弾を詰めるタイプの小銃」という意味で使われるようになっていきました。
マスケット銃の命中率www
このような改良がコツコツと積み重ねられ、銃はより一層扱いやすくなっていきました。
発射動作は簡単。照準も合わせやすい。甲冑を軽く貫通する威力もあります。
連射こそできないものの、なかなかに素晴らしい飛び道具のように見えます。
しかし、いざ撃ってみると、やっぱり当たらない。
きちんと狙っているはずなのに、さっっぱり命中しません。
なぜか。
その理由は、マスケット銃の根本的な構造に由来します。
マスケット銃は、着火方式はかなり進化したものの、本質的には単なる筒です。したがって、弾薬は前(銃口側)から装填するしかありません。
銃口から弾を入れるためには、筒の径は弾より太くなくてはなりません。これは仕方ない。
そして、当時の弾丸はまだまだ大きさや形にめちゃくちゃバラツキがあったため、筒の径をさらに余分に太めにしておかなくてはなりません。これも仕方ない。
15世紀のマスケット銃弾。大きさバラバラ。形デコボコ。
その結果、口径はガバガバ。
そして、もう一つの問題は、弾丸という名の通り、弾が球形だった事。
口径がガバガバで、弾が球形。
この事から引き起こされたのは、弾道の激しいブレでした。
発射された弾丸は、銃身内部にぶつかりながら進み、縦回転や横回転や斜め回転がかかります。
これって、要はランダムに変化球を投げているのと同じ状態となります。
必ずカーブがかかるなら、まだ狙いようもありますが、シュートだったりスライダーだったりHOP-UPしたり。まったく予測がつきません。
これを防ぐのがライフリングなのですが、その実用化は19世紀まで待たなくてはなりません。
マスケット銃を固定して100m先の人間大の的を撃つと、その命中率は50%。
実際の戦場では、射手の精神状態、装填する火薬量、弾の形状などの要因で狙いがさらにブレ、せいぜい15%程度の命中率だったようです。
このマスケット銃の命中率は、最後までたいして改善されませんでした。
マスケット銃の使い方
そんな微妙なマスケット銃も、使い方次第では圧倒的強さを発揮したりもします。
時は1525年。
この頃、ハプスブルク家(神聖ローマ帝国・スペイン)とヴァロワ家(フランス)は、イタリアでの権益を争い、60年にも渡る戦争の真っ只中でした。
その両軍が、イタリア北部のパヴィア城で激突した時のこと。
パヴィアの戦い
両軍ともだいたい23,000人と、ほぼ同数の戦力。
しかし、スペイン側にはマスケット兵3,000人がいました。
スペイン軍は、「テルシオ」と呼ばれる革命的な陣形を持って、この戦いに挑みます。
その陣形の内容を超ザックリ言うと、パイク兵(長槍兵)を四角に配置し、その周囲をグルリとマスケット銃兵で囲うというもの。
テルシオ(の小さい版)
※丸一日かけて、2〜3000人規模でこの四角い陣形を組みます。
この陣形の肝は、マスケット銃兵が横列単位で一斉射撃をするという点。
マスケット銃は単品ではなかなか命中しませんが、「一斉射撃で弾幕密度を上げればどっかに当たるべ」と考えたわけですね。
また、スペイン軍は司令官の号令に従って行動するよう厳しく教育されており、一斉射撃のタイミングもバッチリ。
この弾幕に対して正面から突撃することは文字通り「自殺行為」でした。
なお、運よく一斉射撃をくぐり抜けても、内側のパイク兵に串刺しにされてしまいます。
圧倒的防御力
こうして、華々しい騎士の時代は一旦終わりを告げ、「銃を持った名も無き歩兵」が戦場の主役となったのです。
また、銃の進化はこの後も絶え間なく続き、戦争の形は目まぐるしく変わっていきます。
コメント (96件)
日本の火縄銃の命中率はどれぐらいあったんだろうか
当たらないから弾幕張るべっていう
脳筋な発送すこ。
毎回思うんだがマスケットって下に撃てなくね?弾が転がり落ちてきそうなイメージなんだが。打ち下ろす戦術できないのキツくないか
なんか前と比べて圧倒的に分量薄くない?
