邪馬台国の場所が未だに分からない理由

「邪馬台国」なる国はどこにあったのか。

「卑弥呼」なる人物は誰なのか。

古代の日本を探る上で避けては通れない、日本史における最大のミステリーの一つであります。

少なくとも江戸時代から、この問題については多くの議論が交わされてきたみたい。しかし、それから300年以上経った今もなお、解決の兆しは見えません。

今回は、なぜ邪馬台国に関する議論が未だに決着を見ないのか、知ったかぶりできる程度にまとめてみようと思います。

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魏志倭人伝

3世紀の中国は、三国に分かれてその覇を競っていました。

蒼天航路

蒼天航路大好き

その三国のうちの最大勢力である「魏」と「倭」は、お互いに使者を交わしていたとされています。

当時の倭は一つの国ではなく、少なくとも100以上の国に分かれていて、日本列島を統一した国家はありませんでした。

そして、その国々のうち30国程度が、それぞれ個別に魏と朝貢関係にあったようです。

その魏に朝貢していた国の中でも最も有力だった国の一つが、邪馬台国でした。

魏と倭はそこそこ関係性が深かったこともあり、魏の使者が倭を見聞した内容が、歴史書「三国志」の中に記録されています。

厳密に言うと、「三国志」の30巻目にあたる「烏丸鮮卑東夷伝」の中の「倭人の条」という部分。

これが、通称「魏志倭人伝」。邪馬台国に関する、最古にして最大のソースであります。

魏志倭人伝

倭についての記述はたった2000文字。

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朝鮮半島から九州へ

それでは早速、魏志倭人伝の記述に沿って、邪馬台国を目指してみましょう。

倭人在帶方東南大海之中、依山㠀爲國邑。
舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。

倭人は帯方郡の東南の大海の中にあり、山島が集まってクニやムラを構成している。
もともと百余国あって、漢の時代から謁見に来る者もいた。現在、魏の使者が通じているのは30国である。

帯方郡というのは、朝鮮半島のちょい北の方。当時は魏の領土でした。

帯方郡

ここ

そこから見て「南東の海の中に倭国がある」と言っているので、これはもう日本列島の事に違いありません。

從郡至倭、循海岸水行、歷韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。
帯方郡から倭国に至るには、海岸に沿って水行し、韓国を経て、時には南へ、時には東へ進むと、7000余里で倭国の北岸にあたる「狗邪韓国(くやかんこく)」に到着する。

魏で使われていた距離の単位は「短里」というもので、今の基準で言うと1里=約77mだったようです。

7000里だと大体539kmくらい。まあまあいい塩梅の距離感です。

文中にある「韓国」というのはあの韓国ではなくて、当時朝鮮半島の南部に住んでいた韓族の事かと。

で、その「韓国」を横目にしながら南へ東へと7000里ほど進むと、倭国の北岸である「狗邪韓国」に到着します。

狗邪韓国まで
帯方郡から狗邪韓国まで

なお、この「狗邪韓国」という国は、烏丸鮮卑東夷伝の別の箇所で「韓国と陸続きだった」と書かれているので、朝鮮半島の南端にあったのは確実であります。
※この朝鮮半島南端の「狗邪韓国」が「倭国の北岸だった」という点はかなり興味をそそられますが、話が逸れちゃうので無視。

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倭国へ

海を渡って

対馬国

始度一海千餘里、至對馬國
其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶㠀、方可四百餘里。
土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸。無良田、食海物自活、乗船南北市糴。

始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。
大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。絶島で400余里四方の広さ。
1000戸程の家がある。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へ行く。

いよいよ倭国に入りました!

最初に登場する「対馬国」というのは、地名から見て対馬島と見てほぼ間違い無いかと。地名は言葉の化石です。

一支国

又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。
官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。多竹木叢林。有三千許家。
差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴。

また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る。
大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。300余里四方。竹、木、草むら、林が多い。3000戸ばかりの家が有る。
田畑は有るが田を耕すが食糧には足りず、船で南北岸の市へ行く。

対馬からさらに南へ海を渡ると、「一大国」につきます。

「一大国」というのは、「一国」の書き間違えというのが通説。

「一支」は「いき」と読めることから、これもまた地名から考えて壱岐島と考えて良さそうです。

一支国まで

九州まであと一息!

実際、対馬や壱岐では、中国・朝鮮製の鏡や土器なんかが出土していますので、魏志倭人伝の記述を裏付けていると言っても良さそう。

九州上陸

末盧国

又渡一海千餘里、至末廬國。
有四千餘戸、濱山海居。草木茂盛、行不見前人。
好捕魚鰒、水無深淺、皆沈没取之。

また海を1000余里渡ると、末廬国に至る。
4000余戸が有り、山海に沿って住む。草木が茂り、前を行く人が見えない。
魚やアワビを捕るのを好み、皆潜ってこれを取る。

壱岐島を出発してさらに海を渡ると、「末盧国」に着きます。

記述から察するに、この辺までは草木が茂りまくっていて、超ど田舎だったようですね。

「末盧國」は「まつらこく」。現在の佐賀県にある、「松浦」という地名に対応しているという説が有力。

この地域にある桜馬場遺跡からは、中国製の銅鏡や甕棺なんかが出土していて、ここにある程度の規模の国があったのは明らかなのであります。

桜馬場遺跡の銅鏡

後漢時代に鋳造されたの銅鏡

伊都国

東南陸行五百里、到伊都國。
官曰爾支、副曰泄謨觚・柄渠觚。有千餘戸。
丗有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。

東南に陸行すると、500里で伊都国に到着する。
長官は爾支(にき)、副官は泄謨觚(せもこ)と柄渠觚(へくこ)。1000余戸が有る。
代々王が居て、みな女王国に属している。帯方郡の使者が往来する際はいつもここに駐在する。

松浦から東南方面へ38.5kmほど歩いて進むと、「伊都国」に着きます。

「伊都国」は「いとこく」。松浦から東に30kmほどのところにある「糸島」という地域が、この伊都国とされています。

この糸島らへんは、明治時代までは怡土(いと)郡という地名でした。

糸島にもまた有力な遺跡がいくつかあり、そのうちの一つ平原遺跡にある墳丘墓からは、40面もの銅鏡が出土しています。

平原遺跡

平原遺跡の墳丘墓

奴国

東南至奴國百里。
官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。

東南に100里進むと奴国に至る。
長官は兕馬觚(しまこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。2万余戸が有る。

糸島からさらに東南方面へ7.7km進むと、今度は「奴国」に着きます。

「奴国」は「なこく」。

福岡県の博多周辺は、古代には「儺縣(なのあがた)」と呼ばれていました。

したがって、奴国は博多近辺にあった可能性が濃厚。

博多近辺の遺跡としては、須玖岡本遺跡とか那珂遺跡群といった有力なものがいっぱい。

須玖岡本遺跡

須玖岡本遺跡

那珂遺跡群

那珂遺跡群

不弥国

東行至不彌國百里。
官曰多模、副曰卑奴母離。有千餘家。

東へ100里行くと、不弥国に至る。
長官は多模(たも)、副官は卑奴母離(ひなもり)。1000余の家族が有る。

博多から東へ100里(7.7km)進むと「不弥国(ふみこく)」に到達するとあります。

この不弥国がどこにあったかは未だ定説はありませんが、博多のすぐ東にある「宇美」という地域がそれじゃないかと言われています。が、名前が似ているだけで証拠はなし。

この辺から少し怪しくなってきます。

でもとりあえず、ここまでの行程をまとめると、以下のようになります。

不弥国まで

上陸してから南東に進むと書かれていますが、実際には北東に進んでいます。

方角が45°ほどズレておりますが、「草木が生い茂り、前を行く人が見えない」感じの道を進んでいたので、正しい方角を掴むのは困難だったのでしょう。

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邪馬台国へ

ここまでの行程は、多少の意見の違いはあっても、まあ大筋ではほぼほぼみんなが合意しています。

ハッキリしないのは不弥国ですが、奴国の近くだったみたいなので、あの辺のどっかにあったんでしょう(適当)。

問題は、ここから邪馬台国への道のりであります。

投馬国

南至投馬國、水行二十曰。
南へ水行20日で、投馬国に至る。長官は彌彌(みみ)、副官は彌彌那利(みみなり)である。推計5万戸余。

水行とは船で進む事。

当時の船で1日あたりどのくらい進めたかというと、せいぜい25kmくらい。

とうわけで、九州北部から南に向かって20日、つまり500kmほど進んで見ましょう。

投馬国?
便宜的に直線距離をはめて見ると…

海やんけ!

ここにきてついに、記述に矛盾が生じてしまいました。

邪馬台国

南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。官に伊支馬(いきま)、弥馬升(みましょう)、弥馬獲支(みまかくき)、奴佳鞮(なかてい)があり、推計7万余戸。

海の上にある?「投馬国」からさらに南へ水行10日(250km)、さらに陸行1ヶ月で、念願の邪馬台国に到着します。

陸行は、歩いて進む事。

当時の倭国には獣道みたいのしかなかったので、1日あたり7kmくらいが限界だったようです。

とすると、1ヶ月で210km。

邪馬台国??

どう考えてもおかしい。九州北部から南に750kmのところに、そんなデカい陸地は無いのであります。

自郡至女王國、萬二千餘里。
帯方郡から女王国に至るまで、1万2000余里である。

ここで、おさらい的に帯方郡から邪馬台国までの距離が書かれています。

その距離12,000里=924km。

帯方郡から半径924kmの円を引いてみると、
邪馬台国の位置?

