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「偶然」とかいう不思議現象www

志賀直哉の短編に『剃刀』という作品があります。

ネタバレになりますが、

剃刀を扱うのがうまい床屋が、風邪を押して客のヒゲを剃っているうちに、なんか発作的に客の喉をかき切ってしまう

というお話です。

深夜、志賀直哉がこの短編を書いているちょうどそのとき、垣根を隔てた隣人が剃刀で喉を切って自殺していました。

志賀直哉はそれを聞いて、不思議な偶然もあるものだなあ、と思ったといいます。

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小説と現実の奇妙な一致

エドガー・アラン・ポー唯一の長編小説『ナンタケットのアーサー・ゴードン・ピムの物語』(1838年)という作品には、こんなエピソードが出てきます。

主人公のアーサー・ゴードン・ピムが乗り込んだ捕鯨船が遭難しました。

ピムたち四人は運良く通りかかったオランダ船に乗り込みますが、その船には水も食糧もなく、乗組員は飢えと渇きで全員死んでいまして。

当然、乗り込んだ4人も同じ運命になるわけですが、空腹と渇きに堪えかねた彼らは、くじ引きをして、負けた一人を食べて飢えを凌ぎました。負けたのは一番若い給仕のリチャード・パーカーでした。

この作品の発表から46年後の1884年、ミニョネット号というヨットが沈む遭難事故が起こります。

ミニョネット号

ミニョネット号には四人の乗組員がいましたが、なんとか救命ボートに乗り込み、そこからまるで小説になぞらえたような、奇妙な漂流が始まります。

彼らは、雨を飲んだりウミガメを捕まえたりして頑張ったものの、漂流18日目、いよいよ完全に水も食糧も底をつき、4人の男たちはくじ引きで「誰か命を差し出す」ことを決めようと話し合います。

この時は、一人が断固反対したため、くじ引きは中止になりました。しかし、間も無く乗組員の一人が渇きに堪えかね、海水を飲んで虚脱状態に陥ります。
残った三人は、彼を殺し、血を飲み、肉を食糧としました。

殺された乗組員の名はリチャード・パーカー。彼もまた、給仕でした。

小説と現実の乗組員の数、被害者の名前、職業まで一致する確率はどれほどのものでしょうか。

至言

これを単なる「偶然の一致」とみなしてよいものか?
もし、「偶然の一致」でないならば、どんな説明ができるのか?

説明方法の一つとして、ユングが提唱した「シンクロニシティ(共時性)」という概念があります。

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シンクロニシティ

精神科医であり、心理学者であるカール・ユングは、意味のある偶然の一致のことを、「シンクロニシティ」(共時性)と名づけました。

ユングはシンクロニシティの事例の一つとして、自身の体験談を紹介しています。

ユングがある女性患者の面談をおこなっていた時のこと。

この女性はガチガチの合理主義者で、これまでの治療ではなかなか治療に進展がみられませんでした。

そしてその日も、彼女は前の晩に見た夢の話で熱弁をふるっていました。その夢とは、誰かに金色のスカラベを贈られる、というもの。

ちょうどその時、何かが窓を叩いているような音がしました。ユングが振り返ると、虫が外から窓ガラスに何度もぶつかり、どうしても入りたそうにしているのです。

ユングは窓を開けて、飛び込んで来た虫を捕まえてみると、それは緑金色のスカラベでした。

「これがあなたの夢に出てきたスカラベですよ」とユングはその患者にスカラベを渡すと、彼女の合理主義は崩れ、理知的な抵抗の氷が溶け、以後スムーズに治療が進みました。

一般的に、出来事は原因と結果によって説明されます。因果関係というやつですね。

上記の例が起こった順序が逆なら、
「ああ、ユングにスカラベをもらったから、そんな夢を見たのだなあ」
と説明がつき、誰も不思議には思いません。

ですが、ユングの患者に起こったことは、時系列が逆転しています。

「夢で見たから、スカラベが飛んできて窓ガラスにぶつかった」と言う為には、夢が何らかの作用を外部に及ぼして、外を飛んでいるスカラベに部屋に入ってくるよう、働きかけたことを証明しなければならなくなります。

