ここまでの幾つかの記事で、ユダヤ人がアメリカに集まってきた経緯や、最初はパッとしなかったこと、そして大統領選に与えてきた影響について見てきました。
そこで今回は、ユダヤロビーがアメリカ国内で強い力を持つに至った理由を少しまとめてみたいと思います。
AIPAC
ここで「ユダヤロビー」と言っているのは、前にもちょっぴり触れた「アメリカ・イスラエル公共問題委員会」、通称「AIPAC」のこと。
The American Israel Public Affairs Committee
活動の目的
この団体の設立の目的は結構シンプル。
「イスラエルとアメリカの絆を強化し、援助を獲得すること」であります。
イスラエルが建国されたのは1948年ですが、建国当初はトルーマン大統領(民主党)からかなりの援助を受けていました。
イスラエル建国宣言のようす
しかし、そもそもイスラエルの建国自体がけっこう強引だったため、建国宣言の翌日には兵力15万のアラブ諸国連合軍に攻め込まれるなど、物凄い四面楚歌の状況。
建国時点の戦力はたったの3万人、武力の保持は国連に禁止されており、のっけからかなりピンチな状況でありました。
イスラエルの民兵たち
この時は、アラブ諸国の足並みが揃わず、またアメリカからの援助もあり、なんとかしのいだイスラエル。しかし、敵国にぐるりと囲まれている状況は変わりません。
強力な後ろ盾がない限り、イスラエルに未来はありませんでした。
しかし、親イスラエルだったトルーマンが引退し、アイゼンハワーが大統領に就任すると、アメリカは態度を翻し、急にイスラエルに対して冷たくなったのです。
冷たいというか、アラブ諸国寄り。
アメリカからの支援は、彼らの生命線。
この状況を打破するためのロビー団体として、1953年にAIPACは設立されたのであります。
ネットワーク構築
とはいえ、AIPACも設立当初から影響力を持っていたわけではありません。
事実、アイゼンハワー政権時代の1952年〜1960年の間、彼らはアメリカの中東政策に対して何一つ影響を与えられなかったのは、前回書いた通りです。
そんな彼らがまず最初に始めたのは、全米各地に散らばる同胞とのネットワーク作りでした。
移民であるユダヤ人は、当初はニューヨークに集中していましたが、やがて時代と共に全米各地へと散っていきました。
AIPACが採った戦略は、彼らの移住のタイミングに合わせて忠実な会員を送り込み、地方支部をコツコツと開設すること。
この地道な努力によって、各エリアのユダヤ人コミュニティを取り込み、組織を拡大し、アメリカ全土に広がるネットワークが構築されていきました。
ユダヤ人の分布。色が濃いほどユダヤ人が多い。
こうした彼らの地道な努力は、のちに開花し、強い影響力の源となっていくのです。
1975
第四次中東戦争
AIPACがその力を初めて明確に発揮したのは1975年のこと。
イスラエルの建国以来、中東のあたりはずーっと不安定で、もう何度も中東戦争をやっている感じ。
その一連の中東戦争の締めくくりが、1973年の第4次中東戦争でした。
アラブ軍に捕まり晒し者になるイスラエル兵
アメリカ、ソ連、ヨーロッパの先進国にとってみれば、「勝手にやってれば」と言いたいところ。
しかし、劣勢のアラブ諸国がイスラエル寄りの先進国に対して石油の輸出制限を行うなど、先進諸国の経済にも打撃を与えるようになり、他人事とは言えなくなってしまいました。。
一方その頃、日本ではトイレットペーパーが不足した
もうめんどくさくなった先進諸国は国連安保理で停戦決議を行いましたが、イスラエルはそれを無視して攻撃を継続。
それを受けて、もともとアラブ寄りのソ連が出兵の準備を始め、さらに、それに対抗する形でアメリカも艦隊を展開する事態にまで発展してしまいます。
こんな感じであわや第三次世界大戦かという状況の中、アメリカはイスラエルの自分勝手な行動に不快感をあらわにし、それまでの親イスラエル路線の見直しを検討し始めました。
アメリカに見捨てられるわけにはいかないイスラエルは、ついに本気のロビー活動を展開することになります。
彼らが行ったのは、「上院議員からの書簡」という方法で、大統領へ圧力をかけることでした。
大統領への書簡
AIPACが起草した書簡は以下のようなもの。※超適当な意訳。
ずっと前から、「中東の紛争は、国連で決めた国境を前提に、当事者同士で話し合って解決しなさい」というのがアメリカのスタンスだったよね。
平和を実現したいなら、このスタンスを変えちゃダメだよ。
こないだの和平交渉がうまくいかなかったのは、アラブ諸国が全然譲歩しないからだし。イスラエルは悪くないし。
そもそも、最近の中東情勢を見れば、「信頼できる同盟国が必要」そして「アメリカの外交政策には議会も関与するべき」というのは明らかでしょ。アメリカが世界のリーダーでありたいなら、議会と大統領は仲良くしなくちゃ。
このところ、アメリカの中東政策は方向性がブレまくってるけど、同じ民主主義国のイスラエルと仲良くするのが国益につながるんだよ。そのためなら、議会は全力でサポートするよ。アメリカとイスラエルがどれだけ親密になったって、アラブ諸国との関係に悪い影響なんか出ないんだから。
最近、ソ連からアラブ諸国に大量の兵器が流入してるけど、中東の軍事バランスが反イスラエルに傾くのは絶対にNG。
中東をソ連の脅威から守るバリアーになれるのは、「強いイスラエル」だけ。もしイスラエルが弱体化したら、アラブ諸国はまた戦争を起こすよ。
というわけで、イスラエルに充分な軍事的、経済的援助をしてあげようね。早くイスラエル援助のための予算請求をしてね。待ってるよ。
あ、それと、アメリカの国益のためにも、イスラエル支持を前提にもう一回中東政策を見直してみてね!