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どこかが間違っている

これで、邪馬台国の位置論争における論点がハッキリしてきました。

素人が単純に行程を見て行くと、次のようになってしまいます。

明らかに、12,000里の範囲を大幅にはみ出してしまいます。

怪しいのが、九州北部にあったと思われる「不弥国」より先、「水行二十日」とか「陸行一月」とかの部分。

この問題を解決すべく、古今の学者たちはあの手この手でなんとか説明をつけようと試みてきたのであり、今でもモメているのであります。

続く。

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コメント (218件)

  1. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 17:43:05

    九州のどこかだと思う

  2. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 17:47:32

    九州説にしたいだけだろー
    白々しい………

  3. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 17:47:59

    「南東」を「北東」にしたのに、「南へ」はそのままなのか。
    とツッコんでほしいような気がした。

  4. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 17:48:41

    まわりくどい

  5. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 17:51:11

    末盧國まで1万里。あと2千里じゃあどう頑張っても九州から出られそうにない。

  6. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 17:52:19

    多分未来永劫分かんないよ。企業が建物を建てようとした時に、土壌検査で遺跡が見つかると、行政が割って入って文化遺跡判定して工事を中断させてしまうから、もし邪馬台国に関する資料が見つかっても、企業が処分してしまう。多分これまでも、いくつかの証拠は潰されて来ただろうね

  7. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 17:53:53

    決定打が見つからない限り泥沼だろ

    九州も畿内もそのほうが得なんじゃないか

  8. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:02:13

    大ネタキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
    どっちに持ってくのか楽しみ

  9. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:03:13

    お店でよくある「元祖」「本家」みたいな感じで、それぞれ自由にやれば商業的にwin-winじゃね
    実際に何処だったんだろう、どんな暮らしだったのだろうとか興味はあるけれどもね

  10. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:08:12

    清水義範の説が正しいと思う

  11. 名前:とおりすがり 投稿日:2017/03/20(月) 18:08:56

    古文(って言うかヤツらの漢文な)中国人が中国語で読むと 
    位置は九州南部であって
    魏志倭人伝読むときに
    別に方角が曲がってたり距離をごまかしたりしなくていいらしいぜ
    あと、似た地名の強引な当て字とか

    なお日本の研究者にいうと
    どうしても九州北部か近畿にしたいらしくて
    「そういう説もありますねw」って相手にしないらしいけど

  12. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:12:39

    南ではなく東へという事なら、距離的に近畿圏な気がしますね

  13. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:13:09

    ほとんど決着ついてるけど
    大人の事情で考証やめてんのよね

  14. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:14:57

    魏志倭人伝を読んで思ったことは
    経路に出てくる支配者の称号に「卑」の字が共通していること
    とすると「卑弥呼」も何か関連性があるのではないかと思うが
    そのあたりは余り重視されていないようだ

  15. 名前:名無し 投稿日:2017/03/20(月) 18:29:15

    方角についてはの著述が怪しいと断定して、日本海航路で博多から水行20日で丹後半島手前に投錨
    そこから、本州横断最低高度線を通って陸行1ケ月で瀬戸内海岸線に出て、
    播磨のいずれかの港で再度船に乗り水行10日で着く範囲っていう説を推すな

  16. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:34:30

    「(邪馬台国まで)水行なら十日、陸行なら一月かかる」ってことなんだろうか

  17. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:36:38

    現在、天皇の墓(古墳)と呼ばれてる所を全部発掘出来たら色々な事がわかると思うのだが、未来永劫出来ないのかな。

  18. 名前:shima 投稿日:2017/03/20(月) 18:40:20

    それだけ詳しければ海部氏文書のことを知っているだろうに、どうして無視するの。

  19. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:48:52

    >>6
    企業が処分?
    土壌検査で遺跡が見つかる?
    良く知らないならもっともらしく語らないほうが良い。

    あと、邪馬台国はとっくに見つかっている。
    纏向遺跡だよ。
    でも多くの物書きにとっちゃ飯のタネがなくなるから認めず、論争を続けたいだけ。
    そもそもなぜ「ヤマタイ」国と読ませるの?
    国名として残る「ヤマト」国で良いのに。

  20. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:54:07

    これだけあやしい文章だって自分達で分析してるのに
    「ここまでは確定だから」ってするのが凄いなぁって思った

  21. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 18:57:00

    ※14
    中華思想だから自分達以外は全員卑しい人間以下の存在ってだけでしょ
    東夷にしろ南蛮にしろね

    なんで魏志倭人伝なんて言い方を頑なにするのかは分からんよ
    当時から今にも続く感性そのままに直接言葉を使えばいいのにね

  22. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 19:02:24

    鯨統一郎説で

  23. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 19:07:18

    ※14
    中原の王朝は、他地域の諸部族に蔑字を充てるのが普通だったんだよ。
    21の人の言う中華思想で、中原以外は「北狄・南蛮」「東夷・西戎」。
    「狄・蛮・夷・戎」は全て「獣・野蛮人」の意味。
    「匈奴」「鮮卑」なんてのもその例だし、「倭」の文字も同じ。
    その地域の小国の王の名に「卑」とか「狗」とかを充てているのもそう。
    当の諸族は「ヒミコ」「クコチヒク」と呼んでいて、漢字を充ててはいなかったからな

  24. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 19:33:35

    ※6
    仁徳天皇陵が戦国時代では城に改造されて使われていたように、遺跡の破壊なんて昔から当たり前のように行われてる訳だが…

  25. 名前:クライン 投稿日:2017/03/20(月) 19:46:09

    昨日、マキムク遺跡と箸墓古墳行ってきました。興味深い記事ですね、続きが読みたい!!

  26. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 19:47:44

    どうみても、やまと国だろう。発音。
    誰かの霊視でももそのひめみこが卑弥呼だってでてるし、それが信憑性ある。ももそのひめみこの墓、箸墓古墳は宮内庁が調査させないんだって。

    多分、ここから色々でてくるはずなんだけどね。

  27. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 19:54:31

    遺跡出ちゃうと工事業者が割を食うからね
    工事中断の日数だけじゃなく発掘の金も工事業者に負担させるんじゃ
    業者も無かった事にするわ

  28. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 19:56:38

    豊丸「イグ~イグ~」
    卑弥呼「私もイグッ!!」

  29. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 20:10:29

    渡邉義浩「魏志倭人伝の謎を解く」だと
    当時の中華思想だと世界は方一万里と考えられており、
    司馬懿が公孫淵を討伐したことによって魏に服属してきた邪馬台国を
    できるだけ遠くに置く必要があるから合計が一万二千里になるようにした。
    これは、曹真によって魏に服属してきた大月氏国までの距離が一万二千里だから、
    曹真の息子、曹爽を正始の変で殺した司馬一族の功績を釣り合わせるため、という面もある。
    また、呉の背後に国力の大きい国があれば呉も討伐しやすいとの考えから、
    邪馬台国の位置は東南でなくてはならず、「いれずみ」「女が多い」「人口が多い」「背が低い」などの特徴も
    実際の邪馬台国の姿とは関係なく、備えていなければならなかった。
    としている。つまり魏晋の都合のいいように書かれてるんだからどこまで真実なのかはわかりっこない。

  30. 名前:空缶 投稿日:2017/03/20(月) 20:10:46

    ヤマト国のヒノミコでいいじゃん。
    日の巫女、姫の巫女…そのへんで。

  31. 名前:また当り前のことを 投稿日:2017/03/20(月) 20:12:39

    屁理屈捏ねるな
    古い古い古の事だから分からないんだよ

  32. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 20:19:33

    TOKIOのリーダーが高知だって言ってた。

    そういうSSがあって、面白かったって話だけどw
    まぁ宮内庁と東大と京大がある限り、見つかんないだろうな。

  33. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 20:20:56

    ここで言われてるようにヤマタイ国じゃなく、普通にヤマト国とよんでいればなんの問題もない事なのにな。

  34. 名前:阪奈道路 投稿日:2017/03/20(月) 20:23:08

    四国でしょ

    徳島には倭大国魂神社もあるので、少なからずとも繋がりはあったはず

  35. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 20:55:35

    古語のヤマトは日向(ひなた)と同源で、地名として使われる場合は稲作向きの土地の意味
    大和・山門・山戸等々に加え日向系も加えると九州から山陽にかけて多い地名で
    逆に畿内は奈良のあそこにしか残っていない
    ヤマタイをヤマトと読み替えると神武東征あたりと絡んで
    畿内説に勝ち目が無くなるんで畿内説派の方が嫌がってる

  36. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 21:27:21

    奴国が福岡市周辺として2万戸、投馬国が倍以上の5万戸、邪馬台国が奴国の3倍以上の7万戸。
    つまり投馬国と邪馬台国は福岡市より広い平野部だと考えられる。
    で可能性があるのが九州では筑紫平野(約6倍)、熊本平野(約3倍)
    投馬国と邪馬台国は筑紫平野にすっぽり入るから
    邪馬台国は
    本命 筑紫平野
    対抗 熊本平野
    かな人口と稲作的に考えて

  37. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 22:00:01

    邪馬台はヤマトと読めるかも知れんけど邪馬壹はヤマトとは読めないよ

  38. 名前:なましし 投稿日:2017/03/20(月) 22:39:03

    九州にあったのは間違いなさそうだと思う。ただ、政情や何らかの都合で東進はして、確定地域が割り出せないとは思う。魏志倭人伝の情報も、ある程度の長期スパンの情報を要約した物であり、その間の出来事を書かれているので事情が異なる事が一堂に会した結果、解りづらくなったと推察する。水行も海だけでは無く、銅鏡の様な重い品物を舗装されていない陸路を大量に運搬する訳だから、小舟に分けて積んで河川を運搬に使ったと思う。ロープで小舟を馬で引かせれば合理的であり、現在のヨーロッパの水路でも船を馬で引かせるところもある。何しろ皇帝の権威がかかった品物であり、未整備の陸路はリスクが伴う。私の当初の邪馬台国の指定地は、宇佐、豊後の辺りと考える。そこからは瀬戸内海か中国地方に東進する事も容易である。

  39. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 23:19:49

    起点が違うだけだと思いますよ

  40. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 23:28:38

    卑弥呼の後継者・台与を”とよ”と読むんなら邪馬台国は”やまとこく”
    また台与は壹與の代用字
    詳しくはwikiの台与の項で

  41. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 23:31:06

    当時の食料自給を考えるのはいかがですか?

    とか思いましたが、そもそも邪馬台国が最大の国であった確証がなく、使者を送ったため記載された可能性も十分有り得る。
    かつ邪馬台国が皇家に繋がる物証も無い状況では、確定は難しい。

    本邦上陸後に陸→船→陸と乗り換えるのは効率的ではなく、また船が途中で使用できるのも不思議です。
    移動日数が盛られている(天候及び継続航行能力)+休息補給を考えると、実質2/3以下となるのではないですかね。

  42. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 23:37:13

    そもそも、そんな国はなかった説が俺の中では有力

  43. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/20(月) 23:52:29

    単純に、北東に進んで博多方面じゃなく、記述通り南東に行ったとして佐賀の辺りから有明海を経て、九州を南回りコースで舟で迂回。(20日)
    それから、四国か瀬戸内海を通って、(10日)
    それから陸を210Kmを歩行なら、近畿で符合しそう。

    当時は出雲と言う強大な鉄器文明の軍事国家が、北九州辺りまで進出して通行不可能だった為に、こんな大回りコースになったと思われる。
    単に地図を距離的に俯瞰した感想・・・ですが。。。

  44. 名前:43 投稿日:2017/03/21(火) 00:32:25

    魏に朝貢して権威を得ようとしたのは、遠交近攻の外交政策。
    また、貿易・通商の為でもある。
    当時の出土品の分布からして、朝鮮半島経由の鉄器を出雲が独占していたのはほぼ確実とされ、これが、わざわざ海路を大きく迂回してまで、通商を必要とした理由でもある。

    総合して考えると、対馬→壱岐→松浦あたりから九州の海岸線を反時計回りに船で20日かけて迂回。
    瀬戸内海を10日かけて通行。
    難波あたりから陸路で一ヶ月で邪馬台国・・・としても、果たして奈良や京都になるのだろうか?
    これでは近畿で符合するにしても、場所が異なりそう。

    仮に神武東征のルートをそのまま採用すれば、10日の海路で紀伊半島南岸までたどり着き、ここから陸路で北進して一ヶ月山路を走破。
    こうしてたどり着ける内陸の土地・・・これで奈良や京都付近になるのだろうか?

