世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルス。
年末年始ごろ武漢で起こったパンデミックのニュースは、まだ我々に取っては現実感のない人ごとの話でした。
しかしあっという間に世界に感染者が広がり、日本でも着実に感染が広がってしまっている状況。
当ブログごときがこの事態に対してできる事などありませんが、せめて皆さんの自粛期間中の暇つぶしにでもなれば幸いです。
人類史上最悪のパンデミック
新型コロナ以前にも、人類は何度となく伝染病に襲われてきました。
その中でも、人類史上最悪のパンデミックを起こしたのが、1918年に大流行したスペイン風邪でした。
その大したことなさそうな名称とはうらはらに、当時の地球人口のおよそ26%にあたる5億人が発症し、そのうち5000万〜1億人が命を落としたとされています。
死亡者数で言えば、あの悪名高いペストをも抑えて1位であります。
しかも、高齢者よりむしろ若者の方が致死率が高いという…。死者数の99%は65歳未満、そのうちのほぼ半数が20〜40歳でした。
オーストラリアなど緊急的に鎖国した一部を除き、欧米、アジア、アフリカのほぼ全ての国でパンデミックが起こり、被害が酷いところでいうと、インドでは全人口の5%(1500万人)、タヒチ島では全人口の14%、サモア諸島では何と全人口の20%が息絶えました。
アメリカでは平均寿命が12歳も下がったと言われています。
日本でも全人口の40%(2300万人)が感染し、死者は39万人に上りました。
現代でもこういうノーガードのおっさんいる
スペイン風邪が流行した1918年は、第一次世界大戦が大詰めを迎えた頃でしたが、スペイン風邪によって戦闘不能者が続出したことが戦争終結を早めた要因のひとつだったとされています。
ちなみに第一次世界大戦の戦死者がおよそ900万人。スペインかぜでの死者の1〜2割に過ぎません。
どこから始まった?
コロナと同様に、スペイン風邪もどこで最初に発生したかは諸説あってはっきりとした結論が出ていません。
しかし、最初に公式に記録された集団感染は、アメリカ合衆国カンザス州の米軍訓練キャンプでした。
1918年3月初旬のある朝、訓練キャンプのコック料理人がインフルエンザのような症状を訴え、ランチタイムにはさらに107人の兵士が同様の症状を訴えたのです。
わずか5週間後には1000人以上の兵士が感染し、最終的に47人が死亡しました。
この訓練キャンプには100万人の新兵が集る超過密な施設でしたが、まだスペイン風邪の恐ろしさを認識していない米軍は、新兵達をウイルスと一緒にヨーロッパへと派遣してしまったのでした。
うがいは大事
なぜこんなに感染拡大しちゃったのか
第一次世界大戦終結が早まったのはスペイン風邪のせいですが、スペイン風邪が世界に広がったのは第一次世界大戦のせいと考えられています。
第一次世界大戦という戦争には、いくつかの特筆すべき点があります。
塹壕戦がメイン
第一次世界大戦で目覚ましい活躍をした新兵器の一つが機関銃、そして鉄条網でした。
それまでの戦争というのは、勇猛な騎兵が突撃すればなんとかなるという素朴なもの。
死者が200〜300人も出れば、それはもう大被害という扱いだったわけです。
しかしそんな騎兵隊の突撃も鉄条網を張り巡らせ機関銃を配備した陣地に対しては無力。完全に無力なのであります。
いつものように突撃しようものなら鉄条網に引っかかり、そこでモタモタしているうちに600発/分の速度で弾丸をぶち込まれ皆殺しにされてしまうのでした。
で結局、守備側の方が圧倒的に有利なものだから、戦況は膠着状態になってしまいます。
塹壕を掘って、その中で敵の重火器から身を守る。背後に回られるとヤバいので、塹壕はどんどん横に広げざるをえない。
こうして、かの有名な西部戦線では、イギリス海峡からスイス国境まで、全長750kmにわたる塹壕が掘られました。
赤い線が西部戦線ね
これがずーーーーっと続いていく
この塹壕の辛いところは、超環境が悪いところ。
所詮は単なる溝でしかないので、雨が降れば汚水まみれの泥が溜まる。しかも、見方の兵士が密集している。
もう伝染病にかかるしかない!みたいな環境なのです。
グローバルネットワーク
もう一つ第一次世界大戦で注目したいのが、世界中から人と物資が集まってきたという点。
主な戦場はヨーロッパですが、軍需物資はそれこそ世界中から集められました。
イギリス、アメリカ、インド、オーストラリアからは兵士と軍需物資が。
中東からは石油が。
アルゼンチンからは穀物と牛肉が。
マレー半島からはゴムが。
コンゴからは銅弾丸の材料が。
その全ての物資の終着点が西部戦線で、その塹壕の中で培養されたウイルスが空の容器と共に各国へと送り返されたのです。
このグローバルネットワークのおかげで、コンゴの山奥にある銅山ですら、労働者の20%が病死したとされています。
終息
スペイン風邪の流行は、大きく分けて3波に分けられます。
第一波は、1918年春のアメリカでの流行。
アメリカ人がスペイン風邪をヨーロッパに持ち込んだ可能性が高い。この時点ではそこまで凶悪な致死性はなかったみたい。
第二波は、1918年の秋頃。
例のグローバルネットワークによる感染拡大。拡大していく中でウイルスが変異して死者が急増したのもここ。
第三波は、1919年の春から秋にかけて。
第2波と同じく世界で再流行した上、医師や看護師の感染者が多く医療崩壊を起こしてしまったため、犠牲者が増えました。
しかし、新たな感染者は徐々に減少し、1920年にはもうほぼ終息を迎えました。
なんかよく分からないけど終息
スペイン風邪が終息した理由にもまた諸説ありますが、ウイルスが変異を繰り返す中で致死性の低い株になったというのが有力です。
ウイルスはすごいスピードで変異を続けていくわけですが、致死性の高い株の宿主はわりと早く死ぬので感染が広まりにくい。
で、致死性の低い株が感染拡大していった結果として、みんなが免疫を獲得していったという仕組み。
免疫を獲得するまでに甚大な被害がありましたが、こうしてなんとなくスペイン風邪は終息したのでした。
今は医療が発達しているから、当時ほど死者を出さずに免疫が獲得できる気がしますが、これからどうなりますかね。
参考文献、サイト様
ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来
史上最悪のインフルエンザ-忘れられたパンデミック 新装版 付「パンデミック・インフルエンザ研究の進歩と新たな憂い」
Why October 1918 Was America’s Deadliest Month Ever