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鏡に映ると左右が逆になる理由

朝起きて、歯を磨きながら鏡を見る。自分の歯ブラシは右手。鏡の中の自分は左手。

もはや疑問にすら思わない、見慣れた光景ですね。

とは言うものの、確かに不思議ではあります。なんで左右だけが反転して映るのか。上下はなんで反転しないのか。

ネット上では語り尽くされた話題な感もありますが、そんな疑問をできるだけわかりやすく説明してみたいと思います。

分かりにくかったらすまんな。

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左右が逆?

いろいろイメージしやすいように、今回は当ブログのイメージキャラクターである「腹筋くん」に登場してもらいます。

腹筋くんだよ!よろしくね!

さっそくですが、彼が鏡の前に立っているのを想像してみてください。

こっちが右手を上げれば、あっちは左手を上げる。

誰がどう見ても、「左右が逆になっている」と感じますね。

ここでちょっと確認です。

我々は、いったい何と比べて、左右が逆と感じているのでしょうか。

実は、自分が鏡の向こう側に回り込んだ場合と比べているのです。

「鏡の向こう側に回り込んだ」という表現だとピンと来ないかもしれないので、今度は次のようなケースを想像してみてください。

「ガラスを挟んで自分のソックリさんと向かい合っていて、そのソックリさんは、自分と全く動きをする。」

横から周りこむイメージ

右手を上げると、ガラスの向こうのソックリさんも、「右手」を上げる。

これが、我々が「正しい」「こうなるはずだ」と考える姿です。

鏡に映る像は、この「正しい姿」と違っちゃうから、なんだか話がややこしくなるのです。

とりあえず、この「正しい姿」と「実際に鏡に映る像」を比べてみましょう。

確かに、左右だけが逆ですね。

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いや、上下が逆でしょ

この、「正しい状態」というのは、けっこう大事な点です。

我々人間は、無意識のうちに、「横から回り込んでガラスの向こう側に行くベシ!」と思い込んでしまっています。

だがちょっと待ってほしい。

ガラスの向こう側に行く方法って、他にもありますよね。

例えば、こう。

上からぐるりと回り込む方法

この場合だと、ガラスの向こうのソックリさんは、逆立ちしているはずですね。

これを鏡像と比べてみましょう。

お分りいただけただろうか…。

今度は、上下だけが逆になっています。

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いやいや、前後が逆だよ

ここまでくれば、なんとなく想像がつくかと思いますが、もう一つの可能性もあります。

それは、ガラスをぶち抜いてまっすぐ向こう側に行くという方法。

このパターン

この場合、ガラスの向こうのソックリさんは、こちらに背中を見せています。

これを鏡像と比べてみると、どうしたことでしょう。

見事に前後だけが逆になっています。

はい。

これで、「左右」「上下」「前後」、どの方向でも、考え方一つで逆に感じられる可能性があることがわかりました。

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実際どうなのか

実際どうなんでしょう。

鏡に映る姿は、確かに自分の姿とはなんか違っています。だとすると、左右・上下・前後のどれが逆になっているのでしょうか。

実は、この3つのどれも、正確ではありません。

こちらの画像をみて下さい。

これを見てパッと感じるのは、「上下が逆になってる」です。

では、こちらはどうでしょうか。

左右も逆にはなっているのですが、むしろ手前と奥が入れ替わっていると感じる方が多いのではないでしょうか。

この事から分かるのは、どうも鏡を置く位置によって、上下・左右・前後のどれが入れ替わっているのか、感じ方が変わってくるという事です。

これを一言で表現するなら、「鏡面に垂直な方向を逆転させる」です。

上下左右前後ではなくて、手前と奥が入れ替わるわけですね。
それを踏まえてもう一度、こちらの画像を見てみて下さい。

相変わらず左右逆になっていると感じてしまいますが、冷静に考えてみると実際には手前と奥が入れ替わっているだけである事が納得できるのではないでしょうか。

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でも左右逆じゃん!

と、ここまでダラダラ書いてきましたが、理由がどうであれ、鏡を見ると実際に左右逆になっているように感じるやんけ!という問題が残ります。

この問題はすなわち、どうして人間は、

これが本来の形だと思い込んでしまっているのか」という問いです。

例えば、後ろから声を掛けられた時に、逆立ちして後ろを見る人はいませんし、振り向かずに返事する人もいません(たまにいるけど)。普通は、相手の方に振り向きます。

このように

人間の体では逆立ちするのが大変だし、後頭部には目も口もついてません。そのため、当たり前に横方向に回転して振り向きます。やがて、その「当たり前」が脳に刷り込まれていくことになります。

そして、いざ鏡を見た時に、「自分が向こう側にいるとしたらこうだ!」という想像をしてしまうのですね。その想像との差が、左右逆に感じるという結果につながっていきます。

これには、人間の持つ優れた空間認識能力なんかも影響しています。

一方、まだ「刷り込み」も「空間認識能力」も不十分な幼児は、鏡を見ても左右が逆になっているとは感じないと言われています。

というわけで、「人間の体の構造」と「経験」と「学習」。

これらが合わさって、「横方向に回り込む」という思い込みを形作り、その結果、鏡が左右逆に映るように見えるといわけですね。

左右とは何なのか

東大の高野陽太郎教授が研究したところによると、驚くべき事に鏡に映る自分の像が左右逆だと感じない人々が3~4割程度いるとの結果が出ています。

そういう人たちの感じ方は、自分が右手を上げていると、鏡の中の自分も「(自分から見て)右側」の手を上げているという具合のようです。

この研究の主題は別の話なので、下記の参考サイトリンクからどうぞ

というわけで、左右というのはこれほどまでに曖昧な概念なのです。

曖昧というと語弊がありますが、少なくとも上下や前後とはちょっと違っています。

人間の主観を持って、方向について考えてみましょう。

上下方向

・地球の引力
・空が上、地面が下
・頭が上、足が下

前後方向

・目鼻口がついている方が前
・普通に歩くときの進行方向が前
・お腹が前、背中が後ろ

上下と前後は、人間からすると、絶対的に決めることのできる方向です。

それに対し、左右はどうでしょう。

左右方向

・(北を向いた時に)お日様が登る方が右
・(多くの人が)お箸を持つ手の方が右

このように、左右に関しては回りくどい説明しかできません。人間の体は左右対称というのも大きいですね。

こんな姿なら、左右は絶対かも

もう一つの例として、「向かって右(左)」というような表現が挙げられます。この「向かって」というのは、前後を確定させています。さらに、人間なので、上下は初めから決まっています(足が下or頭が上)。

つまり、左右というのは上下と前後の両方が確定して初めて決めることができるものなのです。

実際、メキシコのテネハパ族やアマゾンのピダハン族といった一部の民族が使う言語には、左右の区別がないと言われています。

そんな彼らは、鏡を見ても左右逆とは感じない(感じられない)はずです。

といわけで、実際には「手前と奥が逆」な鏡像を見ても、人間の感覚的には最も曖昧な「左右」をついつい逆転させやすい、混同しやすいわけですね。


ザッとこんな感じなのですが、みなさん納得できましたでしょうか…。

管理人は、左右とか上下とかいろいろ考えすぎて、もはや鏡像が左右逆なのかどうなのか分からなくなりつつあります。

参考文献、サイト様

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