これをユング流に説明すると、

出来事と出来事のつながりは縦(時間)方向だけでなく、横方向にも伸びている。

ある瞬間に世界中で生じるあらゆる出来事は、巨大なネットワークのようなもの(=元型)のなかで、互いにつながっている。

その巨大なネットワークの中で、ある人が直観によって何事かをとらえ、それを行動に移す。

すると、その巨大なネットワークの中の別のところで、それに対応する出来事が同時的に起こる。

見かけはふたつの独立した事象でも、実は相互に関連している。

これが、シンクロニシティです。

夢の中のスカラベと、部屋に入ってこようとするスカラベの間には、「シンクロニシティ」が存在しているというわけですね。

実際、こんな経験は、程度の差はあれ、意外に誰にでも起こるものです。

ある人の噂をしていたらその本人が突然やって来たとか、夢に出てきた旧友から久しぶりにメールが来たとか、互いに関連の無い死刑囚5人が敗北を知りに東京ドームに来たとか。

そしてまた、志賀直哉の『剃刀』も、ポーの小説も、この「シンクロニシティ」の例と言えます。

まあ、こんなことを聞くと、バカバカしいと鼻で笑う人も多いと思いますが。

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ラプラスの悪魔

17世紀の哲学者スピノザは、偶然というものを次のように認識していました。

「ある物が偶然と呼ばれるのは、われわれの認識に欠陥があるからにすぎないのであって、それ以外のいかなる理由によるものでもない」

そして、同じような認識は、19世紀の数学者ラプラスも持っていました。

「もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。」

これの分かりやすいイメージとして、ビリヤードの球を思い浮かべてみて下さい。

摩擦とか空気抵抗とか細かい話は別として、球を打つ方向と強さが分かれば、未来の球の位置は完璧に予測できます。

仮に球が2個になっても、予測は可能ですね。球同士がぶつかるという要素が加わるだけですから、計算の手間が増えるだけですね。

では、そんなビリヤードの球を宇宙の全ての原子に当てはめてみたらどうでしょう。

宇宙に存在する原子の数は、だいたい1080と言われています。強烈な数ですね。人間には計算不可能です。

しかし、もしこれを計算できる超物凄い知性の持ち主がいたら?

こうして考え出されたのが、かの有名な「ラプラスの悪魔」なんですね。

ラプラスの悪魔なら、およそ全ての要素を計算し、完璧に未来を予測できそうです。彼にとって、全ては必然。偶然の一致など起こり得ません。

競馬を例にとってみると、馬や騎手の能力や調子、コースの状況なんかは当たり前。

それこそ、蹄のすり減り具合、たてがみの空気抵抗、一回の呼吸に含まれる酸素濃度、馬や騎手の脳のシナプスの構成、その他我々には見当もつかないような、ありとあらゆるデータが全て完璧に解析されれば、どの馬が勝つかは必ず明らかになる、という考え方ですね。

こういう考え方を「決定論」と言いますが、古典物理学に染まった我々には、けっこう納得感あります。

ところが、20世紀に入り、量子論における極小の世界の不思議な性質などが明らかになるにつれ、「ラプラスの悪魔」の存在は否定されるようになりました。

例えば、電子の状態は観測された瞬間に決まるもので、観測されるまでは電子がとり得る状態が一定の確率に基づいて、モヤモヤと重なりあっていると解釈されたりします。

例えば、原子の構造は、原子核の周りをグルグル回っていると思われていましたが、少なくとも観測と実験と計算の結果からは、軌道を描いて回っているわけではなく、波動関数で求められる確率で原子核の周りにモヤッと雲のように存在している事になります。

こうじゃなくて

こう

管理人のような、よく分かってない人間が気合で説明すると、こういう訳分からない説明になっちゃうのですが、「シュレーディンガーの猫」とか「二重スリット実験」とか有名すよね。

分かりやすい二重スリット実験の解説

まあそうして、現代物理学では決定論は否定されるようになりました。

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パウリ効果w

そういった科学の新たな進展と歩調を合わすかのように、ユングの「シンクロニシティ」の共同研究者が、現代物理学の領域から登場します。

その人物は、物理学者のヴォルフガング・パウリ

彼は、若くしてアインシュタインの後継者と言われ、ニュートリノの存在を予言する等、数々の輝かしい功績を持ち、後にノーベル物理学賞をも受賞する、現代物理学において大変重要な人物です。

そんな彼には、ある種超常的な能力がありました。それが、「パウリ効果」と呼ばれるものでした。

彼は実験がヘタで、しょっちゅう実験器具を壊していました。そのうち、パウリが近くにいるだけで実験器具が壊れることもあり、それを周囲の人は「パウリ効果」だと言って笑っていました。

