生き物にとって、感覚器官はとっても大事です。
敵が近くにいないか。危ないものはないか。食べ物がどこにあるか。自分は空腹なのか。どこか怪我していないか。
これらは全て感覚器官があって初めて把握できるものです。
ご先祖様
今からおよそ40億年前、海の中で誕生したとき、生命はまだ3つの機能しか持っていませんでした。
・細胞という形状を持っていること
・何かをエネルギーに変換できること
・ゲノムを持っていて自己複製ができること
シンプル
この原始生命体は、単細胞で核すら持たない非常にシンプルな身体だったと考えられています。
彼らにとって、世界は真っ暗。というか、明るい暗いという概念すらありません。
そして、世界は無音。近くで気泡が弾けようが、噴火が起ころうが、静かなもんです。
さらに、無味無臭。海水がしょっぱくても苦くても関係ありません。
もちろん、泳いで移動なんてしないし、岩に挟まれても痛くないし、ひっくり返っても上下の感覚なんてないし、自分がどういう姿形なのかも分からないし、暑くも寒くもありません。
なもんで、ただただ海水の中に漂うだけ。そして、そこに栄養があれば摂取してエネルギーに変換する。何もなければ何もしない。それだけの存在でした。
動物門の分岐
このご先祖様は、感覚器官も無いし自分で移動することもできないので、よほど運が良くないとすぐ死にます。
しかし、体の構造はとてもシンプルなので、すぐ死ぬけどそれ以上のペースで分裂することができます。
分裂。つまり、倍々で増えていくので、恐ろしいほどのペースで増殖していきます。
最初の1匹が10回分裂するだけで1024匹。20回分裂すれば1000万匹。30回なら10億匹を超えます。
分裂のペースをおよそ20分毎とすれば、1日に72回。数え切れないほどDNAが複製されているのです。
それだけ分裂していれば、うっかりDNAのコピーミスが起こるのも当然。
そして、その偶然のコピーミスの結果生まれた特性が有利なものなら、その特性は次世代に受け継がれていくというわけ。
これが、進化論の基本的な考え方です。
感覚器の獲得
こうした流れの中で、たまたま生物が獲得した特性の一つが感覚器官なのです。
感覚器官を大別すると、物理刺激に反応するタイプと、化学物質に反応するタイプがあります。
物理タイプの方は、人間でいえば、眼(特定の波長の光)、耳(空気の振動)、皮膚(圧力とか温度とか)が代表的なもの。
化学タイプの方は、舌と鼻になります。味も臭いも、本質的には化学物質に他なりませんからね。
はじめての味
化学タイプの感覚器は、かなり初期段階で獲得しているようです。
生物はエネルギーを得るために外部から栄養を取り込まなくてはならないわけですが、それが毒だった場合、ヤバいわけですね。
シンプルな機能しか持たない原始生命体がうっかり毒を摂取しまくっていたであろう事は、想像に難くありません。
それが、味覚を獲得することによって、自分にとって「よいもの」かどうかの判断がつくようになったのです。
ここではじめて、生命は「自分の外側」を認識したのだと言えます。
例えばアメーバは甘いものが好きで、酸っぱいものが嫌いです。
アメーバが砂糖をあま〜いという風に感じているわけではないでしょうが、味覚によってそれが栄養である可能性が高いと判別しているのです。
眼が登場してしまった
およそ40億年前に原始生命体が誕生してから、生命は長い間ずーっと単細胞生物でした。
そのため、敵に食べられちゃう恐れも少なく、基本的には硫黄とか硫化水素とか酸素とかを栄養にしながら、のんびりと過ごしていました。
たまに噴火や隕石で絶滅しそうになったりもしましたが、基本的には生存競争は全然キツくなかったと思われます。
その中で、徐々に生物は少しずつ進化を蓄積。やがて、ひょっこりと多細胞生物が生まれ、様々なカタチの生物に分かれていったのです。
そんな中で、ある種の生物が視細胞を獲得します。
理由はよく分かりません。
しかし、最初は明暗が分かる程度だったのが、やがて進化して「眼」になっていきました。(雑な説明)
眼の進化
もう少し説明を試みると、まず単細胞生物などによく確認される原始的な眼として眼点というものがあります。
眼点とは、光を受容するタンパク質のこと。
光が当たると変形して化学物質を分泌するタイプのタンパク質です。
機能的には昼と夜の区別がつく程度のもの。ただ無いよりはあった方が圧倒的に便利なのです。
これが多細胞生物になっていく中で、光を受容することを専門とする細胞、すなわち視細胞を持つようになっていきました。
進化の初期段階では体の表面に点在して明暗を感知していましたが、それが徐々に徐々に一か所に集まっていきました。
この集まり方にも種類があります。