途中にソ連の脅威だとか、アメリカの国益とか書いてありますが、要は「イスラエルを無条件に支持し、精一杯支援しなさい」という内容。
自分らの行為を棚に上げた、実にナメた文章なわけですが、なんと驚くべきことに、この書簡に対して76人もの上院議員が署名をしたのです。
上院議員は各州から2人ずつ選ばれ、全部で100人しかいません。そのうちの76人が署名したわけで、大統領としても重く受け止めざるをえません。
かくして、アメリカのイスラエルに対する態度も再び軟化していったのであります。
AIPACのやり方
しかし、すごいのはAIPAC。
こんな自分勝手な文章に76人もの上院議員に署名をさせることができたのは、彼らのアメリカ全土に広がるネットワークの賜物なのであります。
各州の上院議員の事務所・自宅に、ひっきりなしの電話攻勢と、大量の嘆願書や抗議文。
さらにはあちこちで反対派の上院議員に対する抗議集会が開かれ、全力でネガキャンを行いました。逆に、脈がありそうなら、多額の献金を約束したり。
これをずーっとやられると、誰でもうんざりしますよね。
うんざりした議員は、この書簡に自分が署名した場合に何が起きるかを考えるようになります。
①「アメリカの中東政策に大きな制約を与えてしまうが・・・」
②「親イスラエルの議員と見なされてしまうな・・・」
一つ目に関しては、「とりあえず今時点ではデメリットとかないし・・・」と考える議員が多かったと言えます。
問題は二つ目。親イスラエル議員と見なされると、いったい何が起きるのでしょうか。
まず、アラブ系アメリカ人からの支持を大きく失います。
しかし、1970年代の人口は、ユダヤ系アメリカ人の1/3にも満たない数。しかも、ロビー活動とか全然興味ない。彼らに嫌われても次の選挙にほとんど影響ないのでセーフ。
逆に、ユダヤ系アメリカ人の投票率はアメリカ人平均の倍以上あり、選挙活動にも熱心。さらには多額の政治献金も期待できます。
こうした思考を経て、76人の上院議員は「ええいわかったよ!署名すればいいんだろ!!」と言ってしまったのでした。
1981
兵器を敵国に売るな!