    この仮説ならば瀬戸内海や大阪辺りまでは、邪馬台国の敵対国の支配下だった。
    もしくは、あまりに雑多な都市国家が続くので、これら全てを外交で誼を通じてルートを確保する事が困難で、陸路のルートがそもそも無かった・・・と推測。

    起点を邪馬台国から逆進させて推測すると、勢力範囲の陸路を最短で海に繋げ(紀伊半島)、ここから海路で壱岐や対馬にたどり着くまで、日本国の沿岸を時計回りに迂回し北九州西岸まで、
    ここから、壹岐に渡る前にいくつかの都市を通過するのは、渡海して朝鮮半島に行くまでの補給の為???

    このような空想するのは浪漫があって楽しいけども、まったく証拠が無い罠。
    わからないから想像が面白いのだけど。

  45. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 00:58:00

    畿内一択

  46. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 01:05:54

    中で出てくる壱岐から松浦~宇美までの地図でも、もうおかしいじゃん。松浦の位置が長崎の県境で糸島が唐津の位置になってる。唐津も松浦の一部だからね(以前の東松浦郡の地域内)。
    陸を歩いたあと海を進むんなら、間違いなく方向を合わせて有明海沿岸まで行けるじゃん。吉野ヶ里もあるし。無理もくそも無い。
    その後が船とあるけど、玄界灘を渡るような船があるわけでも無く、手こぎ船が当たり前。
    そんな船で1日25キロも進むはずも無く、行けて陸伝いに鹿児島だろうな。
    その後の陸は方向が書いてないからほぼ1ヵ月で200キロ~歩けたとしたらどこかって話だろうな。
    中国本土じゃあるまいし、測量技術が当時の日本にあるわけでも無く測量技師を連れて行ったわけでも無い。基本は少人数の探検隊で、持ってるのは中国の暦と太陽の方向しか無いんだから、南東って言えば南東、船で南って言えば間違いなく南と考えるべきで、日本の地名を参考にしすぎるのはあまりにも馬鹿すぎる。
    半島の特定地から12,000里?!?・・・ だから彼らがその測量ができたかだね。
    もう1つ。日本からの使者は魏の国を見ているわけだから、そんな大国の使者を自国にまともに案内するか?オレだったら絶対しないな。だから最後の陸は見晴らしの利かない山道を歩き続けるな。

  47. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 02:05:59

    問1

    どんな珍妙な説でもかまわないので
    「邪馬台国は朝鮮半島にあって韓国の属国だった」
    という説をでっち上げなさい(手段もコストも度外視でOK)

  48. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 03:38:21

    いいねぇこういう答えがはっきりしない問題ってw
    誰も正解じゃないし間違ってもいないw

  49. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 03:41:22

    そもそも中国の古文書を参考に探すことに無理がある。
    「魏志倭人伝」という用語は歴史の授業で必ず覚えさせられるけど、
    地元の人(倭人・日本人)が書いた文献ではないのだから不正確な部分があって当然。
    現代人だって1度や2度旅行で訪れた場所について、記憶を頼りに正確な記述をすることは難しい。
    極論すれば全くの虚構の可能性すらある。
    部分的に今の地名・地形から類推できる箇所があるから一定の信憑性があるように感じるけど
    これだけの資料で場所を特定することは不可能。

  50. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 06:28:04

    久しぶりの更新嬉しいのですが聖書の話は前回で終わりだったのですか?
    もっと先までありそうな感じに受けていたのですが

  51. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 07:52:26

    見苦しい争い。近畿しかありえん!九州しかないだろ!って言ってた人が、
    逆が本当に正しいと仮に判明したとして立場なくすだけだし。
    そりゃ歴史的にも有名なものは全部自分の地元や知った場所だと言いたいだろうけどさ、
    真実は一つしかないんだし。ちな九州人だがどっちでもいい。

  52. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 08:16:32

    ハニワ幻人め、死ねぇ!

    今回のシリーズは邪馬台国と古代日本かな?楽しみだなあ

  53. 名前:名無し猫 投稿日:2017/03/21(火) 09:50:58

    龍谷大学に南北が逆の地図がある(混一彊理図)

  54. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 09:56:37

    歴史の「ロマン」という名の金儲け主義によるもの

  55. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 10:16:41

    「鑑真和上が日本に渡ろうとして大陸人の船乗りに依頼したら海南島に連れて行かれた」という話があるように、当時は倭国=南の島のイメージだったらしい。
    このため、過去の記録に「東」と書いてあるのを「倭国だったら南だろ!いい加減にしろ!」といって勝手に書き直した可能性が大。

  56. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 13:24:43

    そもそも卑弥呼は日巫女。邪馬台国は大和国、ないしは大和大国でしょ。
    いちいち中国側の蔑称で日本人が呼ぶ必要ないんだよ。
    旧国名で大和の国が奈良県だから邪馬台国も奈良にあったんじゃない???

  57. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 13:27:03

    歴史は文化であり、政治や経済の礎。
    ネットによりグローバル化の進んだ現在、重要度は増している。

    まぁそんなことより分かりやすく面白いねぇ

  58. 名前:皿山だを教え子 投稿日:2017/03/21(火) 13:44:34

    こんな中国の擬書の一文で、日本の、パヨク勢力が決め付けてるだけ
    そんな国はねーよ、騙されすぎ、日本にそんな言い伝えとかないから捏造もいいこと
    邪馬台国って漢字見ればいつもの中国の日本鬼子、小日本の嫌がらせだと気付けや
    日本は
    昔から日本王国であってパヨク勢力が嘘を教えてきたから全然噛み合わない
    金印もパヨク勢力の捏造、騙されるな

  59. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 13:51:47

    記紀神話・神武東征や皇紀2600年やらの信憑性が絡むから多分にイデオロギッシュなんだよなぁ・・・
    いっそ全く関係ない欧米人に調べてもらったほうがええんちゃうの?
    まあ絶対ゆるさない人多数だろけど

  60. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 14:43:57

    「全部ただの予想」

  61. 名前:a 投稿日:2017/03/21(火) 16:27:18

    古代における文字を使った記述なんて、ある意味でプロパガンダ、時の権力者が自身の権威付けに
    つかう「道具」なんだから、本当よりも嘘の成分が濃いと疑って掛かるべきなんだと思う。
    地名もしかり。権力の中心に近い土地はコロコロ変わる。一方でどうでもいいやって放置気味な土地は
    地元の人の利便優先で長く変わらない、かも知れない。中心だの権力だの資料として残れば勘案の余地も
    あるけど、ことごとく後の権力が消し去ってる可能性もある。難しいことだ。

  62. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 16:28:52

    奈良の纏向遺跡からの出土により、九州説を言っていた学者も畿内説に傾いているのが現状だよ。

  63. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 18:45:55

    畿内説を押す学者がなにをいっても
    九州説を押す学者は「明治政府が九州説を押したから」といって聞き入れない
    それが70年代から40年以上続いてるだけ
    九州学派の老害が絶えれば多少は議論も進む

  64. 名前:名無し対戦車道さん 投稿日:2017/03/21(火) 18:48:07

    邪馬台国→大和の国
    ちよっとしたいい間違えか漢字のあて違いだよ。

  65. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 19:09:09

    大人の事情ちゅうもんがあるねん。
    決めへんからあっちこっち邪馬台国・卑弥呼ネタで稼げる。
    実際見たヤツ居らんから好き勝手言える。

  66. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 19:28:27

    このサイト本当に面白い…
    更新楽しみにしてます。

  67. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 19:39:31

    邪馬台国について書かれている貴重な資料である魏志倭人伝をそのまま信じるなら
    どうしてもここで行き詰まるんだよな

    でも待ってほしい
    そこにムー大陸が存在していたとしたら?

  68. 名前:名無し 投稿日:2017/03/21(火) 20:13:57

    「決着つかない(つけない)理由」  たくさんの人のめしのタネだから

  69. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 20:31:50

    ※67
    冗談だとはわかるが、水路ってどこよって話なので
    海をどんなに埋め立てても状況は変わらないぞw

  70. 名前:  投稿日:2017/03/21(火) 20:34:57

    邪馬台国は大和で確定、問題は大和朝廷成立までの経過が良くわからない。

  71. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 20:35:54

    水行二十日から打ち切り決まった漫画並に行程すっとばしてんな

  72. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 20:49:57

    amazonで「邪馬台国」調べたらムー本がわりと上位にあって草
    しかも5人全員★5の高評価
    冗談なのかガチなのか全く分からんw

  73. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 21:56:31

    途上までは方角、距離を割と詳細に記載しているのに、
    不弥国から南に水行20日とか、
    投馬国から南に水行10日とか、
    ここから日付の表示になったのは、恐らく方角が目まぐるしく変化する複雑なコースだった為。
    船出して最初の方角が南だっただけで、様々な方角を経て長い日数を経て到達したと言う事が、迂回していた裏付けと思われる。

    ちなみに邪馬台国を中国のピンイン読みをすると、シェー・マー・タイ・グォ。
    シェーマタイってどんな国??と思ったら、古代読みで読み直すと、
    ヤ-・マ-・タイ・グォ。
    ヤーマータイとなり、ヤマトの音を充てたっぽいね。
    邪馬台国=大和であってるんじゃないかな。

  74. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 22:00:36

    邪馬台国は当時の超巨大都市であることが明らかになってる
    この規模の巨大都市があったのは畿内か少なくとも本州だけだから
    畿内の超巨大遺跡と同規模の遺跡が九州で発見されないと九州説は無効になる
    でもいつまで経っても九州で出てくる遺跡は極小集落ばかりなんだよ
    だから九州説の学者はとりあえず保留ってことにしてるけど
    畿内からは毎年のようにザックザクと遺跡が出てくるから
    もう九州説は畿内から決定的な証拠が発見されるまでの足踏みでしかないよね
    まだまだ九州で発掘する気満々の学者なんてもういない

  75. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 22:06:09

    そもそも、記述の方角を無視して、地名が似てるからと発見された遺跡に無理やり合わせていくのが意味不明。
    そして船で海を渡ること~里という最初の頃の記述が水行~日という記述に後半で変わるのは同じ船での移動でも書き分けが必要なほど何か決定的に異なるのだろう。
    何となくだが、水行とは陸を視界に入れながら沿岸沿いに移動することのように思われる。
    もしそうだとすると、南下してたどり着くのは鹿児島。

    ・・・そしてそこにあるのは桜島の大噴火、と。
    ポンペイみたいに火山灰の下でもおかしくないな。

  76. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 22:14:08

    ※6
    行政を批判してるのか?

  77. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 22:19:25

    文字で示す資料が出ないと進まないよ。
    無意味だからまともな研究者は別の研究してる。研究意欲がなくなった人が余暇でするもの。
    あとはまともじゃない人たち。

  78. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 22:27:40

    邪馬台国はヤマタイじゃなくヤマトだという人は
    大和でヤマトと読ませることに疑問はないの?