くぼみに集まって視細胞の「面」を形成したのが、人間のような眼の起源。
こんな感じね
一方、虫とかのような複眼は、視細胞を筒状にして、それをくっつけたような形になっています。
だから、虫の眼はドーム状に出っぱっているというわけです。
こんな風にね
なお、体の表面に点在している眼点がレンズを備えた眼に進化するまでの期間は、意外と短いようです。
ある研究者がコンピューターでシミュレーションしたところ、たったの40万世代で十分だったとか。
平和は進化の母
今我々が知り得る最も古い眼は、およそ5億3000万年前、カンブリア紀の三葉虫のものです。
三葉虫。立派な複眼である。
それ以前の化石からは眼の存在が確認されていないので、まあだいたいこの頃に眼が完成したのでしょう。
カンブリア紀は、あのカンブリア爆発があった時代。
「生物の多様性が爆発的に広がった時代」という風に考えられています。
しかし、これは実のところあんまり正確な理解ではありません。
実際のところ、カンブリア紀とは、ある意味では「生物の多様化が止まった時代」なのです。
「眼」が起こした闘争
相手の視覚を奪い、一方的に攻撃する。これは闘争におけるかなり効果的な手段であります。
カンブリア紀に起こったのは、こういうのと一緒。
それまでは臭いと手探りで、のんびりと獲物を見つけていた捕食者。そして同じように臭いと手探りで、のんびりと逃げていた被食者。
ところが、眼が登場したことにより、こののんびり感は消し飛んでしまいます。
何しろ眼を持った天敵が正確にこちらの位置を把握して襲ってくるという超ヤバイ状況なわけです。
などとのんびり臭いを嗅いでいる暇など無いのです。
ここで一気に、生物界に激しい淘汰圧がかかりました。
結果として、眼を持つ捕食者に対抗するかのように、被食者も眼を持つようになりました。これで五分。
さらに、外形がものすごい多様化を見せます。
特に、硬組織(殻やトゲ)を持つ生物が目立って増加しました。
どんな生物も光から逃れることはできません。そこで、見つかっても食べられないようなスキルを身につける方向に進んだというわけ。
そうして生物が硬組織を獲得すると、どうなるか。
答えはもうお分かりですね。化石に残りやすくなるです。
↑参考
本当のカンブリア爆発
基本、柔らかい組織は簡単に腐るので、化石になる前に朽ちて消え去ります。殻とか骨みたいな組織だけが化石として後世に残ります。
それで、カンブリア紀以降から急に化石が増えることになり、それがあたかも、カンブリア紀以降から急に生物が多様化したように見えちゃったというわけです。
真実は、カンブリア紀以前から生物は多様化を見せていたが、それぞれの種が眼の発生によって一斉に硬組織を獲得したです。
動物門は増えていない
動物をそのボディプランで分類すると、概ね34種類に分けることができます。
この分類は門と呼ばれます。我々人間は、脊索動物門に属しています。魚とかトカゲとかも、同じ脊索動物門です。
門の一覧は、ウィキペディアを見てください。
門が異なると、例えばクラゲとかの刺胞動物門や、イカタコとかの軟体動物門、昆虫とかの節足動物門、といった具合に、もう根本的に身体の設計方針が違う感じがあります。
で、この動物門は生命の発生以後少しずつ増えてきましたが、カンブリア紀に入って以降は一つも増えていません。
ここ5億年、新たな設計の動物は一つも増えていないのです。
確かに見た目はバラエティ豊かですが、その根本的な部分での枝分かれはピタリと止まってしまっています。
なぜか。
それは、眼の登場によって生存競争が激化したことによるものと思われます。
もうね、余裕がないのです。のんびり進化する余裕が。
うっかりDNAのコピーをミスって新しいボディプランの生物が生まれた場合、カンブリア紀より前であれば生き延びて新しい門を作るまでに繁栄する可能性もありました。
しかし、ガチガチの食物連鎖の世界において、それはもうほぼ無理なのですね。
平和も大事
眼を獲得して以降、生物は強く逞しくはなったけれども、門は増えなかった。
このことから分かるのは、淘汰圧は形態的な進化を加速させる一方で、根本的な進化を止めてしまうということ。
我々の常識に反して、生物の根本的な進化は平和な世界でしか起こり得ないのです。
みんなが仲良く暮らすのが大事なんですよ。
参考文献・サイト様
眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く
図解・感覚器の進化―原始動物からヒトへ水中から陸上へ (ブルーバックス)
生物はなぜ誕生したのか:生命の起源と進化の最新科学
カンブリア爆発の正体
Wikipedia「眼の進化」
「光スイッチ説」とカンブリア紀の大進化