てっきり今回の更新で、
マッチロック→ホイールロック→フリントロック→
パーカッションクリップ→ニードルガン
まで行くと思ってた。
※3
普通に撃てるよ。
弾込めの時に布で包んで弾込めてるから
※4 訂正
パーカッションクリップ→パーカッションキャップ
ニードルガン→ドライゼ銃
※1
日本の火縄銃は精度が世界一で今もマスケットの大会で日本製が重宝される
※3
火薬入れて弾を入れるとき布の切れ端つめてギューって突き固めるから簡単には落ちないよ
同じ時代に日本には何十万丁も鉄砲があって世界最強だった
ってネットでよく見るけどまじなのか?
それともホルホル?
あの頃の銃は防御兵器だから。
※8
半分ホルホル
よくわからんが固まってる方だって的が大きいから狙い撃ちされるよね
ガードもないし移動も遅い
それに、結局高価な銃そのものの効率が悪いことには変わりは無い
でも確かにこれには近づきたくないからそういう方面の意味合いなんじゃないかなあ?
たくさん敵がよってくるならバンバン撃てばいいけど少人数とかだと撃つかどうか迷いそう
ライフリングは凄い発見だったんだな
硝酸は揮発酸なんで染み込ませたところで乾くと二酸化窒素になって揮んでいきますよ
染み込ませるのは硝石、つまり硝酸塩です
※12
ライフリング技術と言うか原理(回転つけたら真っ直ぐ飛ぶ)は
ぶっちゃけ太古からある。何で銃にライフリングを施さないって、単純に「メチャクチャ大変」だからだよ。
戦車を作る時に一番大変な工程が、砲身にライフリングを施す作業のようにライフリングを施すための削り作業がくっそ面倒だし、黒色火薬はゴミが出るから、ライフリングの溝に埋まって掃除が大変で次弾装填がくっそ遅くなる。それだったら一発一発当てることより、銃の数増やして、連射しまくれば当たるやろってなった。
>>1
銃身の製法にもよる
トイレットペーパーみたいにただ巻くだけの製法(うどん張り)だとそれほど良くない
一方で、トイレットペーパーの芯みたいに細長い鉄板を斜めに巻く製法(葛巻き)は強度も良くて、斜めに巻くことによって気持ちライフリングみたいなものが入るから命中率も比較的良かった
葛巻製法について
ええ動画があった
ttp://www.nhk.or.jp/rika/10min3/?das_id=D0005100060_00000
100mで50%って低いんだろうか
弓でもその距離じゃなかなか当てられない気がするけど
画像の弾丸がデコボコなのは地中に埋まっていた発掘品だからだよ
だから錆びたり変形したりしている
「肩当て」って「脇当て」じゃないの?
※19
銃床は肩に当てて使う物だよ
でも過渡期には色々と変わった形の銃床が生まれた
脇に挟んで使うタイプの銃床も存在したよ
>これを防ぐのがライフリングなのですが、その実用化は19世紀まで待たなくてはなりません。
17世紀にはドイツでライフルドマスケットが作られているけれど、量産が効かなかったのと、教会が悪魔扱いしたせいで普及しなかった……と聞いたことがある。
ホントかどうか知らんけど。
銃の歴史って面白いよな
※8
戦国時代なら世界最強は本当。
なにせ当時世界最強クラスの明軍圧してたからな。
江戸時代なら雑魚
ライフル自体はそれこそマスケットの登場と同時期に出来たけど。
作るのが大変なのと、そもそも弾丸と口径がぴったしあってないと意味が無いのと
銃身の掃除が面倒なのと、弾込めにも引っかかって時間がかかるってことで
まるで普及しなかった。
ライフルが17世紀の時点で普及してた国なんて日本くらい。
日本は精度厨だから。
※8
単純に日本の総人口と兵員の数が多いって話じゃね?