  79. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 23:14:16

    国際的な学会で九州説が真実となってるぞ
    大和と邪馬台国は無関係ってのも常識

  80. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 23:35:49

    九州だと思う。

  81. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/21(火) 23:50:00

    俺奈良県民だし畿内説を推したいけど、まぁ学者さんにはそういった感情は無視して正確な結論を出してほしいよね。

    ちなみに、中国の文章なんて無意味って言ってる奴らは歴史上での中国の凄さを全然解ってない
    というか、他国の視点を無視して自国から見た歴史だけを見続けるとそのうち半島国家みたいなのが出来上がるよ。

    他国の歴史書と自国の証拠を擦り合わせるのはすごく大事。
    自国の歴史書と自国の証拠を擦り合わせてたら都合のいい解釈しかし無くなる

  82. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 00:39:43

    ※78
    ヤマトがあちらの字で(意味として)=倭であって
    倭が汚い字だから和に換えてもらって
    さらに美称として大を付けた。それだけやん。ヤマトという音自体はずっと日本にあった。つか「日本」も初期はヤマトって読んでた。

  83. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 02:03:55

    距離が狂うことはあっても方角を間違えることはちょっと疑わしい
    1800年前でも太陽見りゃ方角はそれなりの精度でわかるはず

  84. 名前:名無し 投稿日:2017/03/22(水) 05:25:08

    漢字は当時の日本にはなく当時の日本の音に魏の中国人が勝手に当てた当て字だから気にするな。
    音だけわかれば良い。
    だから「わ」や「ひ」や「な」等には倭だの卑だの奴だのいやしい漢字をわざと当てている。
    当時の日本の音の「ヤマト」をわざと魏の漢字の中からいやしい漢字を選んで「邪馬台」と当てただけだ。

  85. 名前:名無し 投稿日:2017/03/22(水) 05:35:45

    九州南部と近畿には幾つもの同じ地名がある。
    しかもそれぞれの位置関係が重なる。
    普通に考えれば、九州にあった邪馬台国(ヤマト)から追われた人達(政権争い?)が近畿に逃げて近畿で新たに新邪馬台国を作ったんでしょ。
    つまり本家と元祖、南北朝みたいなもの。
    その後、西暦600年頃には九州ヤマト(邪馬台国)は滅びていて奈良ヤマト(新邪馬台国)が漢字を仕入れて「大和」と表記する事にしたんでしょ。

  86. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 06:08:00

    「魏志倭人伝」
    南至邪馬壹國 女王之所都
    (南に行くと邪馬壹國に着く、女王の都である)

    「隋書倭国伝」
    都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也
    (邪靡堆を都とし、すなわち魏志でいうところの邪馬臺である)

    なぜヤマトを「邪馬臺(壹)」から「邪靡堆」へと表記を変える必要があったのか
    倭国を統べるヤマトとしての役割は同じだが別の都であるからではないのか
    みたいな説

  87. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 06:46:13

    素人が趣味の範囲で考える分にはロマンそのものなテーマだけど
    学者さんたちの縄張り争いを見ると一気に萎えてしまうテーマ
    畿内でも九州でもどっちでも良い、「日本」にあったで良いじゃないか

  88. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 07:57:58

    ※85

    神武東征が、まんまソレっぽいね。
    出雲に破れて近畿に逃げて再建したのか、九州邪馬台国(前期・邪馬台国)が、近畿の都市国家群と同盟連合し、その証として神武が近畿に迎え入れられたのかは不明だけど。
    一部の学者では、東征ではなく東遷(都)と表現する人もいる。

    なぜ、こんな飛び地で逃亡or連合を・・・といえば、この時代で脅威扱いで表記されるのは常に出雲の存在。
    最盛期は中国地方(吉備は除く)~北九州・筑紫平野~日向・宮崎平野あたりまで出張っていた。
    出雲型古墳(特大級)が日向からも発見されている事、古代神社の祭神の分布から推測してたけど、なるほどと思った。

  89. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 10:32:09

    >上陸してから南東に進むと書かれていますが、実際には北東に進んでいます。
    方角が45°ほどズレておりますが、・・・・正しい方角を掴むのは困難だったのでしょう。
    >南へ水行20日で、投馬国に至る(九州北部から南に向かって20日、つまり500kmほど進んで見ましょう。)

    前述で方角を見失っていると指摘しておきながな、何故?そのまま南下させる必要があるのか。
    ここでは方角をズレたままで計算して、東方向だろ。

  90. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 10:36:02

    ※70
    かなり正確な記録である日本書紀の中で、
    前半部分の不自然な年代のズレとかかなり怪しいよな。

  91. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 11:01:20

    投馬(於投馬)国は出雲で決定している
    よって邪馬台国は大和(奈良)
    狗奴国は毛野、斯馬国は志摩、己百支国は伊吹、彌奴国は美濃、姐奴国は信濃

  92. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 11:06:11

    ※85
    >普通に考えれば、九州にあった邪馬台国(ヤマト)から追われた人達(政権争い?)が近畿に逃げて近畿新たに新邪馬台国を作ったんでしょ。

    根拠がない以上逆とも考えられるのに
    当たり前のように「九州が先」と言って聞かない
    こういう九州学派のせいで邪馬台国の位置は
    まだ議論すら始められない

  93. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 11:29:42

    静止した時間を切り取っておらず、東遷をまんま含んでいるから、場所が曖昧。なぜ東遷が片鱗も記述されていないか?
    1 そんなものはなかったから
    2 あったかもしれないが。魏志編纂者の知るところでは無かった

  94. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 11:41:35

    ※83
    帆船はまっすぐ進むわけじゃねーんだから
    乗せられてるだけの人間がどっちの方角に進んでるかなんてハッキリ分からんよ
    つか太陽は刻々と動くのに時計もない時代に方角なんて素人に分からん
    365日同じ風景と刷り合わせてる定住民ならともかくな
    だから羅針盤が3大発明に数えられるワケで・・・

  95. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 12:06:23

    「実は神武は播磨あたりの凡夫の生まれで、荒くれ舎弟束ねて橿原に東征し乗っ取った」
    程度の話を誇張してるってんなら権威も何もあったもんじゃないからな
    前スレのイスラエルじゃないが
    日本列島の西の果ての森深い山奥から神仙思想よろしく先祖が天孫降臨したってのは権威付けとしちゃ上等

  96. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 13:17:13

    ※85
    卑弥呼の死後に争いがあったので、内乱起きないように国内を御しやすい位置に遷都したんじゃね

  97. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 16:33:50

    鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか」を読んで以降、投馬国は富山だと信じている。

  98. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 16:54:31

    当時の地理感なんて当てにならなくてほぼ未整備の山道ぐるぐる回ってたらそれぐらい長くかかってたとか身も蓋もない理由だったりして

  99. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 17:24:59

    女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。
    斯馬国(志摩)、己百支国(伊吹)、伊邪国(伊代)、都支国(土岐)、彌奴国(美濃)、 好古都国(加賀)、不呼国、姐奴国(信濃)、對蘇国(土佐)、蘇奴国(讃岐)、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国(紀伊)、爲吾国(伊賀)、鬼奴国、 邪馬国(山城)、躬臣国(越、高志)、巴利国(尾張)、支惟国(甲斐)、烏奴国(魚沼)、奴国。此れが女王の境界が尽きる所である

  100. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 18:11:04

    東南に進んだつもりが北東に行ってるんだから
    南に進んだつもりなら東に行くよね

    あとここからは多分倭人の船を使うから
    水行20日は当時の大船よりかなり短くしないと

    下手すれば毎日上陸して夜越してたんじゃ

  101. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 18:12:24

    当時の日本は九州を北にして逆立ちしてた説好き。
    それなら距離的にも方角的にも近畿一択。
    さらに東北から南方の貝の貝塚が大量にあるのも説明付く。
    当時の中国人が方向や距離を間違えたってのはあまりに馬鹿にしすぎ。そんなんで当時の旅などできるわけない。
    日本の下はプレートが折り重なってるわけだから日本列島が大移動した可能性は十分あり得る。

  102. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 18:21:52

    年代ずれてるのかもしれないが
    強大だった出雲や発展してた金沢は
    全く名前出てこないのかな

  103. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 19:49:15

    個人的な想像だけど、魏の使者に細かい場所を欺くため迷い道や瀬戸内をぐるぐる巡って
    時間稼ぎしたかもしれないよ?
    単なる属国というか衛星国家のつもりなど無いが攻められて守り切れるほどの国力も無いから
    都の位置や個人情報部分は大いにフェイク用意してボカした可能性だって捨てきれない。

    あと、結構な頻度で遷都をしたと推測する。
    +なんでも都集中ではなく、機能別にあちこちに重要地点を置いて
    漢から続く土産物も分散した可能性。

  104. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 19:59:53

    どこで見たかは忘れたけど、方角や距離がおかしくなる地点から先は現地人の伝聞を元に行ったっていう体で書いたんじゃない?っていう説はすごく納得したな。
    その地点から先ってあからさまに記述が曖昧になってるしスケール感も変わるから。
    自分は『九州にあったはずだ!』みたいな感じじゃなく『九州島から外には出てないだろう』って感じの認識。だって紀伊半島まで移動してたとしたら同時代にすでにまとまった勢力になっていた出雲や吉備が出てこないのは不自然だもの。しかも畿内より先にもそうしたまとまった勢力はすでにあるんだよ?
    たぶん邪馬台国とそれにまつわる話って意外にローカルなものなんじゃないかなって思うな。懐良親王の時代になってさえあのレベルなわけだし。

  105. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 22:12:36

    そもそも魏の誰かが邪馬台国まで出かけていったことを自然と前提にしてるけど、その前提って合ってるの?
    マルコポーロの東方見聞録よろしく人伝に聞いただけで、実は行ったことないよってことはないの?
    伊都国までは少なくとも使者が行ってるけど、そこから先は行ったことなかったりしてね

