ノアだけはガチ。
2chでよく目にするフレーズですが、どうやらこれは本当なのかもしれません。
ノアの方舟は、皆さんよく知ってると思いますが、旧約聖書に出てくるエピソードの一つです。
神は地上に増えた人々が悪を行っているのを見て、これを洪水で滅ぼすと「神と共に歩んだ正しい人」であったノアに告げ、ノアに箱舟の建設を命じた。
箱舟はゴフェルの木でつくられ、三階建てで内部に小部屋が多く設けられていた。箱舟の内と外は木のヤニで塗られた。ノアは箱舟を完成させると、家族とその妻子、すべての動物のつがいを箱舟に乗せた。洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。その後、箱舟はアララト山の上にとまった。
40日のあと、ノアは鴉を放ったが、とまるところがなく帰ってきた。さらに鳩を放したが、同じように戻ってきた。7日後、もう一度鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて船に戻ってきた。さらに7日たって鳩を放すと、鳩はもう戻ってこなかった。
ノアは水が引いたことを知り、家族と動物たちと共に箱舟を出た。そこに祭壇を築いて、焼き尽くす献げ物を神に捧げた。神はこれに対して、ノアとその息子たちを祝福し、ノアとその息子たちと後の子孫たち、そして地上の全ての肉なるものに対し、全ての生きとし生ける物を絶滅させてしまうような大洪水は、決して起こさない事を契約した。神はその契約の証として、空に虹をかけた。
旧約聖書『創世記』より抜粋
このように、ユダヤ教の神様はなかなかえげつない訳ですが、一般にこれは「信じるものは救われる」とか「真面目に生きなさい」等の教訓として知られています。
しかしながら、実はこのエピソードは実際にあったことなのではないかと言われています。
世界各地の神話の類似
大洪水にまつわる神話は、実は世界各地にあります。
以下「Wikipedia – 洪水説話」より抜粋
シュメールの洪水神話
神々の王エンリルは、地上に繁殖した人類の騒擾が耳に障ったため、彼らを滅ぼそうと企てた。そこでエンリルは人類に対し、1度目には旱魃を、2度目には飢饉を、3度目には疫病をもたらした。
しかし、腹違いの兄弟であるエンキ神が、人間のアトラハシスに灌漑農業・麦の栽培・医学の知識をもたらし、エンリルの計画の実現を3度とも阻止する。こうして、人類は4たび地上に繁殖した。
これに怒ったエンリルは、神々の会議を召集し、人類を絶滅させる計画を人類にもらさないよう、神々に約束させた。
しかし、エンキ神はアトラハシスにこっそりと、彼と彼の家族の乗るための舟の作り方を教えた。そして大洪水が訪れ、7日7晩続いた。
洪水が引いた後、アトラハシスは、ツバメ・鴉・鳩を放して、洪水の水が引いたかどうかを確かめた。そして、水が引いて船底が地につくと、神々に犠牲が捧げられた。
エンリルは怒り、人類への罰が検討された。それに対しエンキは、エンリルが罪のないアトラハシスを罰するのは公平ではないと神々に弁明し、もしも人類が出生を適度に抑え、自然界のおきてを守るなら、神々も人類を滅ぼさないとの約束をとりつけた。
ただし、もし人類がこの契約を尊重しないならば、神々が再び大破壊を引き起こすことは自由であると、念押しがされた。
ギルガメッシュ叙事詩
ウトナピシュティムは、神々が洪水を起したときの話をする。エア神の説明により、ウトナピシュティムは船をつくり、自分と自分の家族、船大工、全ての動物を乗船させる。
6日間の嵐の後に人間は粘土になる。
ウトナピシュティムの船はニシル山の頂上に着地。
その7日後、ウトナピシュティムは、鳩、ツバメ、カラスを放つ。
ウトナピシュティムは船を開け、乗船者を解放した後、神に生け贄を捧げる。
ギリシャ神話
ギリシア神話におけるデウカリオーンの洪水では、プロメテウスが息子のデウカリオーンに櫃を作るよう助言する。
他の人間は、高い山に逃げた少数を除いてすべて滅ぼされる。テッサリアの山は砕け、コリントス地峡とペロポネソスより向こうの世界はすべて沈む。
デウカリオーンと妻のピュラーは、9つの昼と夜を櫃で漂い、パルナッソス山にたどり着く。
ホピ族(アメリカ・インディアンの部族)の神話
人々は創造主のソツクナングから繰り返し排除された。世界を破壊するのに、神は最初は火を、次には氷を使ったが、二度とも世界を作り直している間、まだ創造の掟に従っている人々を地下に隠して救った。
しかし人々は三度目にも堕落して好戦的になった。そのため、ソツクナングは創造の掟に従っている人々を蜘蛛女のところに導き、彼女が巨大な葦を切り落として人々を茎の空洞に避難させた。
ソツクナングはそれから大洪水を起こし、人々は葦で水の上を漂った。 葦は小さな陸地にたどり着き、人々は葦から出て出発できるだけの食べ物を得た。
人々はカヌーで旅したが、それは内なる英知に導かれてのことだった。内なる英知は、頭頂にあるドアを通じてソツナングから伝えられるのである。彼らは北東に旅を続け、もう少し大きな島々を通り抜け、第四の世界にたどり着いた。 彼らが第四の世界にたどり着くと、島々は大洋の中に沈んだ。
中国の洪水説話
中国古典論者の聞一多が雲南省を中心に説話を採集した。それによると、伏羲と女媧の父がかつて自身が閉じ込め、自分の子供たちによって解放された雷公と戦ったが、雷公が洪水を起こして攻めたために二人を残して人類が滅亡してしまう。
兄妹は雷公を助けた時に彼からもらった種を植えて、そこから生った巨大な瓢箪の中に避難して助かり、結婚して人類を伝えたとある。
インドの神話
ヒンドゥー教の聖典によれば、ヴィシュヌ神のアヴァターラとして魚の姿のマツヤがマヌに、大洪水が来てすべての生物を流し去ってしまうだろうと警告した。
マヌは魚の世話をして、結局魚を海に放した。 そこで魚はマヌに船を作るように警告する。彼が船を作ると、洪水が起こり、魚は自分の骨につけたケーブルで船を安全に牽引した。マヌは北方の山(ヒマラヤと推測される)まで牽引された。世界にはマヌだけが残り、マヌが新たな人類の祖先となった。
挙げ始めるとキリがありませんが、このように各地の神話や伝承に大洪水の記述があるのは間違いありません。
少なくとも200以上の神話に、共通点のある洪水伝説があり、「鳥をとばして洪水が終わったか確認する」「天罰としての洪水」「ノアと類似した名前(ノイ、ヌウ、ノト等)」などディテールが共通したものも多くあります。
また、海に没したアトランティス大陸やムー大陸も一種の洪水伝説と言えるかもしれません。
200以上の神話のディテールが一致する確率は、一説には75万分の1とも言われています。愚地独歩氏の言葉を借りるなら、偶然ではないわけです。
実際に、「地球規模の大洪水」が起こったとする説が近年現実味を帯びてきています。
ノアの方舟発見!?