欧州は多少改善されたとはいえ食糧事情悪かったから欧州の一国家と日本を比べると日本のほうが数倍から数十倍くらいは規模が大きくなる。
日本は特に内戦続きで職業軍人が異常に多かった時代だし。職業軍人の数だけで言ったら今の自衛隊より多いんじゃないかな。兵器の性能がドングリの背比べで兵員の数が多くて質が高ければ強いのは当たり前。
とはいえあの時代は輸送能力しょぼすぎて日本も欧州の小国にすら勝てないけどw
※24
日本初の国産ライフル銃は1880年に作られた村田銃なんですが。
フランス製のシャスポー銃を簡易化して国産化したのが村田銃。
それまでに欧米ではミニエー銃からドライゼ銃など、様々なライフル銃が量産されていました。
※26
※24が言っているライフルはこの場合、「ライフリングを施した銃」ってことだろうよ。
東アジアにとって、ライフリングは結構ポピュラーな技術みたい。
14世紀の朝鮮の大砲にもライフリング施してんだから。
日本の火縄銃が同時期の欧州のそれに比べて命中精度が高かったのは、瞬発式火縄銃という改良型を使ってたからでしょ? 本文にも書いてあるように欧州のアルケブスはバネで固定された火縄を、引き金を引くことで火皿に「押し当てる」ようにして着火するけれど、日本に伝わって流行したものは引き金を引いてストッパーを外すことで、火縄が火皿に「叩きつけられる」。これのおかげで、いまだ!と思った瞬間に発砲できるから命中率が上がった。
ただ火縄を叩きつけるという機構は、当然ながらすぐに次のフリントロック式(火打石による着火法)の発想を生むわけで、どうも火を直接持ち歩くのを嫌いまくった欧州では相変わらず命中精度の低いマスケットの集団運用にこだわった。一方日本人は命中精度を重視して、フリントロックが伝わっても反動が大きくて使えないとかで見向きもされなかったとか。このへんは民族性というか、農民でもきちんと教育すれば火薬の取り扱いに習熟できるっていう確信が戦国~江戸期の日本にはあったんじゃないかと想像してる。
戦列歩兵の話は次かな
100mで50%なら良いな
弓もぶっちゃけ数撃ちゃ当たるだろあれ
まあ同じだったら連発出来る弓でいいか
※8
基本的に戦争が続くと兵士の練度やら戦術やらが発展して
軍隊が強くなる傾向がある
日本ホルホルというより
戦国時代だから日本の軍事力が高かった
※8
前にどっかの記事の米欄で言われてたけど、日本の火縄銃保有数が百万くらいあって世界一の鉄砲保有国だったって証拠は全く無い。「戦国時代に脳筋だったのに、なんで江戸時代は泰平の世になったのか」みたいな本がその眉唾話のソースになってるよ。それに普通に考えたら当時欧州ではそれくらいの銃砲は保有してたはずだからね。
強さで言うなら、日本人傭兵は植民地支配用に東南アジアに出回ってた訳だし、戦争がずっと続いてた事もあって売り物になる程度にはスゲー強かったんじゃないかな。その売り物たちは平和になった日本には居られないレベルの荒くれ者だったから、雇用国から文句言われるくらいに暴れん坊将軍してたみたいだけど・・・。
※27
なんでアジアではライフリングが発達したんだろ?不思議だわ
面白く興味深いブログをありがとうございます。
いつも楽しみにしています。
ライフリングが東アジアでポピュラーな技術だったって話は初めて聞いた。日本の火縄銃は滑腔式じゃないの? そういうのってどこで読めるん?
※24
螺旋ライフリングが軍事的に普及しなかったのはひとえにその装填速度の遅さ故であって、装填速度の遅さは問題にならない∧精度が必要になる狩人や狙撃手には普通に使われていた
銃の整備だって彼らにはやるのが当然なわけだし
螺旋ライフリングが軍事的に普及しだしたのは後装式が実用的になってからだけど、そのへんはブログ主が次の話題でやるだろうから言わない
15世紀に欧州の職人がライフリングを施した銃を作ったらしいがいかんせん手間かかるし量産はできなかった模様
それにこの時代は所詮前装式だから弾込めでライフリングが磨耗するっていう
井原西鶴の武家ものを読んでいたら、鎖でつながった二つの弾丸を詰める描写があった。鉄砲名人がそれで見事に人質を抱えて立てこもっていた男の腕を切断するのだけれども、銃の進歩をよそに弾丸だけいろいろ開発しているのも妙な話。
※35
先込め式の頃からライフリングを刻んだ銃が戦場の主役だよ?