  106. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/22(水) 23:06:13

    ※105
    作者の陳寿は倭に来てないな

  107. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 04:04:14

    元々九州説論者だったけど、今は近畿説に鞍替えしてる。
    自分が調べた中で特徴的なのが以下
    ・方角
     松浦の時点で破綻しているので信用価値なし
    ・投馬国=出雲国
     5万戸もの人数が暮らすには相応の平野部が必要
     地名の類似で広い平野部があるのは島根県出雲か宮崎県妻付近
     出雲のように影響の大きい存在を大陸側が無視するとは思えないこと
     また発音が「投馬=du.zu」「妻=tu.tsu」「出雲=zu.du.zi.di」であるため投馬は出雲と推測
    ・邪馬台国は近畿
     奴国付近から水行二十日で投馬国に至る
     ここから東へ水行十日進み丹後半島付近に上陸、
     そこから南に陸行一月進むと奈良県に至る
     当時は道が舗装されてないことを考慮すると一ヶ月かかるのはおかしくない
    ・奴国は静岡
     よく熊本球磨郡、熊襲、紀伊熊野、濃尾平野、毛野国などに比定される
     球磨説→わからん、けどあの土地で邪馬台国と争えるほどの力を有せるがどうか
     熊襲説→官の名称がミミとミミナリで、熊襲の支配者であるイサオとタケルではないため除外
     毛野説→邪馬台国の時代にはまだ毛野地域の平野部の開拓されていなかったため除外
     濃尾説→以下と関連?尾張だと卑弓弥呼が尾張国造の物部氏と関係あるかも
     静岡説→昔静岡県には久努国造があり、それに関係する。
         クヌと呼ばれた国があってそれが滅んだ後に国造家が置かれたと思われる。
         領域内には大きな古墳もあり、相当な国力を誇ったということがわかる。
    ・著者or使者は邪馬台国まで行っていない
     行っていれば邪馬台国をより詳しく記すはず、遠かったのが原因か
    ・卑弥呼は倭迹迹日百襲姫
     箸墓古墳は、天皇である崇神天皇の陵より大きく、大きさは魏志倭人伝の記述と一致する
     天皇よりも権威または権力があったと思われる
    ・弟は孝元天皇
     倍年説を採用し、七支刀などから逆算すると、孝元天皇と卑弥呼の時代が一致する
     ただしこの場合、卑弥呼が極めて高齢になるため、それを指摘されると反論出来なくなる
     台与は豊鍬入姫命(崇神天皇の娘)
    ・邪馬台国=ヤマト国
     当時日本(倭国)には漢字がなく、全て大陸側の当て字
     当時の音と、日本の地名から推測するとヤマトでほぼ確定
     ついで、倭国≒日本列島、邪馬台国≒列島に複数あるうちの1ヵ国で連合の盟主、と思われ
     国名の推移は倭→和→大和、時代とともに倭国はヤマト国と同義になった
     「倭」と「和」はともにヤマトと訓むことができ、
     そこに偉大という意味で「大」をつけたのが今現在の「大和(ヤマト)」の単語

  108. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 04:27:08

    この※欄見てる限りだと
    九州を推してるやつは感情論が多いな

  109. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 04:29:08

    >毛野説→邪馬台国の時代にはまだ毛野地域の平野部の開拓されていなかったため除外

    北関東は古墳多いだろ

  110. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 06:41:54

    倭に来てレポートしたのがいる。卑弥呼の時代にやって来て、卑弥呼は既に死去、トヨを担いだあの人が。トヨは彼を送り返しており、彼が晋に報告したのが、倭人伝のソースのひとつ。

  111. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 07:21:10

    そう言えば、その人物の墓も見つかったとかいうニュースもあったな。あくまでも、彼の任務は、東方の脅威を鎮めること。それに因んだ名を贈られていた。東遷があったとしたら、奴が主導するか、そそのかした可能性はありそう。意外に倭はすでに未開の土人の国ではなく、百年後には、半島侵略するからね。北九州から追い払ってもこの勢い。みたいな話くらいぶっ飛んで欲しいね。

  112. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 07:21:45

    どうでもいいけど近畿説推す方の「近畿で決まり」って言い方、思考停止で議論も糞もないんだよね
    「マキムク」ありきだからほかの可能性も、不都合も無視をする
    東→南なら「マキムク」はその他諸々のうちの一つだったんじゃないの?
    その可能性は考えない?

  113. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 07:29:11

    印刷なんか無い時代で魏志倭人伝の初版原本とかが現存してるわけでもなくて
    出典は写しの写しのそのまた写しだったりするんでしょう?
    旧約聖書コピペ説じゃないけど写し間違いやら人為的改変やらでそもそもソースの信憑性低そうなんだけど。。

  114. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 07:54:29

    卑弥呼の邪馬台国は、北九州、台与の邪馬台国は、近畿。こう考えるとスッキリする。二つの大和。磐井の乱や、継体の謎も紐解けそう。

  115. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 08:30:03

    仲哀、応神、神功、武内宿禰エピソードも、捏造なりに何かを意味しているとしたら、それは何か?
    瀬戸内海航路の開拓やら、船で葬送、畿内で反乱。
    磐井の乱も混入して、何度もリフレーンされる東遷の焼き直し物語。       

  116. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 10:23:05

    こが邪馬台国だって断定されるにはどうしたらいいの?
    金印でも見つけるん?

  117. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 10:55:07

    卑弥呼の墓が特定できてもダメ。卑弥呼は、歿後、モガリにふされて運ばれた可能性もあるから。モガリって長いんだよね。

  118. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 12:23:01

    >意外に倭はすでに未開の土人の国ではなく、百年後には、半島侵略するからね。

    匈奴など見ても分かるように、遅れた蛮族が戦争に強いなんてあの時代の常道。ゲルマン人でもヴァイキングでもいいが。
    官僚的な農耕社会を営んでた半島民が半ば狩猟漁猟の刺青ヒャッハー民に海岸付近を荒らされたことは想像に難くない。
    時間が経つと組織的反攻のすえ一兵残らず叩き出されたのが本当の文明力差を物語ってると思わんかね。

  119. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 12:31:36

    弥生時代何百年やってると思っているの?稲作が、半島より旧いのも常識なをだが。

  120. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 12:35:06

    なお、高句麗の強さは認める。根が馬賊だし。高句麗ショックは、日本を形成したな。

  121. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 12:37:45

    「魏志倭人伝」に拘ってる限り色々こじ付けが出来て、如何に珍妙な解釈でも出版して金儲け出来たからここまで抉れたんじゃないの? と言うより、抉らした方が色々とうま味のある利権出来上がってるんだろ。

    『魏志倭人伝』とはいうが三国志(演義じゃなくて正史の方)の中の魏書第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条という極一部分だし、魏を滅ぼした西晋が陳寿に書かせたものだから「海を越えた東の彼方から朝貢使節が来ていた魏を引き継いだ晋は偉いんだぞ!」という意味しかないだろうよ。

    中華思想の歴史観は政治そのものなんだから「魏志倭人伝」も正確な記録より政治的な正当性を優先して書いてある。つまり、当時の王朝にしてみたら朝貢使節は遠くからやって来たもの程箔が付いて価値があると思っていたのだろうから、旅程を誤魔化して遠くから来てる事にするのは当然だと思うよ。東夷の中でも最も東が邪馬台国だったなら殊更遠くにある事にしたのじゃないの?

  122. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 12:39:32

    久保・・・帯・・国?

  123. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 12:53:03

    あと、中華文明とか言いつつ、漢族の支配は、あまり無く、鮮卑、匈奴、女真なんかが統治する。サイコパスがリーダーになるみたいなもの。東夷として対外進出する人口扶養力は国力の要。統治ツールなとは、今も昔も
    容易にコピーされてしまうのだ。高句麗王家も亡命して来るし。
    朝鮮出兵生理は、西郷、秀吉以前の古代からのもの。

  124. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 15:21:38

    荷物を大量に運びながら船で1日25キロコンスタントに進むのは無理

  125. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 16:14:26

    近畿と九州の中間の四国で
    実際はいっぱいクンニがあったのかなと
    今と違って西日本のあちこち栄えてたみたいだし、山の上も海沿いも

  126. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 16:14:45

    近畿と九州の中間の四国で
    実際はいっぱいクニがあったのかなと
    今と違って西日本のあちこち栄えてたみたいだし、山の上も海沿いも

  127. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 16:41:36

    クンニ破れてマン毛あり

  128. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 17:39:33

    竹内文書の解読が待たれるな

  129. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 19:22:57

    あの時代すでに漢字あるんなら日本もそれ学んで記録とか書いてくれたらよかったのに

  130. 名前: 投稿日:2017/03/23(木) 20:31:09

    魏志倭人伝に邪馬台国と記された国のことは、最近の科学に発展に伴い解明されています。ではなぜ謎とされるかと言いますと、科学が発展する前の世代の研究者たちが学会の主要ポストを占めているからです。彼らは自分たちが長年提唱してきた学説が否定されることを恐れるあまり事実を捻じ曲げています。このおじいさんたちが全部死ぬと、邪馬台国の謎は突然解明されます。

  131. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 20:53:39

    東大系の学者が九州説の誤りを認めたくない

  132. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 20:57:42

    奈良に決まってるだろ。裏の首都は奈良やぞ。覚えとけ!

  133. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 21:27:16

    科学で解けるわけないだろ。科学なんて曜変天目も、豊洲の水質も、袴田事件もすっきりと解決する根拠は示せない。なおかつ、安全より安心が大切、つまり「心」が重要。
    心=文科系=神話は国民国家の礎。
    抗日パルチザン神話を旧ソ連から捏造してもらった北朝鮮は、ああ見えて国体を樹立。
    それを欠いた南朝鮮は未だ国家の体すらもががない。でもって、慰安婦像を反日、反帝国主義、反米の象徴として唯一すがるが、そんなもので国が建つわけもない。
    というわけで、戦後、天皇制神話もろともタブーとなった日本神話から免れた「邪馬台国論争」は、ロマン派の遊び場。
    だが、新たな神話形成はいつしか遊びの域を超える。

  134. 名前:南ちゃん 投稿日:2017/03/23(木) 21:45:09

    地名の推測が正しいなら45度ではなく90度弱ズレてるからね…

  135. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/23(木) 21:58:15

    海流で言うと、対馬から松浦とか近そうで近くなく、大きく逸れて出雲、丹後半島、越前なのかな。
    本州横断最低高度もいいけれど、小浜-若狭-近江今津ラインで琵琶湖→大津→奈良って遠すぎ。
    奈良は、やはり瀬戸内海航路を待ってから発展する湿地帯。
    つまり、出雲系の半島ルートを無効化したのが瀬戸内ルート。このルートはなかなか難儀で、卑弥呼の時代までは拓かれなかった。
    北九州と出雲、そのおこぼれで若狭というのが弥生時代の海外通商窓口の先進地域なのだろうかね。

  136. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 00:13:38

    とりあえず、古事記では男神でなく、女神の天照大御神が最高神の段階で卑弥呼が大和朝廷にかかわっていることがわかる。
    縄文後期の阿蘇大噴火のせいで九州が壊滅した後再建された稲作中心の弥生社会のしくみの指導者(アイドル)として日の巫女が重要と魏志倭人伝では大陸とは違う政治形態、男系でない社会と記載されている。

  137. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 00:28:47

    末盧国から南東の伊都国は有田
    そこから東で武雄、佐賀
    南に水行したのは有明海
    邪馬台国は人吉あたりでどや

  138. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 01:12:03

    近畿なわけないんだよ
    邪馬台国が近畿ならそこに行く途上に立ち寄るであろう中国地方平野部の記述が全くないのは不自然

  139. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 01:29:43

    出雲の方から行ってるからな

  140. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 01:45:40

    卑弥呼がいたのは福岡市東区香椎付近

  141. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 06:24:27

    魏の使者が実際に訪れたのは奴国か不弥国までで
    そこから先は現地の住民からの伝聞で報告書をでっち上げたカラ出張説

  142. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 07:23:37

    二つの大和説は興味深い。
    瀬戸内海航路が実現した二つのこと。出雲、敦賀、近江連合を駆逐。東海、紀伊、河内、大和、吉備、阿波、北九州まで及ぶ瀬戸内連合の出現。桃太郎エリアは、モモソヒメエリアに重なる。
    そして東遷。豊後、播磨、勝浦まで結ぶ浦島太郎エリアだ。
    関門海峡が、地政学上のチョークポイントになった。
    それが古墳時代草創期に、この国で起きた出来事だった。古墳と鏡のレガリアで特徴づけられる時代は、瀬戸内海航路へのシフトが支えた。

