先月の半ばくらいのこと。
いつもよくしてもらっている某ブロガーさんから、仮想通貨への投資が熱いよ!と教えてもらいました。
「ビットコインがバブルっぽい」みたいなニュースはチラチラ目に入ってきていたので、良い機会と思い30,000円分くらいビットコインを買ってみたところ、順調に下落していってワロタw
結局、30,000円が22,000円ほどになったところでビビって現金化。
その直後、ビットコインは再び暴騰していき、自分に投資の才能が全くないことを確認できました。
ま、クヨクヨし続けるのも紳士的な態度ではありませんので、ここはひとつ「お金」というものについて改めて考えてみる良い機会をもらったと考えたいと思います。
お金とは信用
というわけで、お金。
手元にある1万円札の物質的な価値は、メモ用紙程度です。
模様があってメモしにくい分、それ以下かもしれません。
トイレットペーパーやティッシュにするには硬すぎるし、包装紙に使うには小さすぎます。
「どうだ明るくなったろう」的に使えば、マッチ1本程度の価値にはなります。
では、なぜ人はこれほどまでにお金に執着するのか。
それは、その1万円でモノを買えるからに他なりません。
国のお墨付き
で、なぜお金でモノを買えるかと言えば、それはその価値を国が保証しているからです。
日本銀行法 第46条2項
この条文は、日本が「日本銀行券は絶対に使用できる」と保証しているということ。それで、みんな安心して日本銀行券を使っているのです。
ただこれは、日本政府や日本そのものが信用に値するから安心できているに過ぎません。
ジンバブエみたいに政府がテキトーでまともな経済政策を取らなかったりすると、一気にお金の価値は下がり、文字通り紙くずと化します。
なお、ジンバブエは2015年に自国通貨の発行を諦めたもよう
なので、各国は貨幣の供給量を調整し、物価の安定を図るべく細心の注意を払うのです。
ゴールドのお墨付き
少し前までは、国は「このお金はゴールドと交換できるよ!」と言って、みんなの信用を得ていました。
こういう仕組みを、金本位制と言います。
金細工職人
金本位制は、金細工職人が客からゴールドを預かる際に発行した預り証が起源と言われています。
金細工職人は、材料となる金塊盗まれるわけにはいきませんので、厳重な金庫を持っていました。
これに目をつけた人々は、単純に保管の為に、金細工職人に金銀宝石を預けて、預り証を発行してもらうようになったのです。
金細工職人が発行する預り証は、実質的に、確実に金と交換できるチケットであります。
そこで、人々はこの預り証でゴールドを引き出すのではなく、預り証自体ををそのまま交換し始めたのであります。
17世紀の金の預り証
最初は各銀行、金細工職人がバラバラに預り証を発行していましたが、徐々に規格が統一されていき、最終的には中央銀行が一手に発行するようになります。
世界で最初の紙幣(ストックホルム銀行券)
これが、今我々が使っている紙幣の起源であります。
金本位制の崩壊
ただ、金本位制には致命的な弱点がありました。
それは、発行できる紙幣の上限は、その信用の裏付けであるゴールド保有量に依存するという事。
普通、経済は右肩上がりで発展していくので、発行すべきお金の量は増え続けます。
しかし、その発行量に相当するゴールドを保有するのは、国家にとって物凄い負担になっていったのです。
てゆーか、無理(>_
そして各国は、金の保有を諦めて、「ドルと交換できるよ!」に切り替えていきました。
当時世界で一番ゴールドを保有していたのはアメリカだったので、みんな「アメリカだけは最後まで金本位制を続けられるはず」と考えていたのです。
「「『ゴールドと交換できるドル』と交換できるよ!」ということで、間接的ではあるけれども、なんとか金本位制が保たれたわけですね。
しかし、そのアメリカもとうとう1971年に「俺も無理( ´Д`)」と宣言し、世界は一気にゴールドの後ろ盾を失いました。
いわゆるニクソン・ショック
こうして、それまでゴールドとの交換比率で価値を評価されていた各国のお金は、ゴールドと切り離され、それぞれ独自に信用力を評価されるようになります。
その結果、各国の通貨の価値は、その時々の信用力に基づいて、常に変動するようになったのです。
この変動を利用した投機が、悪名高いFXであります。
金そのものだよ