ミニエー銃が南北戦争で大活躍したじゃん
※38
何故かその辺の銃の記憶が頭から吹っ飛んでたわスマン
ライフリングそのものは昔からあったのに何故滑腔砲ばっか使われたのかの話ってことにしといて
東アジアでライフリングが盛んだったって本当かよ。眉唾なんだが。
確か日本に伝わったのは元々狩猟用だから、ヨーロッパで広くつかわれてたマスケットより基本的な命中率が高かったんだってな。その分威力が落ちるらしいけど。
※37
井原西鶴が知っていたかどうかはわからんが鎖弾は大砲の技術
艦砲で敵船のマストなんかを効果的に破壊して航行不能にするための砲弾だよ
※40
論より証拠
http://www.nhk.or.jp/rika/10min3/?das_id=D0005100060_00000
の動画の2:52の銃口を整える工程がライフリング作業を担ってる。
意図してかは知らんけど。銃口を整える時に思いがけない効果を発見したケースだろうね。
※43
おお、いい動画ですね。
ところでこれってライフリングのための作業かな? ご指摘の錐で銃口を整える部分、古文書なんてよくは読めないけど、錐の絵を見る限りどうも溝を掘るためではなく、筒の内部をむらなく綺麗に仕上げるためのものに見える。「少しの傷も無き様すべき」云々と書いてあるのも錐の刃の部分についての言及だよね?
それと動画の最後に銃の内部を覗き込む画面があるっぽいけどなんかライフリングの溝とは違う形状に見えるな。これは根本の蓋にするネジのための溝かな? 銃口のはっきりと見える画像なりがあればいいんだけど。
※44
maggiesfarm.anotherdotcom.com/uploads/gunsmith3wmsburg.jpg
マスケットのガンスミスの画像。
around-world.net/ASIA/PK/PK72.jpg
アフガニスタンのコピー銃職人の画像
銃口を整える削り作業なのは間違いないけど、ライフリングも溝の深さ以外やってること一緒だよ。溝を深くすれば、よりまっすぐ飛ぶってのは銃の前の大砲の時代から判明してる。
溝を深くするには筒を厚くし、さらに人力で削らないといけないから、
「銃一丁にそこまで労力と金をかけるくらいなら、銃の数増やそうぜ!」って流れになる。
ライフリングの真の効果は工業化による機械化するまでおあずけ。
東アジアは常に大量の遊牧民との戦いだから、いかに火薬兵器の弱点である「低い命中率と遅い装填速度」を克服するかに躍起にならざるえない事情もあった。
コメ欄読んで興味湧いてちらほら調べてみてるんだけどさ、
結局「ライフルが17世紀の時点で普及してた国なんて日本くらい」って話が語られてるのがここのコメ欄しか見当たらないんだよね。むしろ15世紀に発明されたライフリングはただ溝がまっすぐ掘ってあるだけで、一般にライフルで用いられている回転目的のライフリングが欧州で発明されたのは1742年だと言っているところもある。他も、戦国時代の火縄銃はあくまで滑腔銃だというのが大前提の常識って感じだわ。そりゃあ江戸時代後期には欧州のライフルを見よう見まねでコピーした日本人もいたというけれど、17世紀までいくとライフルは厳しいんじゃないのか・・・?
東アジアでライフリングがポピュラー云々も、なんか14世紀の朝鮮の大砲が~なんて単語が出た時点で、ひどくうさんくさく感じられる。
自分が勉強不足なのは分かってるんで、どうか後学のために、はっきりと信用に足る説なり証拠なりを紹介して欲しいな。
日本の火縄銃の性能が良かったのは職人の腕が良く品質が高かったからだと思う。
ちなみにロビンソークルーソーの孤島での耐乏生活を支えたのはマスケット銃。
マスケットと書いたり、マスケット銃と書いたり統一してほしい。
マスケットに銃はいらないんだけれども。
※46
マッチロック時代のライフリングって現代の感覚のライフリングに比べれば全然うっすいから、ライフリングにカウントされてないんじゃないの?
