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男は昔っからエロいのである。

2014-09-24-01-18-24

ハニートラップ

直訳すれば「甘い罠」。

そもそもはスパイの諜報活動の一種。ターゲットとなる人物に近づいて、性的関係を利用しながら弱みとして脅迫したり、情に訴え懐柔するなどして機密情報を引き出すものです。

時と場合によっては、ターゲットを暗殺する非常に有効な手段であります。

男の本能や欲望にダイレクトに突き刺さるハニートラップ。暗殺は勘弁ですが、一度は仕掛けられてみたい気もします。

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女スパイ

現代の諜報活動においても、ハニートラップ的な手法は有効です。

記憶に新しい有名な女性スパイとして、ロシアのアンナ・チャップマンを覚えている方も多いでしょう。

「美しすぎる」女スパイ。

頭脳明晰で語学も堪能な彼女は、アメリカで不動産会社の敏腕経営者に成りすまし、上流階級や政財界とのつながりを強めて軍事関係の情報を収集する任務についていました。

彼女は、2010年、FBIに正体がバレて、他のスパイと共に逮捕されてしまいます。しかし、アメリカとロシアの間でのスパイ交換が成立したため、ロシアに帰国することができました。

現在は元スパイとして、モデルなどの芸能活動や会社経営者となって活躍しています。

日本でいうと、テレンス・リー的な立ち位置でしょうか。

これだけの美貌の持ち主ですから、わざわざトラップを仕掛けなくても男性は夢中になってしまいそうですね。

やはり女性的な魅力はそれだけで武器の1つとなるということでしょう。

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旧約聖書のハニートラップ

そんな超有能なハニートラップですが、その歴史は非常に古く、旧約聖書にも登場してきます。

ハニートラップの仕掛人は、ベトリアという町に住むユダヤ人の女性、ユディト

ユディトは夫を病気で亡くした美しい未亡人でしたが、信仰心の篤さから町の人々に尊敬されていました。

ある時、ベトリアがバビロニア王国に攻め込まれます。バビロニア軍を率いるホロフェルネス将軍は強く、ベトリアはあっという間に包囲されてしまいます。

ベトリアの指導者は降伏を覚悟しますが、そこでユディトがある作戦を立てます。

その夜、ユディトは美しく着飾り、侍女を一人連れて、ホロフェルネス将軍の元を訪れました。そして、国を捨てた事を伝え、ユダヤ人の本拠地エルサレムへの道案内を申し出たのです。

ホロフェルネス将軍は、美しくそして自分に好意的なユディトに鼻の下を伸ばし、さっそく彼女を誘惑しようと宴会を開きます。そして、天幕の中で将軍とユディトは2人きりになりました。

その頃にはもう将軍は、ユディトの美貌に惑わされ、ベロベロに酔っ払ってしまっていました。

そして、あわれホロフェルネス将軍は、そのままユディトに首を斬り落とされてしまいましたとさ。

ホロフェルネスが殺害された事を知った包囲軍は動揺し、町から去りました。ユディトは自らの美貌を武器に、身体を張って町を守ったのです。

この逸話は絵画のモチーフにされ、いくつもの作品があります。

カラバッジオ「ホロフェルネスの首を斬るユーディット」

ちょっと腰が引けているように見えますが、ベッドの上で首を斬られるホロフェルネスの断末魔の表情が非常に生々しいです。

クリムト「ユディトⅠ」

こちらの絵では、ユディトが艶めかしい姿で魅惑的に微笑んでいますが、斬ったホロフェルネスの首を左脇に抱えています。

ユディトの物語は、女性を武器に強敵(男性)を倒すという、超典型的な逸話です。今なら引っかかる方がアホなレベルです。

しかし、ユーディトはスパイのような専門家ではなく、一介の市民であり、夫に先立たれた未亡人でした。

そんな彼女だからこそ、その勇気ある行動で町を救ったことが特に印象深く、画家たちの心を捉えたのかもしれません。

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日本最古の男の娘か

日本でも、このような奇襲によって敵対する組織の首領を倒すエピソードが、古事記に残っています。

仕掛人は、ヤマトタケルノミコト(倭建尊)。

ヤマトタケルは、不仲であった父親から、朝廷に反抗していた熊襲(クマソ)のクマソタケル兄弟を征伐せよと命じられました。

しかし、ヤマトタケルの手勢はわずか。正面から戦っても勝ち目はありません。

そこで、ヤマトタケルは、叔母のヤマトヒメに衣装を貰って美少女に変身し、懐に剣を忍ばせてハニートラップの実行に移ります。

美少女?