ゴールドの後ろ盾でもってお金の価値を担保する前は、金貨、銀貨に代表される金属貨幣の時代であります。
古代ローマ時代のコイン
特に、貴金属であるゴールドやシルバーは、貴重で綺麗なので昔から価値あるものとされていました。
また、ゴールドやシルバーは錆びることもなく、保存に優れる。
さらに、溶かして型に流しこめば、キッチリ同じ大きさのコインが製造できます。
一般的には、お金の機能は、「交換の手段」「価値の尺度」「蓄財の手段」の3つとされています。
交換をスムーズにし、異なる商品の価値を数値化でき、使わないときはしまって価値を保存できる。
こうした用途に、金属製のコインはぴったりだったのです。
また、金貨や銀貨などはそれ自体が価値ある貴金属できているので、後ろ盾とか関係なく抜群の信用力がありました。
金属貨幣の不満点
その発明以降爆発的に普及した硬貨ですが、時代が進むにつれて、やっぱり不満が出てきます。
例えば、金や銀の含有量を下げた粗悪な貨幣が発行されて、貨幣の価値そのものが下がるケース。
こうなるともう、金貨1枚がいくらなのか、全然わかんなくなっちゃいます。
あと、金属は頑丈とはいえけっこう磨耗します。
金10gを含んでいた金貨も、流通するうちに9.8gとかにすり減っちゃうわけです。
ただでさえ貴重なモノが、無意味にすり減っていくのは非常に問題でした。
こうした問題から、皆が金細工商人に預けて、その預り証で直接交換していくスタイルに変わっていったのであります。
貨幣の起源は?
では、金属貨幣の前には何があったのでしょうか。
物々交換が不便だったので
アダム・スミスの「国富論」によれば、次のような感じみたい。
酒屋もパン屋もそれぞれ酒とパンしか持っておらず、肉屋が当面必要な量の酒とパンを持っていれば、互いの商品を交換することはできない。
(中略)
そうした状況における不便さを回避するために、分業が確立されて以降いつの時代においても、思慮深い人は、自分の仕事によって作り出す特定の生産物以外に、ある種の商品を所有したに違いない。
それはどんなものかといえば、 自らの生産物との交換を拒否するような人は殆どいないと想像されるものである。
アダム・スミス『国富論』より
物々交換は、双方の欲求が同時に一致して初めて成立する取引なのです。
いくらパン屋が肉を欲しがっても、肉屋が余るほどパンを持っていたら、パンと肉の交換には応じてくれません。
したがって、物々交換が成立し得るタイミングはかなりシビアなものだと言えます。
が、ある時誰かが、大麦ならみんないつも交換に応じてくれるという事に気付きました。
確かに、大麦は誰にとっても必要な食料であり、保存が効き、たくさんあって困るものではありません。
そして、「自分の商品を一旦大麦に換えておけば、いつでも欲しいモノと交換できるじゃない💡」と閃いたわけです。
こうして、素朴で直接的な原始の物々交換は、大麦を間に噛ませた間接的な物々交換へと進歩したのであります。
物品貨幣
この時の大麦は、まさに貨幣。
大麦それ自体が有用で、みんなが常に欲しがっているので、モノとモノの交換をスムーズにします。
さらに、本1冊は大麦2kg、魚は大麦100gみたいな具合に、あらゆる商品の価値が大麦の量に換算され、モノの価値を共通の尺度で測れるようになります。
そして、大麦自体を保管しておけば、それは富。価値を将来に持ち越すことができます。
大麦が持つこの役割は、まさに貨幣の本質である「交換手段」「価値尺度」「貯蓄手段」に合致しています。
こうした、価値をもつ商品そのものを使用した貨幣は「物品貨幣」と言います。
例えば、大麦や塩のような、保存がきいて、計量しやすく、誰にとっても必要な食料。また、綺麗な貝殻みたいなアクセサリーの素材や、牛のように有用な家畜とかも、「物品貨幣」としてよく利用されました。
この物品貨幣が、やがてより丈夫で加工しやすい貴金属の貨幣に変わっていったのです。
定説の嘘臭さ
…というのがいわゆる定説なわけですが、ここまではただのおさらい。
今回の主題は、果たしてこの定説は正しいのか、というところ。
本当に、物々交換から貨幣が生まれたのか?
本当に、貨幣には価値あるモノの裏付けが必要なのか?
こうした疑問を一気に見ていきたいところですが、今はビットコインのせいで心が折れかけているので、次回に続きます。なるべく早めに。