※46
マッチロック時代のライフリングって現代の感覚のライフリングに比べれば全然うっすいから、ライフリングにカウントされてないんじゃないの?その1742年とか言ってる奴の中では
※51
うっすいライフリングにライフリングとしての効果は期待できるのかしら
仮にその効果を期待してうっすい溝を付けてたのなら、どうしてその職人たちはもっと効果的なライフリングを切ろうとは思わなかったの?
※43と45の画像も見たけれど、この道具はライフリングを施すものなの? 穴を綺麗に整えているようにしか見えないし、この構造だとライフルの特徴的な模様は描けないと思うのだけれど。無知でごめんね
あとできればそのうっすいライフリングとやらの画像なりがあると嬉しい。なんか画像検索とかしても銃身の内部をかっさばいて見せてくれているものが見当たらん。銃口だけみるとただの丸い穴なんだけど、まぁこれだと内部に溝があるかどうかは分からないにゃあ。
そういえば現代でも火縄銃使った大会があるんだっけ、誰か参加したことある人いないの?
※52
youtu.be/VbOt-y0oI68
http://www.pyramydair.com/blog/2015/09/the-invention-of-rifling-part-1/
こういうのでいい?
※53
探してきてくれてどうもありがとう。とりま画像だけ見て来たけれど、日本の(できれば戦国~江戸初期くらいの)火縄銃はなかったかな。動画のほうの一挺目は1690年でギリ17世紀だけど、ここのコメ欄で問題にしている火縄銃というのはもっと前の時期のものだと勝手に認識していたんだけれど。。。
あとこれらの画像では銃口にはっきり溝がついてるのが分かるけれども、自分が見た限り、日本の火縄銃で銃口にギザギザが刻まれているのを目にした記憶がないんだ。まぁその中には映画の小道具なんかも含まれちゃうわけだけど。だけどもし銃口だけはツルツルで、割って中を開けばライフリングが施されているものが現物としてあるのかな?と想像していたんだよね。自分は今まで、銃口がツルツルの場合はやっぱり、ライフリングが切られていないと考えるのが自然と思ってたんだけど、違うのかね。
ブログのほうでは、やはり初期のライフルは溝がまっすぐ掘られていた「らしい」ことが指摘されているね。動画のほうは英語がむつかしくて良く分からなかったナリよ。こんど時間あるときに字幕ONにしてもっかい挑戦してみるわ。
命中率の低いマスケット銃で現代銃器を使うほむらを圧倒できるマミさんって凄いんだな
対オスマン帝国戦で手銃とウォーワゴンを使うフス派の戦術を使ったフニャディ・ヤーノシュと、その子ハンガリー国王マーチャーシュ1世が率いた強力な傭兵軍「黒軍」は火銃兵の割合が欧州中でもずば抜けて高かったらしい。
15世紀後半のブルゴーニュ戦争でシャルル突進公が、パイク(槍)兵に弓兵と手銃兵を組み合わせたテルシオの先駆けを組織したとか。
「ノイス包囲戦」ハンドキャノン(手銃)と弓と大砲
ttps://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/24/0f/8e/240f8e3ed166f448e7e824d893d654ba.jpg
「グランソンの戦い」肩当てがあるハンドキャノンぽい初期のアルケブス?
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b7/Luzerner_Schilling_Battle_of_Grandson.jpg
「ナンシーの戦い」アルケブス?