この頃、クマソタケルは新しい城の完成祝いで宴会を開こうとしていました。ヤマトタケルは、この宴会に、他のコンパニオンと一緒に紛れ込んだのです。

何も知らないクマソタケル兄弟は、女装のヤマトタケルをすっかり気に入り、そばに座らせて宴会を楽しみます。

川上梟師「日本武尊」

そして、宴会が盛り上がりスキだらけとなったクマソタケル兄弟に対し、ヤマトタケルは隠し持っていた剣でまず兄の胸を貫きます。それを見た弟は怖れのあまり逃げ出しますが、ヤマトタケルはすぐに追い詰めると、弟も殺害して天皇の命を果たしました。

これらの逸話は伝承とされているくらい歴史の古いものですが、そんな時代からこうしたハニートラップ的手法は存在していたのです。

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ハニートラップと言えば「くノ一」

さて、日本では鎌倉時代から江戸時代にかけて、諜報活動の専門家集団が登場します。

それは、今や世界的にも有名となっている忍者。

中でも、女性忍者である「くノ一」は、妖艶な技と高い身体能力で、確実に任務を遂行するという、まさにハニートラップの見本。

これまでにも、数多くの魅力的なくノ一が、創作物の中で活躍してきました。くノ一が嫌いな男性などこの世にいません。

ところが

江戸時代にまとめられた忍術兵法書には、くノ一が任務に色仕掛けを用いたという記述は一切ありません

要は、くノ一の、いわゆる女性を武器にした技や戦術などは、学術的に全く証明されていないのです。そもそも、忍者の格好すらしていません。

戦国時代は、男性に比べて女性の方が遥かに行動の自由がききました。既婚未婚関係なく外出自由だし、巫女さんや遊女、白拍子等の娼婦は合戦の本拠地にまで呼ばれたりしていました。

史実上で有名なくノ一としては、武田信玄に仕えた望月千代女という甲賀忍者がいます。

彼女は信玄の甥の妻でしたが、夫の戦死後、信玄の命で「歩き巫女」を養成する役割を与えられました。

歩き巫女とは、特定の神社に所属しないで祈祷や託宣、売春をしながら全国各地を巡っていた巫女の事です。諜報活動にはうってつけの職業でした。

千代女は戦いで孤児になった少女などを集めて修練道場を開き、忍術や護身術、情報収集の方法などを教えながら、巫女に必要な呪術や祈祷の修業も積ませました。

こうして、一人前になった巫女たちが全国各地に散らばり、くノ一として武田家のために働いていました。彼女たちの活躍が、武田家の情報収集に大きな役割を果たしたと言われています。

色仕掛けで敵武将を翻弄するくノ一のイメージは、ほとんどが後世の創作物によるもの。

くノ一は、確かに娼婦という仮面を着けるケースは多かったのですが、性を武器にするというよりは、女性の立場を利用して、地道に情報収集をしていたと考えた方が正確です。媚薬とか色仕掛けとかで敵と戦うみたいなのは無いです。

無念。

こういう「くノ一」はいません。

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世界で最も有名な女性スパイの数奇な運命

フィクションではなく、本当に女性であることを最大の武器にして活動した、歴史上最も有名なスパイと言えば、マタ・ハリでしょう。

女性スパイの代名詞とも言える人物です。

彼女の本名はマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ。

オランダの非常に裕福な家庭に生まれますが、13歳の時に父親が破産し、それをきっかけに一家は離散してしまいます。

その後、結婚をして2人の子どもにも恵まれますが、まもなく離婚。そして、20世紀の初めにフランスのパリに渡り、ダンサーとなりました。マタ・ハリとは後にダンサーとしての芸名です。

ダンサーだけなく高級娼婦でもあったマタ・ハリは、多くの高級士官や政治家、軍将校を相手にしていたのですが、この事がやがて政治や陰謀の道具にされてしまうのです。

この頃、第一次世界大戦の渦中にあったフランス政府は、マタ・ハリの高級娼婦としての人脈に目をつけて、ドイツ側の情報収集をするように依頼します。

マタ・ハリは依頼された通り、ドイツの軍関係者や政府の要人と関係を持って情報を集めていましたが、そもそもフランス側の幹部とも関係していた彼女は、やがて二重スパイの容疑をかけられて逮捕されてしまうのです。

実際のところ、彼女が有能なスパイだったかと言うと、そんな事もなかったようです。彼女が有益な情報を流した証拠は一つもありません。

しかし、ドイツとフランス双方の高官と通じていたマタ・ハリは、戦況が思わしくなかったフランス政府にとって、かっこうのスケープゴートでした。

こうして、裁判で有罪判決となったマタ・ハリは、1917年10月に銃殺刑に処されます。享年41歳。

女性である事は、スパイとしては有利な点が多々あります。ですが、その一方で、その有利な点も所詮は男に利用されていただけだったという悲しさ。

女を武器に一生懸命働いてきたマタ・ハリも、最後は自分がハニートラップに嵌められてしまったような、皮肉な末路となってしまったのでした。

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