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源為朝とかいうレジェンドwwwwww

地上最強の生物といえば範馬勇次郎ですが、日本史上最強の生物といえば?

日本史を彩る破天荒なヒーローの中でも最強の一人と言われるのが、源為朝(みなもとのためとも)

彼の破天荒な生涯を辿ってみましょう。

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16歳で九州制圧

1139年、河内源氏という由緒正しい血筋を引く源為義の八男として生まれた為朝は、4歳にして貴族が乗った牛車をひっくり返し毎日喧嘩を繰り返すなど、手の付けられない悪童でした。

このまま都に置いていては必ず取り返しのつかない重大事件を起こすと考えた父・為義は、13歳の彼を九州に向かわせます。

ところが、これこそ虎を野に放った様なものでした。

彼は豊後、肥後、大隈・筑後と暴れに暴れまわり、16歳の若さで官軍5000騎の詰める大宰府も攻略。九州一帯を制圧してしまいます。

都でも大いに話題になったこのニュースに、父親はずいぶん胃の痛い思いをしたでしょう。


身長は2mを超えたという

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600騎を一矢で退ける

事態を重く見た朝廷は、度々追討軍を差し向けますが、ことごとく返り討ちに遭う有様でした。

その頃の都では「天皇派」と「上皇派」による主導権争いの真っ最中。当然、為朝や彼の家族も名門武士の一員としてこれに無関係でもいられません。

日頃の行いはともかく、その武勇は認められていた為朝。劣勢の上皇派のリーダー藤原頼長の要請を受け、京都へ戻ることとなりました。

為朝は、九州から連れてきた精鋭数十騎と共に上皇方本営西門の防衛を任せられます。

攻め寄せる敵軍は、かの平清盛率いる600騎。

為朝は巨大な強弓を引くと、素早く狙いを定め放ちました。ミサイルの様な矢は相手方の武将の体をブチ抜き、後ろにいた武士の鎧に深々と突きたったといいます。

この為朝の弓は、「五人張り」と言って、その名の通り、大人五人で弓を張る(4人で曲げて1人が弦を張る)、トンデモ武器です。

敵軍はこれを見て凍りつき、平清盛は素早く為朝との戦いを避ける決断を下しました。

しかし、そうした為朝の奮戦もむなしく、上皇方は敗れ、為朝も捕縛。

護送中はこの豪傑を一目みようと都の群衆が集まり、天皇までも見物に訪れたそうです。この時の為朝、わずか17歳。


疫病神も為朝にビビるの図

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捕えられて島流し→流刑先の伊豆諸島を制圧

二度と弓が引けない様に腕の筋を抜き取られ伊豆へ島流しとされた為朝は、あっさり回復

伊豆諸島を次々と制圧してしまいます。

中でも異彩を放つのが「鬼ヶ島討伐」。

身の丈3mを超す巨人が住む鬼ヶ島へ乗り込み、家来にしてしまったそうです。

日本で最も古い鬼ヶ島の記述が興味深いのでご紹介します。

身の丈一丈(約3m)あまりもある大男で、髪を上向きに押し上げていて、身には毛がひしと生えて、色が黒くて牛のようなのが、刀を右腰に挿して多く現れた。

恐ろしいなどということすらできない。

(この者どもの)申す言葉も聞き知らないけれども、大方推量して意思疎通する。

『保元物語』より

という出で立ちだそうです。どことなく、アボリジニやポリネシア系の人々を想起できますが…。

とはいえ、当代きっての英傑、為朝。

上陸するやいなや、弓矢という鬼たちにとって未知の最新兵器でビビりあがらせます。

あっさりと戦意喪失した鬼たちに、為朝は問いかけます。

為「ここは何という島か。」

鬼「『鬼が島』と申す。」

為「それならばお前たちは鬼の子孫なのか」

鬼「そうでございます」

為「それなら世に聞く宝があるならば取り出せ、見たい」

鬼「昔、先祖たちが鬼神であったときは、隠れ蓑、隠れ笠、浮かぶ履、沈む履、剣などといった宝物がございました。

そのころは舟がなかったけれども、他国にも渡って、日食の際に人の生贄なども取りました。

今は果報も尽きて宝物もなくなり、姿も人になって、他国へ行くこともかないません」

為「うーむ。それならば島の名前を改めよう」

鬼ヶ島には太い葦が多く生えていたことから、為朝はここを蘆島(あしじま)と名づけ、年貢を運送するように申し渡しました。

鬼は、舟が無いと嘆くので、毎年一度舟を遣わすことも約束し、さらにこの島に来た証拠として、鬼(大男)の一人を連れて帰ったのでした。


強いやつをすぐ家来にしたがる性格

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再度討伐→自害?

こうして伊豆諸島を「為朝王国」にし始めるという事態に、朝廷も見かねて大軍を差し向けます。

朝廷軍の大軍を見てさすがにかなわないと見た為朝は、せめてもの反撃に例の強弓で船を一艘沈めると、日本初の「切腹」自害をしたとされています。

ここまでだと、単なる乱暴者のおっさんです。

が、実は琉球王国正史『中山世鑑』や中世の歌謡集『おもろさうし』によると、琉球国初代国王舜天の父親は源為朝であると記載されています。

源義経=チンギスハン説と同じようなものですが、やはり猛将には様々な伝説がついてくるものです。

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