  143. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 08:56:18

    考古学の重鎮、故森浩一「倭人伝を読みなおす」辺りでも読んでみるかという気になりました。

  144. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 12:46:34

    単純に日本列島が東じゃなく南に延びているのだと勘違いというか意図的にそういう方向にもっていっただけって話を聞いたな。上でも誰かが言ってるけど、要は呉への牽制として、呉の背後へも行ったんだよって主張を残しておいたわけだ。距離の正誤はともかく、東と南を変えたらいい感じに最後邪馬台国につくやん。それでFAよ

  145. 名前:名無し猫 投稿日:2017/03/24(金) 12:48:02

    根拠は無いが
    卑弥呼は日の巫女で 考霊天皇皇女 ヤマトトドヒモモソ姫
    弟はミマキイリヒコイニエ命で崇神天皇
    後継者トヨは 父が崇神 母がアユメマクワシ姫

    考古学も大事だが 日本民族の精神的な連続性も重視すべきではないかと

  146. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 16:58:57

    魏志では邪馬臺(邪馬台)じゃなくて邪馬壹(邪馬一)ですので。
    誤記じゃなくて数字の一を改竄されない為の大字で壹。間違える訳ない。
    隋書の邪靡堆の堆もtaiじゃなくてtui。
    邪馬台なんて国は元々ありませんでした。

  147. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 17:05:26

    福岡・伊都国の2世紀末の女王の古墳(平原王墓)は発見されているが、3世紀の物は発見されていない。
    纏向遺跡と箸墓古墳は、卑弥呼時代の3世紀半ばで一致する。
    伊都国から奈良へ遷都し、邪馬台国ができたと考えるのが自然。

  148. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 18:26:08

    日本神話に九州でクニ作ってたけど途中で関西へ移るエピソードがあったような気が?

  149. 名前:  投稿日:2017/03/24(金) 18:41:52

    瀬戸内の潮の流れに無理矢理逆らったり海岸沿いを方角勘違いして進んでくと飛鳥時代の地震で土佐湾に沈んだ幻の陸地に着くってどこぞのSS書きがTOKIOに言わせてたぞ

  150. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 19:44:01

    今度は邪馬台国ですか
    また荒れそうだなーと思ったら
    すでに荒れてるw

  151. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 19:47:56

    邪馬台国がどこか、より、古墳時代とは何か、なんだと思う。どうして始まり、なぜ終わったのか?
    ※142の方向性。
    大和盆地の継続的政治勢力が内発変化したとしたら理由が弱い。きっかけが欲しい。
    そこに、東遷の誘惑がある。魏鏡の権威、後ろ楯、吉備系の埴、瀬戸内での、やたら長い滞在期間。前方後円墳の正体。瀬戸内の航行難易度。航路開拓後の高地性集落の興亡。古墳時代後期の阿蘇ピンク石の流行の意味。
    周囲を固めれば、自ずから、邪馬台国の場所は限られそうだ。

  152. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/24(金) 22:31:58

    >瀬戸内での、やたら長い滞在期間
    安芸7年 吉備8年
    >航路開拓後の高地性集落の興亡
    というより、完全消滅
    >前方後円墳の正体
    天地思想の円丘、方丘(夏至、冬至)合体・・・は中国向けの説明
    本当の元型は・・・・

  153. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 01:44:50

    何が出土すれば、邪馬台国認定となるのだろうか、と思う昨今
    親魏倭王印が出てくれば有力地になるのだろうけど。

  154. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 04:10:53

    伊都国から奴国に行く時点で方向が90度ずれているんだから、投馬国には南に水行で20日って言っても90度曲げて東に水行20日と読み替える。
    瀬戸内海を縦断して大阪に上陸。そこから陸行して名古屋か、静岡あたりじゃないのかな。
    登呂遺跡のあたり。

  155. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 07:04:32

    ※146
    宋代の紹興本で「壹」だからつーてもね、
    少なくとも12世紀よりはるかに古い5世紀の現存范曄「後漢書」(など他にも多々あり)で叩き返すのがパタンらしいが。「東観漢記」や、原「後漢書」を下敷きにしたのが范曄の「後漢書」。もちろん「臺」。
    ※113の言うとおり、誤字の多い写本で、「邪馬台国」って1か所しか出てこない名称ですから。

    「魏志倭人伝の謎を解く」(渡邉義浩)
    「倭国」(岡田英弘)あたりは必読ですかね。

  156. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 07:47:42

    ※153
    どうなんでしょう?遺体も運べるけれど、金印はもっと簡単に持ち運びできるからねえ。

    ※154
    伊都国からでも不弥国からでもいいけれど、日本海航路で水行20日投馬国=出雲ではないか?
    そこから水行10日で丹後半島付け根 由良川から遡行する「氷上回廊」に入る。最低中央分水界を経て加古川を下るに陸行をたどるルートは、当時すでにあった「鉄の道」。播磨からも明石海峡の流れを避けて陸行だから。1か月。

    邪馬台国は近畿に決定。

  157. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 10:19:03

    藪から棒にいうけど
    中国がただで倭国にいくとは思えない。何らかの交易があって、倭国側も何か輸出したと思うの
    魏志倭人伝から推察して倭国側は木材、水銀を輸出して、奈良県からの産出だとみてる
    これは素人の考えだよ

  158. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 11:37:03

    中華思想において辺縁蛮族のすべてを舎弟におく事に理由なんてない
    強いて言えば安全保障か
    「強い部族的紐帯を武器とする辺境の蛮族は都市に攻め上り、文明化によって軟弱化した支配者を打倒する」循環史観は中原のトラウマ
    だから辺縁にも法律制度宗教道徳を輸出して文明化、軟弱化をさせようと試みる

  159. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 13:53:03

    ※156
    末廬國から伊都國へ行くのに陸行を挟んでいるから日本海ルートは考えにくい

  160. 名前:  投稿日:2017/03/25(土) 14:42:56

    それより、ひなもりってなんやろ?

    対馬国 大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。絶島で400余里四方の広さ。
    一支国 大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。
    奴国  長官は兕馬觚(しまこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。2万余戸が有る。
    不弥国 長官は多模(たも)、副官は卑奴母離(ひなもり)。1000余の家族が有る。

    ウィキによると『国境を守備する軍事的長の名称』・・・つまり名前ってことでしょうけど、何で副官の名前が揃いも揃って同じなん?
    同じ日とやったって可能性もあろうけど国って言ってるし。
    まぁ、役職名といった称号になるんでしょうけど、それをわざわざ外国の役割的なものを現地語で書く理由にはならんよな・・・・・。
    なぞやわ

  161. 名前:名無しさん 投稿日:2017/03/25(土) 14:45:08

    1000年前以上なら、海が無かったか?ムー帝国と関係があるだろうか?
    与那国島の海底遺跡もあるしね。
    タイムマシンがあったらなぁ。
    宇宙人が記録を取っていたなら分けて欲しいね。

  162. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 14:52:33

    ※158
    文明化=軟弱化。いい線ついていますね、おそらく、2~3世紀の中華文明の周辺国との関係性は、感化(=漢化なんてね)にシフトしていたようで。その前までは流れ者でも乗り込んで現地支配者というパタンもあったんだけど。時流で邪馬台国も、乗っ取られることなく文明化されるんですね。ところが、虚弱化しなかった。
    中原、黄河流域のように砂漠化せず、豊かすぎた。そして、その風土を礎に、あまりにも出来の良い神話を創作してしまった。
    それ以降、もう、日本の歴史は繰り返しパタンに嵌る。駆逐され、封じ込められて国風化すると洗練されて持続力を蓄え、強大になる。たった1750年前、今と大して変わらない。
    京都は江戸にあったと、さらに2000年後の日本人は議論するわけです。遷都しているのに、たぶん明治維新は神話だと思われている。鎌倉幕府、明治維新は東遷ですよ。

  163. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 15:21:36

    明治新政府は意識的に東征を演出していた可能性がある。
    日向から大和へ進軍した神武天皇の再現ドラマ。
    薩摩、周防、土佐くんだりが東進して将軍担いで関東へ。
    演出のクライマックスは無血開城。
    中華式禅定正統性の物語。饒速日もそうだったから。

  164. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 15:47:04

    里と日ではだいぶ違う。
    里は明確に距離だけど、日は実際に到着するまでの日数だと思う。
    潮を待ったり、嵐があったり、祝宴があったり、逗留したりで
    距離はあまり当てにならない。

  165. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 16:12:22

    ※162
    白村江で負けて朝鮮半島から追い出されてるし弱体化してるじゃない
    再侵攻かけられたのは1000年以上あとの秀吉時代になってから
    まあ秀吉も石原莞爾も田舎者だし文明人では無かったんでしょう
    結局1度も国を落とせなかった日本民族は女真モンゴルよりも武勇ランクは下
    ただし1度でも中原に足を踏み入れた異民族は絶対に許さず吞み込むのが中華秩序の掟なので、これから西洋科学を受容して超大国となる中国が日本を今まで通り対岸の蛮族と放っておくことはない。東夷がついに虎の尾を踏んだ。

  166. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 20:04:16

    本文関係なし、レス内にあった「魏志倭人伝の謎を解く」(渡邉義浩)についてで執筆者には恐縮。
    文献学の限界ですね。大率一本背負いで。
    「大率とは中国の刺吏みたいなもんだ」から、伊都国のそれが、その上の首都圏ランクを統括する「司隷校尉」じゃないゆえ、北九州エリアは「地方」だと。
    これだけを言いたいんか!
    じゃあ、邪馬台国の「司隷校尉」記事は別にあるんか?「伊都国が一手に握った交易窓口の強い監察権限」をしか意味していない記事で、ただでさえ拡大延長されて南に追いやられた女王国なんだから、伊都国を首都圏にできるわけないだろって話。
    まあ、現時点クリーニングで基礎知識を得るに役には立ったけど、これで「畿内説」には靡かないな。

  167. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 20:17:40

    ※165
    あちらのかたですね。失礼しました。
    白村江の前に高句麗にも追い出されていますけれど、
    敗れて弱体化なんてしていませんよ。結局、清国は破りましたけれどね。
    我が国は半島や大陸に関わらないといいことがあるんですな。国力も増す。
    荒れ地の無法者たちを御す遊牧民族の知恵は期待されても出て来やしません。
    そちらは異民族支配時代はグローバルで寛容で、いい時代でしたでしょう?
    国それぞれ地政学的な幸福の法則、国力伸長法則があるってことです。

  168. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 20:52:14

    ※167
    自から戦略的に植民地を撤収した欧米白人ならともかく
    連合国に破れてその監視つきで小島に収められたあとに言っても説得力がありませんな~
    イケイケだった時代はわれ先にと半島大陸に進出した癖にw
    「ハルノートは日本に対する死亡宣告」などと息巻いてた郎党の子孫とはおもえない無節操無責任ぷり
    そういうのをね、負け犬のなんとやらと言うんですよ
    あるいは漸く”己が分を知った”というところか

  169. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 21:17:53

    ※160
    「ひなもり」の「ひな」は「鄙」ですね。
    ど田舎。辺境。くにざかい。それを防備する。
    投馬國では「ミミ」「ミミナリ」なので、文化の毛色が異なる。ニニギの父、オシホミミを思い出させるが、アマテラスとの誓約でこんがらがっているから本当はスサノオ系なのではないか?厩戸皇子も豊聡耳だから耳の系統ってことはないでしょうが。
    女王国はさらに違って「イキマ」、「ミマショウ」、「ミマカクキ」
    ミマキイリヒコあたりしか思い浮かばない。
    北九州方面はやっぱり田舎、僻地だったんじゃない?
    ※166の著作並みの見解かねえ。
    それとも、列島内部には部族国家対立はあれど「外国」がない認識で、対馬海峡寄りに「ひなもり」が集中しているのかナ?

