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さあ、シベリアで木の本数を数えてきてくれたまえ!

世にブラック企業は数あれど、シベリアでの強制労働に敵うブラック職場はそうはないでしょう。

シベリアといっても広いし定義も色々あるわけですが、だいたいロシアの上半分がシベリアと呼ばれる地域です。

色がついてるところ

一年の半分以上が氷点下、土は一年中凍っているようなこの地域で、かつて死ぬまで働かされた人々がいました。

写真で見る分には綺麗でいいんですがね

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シベリア送り

シベリア送りと言うと、やっぱり鬼畜おじさんであるスターリンのイメージが強いものですが、ロシアでは少なくとも15世紀にはシベリア流刑というものが存在していました。

日本人の感覚的に近い表現だと、「網走刑務所に送られる」みたいな感じでしょうか。
命に別状があるようなものではなく、単にモスクワから追い出すという、島流し的な刑でした。監視も緩く、脱走も容易だったようです。

レーニンやスターリンといった同志諸兄も、みなシベリア流刑を食らっていますが、普通にモスクワへ戻ってきています。

ただ、いかんせんド田舎なので、「日光を観察する」「木の本数を数える」くらいしかやることがありません。スターリンなんかは、現地の人に釣りや狩猟を教えてもらってのんびり過ごしたようです。

なお、スターリンは、2度目のシベリア流刑の時では人妻と不倫(隠し子一人)。さらに悔しいことに、3度目のリベリア流刑の際には13歳の少女と2年間おつきあいしていました(隠し子二人)。

かつて13歳の少女だった、リディア・ペレプルイギナさん。時は無情である。

この頃のスターリン。まぁハンサムだから不倫もしゃーない。

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シベリア開発

そんな牧歌的なシベリア流刑でしたが、実際にロシアに棲む人々は、結構前からシベリア豊富な資源が存在するっぽいことは認識していました。

しかし、いかんせん寒い。その上、まともな道もない。目的の鉱山に辿り着くだけでも命がけなので、開発は全然進みません。

しかし、1917年のロシア革命を機にロシア帝国が社会主義国家ソビエト連邦へと変貌しました。

そうなると、政治犯の激増という現象が起きます。反革命的な思想を持ってるっぽい人は、シベリアへガンガン送られることになります。

実際に反革命的な思想を持っているかどうかは置いといて、この犯罪者たちをただ遊ばせておくのは勿体ないですよね。

そこで、彼らに命がけでシベリアを開発させよう!という流れになっていきます。

まずは、政治犯の受け入れ先である強制収容所の建設。ソ連のあちこちに大量に建設しました。

この数w

なお、第二次世界大戦の際には、捕虜もシベリア送りとなり、数多くの外国人が犠牲になっています。日本人も107万人がシベリア送りとなり、およそ6万人が亡くなっています。


白海・バルト海運河

白海とバルト海を結ぶ運河。

この運河によって、陸路に頼ることなく、船で大量の物資をシベリア北部へ送ることができるようになりました。

船だと、ヨーロッパ側からぐるっと回らなくてはなりません

もちろん、作業に従事したのは政治犯。この一大プロジェクトには、彼らの思想を正しい方向へ導くための「再教育」という側面があるわけですね。

働く本人はたまったもんじゃありませんが、形としては「自発的」に「休みなく」「劣悪な環境」で働いたのです。

掘って

土を運び出して

護岸と閘門を作る

この運河は全長227kmという途方もないものでしたが、この「矯正労働」のおかげか、なんとたったの20ヶ月で完成しています。タンカーも通れるくらいのぶっとい水路を1日あたり380mも掘り進んだ計算になります。おそロシア。

なお、このプロジェクトでの死亡者は少なくとも1万人。おそらくそれ以上の人数が犠牲になっています。

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コルィマ鉱山

ちょっとどう発音すればいいか分かりませんが、この鉱山も悪名では負けていません。

コルィマ鉱山

鉱山近くの強制収容所。寂しい

良質な砂金が豊富に採れる鉱山ではありますが、その労働環境は劣悪どころではありません。

夏は気温3℃~16℃、冬は-16℃-38℃。凍ったマンモスが見つかるような場所ですので、もう指がもげそうになるくらい寒いわけです。

最初のとっかかりは、何にもない野っ原にバラック小屋を建てて、自分たちが住む強制収容所を建設するところから…。

食事は塩水のようなスープとせんべいのようなライ麦パン一切れだけ。

ここで、労働の様子を写した写真をいくつか。

シベリアの割に、みんななんか薄着ですね。

近くの港に船で到着してからの平均寿命が、だいたい3週間らしいです。なので、鉱山で働き始めてから、実質2週間くらいで亡くなる感じでしょうか。

しかし、政治犯は次々に送り込まれてくるので、それでもぜんぜん困らなかったようです。労働力確保のために、地域ごとに政治犯を捕まえるノルマがあったとか。さすがソ連。

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シベリア送りの遺産

そういうわけで、多大な犠牲者を出したシベリアでの強制労働ですが、ロシアにとっては多大な恩恵もありました。

例えば、ミール鉱山というダイヤモンド鉱山。1950年代にスターリンが目をつけた鉱山ですが、大量のダイヤモンドが算出され、戦後のソ連経済を支えました。

世界で2番目に大きい穴。

また、かつてはソ連で最大の算出量を誇ったチュメニ油田も、スターリンの存命中に発見されました。

チュメニ油田

強制収容所には、こうした資源採掘の礎という面もあったわけですね。

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強制収容所の終焉

そんな強制収容所も、スターリンの死とともに劇的に縮小されることになります。

今は、刑務所として再利用されており、なんだかんだ囚人たちが働かされているようです。

主に農作業

「政治犯」じゃないだけマシですが、なんかあんまり発想が変わっていないような気もしますね。

というわけで、共産主義はクソだよ、というお話でした。

更新遅くてすいませんでした。

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