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/43/RenéDeux.jpg
シュヴァーベン戦争(スイスVSハプスブルク・神聖ローマ帝国)のアルケブス
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/93/Schwäbischer_Bund_Luzerner_Schilling.jpg
近代軍的諸兵科連合あるいは三兵戦術の先駆けを組織実行した、フランスのシャルル8世は、銃兵隊と銃騎隊というのを運用していた。
15世紀末の第一次イタリア戦争のフォルノーヴォの戦い(フランス軍VSイタリア諸侯・スペイン王国・神聖ローマ帝国同盟軍)のアルケブス
ttps://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/Battle_of_Fornoue_6_July_1495.jpg
16世紀、第二次イタリア戦争のチョリニョーラの戦い(1503年)では、ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバによる近代改革を経たカスティーリャ=アラゴン(スペイン)軍で、兵数約7000人の内アルケブス兵が1000人を占めていた。結果は野戦築城により銃器や投射兵器類が効果を発揮してカスティーリャ=アラゴン軍がフランス軍を壊滅状態に大敗させている。
>>ランダムに変化球を投げているのと同じ
管理人の喩え相変わらず分かりやすいなwww
相手を殺すんじゃなくて、飛んできた弾を打ち返す競争だったら
マスケット無双だったわけねw
トリガーって湾曲により引き絞る動作で引けるのがすてきだと思う
ゲームのコントローラーとかはこれ理解せず作ってて押し込みながら指のずれを修正しなきゃいけない
???「有象無象の区別なく私の弾頭は許しはしない!」
※58
それってプレステだけじゃない?
安土期の日本が世界で一番の銃保有国だった、ってのはノエル・ペリンの著書でしか書かれてないんだよね。それがなんか知らんけど(まあたぶんwikipediaのせい)ネットでやたら言われるようになった。
ノエル・ペリンはエッセイストであって歴史学者じゃないのよ。そのような内容が書いてある著書もエッセイであって、その考察に到った資料の開示もないし。
まあ、司馬史観ぐらいに考えといたがええよ。
ああ、あと、コメ欄でライフリングの発端はどのあたり?ってのが盛り上がってるけど、これは16世紀のドイツ地方。この前装式ライフルを持った者を集めた部隊が有名な「猟兵」(イェーガー)。日本には江戸期に入ってきてイェーガーがなまって「ヤーゲル銃」って呼ばれてた。
つまり欧州ではミニェー銃が出てくる(19世紀)まで、ライフリングに力で無理やり弾丸を食い込ませるタイプの前装ライフル銃を使ってた期間が200年ぐらいあるんだ。
数も揃わないし、装填もむちゃくちゃ遅いからいわゆる「軽歩兵」のはしりみたいな使い方をされてたわけなんだけど、なにしろ装填に力が必要なもんで(弾を装填のときにライフリングに食い込ませながら装填するために、銃床を地面にたたき付けるようにしないと装填できない)軽歩兵お得意の寝転がって撃ち続けるってのができずに軽歩兵の装備としてもなかなか主流にはならなかった。
もののけ姫で見た
※62
盛り上がってるのはどっちかっていうとライフルそのものの起源ではなく、日本の火縄銃についてだと思われ。できればそちらについての見解が欲しいところかと。
17世紀だか14世紀だかにアジアでライフリング技術が普及してたとかいう話、どう思う?
※64
そんな話聞いたことないなあ。
個人的な見解を述べるしかないけど、「普及した」ならともかく「存在した」だったら17世紀だったらあるかもね。欧州のが入ってきたこともあるだろうから。
普及した、ってのはまあなかろうね。そう考える理由は交戦距離。
ライフリングがちゃんと効果が出ている銃だったら精度もだけど射程が飛躍的に延びる。明や日本で交戦距離が伸びた、って話は残ってないね。日本の火縄銃に関して言えばむしろ欧州での交戦距離よりも短いな(欧州のマスケットは弾が大きく重いってのもあるが)。
普及してたんなら交戦距離が伸びてると思うよ。
※61
小学校の頃の爺さん先生も言ってたし多分昔からずっと日本史あるあるとして語られて来たんじゃない?