  170. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 21:53:34

    今の日本人にとって興味ない話題だと思っていたが、

    やはり興味ある人はいるんだな、とコメント欄を見て再認識。まあ、マニアな方々なんだろうけど。

    本来、自文化の根元に近い議論なんだから、もっと一般的な話題になるべきだと思うんだがなあ。定説的な日本神話すら知らない日本人がほとんどだし

    むなしいね

  171. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/25(土) 23:46:31

    方角を45度ずらせばいいんでしょ?
    そうすれば四国紀州あたり

  172. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 00:18:50

    ※157
    魏志倭人伝の物産に真珠、翡翠があります。丹砂(水銀と硫黄の化合物=硫化水銀)もあります。
    産地は奈良吉野、伊勢。丹塗りの朱に使う。
    翡翠は糸魚川。
    木材は照葉樹林系の楠、樫、橡・・・吉野杉じゃないけれど。
    九州だけに限られない地域の情報で、旁國として記述されているのは、東海地方、伊勢、美濃、尾張、遠江が明らかに含まれていますね。
    真珠は伊勢・・・ではなく、淡路、豊津。
    物産が近畿っぽいのはその通り。

  173. 名前:  投稿日:2017/03/26(日) 00:41:45

    ※169

    ありがとう。
    でも、それだと、ひなもりの意味などは解釈できるんですけど、魏志倭人伝を書いた人間・・・中国人がわざわざ日本語で記録を残すとは思えないんだよね。 当て字までして。
    記録はほかの人にも読ませて意味があるわけで、なら概念の近い中国語で書くと思うわけです。
    そういう概念がないとは思えないし。
    書いた人間が知識を独占したかったってのはあるかもしれないけど。

    それに自分たちの呼称をひな・・・辺鄙なとか、田舎守護兵って言うのかなって思うんよね。
    まがりなりにも国って言ってるわけで。
    まぁ、国って概念がなく、これは村って意味なのかもしれんけど・・・・・。

    なので日本人が書いたって言われたほうがすっきりする記述の仕方なんですよね。
    意外と謎のカギってこの辺にあるのかも・・・なんてね。

    でも興味深いのは、文化圏が異なることを表してるのか。
    確かに、そもそもなぜ天『孫』降臨なのかってのもあるわけだし。
    その辺も解釈できそうですね。

  174. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 01:56:07

    手漕ぎボートで移動は無理が~とか、距離が稼げる訳が~との意見が多い。
    しかし、縄文時代は太平洋横断してペルーまで行って、そこに移民国家建国している程の抜群の移動能力。

    30日も水行を経て、移動が九州内で終わってた・・・感想のが無理感ありありの気がする。

  175. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 05:52:03

    ※173
    地名、人名、職名は、現地の呼称の「音」を漢字に置き換えているのが一般的。
    わざわざ当時の日本語のままで記録するので、漢字録音装置。
    とすると「大率」は漢字めいているのが逆にちょっと怪しい(大学を卒業したみたいだw)。
    すでに漢字文化圏だった伊都国だからではないか?でもその役職は中国にはないので、「刺史」みたいなものだよと説明した。
    ちなみにずっと下るが、百済にも「大率」があることが、日本書紀に記されている。
    官制、役職名の普及領域というのは何か意味していそう。

  176. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 07:46:56

    古文書にここまで詳しく書かれていたことを
    初めて知った。ためになった。

  177. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 08:47:04

    伊都国の官名も独特。ニキとシマコ。伊都国だけは、半分中華街っぽい華僑の棲む国際村だったと思われる。だから大率もいる。奴国の長官は、伊都国の副官と同じシマコ。シマコで思い出すのは、浦島子くらい。糸島は島でもないのになぜ糸「島」で、シマコなん?委奴国のなれの果てなのか。

    ※107
    奴国ではなく女王と対決していた狗奴国ですね?
    狗奴国の官名はミミ、ミミナリではなく、「狗古智卑狗」。
    どう読むんか?クコチヒク?ヒクとくれば「彦」になる。卑狗=彦
    クコチとは何だ?菊池氏の祖先だろうというのが九州説。男王は卑弥呼と1文字しか異ならない「卑弥弓呼」。天照と悶着起こしたスサノオキャラにダブるのはともかく、隣接部族らしく類縁を想像させる。
    九州説なら肥後国菊池郡。畿内説ならどこだろう?濃尾?静岡?伊勢?・・・旁國エリアになっちゃう。

  178. 名前:  投稿日:2017/03/26(日) 11:05:58

    ※173

    なるほど、当時の一般的な記載方なんやね。
    地名や人名はともかく、職名まで現地語で書くのは面白いね。

    ただ、それだと解説になってない気もするけど。当時の中国は役職名に何か特別な意味があったのか・・・逆かな?
    名前が特別だから、役職名で代用するため、呼びかけや手紙の宛名のために記録を残した、といったところか。

    ありがとう。
    あってるかどうかはわからないけど、すっきりしました。

  179. 名前:  投稿日:2017/03/26(日) 11:10:11

    ※178の宛名が※173になってる~。

    ※175です。
    失礼しました。

  180. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 11:40:54

    邪馬台国は大和国として畿内説を採用しこの使者は行ってはいないが九州での取材で知った
    卑弥呼は肥の巫女として九州説を採ればケンカしなくて済むし矛盾も減るよ

  181. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 12:36:05

    ※177
    糸島は伊都と志摩が合併して伊都志摩→糸島
    島は当て字

  182. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 12:38:15

    ※177
    糸島は怡土イト+志摩シマ
    旧怡土郡は糸島市の付け根のほう
    旧志摩郡は糸島市の半島のほう
    志摩は魏志倭人伝にある斯馬国かもしれない
    三重のほうの志摩にもそういう説はある

  183. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 12:41:32

    こういう荒れるネタに果敢に特攻する管理人さんに敬意を表します。

  184. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 14:44:17

    ※181,182 
    志摩、シマつながりで伊勢にワープするのはすごいな。
    大和と山門、山都みたいだ。考えてみれば、二見ヶ浦や夫婦岩もあるという・・・
    夏至の同時期に朝日と夕日。できすぎている。
    五十鈴川も伊勢と宮崎にあるし。
    もういいや、九州と近畿は繋がっているんだろうよ。

  185. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 15:31:40

    あほすぎ。

    邪馬台(ヤマト)国=ヤマト朝廷に決まってる。

  186. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 16:06:35

    一大率については、古田武彦氏が迫れているように思える。
    「天子の都を守る門衛」これが「率」。一大は「a big」であり、「大いなる」という誇張表現。
    現地語(倭語)ではないし、漢語っぽくても松本清張氏のいうような魏、楽浪郡側の送り込んだ役職名称でもない。一般名称だ。
    晋にも「率」はいた。「二率」、「五率」とか増減した。
    国々に市場警察「大倭」があり、女王国より北には、特別に「率」(天子を守る門衛めいたもの)が置かれて、(北の)諸国を監視している。しかもそれは伊都国に常在している。女王の都もないのに。それで「刺史」という説明も被せて見せた。まるでおかしいけれど(だったら最初から「率」とか言うなよ)、女王の都は近くにあったんじゃないかと思わせる。
    少なくとも、こんな重要な権限を持った役人が、伊都国にいて睨みを利かせているのを、あの時代、遠く大和からコントロールする違和感はある。
    で、九州説に傾き始める。
    伊都国との信頼関係が強すぎるからだ。伊都国ではなく若狭湾に伊都国並みの通称窓口があればまだ別なのだが。もちろ難波津はまだ影も形もない砂洲。

  187. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 17:04:18

    どうでもいいけど、卑奴母離(ひなもり)って副官の掛け持ちしすぎだろw

  188. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 18:30:03

    クマソの遺跡が九州から出てる。
    最盛期は福岡に迫るくらいで時とともに南部に追いやられてる。
    邪馬台国の場所は不明とされているが、他の周辺国は九州から遺跡が出土している。
    もし邪馬台国が近畿なら他に記述されている周辺国も機内か瀬戸内に存在しているはず。
    なぜ邪馬台国とされる証拠のみが近畿なのだろう?

