以前、ここで「最後の魔女」として、ヘレン・ダンカン女史を紹介しました。
https://fknews-2ch.net/archives/38827256.html
「チーズクロス」を口から吐き出しているおばさんの記事です。
今の我々からするとどう見てもチーズクロスなのですが、実際に当時交霊会に参加した人々はアレをすっかり信じていましたし、警察もインチキの証拠を見つけ出せませんでした。
しかし、当時の人々がアホだったと結論付けるのは、あまり誠実な態度ではありません。
チーズクロスの裏にはどのような時代背景があり、どのような思考回路があったのか。
今回は、その辺について調べてみたいと思います。
「チーズクロス」はチーズを作る時に使うガーゼ
エクトプラズムの発生
歴史があるというのは、オカルト現象の信ぴょう性に関しての超重要ファクターです。
古代の文献や遺跡にUFOとか超能力とかの痕跡があれば、それだけで「お、本物か?」なーんて気になるでしょ?
で、エクトプラズムの場合。
意外なことに、エクトプラズムが歴史上初めて登場したのは、20世紀に入ってからです。
そもそも交霊術自体の歴史が、それほど古いものではないのです。この時点でやや萎えます。
交霊術の歴史をひもとくと、アメリカの郊外の一軒家にたどりつきます。
フォックス家
1848年のことです。
ニューヨーク州郊外の一軒家で、引越してきたばかりのフォックス家の姉妹、マーガレットとケイトが不思議な物音を聞きつけました。
不思議な音にふたりが応えると、また音が返ってくる。
10歳と7歳の子供が、それをおもしろがらないはずはありません。
そのやりとりが次第に評判になり、近所の人も集まってきます。
いつの間にかその音は「霊」が立てているということになり、やがてそのうちの誰かがコミュニケーションを思いつき、交霊会が始まったのです。
マーガレットとケイトには、レアという姉がいましたが、どうやらこのレアが起業家精神に富んだ人物だったようで、この交霊会を一種の見世物にしていきます。
三人姉妹はあちこちで交霊会を開き、徐々に人気が高まっていきました。
フォックス姉妹
やがて、姉妹の間は不仲となり、マーガレットはこれをインチキだったと告白したり、その告白を撤回したりとグダグダになっていきましたが、このフォックス姉妹が先鞭をつけた交霊術は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、大流行していきます。
おりしも第一次世界大戦が終結し、戦争によって家族を奪われた数百万の遺族たちは、「あの世の息子や夫と交流できる(かも)」という話に、いともたやすく引き寄せられました。
そして、そうした人々につけいろうと、怪しげな霊媒師が、続々と現れたのでした。
霊媒師エヴァ・カリエール
霊が出てきやすいように、交霊会は暗闇の中で行われます。
テーブルを叩いたり、霊と交流したりしていると、やがて霊のエネルギーが霊媒を通して「物質的に」現れます。
その物質こそが、エクトプラズムです。
写真で見るとチーズクロスですが、当時のスピリチュアリスト(交霊思想家)によると、「生と死後生を結ぶもの」「物質とエーテルとの混合物」「物質的でありながら霊的でもあるもの」なのだそうです。
「エクトプラズム」という言葉を作ったのは、フランスの外科医シャルル・リシェです。
騙されやすいリシェ先生
リシェは、人体の体温調節機能と皮膚蒸散を発見し、アナフィキラシーショックの研究ではノーベル賞を受賞した、偉い偉いお医者さんです。
にもかかわらず、彼は、エヴァ・カリエールという女霊媒師に引っかかりました。
この霊媒師は、本名をマルト・ベローといい、いわゆるインチキ霊媒師でした。
彼女は1905年頃から霊媒営業を始めており、特にエクトプラズムを出すのが得意でした。