さて、中東戦争はひと段落しましたが、それでもイスラエルにとって周りが敵ばっかりなのは変わりません。
周囲は、「レバノン」「シリア」「ヨルダン」「エジプト」。ぜーんぶアラブ国家。
そんな中、アメリカ政府から、重要な産油国の一つであるサウジアラビアへ、当時最新のレーダー付き航空機を売却しようという話が出ました。
このレーダー付き航空機は、広い範囲で素早く敵の動きを察知する事ができ、これを持つ国に対して不意打ちはほとんど不可能になるという優れものでした。
円盤ぽい部分がレーダー。お値段は1機あたり1200億円以上(当時)。
AIPACは、当然これに難色を示します。
イスラエルにとってサウジアラビアは完全に敵国。サウジアラビアの軍事力が上がってしまうことを容認するわけにはいきませんでした。
売却阻止キャンペーン
アメリカ政府が海外に兵器を輸出する場合、上院と下院の両方で審議をかけることになります。
もし上院下院の両方で否決されると、兵器は輸出できません。(どちらか一方の反対ならセーフ)
この時AIPACがとった戦略は、1975年の時と同じような各議員への働きかけに加えて、新聞に大々的な意見広告を掲載することでした。
新聞で広く人々にサウジアラビアの危険性を煽ることで、世論を味方につけようという思惑です。
この新聞作戦はかなりの成功を収め、世論調査ではなんと6割以上の人々が、サウジアラビアへの兵器輸出に反対という結果でした。
そして、下院での採択では301対111と圧倒的多数で輸出反対の評決が下されました。
これを知った当時の大統領レーガンは、「たった5機の飛行機を売れない大統領とかあり得るの…?」と絶句したと言われています。
続く上院での採択にあたっては、レーガン大統領自らが、なりふり構わず上院議員たちに頭を下げて回り、52対48という僅差でギリギリ賛成の評決を勝ち取りました。
しかし、この一連の出来事は、AIPACの名声を高め、「大統領すら脅かすロビー団体」という評価を固めていったのです。
1984
なお、1975年の書簡、そして、1981年の兵器売却。
このどちらにも反対をした議員は、当然ながらAIPACのブラックリスト的なものに載ることになります。
その代表が、チャールズ・パーシーという共和党の有力上院議員でした。
チャールズ・パーシー上院議員。良識のある人だったようです。
彼は、上院の外交委員長を務めたり、共和党の大統領候補に何度も名前が挙がるほどの人物。
自分の信念に基づき、AIPACからの圧力をはねのけ、1975年の書簡への署名を断固として断ったのです。
また、パーシーの支持母体は軍需産業であり、レーダー付き航空機の輸出も積極的に推進していました。
AIPACを敵に回した結果www
その結果、1984年の選挙でパーシーはAIPACから本気で攻撃されることになります。
AIPACは、パーシーの地元イリノイ州に、息のかかった候補者を送り込み、そして、テレビCM、新聞広告でひっきりなしにパーシーを攻撃し続けたのです。
例えば、新聞の全面広告にアラファト議長の顔写真を掲載し、「パーシーはこの男を『穏健派』と言った」と見出しをつける。
パーシーの過去のイスラエルに関する投票行為の統計をまとめ、アンチイスラエル的人物である事を強調する。
また、イリノイ州各地で激しい反パーシー集会を開き、徹底的に彼のイメージを落としていったのです。
結果、パーシー議員は落選。3期(18年)も務めた上院議員が、いちロビー団体のネガキャンに敗北したのです。
権力の掌握
この一件は、全ての議員に大きな衝撃を与えました。
このパーシーの末路を見て、それでも親アラブを貫ける議員は多くありません。
親アラブの立場をとっても、ほとんどメリットはありません。むしろ、AIPACの標的になっちゃう。
逆に、親イスラエルとなれば、様々な選挙協力を得られるのです。そして、貧弱なアラブロビーなど、全然怖くありません。
パーシーの後も、AIPACによって議員が落選させられるケースが何度か続き、今となってはもはや正面から逆らえる議員はもうほとんどいなくなってしまったのでした。
運が良かったところ
以上のように、「脅し」と「懐柔」を自在に使いこなすAIPACの手腕は、確かにお見事。
いつか我々がロビー活動をする際にお手本にすべきものだと言えます。
しかし、AIPACに代表されるユダヤ系ロビーが勝利を収めた最大の要因は、結局のところ敵が弱かったこと。
これに尽きます。
AIPACの行動目的は「アメリカとイスラエルが仲良くすること」だけであり、その他の論点に関してはほとんど圧力をかけることはありません。
したがって、AIPACが敵対するのは「アラブ系ロビー団体」だけとなり、それ以外とはそもそも衝突することがありません。あえて言うなら石油業界が少し反発するかなくらい。
そんな唯一の敵「アラブ系ロビー団体」の存在感は、上でも少し書いた通り、鼻くそ程度なのです。
民族性があるのかもしれませんが、アラブ系アメリカ人は政治への関心が極端に低く、投票に行く人はごく僅かです。
そんな感じなので、議員や政府高官になるアラブ系アメリカ人はほとんどおらず、そのうちイスラム教徒に至ってはアメリカ建国以来一人もいません。
そんな人々にわざわざ味方する議員なんて、いるわけがないのであります。
というわけで、確かに強引な部分もあるユダヤ系ロビーですが、そもそもアラブ系アメリカ人がだらしないのであって、もう少し頑張ってもらってもいいのかなと思いました。
参考
Opne Secrets 「ロビー活動データベース」
イスラエル―ユダヤパワーの源泉― (新潮新書)
アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか
中・韓「反日ロビー」の実像 いまアメリカで何が起きているのか
アメリカ人の政治 (PHP新書)