  189. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 19:04:49

    南東を北東にしたんだから、南は東
    つまり畿内説で終了

  190. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 20:25:27

    ※180
    邪馬台国という、名も知れぬ女王が都にいる国があるってだけだからね。他に5回でてくる女王国は、卑弥呼関連だが、ただでさえ女だらけイメージに描かれた倭人エリア、女王は、2人いても不思議はない。機内説は、ヤマトのブランド名だけ勝ち取るのか。

  191. 名前:名無し 投稿日:2017/03/26(日) 22:24:27

    邪馬台国の謎を解明すると、困る人達が居るんだよ
    宮内庁は、古墳の調査を拒否して居るんだ←これマジ
    天皇の祖先が、半島から来たら困るからな

  192. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 22:40:54

    ※190
    それじゃ、卑弥呼の国がないじゃないか?
    それはそうだ。卑弥呼は、将来の「レポーター」=軍事顧問団、張政等来日時に「以て死す」。もともと共立されていた存在。死んでしまったので、国(おそらく在九州)は消え、乱れたのだろう。対立していた狗奴国の男王が立った説もあるが、ますます乱れた。
    これはいかん、で、どこから連れてきたのか、台与共立。
    「ここは物騒だ、新たな都を探そう。いいところがありまっせ」で、東遷。
    女王の都する所、邪馬台国にたどり着く。
    「共立したんだから文句言うな!」
    「いや、俺は知らん、聞いていない」・・・と反旗を翻す大和民。
    「瀬戸内の連中はすでに傘下である。文句言うな!ものども包囲しろ!」
    一部始終を知っていて(というか影で糸引いて)、魏が晋に変わったその時に、無事大和に押し込んだ台与に朝貢を促す軍事顧問団、張政。ついでに帰還を申し出る。
    「やべーよ、長居しすぎ。国が変わっちまった。そろそろ帰るか。」
    報告します!かくかくしかじか。
    いろいろあったけど、女王の都は大和だと言うしかないね。
    「それは大儀であった。」
    黙って張政の英雄譚部分は削除する陳寿。

  193. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/26(日) 22:55:56

    張政は19年間の獅子奮迅で距離を稼ぎ、陳寿は机上で角度を捻じ曲げた。
    まあ、邪馬台国はわれわれ日本人の「聖地」だからな。あまり外国人に介在されたくはないのだろうけれど。
    でも、明治維新でも薩長土佐でなぜか「佐賀」が登場。長崎のグラバーとか、怪しい外国人の工作が渦巻く北部九州。伊都国の江戸時代版が長崎の出島。そのまえの戦国キリシタン大名も九州。島原の乱は磐井の乱にちょっとだぶる・・・。
    北九州という地の歴史上の役割は独特なものがある。
    それが古墳時代以前からの伝統だったとは・・・という話。

  194. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/27(月) 01:10:29

    4世紀に半島から来た三韓の辰王(振る=布留=神武)に乗っ取られたんだろ

  195. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/27(月) 01:19:48

    九州人だけどどうでもいいわ♂
    土蜘蛛人の方が気になる。

  196. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/27(月) 05:25:21

    ※172
    266年の朝貢準備で、物産をあたったのがすでに大和入り後だから、近畿系のものが多いということになる。

  197. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/27(月) 09:43:36

    ※169
    邪馬台国の官名だと思いきや、イキマ、ミマショウ、ミマワキは、ひょっとしたら、人名かも。
    ミマワキは、まさにミマキイリヒコ、イキマは、イクメイリビコのことではないか?イリは、ヤマト入りの意味で、イリ王朝とは、遷都第一世代。

  198. 名前: 投稿日:2017/03/27(月) 10:13:25

    >>水行10日と陸行1月

    中国人は今も昔も話を盛りたがる

  199. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/27(月) 11:17:22

    それは事実だ。

  200. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/27(月) 12:29:46

    意外と三王朝交代説は、いい時代区分なのかもしれない

    ■崇神王朝(三輪王朝)(イリ王朝): 古墳時代創始 九州からの遷都組 神武東遷神話の実在モデル巨大古墳で奈良湖灌漑 
    ■応神王朝(河内王朝)(ワケ王朝): 巨大古墳で河内湖灌漑 難波津造営 瀬戸内海航路を使い倒した対外進出 半島支配挫折
    ■継体王朝(近江王朝): 九州から再びの東遷圧力勃興するも鎮圧 中央集権化を強化 蘇我氏の興隆

    ワケは名に「ワケ」が多いからだが、そもそも河内に分かれたことを意味しているんだろうね。

  201. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/27(月) 17:59:18

    必要なのは「都は近畿にあった」という事実確認だけであって
    他の辻褄とか要らんのだわ

    近畿にデカい遺跡があったらもうそれはその時点でそれが邪馬台国で決まりなのよ

  202. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/27(月) 20:06:37

    何回九州から大和への東遷があったか?
    1回目ニギハヤヒ
    天孫族であると信じて
    2回目神武天皇
    3回目神功皇后と応神天皇
    焼き直しストーリーとして
    4回目磐井の乱
    瀬戸内連合形成ゆえ

    0回目があるとしたら、神代の猿田彦とアメノウズメの道行きに続く大国主の国譲りで葦原中國平定。中国地方から近畿までを掃討しているので。
    1から4のうち、2、3は、本当は1回で、崇神天皇と台与なのではないかとも思える。同様に、実は0回目は1回目と同じかもしれないし、逆に何度もあったのかも知れない。

  203. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/27(月) 20:55:46

    ※201
    (名も知れぬ)(男王ではなく)女王の都する盛気味の7万戸の邪馬台国があるよ、では意味ないよね?
    で、それが畿内で、卑弥呼も台与も関係なく、未だ統合されざる部族国家段階の倭のこととて、周辺の国々にもそれぞれ都があり・・・では、本当に名前だけになってしまう。
    「大和の地は結構前から呼び名はヤマトだったようだ。以上」ではね。
    この「女王」は、卑弥呼、もしくは台与のことなのか?どんなクニがいくつ存在しての、どんな統合状態であっての「都」なのか?これも吹いているのか?
    できるかぎり呉の背後を突く位置に強大な国家があり、都を構えているという虚構構築の意思を、編纂者の陳寿がもっているのであれば、近畿に特定されたヤマトの人口を多くし、統合国家の都にするのは筆先で可能。纏向が急に大きくなるほな3世紀終わり。魏志倭人伝の最新倭人情報(3世紀半ば)の後。
    歴史はプロセスを掴みだしたいのであって、そのプロセスに民族のパタンを発見したい社会科学なのではないだろうかね。邪馬台国の場合、国家形成プロセスを知りたいんだな。

  204. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/27(月) 22:07:22

    陳寿が参照にした資料はいくつかあるが、倭人については、大きく分けて239年資料と266年資料の二つがあり、朝貢時情報更新である。卑弥呼のことをもっぱら書いている239年資料は、卑弥呼の朝貢時更新情報だから、女王国は伊都国の南にある。新しい266年資料は、台与(豊)のもので、女王の都は大和。水行+陸行だ。大和は卑弥呼との連続性を主張し、陳寿は239年のイメージのまま、南にし、新たな距離情報を加えた。
    方向を意図的に操作しない陳寿像。人がよさそうだ。
    この説の面白いところは、卑弥呼と全く関係のなく居場所も異なる台与が、継承関係を主張するだけで、ありもしない東遷が起きてしまうこと。

  205. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/28(火) 09:59:32

    なんて~か…
    まだ考証の途中なのにいきなり否定コメしてるヤツってなんなの?

  206. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/28(火) 12:40:28

    邪馬台国論争は、いろいろ喧々諤々出てくるから、先走るね。
    連続もの仕立てにするには管理人さんやりにくかろう。
    一言居士程度で済む海外ねたと違って、しょうがないけど。
    くれぐれも全部無視でお願いします。

  207. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/28(火) 14:44:21

    日本の古代史はもっと注目されるべきだよな。この国がいつ始まったのか知らないし。

  208. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/28(火) 16:51:29

    色んな説あるんだね
    ずっと四国だと思ってたわ

  209. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/28(火) 17:09:27

    邪馬台国は日本諸族連合のまとめ役を務められる大国。農業生産性=国力の時代なのだから、畿内以外にない。九州なんて室町時代になっても開拓事業が必要なくらいに田舎。開拓の余地がある未発達地域が先進地域だったわけがない。

  210. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/28(火) 17:48:06

    ※153
    親魏倭王印は出てこない可能性がある。
    慣例として、朝貢国は、王朝交代時には古い金印を返納するのが習い。
    だから、
    ※204で言う「連続性」「継承性」は、帰国する張政が、倭国の主張として結託して伝えたというより、金印を返納したから伝わったと推定できる。
    親晋倭王印の記事が無いので、代わりの印綬を受けたかどうかだが、たぶん授けたであろうから、途次なくさない限り、出てくるとしたら、「親晋倭王」印。
    以上のように推定できるので、また、倭人伝の語りからは、卑弥呼と台与には共和国としての初期倭人国家に連続性が感じられるため、縁もゆかりも無い二つ国の女王の話とは考え難い。
    となると、東遷が実際に存在した線が濃厚になるね。

  211. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/28(火) 19:03:31

    昔の漫画だったら手塚治虫の「火の鳥黎明編」なら畿内説、藤原カムイの「雷火」なら九州説だったな。
    昔のアニメだったら「鋼鉄ジーグ」が九州説、ってアレは邪魔大王国か

  212. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/28(火) 20:33:34

    はっきり言って、誰もが「張政」を軽視、もしくは無視しているんだね。抗争中の朝貢国に旗立てて送り込まれて、19年もいた連中が、単なるCNN記者のわけないんで、ましてや、浦島の龍宮接待三昧じゃないんだから。
    同時期、同じように内乱状態だった公孫氏に、魏のライバル呉は、燕王の称号を授与、援軍を派兵している。なんと239年にね。魏が親魏倭王にどんだけ加担するか、想像つかないくらい目が節穴。これが、アカデミズム。
    瀬戸内海航路開拓と東遷くらい企てる
    時間はあった。狗奴国と和睦したかどうかもカットされているから、読み取れる情報は少ないが、より安定した統合国家が親魏勢力であるべきことから、上でも触れられている豊穣な耕作地=大和入りが必要だったのであろう。ぬかるんた湿地の大和は、生活臭を欠いた祭祀都市だったが、魏の後ろ盾、魏鏡の権威を最大限に活かして大国主は排除され、大物主として三輪山に祀られる。
    ミマキイリヒコイエニノミコトが、男王として、臺与を輔弼したのだろうが、プロデューサーは、張政だったはず。この黒幕めいた不可解な役に相応しい人物は、日本側の史書では、武内宿禰の名で知られ、蘇我氏の祖とされる。

  213. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/28(火) 21:00:09

    ムー大陸の近くにあった島説を唱えます。

  214. 名前:ma 投稿日:2017/03/28(火) 21:03:39

    邪馬台国の位置って距離数と方向で示されてるんだが、方向は太陽の向きで判ると思うが、距離はどうやって測ったんだろ。
    個人的には邪馬台国はハワイだったんじゃないかと思ってるが。

  215. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/29(水) 00:31:23

    別に謎でもなんでもなく卑弥呼も居なかったし邪馬台国もなかっただけw
    そもそも倭人伝を書いた奴は日本に来てなかったし興味すらなかっただろう
    今と違って正確な地図もなくてまともな通信手段もない時代、うわさ話や伝聞を元に適当な話をでっち上げたから辻褄が合わないわけだw

  216. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/29(水) 03:28:54

    転載じゃ無いこういう奴の方が好きなんだが2ちゃんの転載も多くて探しづらい。転載記事とオリジナル記事でそれぞれタグ作って欲しい。

  217. 名前:名無しさん@腹筋崩壊 投稿日:2017/03/29(水) 05:30:32

    あこぎな公孫氏は238年に滅ぼされているから、援軍間に合わず、だな。
    張政も、たどり着いたら卑弥呼は死んでいる。
    親魏倭王候補者探しに任務が代わったのだと現地判断できる器だったようで、臺与の安定王国と、朝貢で使命を果たした。

  218. 名前:名無し猫 投稿日:2017/03/29(水) 09:11:18

    >>今と違って正確な地図もなくてまともな通信手段もない時代、うわさ話や伝聞を元に

    そんな時代に うわさ話や伝聞になっただけでもすごいと思うのだが

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