このパウリ効果には、数々の逸話があります。

以下、Wikipedia 『パウリ効果』より引用

パウリの友人でもあった物理学者のオットー・シュテルンはこの効果を恐れ、パウリを自分の実験室に入れたがらなかった。
物理学者ヴァルター・ハイトラーの講義を聞いていたパウリは、その内容に不満を持ち、講義が終わると勢いよく演壇に駆け寄った。

パウリがハイトラーの座っていた長椅子の反対側に座り詰め寄ると、ハイトラーの椅子の背が壊れた。その場にいたジョージ・ガモフは思わず「パウリ効果だ!」と叫んだ。

ゲッティンゲンの研究所で、実験中に原因不明の爆発事故が起こった。研究員はさっそくパウリを疑ったが、当日パウリは出張で不在だった。

しかし後に、パウリはその日別の場所へと列車で移動中で、爆発が起こった時間ちょうどゲッティンゲンの駅に停車中だったことが明らかになった。

ある日パウリはハンブルクの天文台の見学に誘われた。

パウリ自身、パウリ効果を気にしており、はじめは「望遠鏡は高価だから」と断ったが、周囲の説得により同行することにした。

案の定、パウリがドーム内に入ると、大きな音がして望遠鏡の蓋が落ち粉々になった。

ある歓迎会で、主催者がパウリ効果を実演させようと、パウリが部屋に入った時にシャンデリアが落ちるという仕掛けをあらかじめ仕込んでおいた。

しかし、パウリが来たときにシャンデリアが落ちることはなかった。その仕掛け自体が壊れて作動しなくなったのである。

「見かけはふたつの独立した事象(パウリが近くにいる事と、ものが壊れる事)でも、実は相互に関連している。」

まさにシンクロニシティともいえるパウリ効果ですが、パウリ自身は意外に合理主義者ではなく、この現象をけっこう真面目に受け止めていました。また、この時期、母親の自殺や不眠症などもあって、精神的にかなり消耗していました。

そうして、三十歳のとき、パウリは患者としてユングを訪れたのです。

ユングはパウリのことを「その並外れた知性が彼の抱えている問題の元凶だった」と見てとります。

研究に打ち込む日々の中で、自らの感情と接触を失い、精神的に完全にまいっていたパウリを救ったのは、科学的とは決して言えないユングの世界でした。

やがてパウリとユングは「シンクロニシティ」について共同研究を行うようになりますした。
一見すると物理学者が変なオカルトにはまったというように見えます。

しかし、物理的な因果関係を観測して説明できないが、統計的・確率的に明確な関連があるという意味で、シンクロニシティの概念を量子力学の世界で起こる不思議な現象に転用出来るのではないかと思うのは、ある意味で必然でした。

このユングとパウリの共同研究は、「ユング=パウリ書簡」として記録されています。

そんなパウリは、57歳の時にすい臓ガンに倒れます。その時運び込まれた病室は、137号室

パウリは、「微細構造定数」(素粒子同士の相互作用を表すとても重要な値)である1/137.03599…が何故その値なのか、生涯悩んでいました。神様からどんな質問をしてもいいと言われたら、まっさきに聞いてみたいのは「なぜ 1/137 なのか?」だとも述べています。

そんな彼が最後に運び込まれた病室が137号室。パウリは、その病室から生きて出ることは無いと悟ったといいます。

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偶然のない世界

さて、シンクロニシティがあるのかないのかはともかく、我々の生活レベルで見れば、「偶然」は姿を消しつつあるのかもしれません。

統計学の進歩によって、これまでなかったほど大勢の人の行動が、記録され集積され、さらに分析され予測されるようになってきました。

個々の人にとってみれば、のっぴきならない必然に裏打ちされて取った行動のはずなのに、数百万、数千万という規模でみると、「予測しうる行動」であり、その行動を誘導し得るものになっていくのです。

「ラプラスの悪魔」はいなくても、人が一定方向へ誘導されているならば、その行方を予測するのは「悪魔」でなくても可能です。

例えば、友だちに思いがけない場所で「偶然」会った。

けれどもその場所へ行ったのは、ふたりともネットで同じ広告を見ていたからだった。
その広告がネットに掲示されたのは、ふたりの年齢、出身などのデータから割り出されたものだった。

だとしたら、もはやこれは「偶然」とは呼べなくなってしまいます。

ユングの「シンクロニシティ」は、非科学的な思想という評価の域を出ませんでしたが、本人の知らない所で誘導された「偶然」は、これからも増えていくのでしょう。

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