世間を騒がせたおぼちゃんのSTAP細胞。
捏造というところでだいたい決着したような感じですが、彼女の捏造に言及する際、「常温核融合なみのスキャンダル」というフレーズがよく使われていました。
へー、なんて思ってテレビを観ていたわけですが、よく考えてみると、そもそも「常温核融合」がわからない。というか、「核融合」もわからない。
というわけで、文系の管理人がちょっと調べてみました。
助成金を申請したら…
今を去ること四半世紀、1989年3月23日のことです。
ユタ大学が出した一枚のプレスリリースが、世界を揺るがせました。
ユタ大学化学研究室において、二名の研究者が、室温での持続的な核融合反応を起こすことに成功した。
この成功によって、クリーンで、実質的に無尽蔵の核融合が、世界のエネルギー源となる可能性がある。
この驚くべき技術を発見したのは、サウサンプトン大学のマーティン・フライシュマン教授と、ユタ大学のスタンレー・ポンズ教授。
2人は一躍、時の人となります。
ポンズとフライシュマン
世界中の注目を集める中、ユタ大学にてフライシュマンは記者会見を開催。この会見にはユタ大学の学長なども同席していました。
こうして、常温核融合発見のニュースは、またたくまに世界を駆け巡りました。
太陽が輝いているわけ
ところで、太陽はなんで輝いているか知っていますか?
ギリシャの哲学者アナクサゴラスは紀元前5世紀半ば、太陽が「ギリシャよりそう大きくはない赤く熱した鉄の球」であると主張しました。
笑ってはダメです。20世紀に入ってしばらくまでは、ほとんどの天文学者が同じように太陽は鉄でできていると考えていたのですから。
問題は、その「鉄」を燃やし続けているエネルギーが、どこから供給されつづけているか、でした。
21世紀に生きる我々にとっては常識ですが、太陽は、超大量の水素とヘリウムの塊です。
そして、4つの水素原子が、太陽中心部で1500万度の温度と2500億気圧により押し潰され、1つのヘリウム原子になります。
4つの水素原子 → 1つのヘリウム原子。
その質量を比べてみると、0.7%くらいヘリウムの方が軽くなります。
この軽くなった質量の分だけ、エネルギーが外に放出されるのです。
こうして放出されたエネルギーがどれくらいのものかというと、同じ質量の石油を燃やした場合の8000万倍に達します。
この莫大なエネルギーが、太陽をギラギラと輝かせているのです。
科学者たちは、この太陽をなんとか人為的に作り、そしてコントロール出来ないものかと研究を重ねていました。
そうして、唯一実用化出来たのが、地上最大の威力を持つ水素爆弾(水爆)です。
核分裂反応をトリガーとして、水素の核融合を引き起こし、物凄い大爆発を起こす恐ろしい兵器です。
一方、エネルギーを取り出す方向の研究は、なかなかうまくいかず、現時点でも未だ実用化の目処は立っていません。
核融合を起こすためには原子核同士をくっつければいいだけです。
しかし、原子核同士は反発し合うので、原子核同士を強引にくっつけなくてはなりません。
現状では、原子核をくっつけるのに使うエネルギーは、核融合で得られるエネルギーより大きいため、単なる損なのであります。
そもそも、連続的に核融合反応を起こし続けるためには、数億℃という超高温が必要になります。
それに耐えうる容器なんてありませんので、高温でプラズマ化した原子核を磁場で閉じ込めるとか、なんかものすごい高度な技術が今でも研究されています。それでもまだ、全然割に合わないのです。
このように、核融合というのは、そう簡単に実現できない夢の技術です。
それを、常温でしかも簡単な装置で核融合を起こしてしまうというのですから、世界中が驚き、おまけに科学者からはウサンクサイ目で見られたことは、想像に難くありません。
常温核融合の仕組み
フライシュマンとポンズが発表した常温核融合の仕組みは、おっそろしくシンプルなものでした。
重水(重水素と酸素でできた水。普通の水よりちょっと重い。)を入れたビーカーに、バッテリーをつないだパラジウムという金属の棒を入れます。
バッテリーのもう一方の極は白金のコイルをつなぎ、ビーカーの内壁に沿わせます。
電流が白金コイルを通って重水に流れると、重水素の原子がパラジウムに吸収される、というもの。
ポイントは、パラジウムという金属の性質です。
パラジウムは水素を大量に吸収する能力を持った金属。
常温・通常の圧力下でも、みずからの体積の900倍もの水素を吸収できるのです。
フライシュマンとポンズは、パラジウム原子が重水素原子を吸収することにより、水素原子がギュウギュウに詰め込まれ、核融合が起きるくらいまで原子核同士を近づけられるのではないかと仮説を立てました。
そして、実験によって、実際にコイルに1ワットの電力を流した結果、ビーカー内の水温が4ワット分も急上昇したと発表したのです。
水温が上がった理由は、重水素原子の核融合以外に考えられない、と。
核融合の実験自体は、すでに始まってから数十年が経過していました。
