フス戦争での大活躍によりその存在をヨーロッパ世界に轟かせた「銃」。
しかし、黎明期の銃は、ライバルであるクロスボウやロングボウと比べると、著しく劣る点がありました。
それは、とにかく命中しないということ。
誰にでも扱えて、轟音と閃光で敵を怯ませられる、という利点はあったものの、それ以上に、純粋な兵器としての性能に難がありました。
銃の進化は、この命中率を改善させるための創意工夫の歴史だったのであります。
タッチホール式
15世紀初頭時点、銃の最大の問題点は、着火方法にありました。
当たり前ですが、銃を発射するには火薬を着火させねばなりません。「笛」を始めとする初期の銃は、銃身に穴が空いていて、そこに火種を差し込んで着火させていました。
これを「タッチホール式」と言います。
銃を小脇に抱えて片手で着火させるわけですが、このような体勢では「狙う」とか無理。
この「着火する際に片手で保持せざるを得ない」という点を改善するには、もっと簡易な着火方法を考案する必要がありました。
火縄の発明
そもそも、着火方法の前に、火種をどうするかというのがまずかなりの難問でした。
火縄が無い頃は、真っ赤に焼いた鉄線とか普通の麻縄とかを火種にしていましたが、これでは長時間の使用には耐えられません。
そこで、炭のようにゆ〜っくりと燃焼し、かつ持ち運びやすく、銃に取り付けやすい大きさの火種が待ち望まれていました。
こうした中で考案された火縄。
その作り方は意外に簡単で、麻縄に硝酸を染み込ませるだけ。硝酸は燃焼に必要な酸素を供給する役割を果たします。
普通に麻縄に火をつけるだけでは自然に鎮火してしまいますが、硝酸が酸素を供給してくれるので、長い時間ゆっくりと燃えてくれるというわけです。
この火縄が考案された事により、着火方式はものすごい勢いで進化していきます。
サーペンタインロック
最も古いアイデアは、すでにフス戦争より古い1411年に、すでにオーストリアで考案されています。
どこかホッとする絵柄である。
このZ型の金具の片方を握ると、反対側の先っぽに取り付けた火縄が火穴にスポッと入り、見事に着火するという仕組み。
着火方法自体はタッチホール式と変わりませんが、両手で銃を保持したまま発射することが可能となったのです。
このあたりの機構は、クロスボウというお手本もあったため、比較的スムーズに工夫されていきました。
このZ型金具は、すぐにS型金具へと改良されます。
このくねった金具は蛇に見立てられ、「サーペンタインロック式」と呼ばれるようになりました。
こうして、ついに「引き金」のようなものを持つ、形状的には我々の持つイメージとほとんど変わらない「サーペンタインロック銃」が誕生しました。
マッチロック式
サーペンタインロック式は、すぐに次の段階へと進化します。
それが、「マッチロック式」という着火方法。
サーペンタインロック式では、銃身にあいた穴に火縄を直接突っ込む仕組みでしたが、金具が少しズレただけで、もう着火しません。いざという時に撃てないのは致命的です。
そこで、より確実に着火させるために、考案されたのが、「火皿」。
この、銃身の脇から突き出た小さなお皿は、小さな穴で銃身内部へと繋がっています。
ここに粉末状にした燃えやすい火薬を盛り、火縄で着火させると、銃身内部へと火が伝わります。
発射の仕組み
また、こうした工夫と合わせて、銃の形状も扱いやすいよう工夫がなされていきます。
引き金と着火機構
まずは、「引き金」と「着火機構」が独立した概念として認識されるようになったこと。
引き金と着火機構の間には板バネが仕込まれ、常にアームが上がっている状態を保ちます。引き金を引かない限り、アームは絶対に下がらないようになっており、暴発の危険性を下げます。
さらに、こうしたカラクリを入れることで、引き金の位置もより握りやすい位置へと移動できました。
肩当て
「肩当て」がつけられたことにより、狙いをつける時の安定性が上がり、発射の反動も支える事が出来るようになりました。
こうして、「アルケブス銃」と呼ばれる、いわゆる一つの火縄銃が完成しました。
ヨーロッパへ火器が伝来したのが、13世紀の終わり頃。
たったの200年足らずで、ほらもう火縄銃にまで進化しましたよ。速い!