戦国時代だと鉛玉に竹串さして真っ直ぐ飛ばす工夫とかを根来衆がやってたとか、時代小説であったな。
聞いたことないよねぇ。どうもありがとう。
交戦距離に関しては、秀吉の朝鮮出兵のときに日本軍が、ふだん国内で使うものより小さい弾丸で飛距離を稼ぐやり方に切り替えて戦っていたと聞いたな。それが関ヶ原や大坂の陣なんかの、17世紀の内戦に反映されているかどうかは知らないけれど。
米65何者だよw
記録が残ってないってすぐ断言できる知識量すげーな
いいブログはコメント欄も面白い
>>2
無線機登場以前の軍隊なんて人間の声で命令伝えるしかない訳だから、どのみちギッシリ隊列組んで運用することになるんだよ。それに、隊列の前後左右で士官や下士官が見張ってないと、兵隊さんは仕事してくれないから。ナポレオン戦争の頃ですら、広く散開して各個に目標選んで射撃出来る兵隊なんて、ほんの一握りのエリートだったしねぇ。
>>43
それは今で言う所のリーマーがけの事、そんなもんでライフリングが切れる訳が無い。
ライフリングの切り方の知識の無い奴が多すぎて、笑う。
昔のライフリングの切り方は、
ボタンと言う微妙に大きさの異なる鋼製のオス型を多数用意し、
小さい順に片側から押し込み引き抜く、
これを次々繰り返し目的の深さまで螺旋溝を掘る。
当然、施条数が多いほど抵抗が大きく大変なので、三条や二条なんてのも有った。
しかしな、薄いライフリングって何だよ?www
当然、戦国時代の火縄銃にライフリングなんて無い。
其れと、最も原始的な方法は所謂、手切り(フックカッティング)と言うやつで、
鈎爪のむついた棒を銃身に突っ込み施条を一本づつ二、三十回削りながら仕上げる。
しかも銃身を一定のピッチで回し、螺旋に仕上げなければならない。
大砲の様な口径の大きなものならまだしも、
小銃となれば、もう職人技と忍耐の世界。
学校では此処まで教えないだろう?
※1 有効射程距離が約200m実際撃つ距離が100m~150m命中率約50%
※8 関が原の合戦で人類史上最大の銃撃戦を展開、1日10万発の弾丸が飛び交う激戦だった。
※22 12~13世紀ジンギスハンの考案した青銅製攻城兵器(大砲)をコンパクト化したのが銃の始まり。
※26 村田小銃の銃剣は凄いぞ、豚の頭蓋骨を貫通させても刃毀れ一つ無い業物。
※47 日本の伝統芸カラクリが大きな原因、銃身が刀鍛冶が担当、引き金+撃鉄(点火装置)がカラクリ職人が担当
戦列歩兵でやってたことを
指向性散弾一個でできちゃうんだから
技術の進歩は凄いな
※71、72
まさにライフリングの切り方を知らなかったので、こういうコメントが欲しかった。おかげでぐっすり眠れそうだわ
※74
指向性散弾は地雷タイプでしょ
戦列歩兵の弾幕ばらまき能力を表すなら重機関銃とか迫撃砲じゃね?
迫撃砲は違うか・・・
まあ重機関銃が上位互換な気がする
一斉射って意味だったんだけど・・・
機関銃だと継続射撃やん
久しぶりに見に来たら兵器の進化まとめブログになってるじゃねーか!
※77
指向性散弾で一斉射撃ってするもんなの?
マスケットだって比較的遠距離の銃弾での制圧だから別に重機でも間違ってないと思うんだけど・・・
つまらん
戦国時代の日本の火縄銃の数が世界一は半分本当で、半分過大評価でしょ。
人口がそもそも違う。当時の人口はイギリスとフランスとドイツ足して日本と同じ。
欧州でそれだけの規模の人口と領土あれば、大帝国だよ。日本は鎖国江戸時代になり、新田開発するものの限界あり、鎖国で海外にも領土が増やせず、人口増加が止まり、世界の中での人口と動員兵力で取り残された。
日本は大砲を必要な城壁や石の城がないので、限られた火薬や金属を鉄砲につぎ込めた。
大砲と鉄砲では鉄と銅など材料違いあるけど。火縄銃が日本に普及した時に欧州では火縄銃は廃れて時代遅れなど。単純に数が戦力というわけでもない。
当時の日本は野戦では世界トップレベルだろうけど、城や都市を落とす攻城兵器が普及してないし、造船技術がイマイチで朱印船貿易でも中国や南蛮人に船を作ってもらったり輸入していた。トップにはなれなくても世界で上位の国力を保ってきたのは誇れることだと思うけど。
ていうか当時の日本を一個の国としてカウントするのはアリなのか
一致団結して戦ったりできたのかな?