が、「このエクトプラズムは自分が仮装したものだ」と、召使いに暴露され、ベローの霊媒師のキャリアはいきなり傷がつきます。
しかし、1909年に、ベローはエヴァ・カリエールと改名し、ちゃっかり霊媒営業を再開します。
改名後のエクトプラズム写真がこちらです。
さらに、これを後ろから撮った写真もあります。
おわかりいただけただろうか…。
なんかエクトプラズムの裏側に文字が書いてあるのが見えますね。
これは、調査の結果、フランスの雑誌の表紙であることが確定しています。
エヴァ・カリエールとはこういう人物なのですが、リシェ先生が彼女の霊能力に対して下した評価は、「彼女のエクトプラズムは本物である」なのです。
エヴァの催す交霊会で、彼女は裸になって走り回ったり、何も持っていない事の確認の為にアソコに指を入れさせたりしたと言われています。
裸のエヴァと、いやに平面的な段ボール製のエクトプラズムw
リシェ先生が、こういったHなオマケに惑わされた事に疑いの余地はありません。
霊媒師フローレンス・クック
名士がエクトプラズムの信者になってしまった例は他にもたくさんあります。その一つは、科学者のウィリアム・クルックス。
クルックスは皮膚蒸散や放電現象の研究等で大きな功績を残した、偉い偉い科学者です。
騙されやすいクルックス先生
そんなクルックス先生がハマったのは、フローレンス・クックという、けっこうかわいい霊媒師。
彼女もまたエクトプラズムを出すのですが、彼女の場合は「ケイティ・キング」という名の霊の全身を物質化させます。
白いローブを着た女性の霊は、交霊会参加者の隣に座り、体に触れさせたりもします。
管理人の心が汚れてるせいでしょうか、なんだか先のエヴァ・カリエールと同じくポルノちっくな印象を受けます。
クルックス先生は、徹底的に科学的にこの「ケイティ・キング」を検証し、本物認定してしまいます。
しかし、「ケイティ・キング」とフローレンス・クックの写真を比べて見て下さい。
これは同一人物ですわ。
いちおう、フローレンスとケイティが同時に写っている写真もありますが、顔が見えないという絶妙な怪しさ。
なぜ、クルックス先生はこんなのに本物認定してしまったのでしょうか?
後年、霊媒師を辞めたフローレンスはこう述べています。
所詮、真実なんてだいたいそんなもんです。
要するに、クルックス先生は若くてかわいいフローレンスちゃんの誘惑に負けて、ペテンに協力しちゃったというわけですね。
まあ気持ちは分からんでもないです。
霊媒師VS手品師
心霊研究
ケンブリッジ大学には「心霊現象研究協会(SPR)」という、心霊現象や超常現象を科学的に研究する団体があります。
1882年に設立されたこの団体は、当時出現したばかりの霊媒という行動を含め、さまざまな超常現象を調査・研究していきました。
先のリシェ先生やクルックス先生も、ここの会長をやっていました。
ネットで見つかるエクトプラズムの写真も、このSPRが研究のために撮ったものが数多く含まれています。
ところが、ここの研究者たちの間でも、このチーズクロスというかエクトプラズムについて意見が分かれました。
本物だと思う者、怪しいと思う者に分かれ、20年以上も侃侃諤諤やりあうことになってしまったのです。
そこに稀代の手品師フーディニも加わります。
得意な演目は、脱出術
当初は交霊術に興味を抱いたフーディニでしたが、あまりにお粗末な霊媒師たちのトリックに腹を立て、それをつぎつぎに暴いていったのです。
多くの霊媒が、インチキの烙印を押されていき、「エクトプラズムあるよ派」はジリ貧に。
そんな彼らの最後の砦が、最後の魔女ヘレン・ダンカンだったのです。
最後の魔女 vs 手品師
ところでこの写真をよく見てください。チーズクロスに目を奪われずに。
ヘレン・ダンカンがなんか変な服を着ていると思いませんか?