なお、よく聞く「マスケット」という言葉。これは、元々は「大型のアルケブス銃」という意味。
というか、アルケブス銃の威力を高めるために大型化していったものが、マスケット銃でした。
2mに及ぶ長さ。支え棒無しでは構えられないほどの重さ。
取り回しは結構大変で、これを扱う銃士はエリートだったとか。
なお、時代が進みマスケット銃が軽量化されるにつれ、アルケブスとマスケットはあんま区別する必要がなくなっていきました。
そうして、17世紀くらいになると、「銃身の内側がツルツルで、前から弾を詰めるタイプの小銃」という意味で使われるようになっていきました。
マスケット銃の命中率www
このような改良がコツコツと積み重ねられ、銃はより一層扱いやすくなっていきました。
発射動作は簡単。照準も合わせやすい。甲冑を軽く貫通する威力もあります。
連射こそできないものの、なかなかに素晴らしい飛び道具のように見えます。
しかし、いざ撃ってみると、やっぱり当たらない。
きちんと狙っているはずなのに、さっっぱり命中しません。
なぜか。
その理由は、マスケット銃の根本的な構造に由来します。
マスケット銃は、着火方式はかなり進化したものの、本質的には単なる筒です。したがって、弾薬は前(銃口側)から装填するしかありません。
銃口から弾を入れるためには、筒の径は弾より太くなくてはなりません。これは仕方ない。
そして、当時の弾丸はまだまだ大きさや形にめちゃくちゃバラツキがあったため、筒の径をさらに余分に太めにしておかなくてはなりません。これも仕方ない。
15世紀のマスケット銃弾。大きさバラバラ。形デコボコ。
その結果、口径はガバガバ。
そして、もう一つの問題は、弾丸という名の通り、弾が球形だった事。
口径がガバガバで、弾が球形。
この事から引き起こされたのは、弾道の激しいブレでした。
発射された弾丸は、銃身内部にぶつかりながら進み、縦回転や横回転や斜め回転がかかります。
これって、要はランダムに変化球を投げているのと同じ状態となります。
必ずカーブがかかるなら、まだ狙いようもありますが、シュートだったりスライダーだったりHOP-UPしたり。まったく予測がつきません。
これを防ぐのがライフリングなのですが、その実用化は19世紀まで待たなくてはなりません。
マスケット銃を固定して100m先の人間大の的を撃つと、その命中率は50%。
実際の戦場では、射手の精神状態、装填する火薬量、弾の形状などの要因で狙いがさらにブレ、せいぜい15%程度の命中率だったようです。
このマスケット銃の命中率は、最後までたいして改善されませんでした。
マスケット銃の使い方
そんな微妙なマスケット銃も、使い方次第では圧倒的強さを発揮したりもします。
時は1525年。
この頃、ハプスブルク家(神聖ローマ帝国・スペイン)とヴァロワ家(フランス)は、イタリアでの権益を争い、60年にも渡る戦争の真っ只中でした。
その両軍が、イタリア北部のパヴィア城で激突した時のこと。
パヴィアの戦い
両軍ともだいたい23,000人と、ほぼ同数の戦力。
しかし、スペイン側にはマスケット兵3,000人がいました。
スペイン軍は、「テルシオ」と呼ばれる革命的な陣形を持って、この戦いに挑みます。
その陣形の内容を超ザックリ言うと、パイク兵(長槍兵)を四角に配置し、その周囲をグルリとマスケット銃兵で囲うというもの。
テルシオ(の小さい版)
※丸一日かけて、2〜3000人規模でこの四角い陣形を組みます。
この陣形の肝は、マスケット銃兵が横列単位で一斉射撃をするという点。
マスケット銃は単品ではなかなか命中しませんが、「一斉射撃で弾幕密度を上げればどっかに当たるべ」と考えたわけですね。
また、スペイン軍は司令官の号令に従って行動するよう厳しく教育されており、一斉射撃のタイミングもバッチリ。
この弾幕に対して正面から突撃することは文字通り「自殺行為」でした。
なお、運よく一斉射撃をくぐり抜けても、内側のパイク兵に串刺しにされてしまいます。
圧倒的防御力
こうして、華々しい騎士の時代は一旦終わりを告げ、「銃を持った名も無き歩兵」が戦場の主役となったのです。
また、銃の進化はこの後も絶え間なく続き、戦争の形は目まぐるしく変わっていきます。