世に埋蔵金伝説は数多くありますが、最も信ぴょう性が高いのは、ヒトラー総統率いるナチスドイツが世界各地に隠した財宝です。
え?
戦争末期にはガソリンを調達するのにも苦労したナチスドイツに、隠し財産なんかあるわけ無いって?
いやいや、それが意外にデタラメでもないんです。
確かに、敗軍に余力なんかあるわけ無いというのは、とても常識的な思考ではあります。しかし、そういった先入観は、思考を効率化する一方で、時にはチャンスを見逃す事になる可能性も孕んでいます。
というわけで、素直な気持ちでまあ読んでみてくださいよ。
第二次世界大戦において、ナチスドイツは、連合軍とソ連軍を相手に奮闘したものの、スターリングラードでの大敗を機に戦局が悪化。同盟国も次々に降伏し、1945年4月には、いよいよ首都ベルリンもソ連から総攻撃を受けていました。
絶体絶命のナチスドイツでしたが、この時ヒトラーが思い描いていたのは、ドイツ軍がここで持ちこたえれば、西欧連合軍はドイツと手を結び、ソ連共産主義を打倒するだろうというシナリオでした。
ナチスの保有する財宝は、そのとき有効に活用される。それまでは敵の手から遠ざけておかなければならない。目先の戦争の為に浪費するわけにはいかない。そう考えたヒトラーは、あちこちから略奪してコツコツ集めた財宝を隠しました。
↑↑↑ここまで妄想↑↑↑
↓↓↓ここから事実↓↓↓
ナチスの隠し財産の発見
南ドイツに位置するチューリンゲン州メルカースには、数多くの岩塩坑があります。
終戦後、連合軍によりドイツは一時占領されますが、このメルカースに連合軍が来た際、たまたま尋問したふたりの女性が、「あそこの岩塩坑に金塊が保管されている」と言ったのです。
最初は誰も信じませんでしたが、似たような証言が難民や捕虜からポロポロ出てきて、さらには金貨のつまったヘルメットを所持していた数人の独軍兵士がとらえられるに及んで、その財宝の存在を占領軍は確信します。
700人の兵士を派遣して、岩塩坑に通じる道を封鎖し、さっそく調査に乗り出すと、地下600mの辺りに、おびただしい数の金塊や、絵画、梱包されていない400点あまりの美術品や150万冊以上の図書とベルリン国立歌劇場の衣装や小道具までもがそこには収められていたのです。
トラック32台分の金塊
絵画を視察するアイゼンハワー
このような岩塩坑は、周辺でいくつも見つかり、中にはフリードリヒ大王やフリードリヒ・ヴィルヘルム一世の遺体が宝器や宝石、絵画とともに見つかった坑もありました。
そして、この隠し財産を見て思うことは、誰でも同じです。
「他にもあるんじゃないの?」
ナチスの遺産あれこれ
・キーム湖の大釜
終戦から半世紀余りが過ぎた2001年、キーム湖の底から金の大釜が引き上げられました。
当初は古代のものと思われていたのですが、専門家による調査の結果、20世紀のもの、それもおそらくナチ時代に作られたものであることがわかってきました。
やがて制作者は、ナチス党員であり銀細工師、ナチス高官お気に入りの宝石商だったオットー・ゲイヘルという人物であることがわかりました。
・大量の名画
さらに、2013年にはミュンヘンでナチスが略奪したと思われる、ピカソやシャガールの絵画1500点が、個人の住むアパートメントの一室から発見されました。
発見されたアパート
ヒトラーはシャガールやゴッホ、ゴーギャンなどの絵画を「退廃芸術」として略奪してきました。その責任者の一人が、画商ヒルデブラント・グルリッド。美術品を保管していた人物は、この画商の息子でした。
発見された絵画は、1330億円もの値が付くと言われています。
琥珀の間
ロシア、サンクトペテルブルクのエカテリーナ宮殿には、「琥珀の間」と呼ばれる、全ての装飾が琥珀で仕上げられた豪奢な部屋があります。
※これは2003年に復元されたもの
言い伝えによると、この宮殿は、フリードリヒ・ヴィルヘルム一世が、体格の良い数十人のロシア兵と引き替えに、ピョートル大帝に贈ったもので、ナチスにとっては「ドイツの」財産と見なされるものでした。
第二次世界大戦中の1941年6月、ナチスドイツは独ソ不可侵条約を破り、ソ連に進行しました。7月にはドイツ軍はサンクトペテルブルクに進行し、9月にはエカテリーナ宮殿を占拠します。そして、宮殿内にあった多くの美術品と共に琥珀の間の装飾は略奪されました。
琥珀の間の装飾は全て剥ぎ取られ、29個の木箱に梱包された後、ケーニヒスベルクの美術館に発送します。そうしてパネルはそこで梱包を解かれ、展示されました。
戦火が激しくなった1944年8月頃から、ケーニヒスベルクはイギリス軍による激しい空爆を受け、琥珀の間から剥ぎ取られた装飾を収めた29の木箱は、行方不明になってしまいました。
二度にわたるケーニヒスベルクの空襲の際に消失してしまったのか。
ソ連軍の手によって、盗み出されてしまったのか。
オーストリアのテプリッツに運ばされたという証言もあります。
いずれにせよ、琥珀のパネルを収めた29個の木箱の行方は、未だわかっていません。
ナチスの財宝のヒントが楽譜に?
そんなわけで、ナチスの財宝はまだまだたくさんありそうな雰囲気があり、それを狙うトレジャーハンターは世界中にいるのですが、ここでは楽譜に秘密が隠されていると考える人のことを紹介しましょう。
この楽譜をよく見てください。音楽をやっていた人ならわかると思うのですが、赤丸がつけられた部分に不可解な記号が記されています。
この楽譜を書いたのは誰かというと、ヒトラーの側近であり、遺言執行人であるマルティン・ボルマンです。
ヒトラーの左隣にいる人
この「3月の即興演奏」という楽譜に興味を持ったのは、オランダ人の作家、カール・ハマー・カーテーでした。彼は半世紀前のボルマンの走り書きされた手書きの楽譜を見ているときに、奇妙な記号が書かれていることに気がつきます。
それは暗号ではないか。ボルマンはヒトラーの隠匿されている個人財産のありかをこれに記したのではないか、と考えたのです。
カーテーはこの暗号を解読できなかったのですが、2013年にオランダの映画制作者レオン・ギーゼンが解読に成功したと発表しました。
さっそく地質調査を実施したところ、確かに金属の反応があった為、バイエルンの三つの街で、試掘を開始しました。
このニュースの続報がないので、多分残念な結果だったっぽいですが、現実にナチスの遺産は未だにちょこちょこ発見されています。
まだまだナチスの遺産に関わるロマンは尽きません。