>そもそも弾丸と口径がぴったしあってないと意味が無い
そうでもない
火薬の爆発で弾が平たく潰れるからちょっとくらい隙間があっても埋まる
この記事で書かれてるテルシオが登場するまでは日本の銃保有数は比較的多かったんだろうね
欧州で戦術がどんどん開発されて軍における銃兵の割合が増えてくると逆転しただろうけど
おいおい100㍍の近距離で 敵が黙って突っ立ってるワケないだろ
動いてるから当然、命中率は下がるだろ
まぁ良くて命中率5%だな
72だけどフックカッティングの動画が落ちてた。
これ、ttps://www.youtube.com/watch?v=ihPFjuxBjPo
コイツすげー。
中世ヨーロッパのしょぼさを知ってると納得しちゃうんだよな
ファンタジーRPGのおかげで凄い文明だと勘違いしてるやつがまだまだ多いけど
ずーっと細々しててスケールも何もかも小さい
小麦と米の取れ高、保存性の問題だけどな
安土時代の日本の人口は推定1850万人だってさ。
太閤検地の日本の石高が1850万石と確定してるから。基本的知識として、成人1人が米だけ食べて1年間生きるのに1石を必要とする。(酒を飲む副食を食べるなどの贅沢は出来ない)
常時動員可能兵力が約30万人これ、ギリギリの状況で働かない者に食べさせる食糧を常時供給出来るのは、1石の内1.5%程度が限界でそれ以上は餓死者が出始めるからだとさ。
そして関ヶ原直前には、各武将は質を問わなければ全兵力の1/3程度には火縄銃を持たせられる状況だったんだと。
口径10ミリの猟銃とかも入れてね。
何しろ真田氏ですら民兵400人隊に鉄砲100持たせてた位だし。
口径14ミリ以上の侍筒と20ミリ以上の戦闘用大筒と大狭間筒が併せて約3万丁だとさ。
ちんまいのは粗製乱造されたのが猟銃としてばら撒かれてた。因みに弾が高く、個人装備の猟師だと自腹で持って行ったのは50発に満たず、戦闘力は武将が支給する弾薬量に比例すると。
つまり、経済力のある武将が強い!
それはつまり、経済的に成功した織田信長がーという事に。
戦国時代のマンガでよくスナイパーのように撃てまくる
キャラいるけどやっぱそんなのはありえないのか
武器ヲタって知識と見解が人によりあまりにまちまちで誰の言う事も嘘臭いんだけど
軍オタも然り
前から弾こめる銃でも火薬が爆発するように、
ある程度の気密性を持たせるために布とか革で弾と銃身の隙間を埋める
こうしないと発射に失敗してドカンといわずに花火みたくなっちゃう。
弾を包むから弾自体の銃身内での回転は発生しない。
100m先の人形に50%被弾はそこまで悪いとは思わない。
もしも知識の無い人間が市販の鉄パイプに布を省いてちょうど押し込めるような鉛玉をこめて打つ銃を作ったら銃身内で弾が説明にあるような回転して50m先の人形すら当たったり当たらなかったりだろうな。
>>91
それは武器ヲタ、軍ヲタに限らなくね?
特に歴史や古生物系は専門家でも見解が異なるし、まして素人の知識なんて大抵は受け売りか眉唾よ
そしてネットの書き込みの9割は素人
ほんのちょっぴり参考にしたり、うわべだけ触る分には構わないけど、ガチで鵜呑みにしたり信じ込むのは危険
結局それだよね
ネットの書き込みの中でも特に2chのまとめブログのコメント欄って
底辺も底辺だろ。2chが適当な掲示板なのに其れを有難がってるまとめの
さらにコメント欄だからな。何次情報だよって言う
本当に興味がある奴や詳しい奴は自分でサイトを作ってるから
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