左が小アララト山、右が大アララト山
旧約聖書では、ノアの方舟は最終的に山に着いたとされていますが、その山と目されているのが、トルコの最東端にあるアララト山です。
実際、古くからこの山は冒険家や学者により創作がなされており、これまでに数多くの目撃談がありました。
古くは、紀元前3世紀に、バビロニアの歴史家ベロッソスがこう書き残していた。
「地元の住民は、この箱舟からマツヤニを削り取り、魔除けのお守りにしている・・・・」
1世紀のユダヤ人の歴史家フラウィウス・ヨセフスは『ユダヤ古代誌』の中で残骸を見たと記述している。
13世紀には、マルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で言及していた。
「アルメニアには山頂がコップの形をした山があり、ノアの方舟山といわれている。この山の山頂に、方舟が漂着したからこう呼ばれているらしい」
1883年の火山性地震により、ノアの方舟の残骸らしき、古い木材建造物が一部露出する。
トルコ政府関係者が調査するも、内部が崩落する危険性があり、途中で断念。その際に、欧米諸国にニュースが報じられる。
およそ1900年頃、アララト山周辺を勢力圏としていた帝政ロシアが大規模な捜索隊を編成しノアの箱舟の残骸を捜索。
かなりの成果を収めたものの、ロシア革命の混乱が原因で公表される前にその資料が遺失してしまったという。
1950年代の複数の調査によると、氷河に閉ざされていた影の長さは120 – 130mあったと報告された。
また、その数年後に調査したグループが、残骸から切り取ったとされる、ほぼ炭化しかけた化石といってもよいような木材を、数箇所の大学や研究機関で、放射性炭素14法などを用いて年代測定したところ、およそ、カイロ博物館では紀元前3000年 – 紀元前4000年、エジプト農務省では紀元前5000年、マドリード大学などいくつかの大学では紀元前2000年~紀元前3000年といった結果が出た。
一方で、カリフォルニア大学など、アメリカのいくつかの大学では、およそ1200年前~1400年前という結果が出たという。
その材質はオーク材であった。『聖書』の「ゴフェルの木」は、一般に「イトスギ」と訳されているが、実は「ホワイトオーク」であったとする科学的な見解もある。
ただし、この近辺1000km四方に、ホワイトオークは古来から存在しないため、証言どおりであるならば、明らかに、遠い過去の時点で、大量にその地帯に持ち込まれた、あるいは、運び込まれた材質であるといえる。
1960年代に入ると、冷戦激化に伴い、旧ソビエト連邦と国境を接するこの地区には入ることが不可能となった。
しかし、駐トルコのアメリカ空軍によって、この船影らしき長方形の黒ずんだ物体が、何度も確認されたという。これらは、アララト山北東斜面に集中しているといわれている。
それらの情報を総合すると、箱舟伝説を信じる調査者たちの中では、現在は、北緯39°26′4″、東経44°15′3″、海抜1870m付近のものが有力とされる。
ノアの方舟かどうかは不明ながら、現在、それらとは別のものと臆される船型地形が発見された。
現地写真のみならず、人工衛星写真も撮られていて、こちらは、文字通り船型をしている。
全体のサイズは、聖書の記述とほぼ合致するといわれている。掘削調査は行われていないが、非破壊の地中レーダー観測も行われ、竜骨など木製内部構造も調査されている。また、石材製の碇と思われる巨大なパーツや、同じく、石製のリベットらしきパーツも、その地形周辺から出土している。
石の碇
石のリベット
2010年4月27日 トルコのアララト山の山頂付近(標高およそ4000メートル地点)で、方舟の木片を発見。炭素年代測定を行ったところ、ノアの方舟がさまよったとされる今から4800年前と同時期のものであることが確認。
発見された構造物はいくつかの部屋らしきものに分かれていたことから、普通の住居の残がいなどではあり得ないと結論。(標高3500メートル以上で人の住まいが発見されたことは過去にない事由による)
これらがノアの方舟と断定されたわけではありませんが、何かがあるのは間違いありません。
ありませんが、これは期待せずにはいられません。調査の進展に期待しましょう。