実はこれ、実験のための服だったのです。
ヘレンの調査に当たったのは、ロンドンにある全国心霊研究所。
そこの所長であるハリー・プライスもまた、手品師出身で、その後心霊研究家に転じた人物でした。
プライスは二ヶ月間、ヘレンを詳しく観察した上で、トリックにあたりをつけます。そして、交霊会のために特別な服を考案します。
当時、エクトプラズムを行う霊媒の多くは女性。
プライスは、彼女らが「エクトプラズムの素」を体のどこかに隠しているに違いないと考えたのでした。
ヘレン・ダンカンがこんな格好をしているのも、ごまかしを封じるため。なんとも気の毒な格好ですが、ヘレン・ダンカンはこの取り決めに従いました。
調査に協力すれば、補償金500ポンドがもらえる、ということもあったのですが、ともかく首から上以外は手も足も出すことのできない、特別な服を着用して、実験が始まりました。
しかし、これほどの予防措置すら、最後の魔女の能力の前には無力でした。
写真のように、ヘレン・ダンカンは交霊会が始まってから数分で、長さ180センチもの「エクトプラズム」を出して見せたのです。
魔女のトリックは?
ところでみなさんは、大道芸の中に「吐き戻し」という技術があるのをご存じですか?
キンギョやオタマジャクシなどを飲みこんでは、吐き出してみせる芸です。
元手品師のプライスは、手足を封じられてなお「エクトプラズム」を吐き出すヘレンの能力は、この「吐き戻し」ではないかと考えたのです。
1931年に行われた交霊会にて、プライスはヘレンにX線検査をさせてほしいとカマをかけました。
当時のX線は、胃の中にあるものをはっきりと映し出すほど正確なものではなかったのですが、ヘレン・ダンカンはそんなことは知りません。
いきなり大声を上げながら、側にいた人を突き飛ばして外へ飛びだし、共犯者ではないかと疑われていた夫があとを追いました。
10分後にヘレンは戻ってきて、白々しく「ぜひX線を撮ってほしい」と言いましたが、もうエクトプラズムを吐いてきたのはバレバレ。
二週間後、プライスは11ページにも及ぶ詳細な報告書を用意し、ダンカン氏と話し合いを行いました。そうしてついに、ダンカン氏も妻のエクトプラズムが吐き戻しであることを認めたのでした。
もっとも、「無意識に吐いたものだ」という主張は譲らなかったのですが。
プライスは無慈悲にも
と書き残しています。
交霊の流行とはなんだったのか
以降のヘレン・ダンカンの運命は、前回お伝えした通りなのですが、それにしてもどうしてこんなチーズクロスが「エクトプラズム」なんかだと思われたのでしょう?
どうして科学者たちが、つぎつぎとこんなものにだまされ、インチキを見破れなかったのでしょうか?
そもそも、なぜ20世紀も半ばに及ぶまで、こんなインチキが流行したのか、ずいぶん不思議な気がします。
しかし、ここに挙げたいくつかの例から、推測できる事もあります。
Hな娯楽だった。
交霊会というのは、どのような儀式だったか。
我々は勝手に「厳粛なムードの中で行われた神秘の儀式」みたいな感じだと勝手に思い込んでいます。
しかし、本当にそうだったのでしょうか。
・霊が降りた途端に裸で走り回る女。
・トリックがない事の証明として体を隅々まで触らせる女。
・入神し、苦悶の表情で悶え、喘ぐ女。
見方を変えれば、まるでストリップ劇場ではありませんか。
現代に生きる我々は、インターネットのお陰で目が肥えてますから、この程度ではまったく動じません。
しかし、テレビもネットもない19世紀〜20世紀前半の男性にとっては、かなりの刺激だった事は間違いありません。
そして、そうした側面というのは、写真や手記だけではなかなか後世には伝わらないものです。
科学技術が急激に進歩した時代
もう一つが、時代背景。
19世紀後半の電話の発明、普及により、まるで魔法のように、人類は遥か遠くの人とリアルタイムで会話ができるようになりました。
この体験から、人々は目に見えない霊と交流できるかも、と考えるようになったのかもしれません。
何が出来るようになり、何が出来ないか。これは今よりもっと曖昧だったはずです。
だとすれば、心霊現象を信じるのもまた自然なことでしょう。我々だって、未だに縁起かついだり、葬式やったり、お参りにいったり、「科学的」ではない事柄から脱却していないのですからね。