すでに膨大な額の研究費がついやされ、多くの研究者がそれに従事してきたというのに、なんと高校レベルの化学実験のような装置で核融合が起こせる!というのですから、即座に世界中で追試実験が始まりました。
当時のタイム誌の表紙も飾りました。
米国エネルギー省は、エネルギー研究諮問委員会を招集し、各国で行われた追試結果の判定が行われました。そうして同年11月、委員会の裁定が下ります。
…
常温核融合と仮定されているものは、現在の知見とは矛盾しており、証明されるためには、仮説、さらには理論それ自体を確立する必要があるだろう。
という大変に厳しいものでした。要するに、デタラメだよということですね。
世界は物凄い勢いで手のひらを返し、この常温核融合を、科学界の一大スキャンダルとしてバッシングするようになりました。
助成金目当て、ユタ大学の経営難、他大学との主導権争いなど、このインチキ発表の背後が様々に想像され、フライシュマンとポンズの研究者生命は断たれることとなりました。
しかしそれでも、一部の研究者は常温核融合を研究し続けました。
常温核融合を支持したために…
米海軍研究試験所
あまり有名ではありませんが、アメリカの軍隊には科学研究所があります。
ふだんは表にあらわれることはないのですが、本年4月の「米海軍の「海水燃料」がもたらす大変革」のように、ときどきひょこっと出て来て、そういうことをやっていたのか、と人を驚かせるような研究所です。
実は常温核融合の共同研究者マーティン・フライシュマンも、海軍の顧問でした。
海軍の研究者のなかには、同様の低温核融合の研究に取り組んでいる科学者たちもおり、またフライシュマンと共同論文を発表した研究者も多かったのです。
彼らはフライシュマンが英国王立協会の会員であり、何百という査読を受けた論文を発表している優秀な研究者、ペテン師ではなく、世界有数の電気化学者であることをよく知っていました。
その中に、メルヴィン・マイルズという研究者がいました。
メルヴィン・マイルズ
当初、マイルズも追試をおこない、その「反応なし」の結果は、エネルギー研究諮問委員会の調査報告書にも加えられていました。
ところが、1990年にマイルズがフライシュマンが使用したパラジウム試料が何であったかを知り、同じメーカー・種類のものを取り寄せて実験したところ、8回の実験で、30-50%増しのエネルギーを発生させることができたのです。
ところが、世はまさに「科学界における常温核融合は、教会でポルノの話をするのと同じくらい不適切」という時代。
マイルズの「電気分析化学ジャーナル」に発表された論文は、無視されました。というか、無視されるどころか、マイルズの研究者としてのキャリアを断ち切るようなものだったのです。
マイルズもまた、以降の再現実験に失敗を重ね、1994年までは一度も過剰熱を発生させることができませんでした。
1996年、やっとパラジウム合金の理想の配合が定まり、新たに作られた電極で、30-40%の過剰熱をコンスタントに出せるようになったころには、常温核融合への助成は打ち切られ、マイルズも実質的な解雇を申しつけられてしまったのでした。
ジュリアン・シュウィンガー博士
常温核融合に興味を示したために、毀誉褒貶にさらされた人物もいました。
1965年、量子電磁力学を確立したことで、ノーベル物理学賞を受賞したジュリアン・シュウィンガーです。
ジュリアン・シュウィンガー
1989年、シュウィンガーは常温核融合に関する仮説を述べた8本の論文を書きました。
シュウィンガーに関心があったのは、ポンズとフライシュマンが正しいかどうかではなく、
「原子もしくは化学レベルの操作で核エネルギーを生むことができるかどうか」
ということだったのです。
ところが、アメリカ物理学会は掲載を拒否します。シュウィンガーは、常温核融合を研究することにすさまじい圧力がかけられていることを感じ、学問の自由が蹂躙されているように感じました。
1994年、シュウィンガーの死去を報じる中で、「ネイチャー」はシュウィンガーの晩年をこう記します。
「しだいに孤立し、世界の物理学界と疎遠になった」
風向きが変わる?
2004年、米国エネルギー省は、1989年に発表した常温核融合の調査報告書のひとつを修正しました。
ポンズとフライシュマンが最初に発表をおこなったあとの追試実験では、いずれも過剰熱の発生は観察されなかったと報告されていたのですが、そのうちのひとつ、MITの報告書は正確ではなく、過剰熱の発生を示すデータが、熱の発生がないものに差し替えられていたのです。
確かに、MITが計測したのは過剰熱というだけで、温度は急上昇するまでには至りませんでした。それでも、エネルギー省は常温核融合に「注目すべきものがある」と認めるまでにはなったのです。
果たしてそれがなんらかの核反応が起きているのか。それが「常温核融合」と呼べるものなのかどうか、今のところ我々にはわかりません。
ですが、今でも研究自体は継続されており、その物語はまだ終わってはいないようです。
STAP細胞も、常温核融合と同じ運命をたどる可能性が、微粒子レベルで存在しないことはないかと。
念のため、手のひらを返す準備だけはしておいた方がいいかもしれませんね。