1: ジャングルキャット(やわらか銀行) 2012/11/20(火) 01:45:53.35 ID:KndkASR00● BE:478655892-PLT(12001) ポイント特典
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121118/edc12111809550000-n1.htm
【旧制高校 寮歌物語】 (14)寄宿寮を「復活」させよ
■9時間半の入寮式
元厚生官僚の網代毅(あみしろ・たけし)(旧制一高-東大)は「旧制一高と雑誌『世代』の青春」にこう書いている。《一高では入学式よりも入寮式がより重視されていた。これは生徒の自治によって運営される寄宿寮の意思であるばかりでなく、校長以下の学園全体の意思でもあった》と。
入寮式の中身がまたすさまじい。同書に、一高新聞の「向陵時報」で紹介された昭和18(1943)年4月の入寮式の模様が描かれている。まず、時間がべらぼうに長い。寮の大会議場である「嚶鳴堂(おうめいどう)」で午前10時に始まった式は、寄宿寮委員長の演説が6時間半、副委員長が2時間、さらに風紀点検委員が続く。寮歌『嗚呼玉杯(ああぎょくはい)に』と万歳三唱して終わったときには9時間半がたっていた。
この間、新入生は固い木製のいすに座らされたまま、中座も許されない。委員長らの演説は、哲学的なセリフをちりばめながら一高の伝統や気風、心構えを延々と説いてゆく。“時代がかった”設定も新入生の価値観をいったんたたき壊し、真っさらにして寮に迎えるのに必要な演出だったのだろう。
「第一高等学校自治寮六十年史」にはこうある。《寮委員長による「入寮演説」は、天下の秀才を自認する新入生の脳天に加えられる鉄槌(てっつい)となる。(略)ここに若人の自負は打ち破られ、心の革命が萌(きざ)す》
そこに記されている一高寮の“風物詩”が興味深い。
再現された旧制高校の寮の一室 (長野県松本市の旧制高等学校記念館)
(>>2以降に続く)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121104/edc12110411160001-n1.htm
3: ジャングルキャット(やわらか銀行) 2012/11/20(火) 01:46:18.93 ID:KndkASR00
寮の定員は一部屋12人程度。運動部や文化部に入った者は、その部屋に、そうでない者は一般部屋などに入る。入寮と同時に「寮歌」の指導がスタート。各部屋では、ことあるごとにコンパが開かれる。寮内は禁酒が原則だから、茶菓だけで寮歌をがなり立てる。全寮の茶話会、晩餐(ばんさん)会などでは、入れ代わり立ち代わり演者が立ち、演説や余興、寮歌の合唱は、明け方までやむことがない。
ようやく部屋で眠りについたかと思えば、ストームに襲われる。窓ガラスや部屋を破壊するような“暴力的な”ものから、新入生をこんこんと諭す説教ストームもあった。寮のハイライトは年に一度の紀念祭。女人禁制の寮内もこの日ばかりは、女性にも開放されることが多い。紀念祭に合わせて毎年、寮歌が募集され、また新たな寮の歴史を刻んでゆく。
本を読んだり、議論を吹っかけたりするのは“基本のキ”。消灯後も蝋燭(ろうそく)を灯して、勉強や読書をしたり、議論に熱中するあまり夜が白み始めた、なんてこともしばしば。授業にはほとんど顔を出さず、寮に籠もっていたり、山登りなどに熱中するあまり落第を繰り返し、“裏表6年(各学年を限度いっぱいの2年間ずつやること)”の猛者も珍しくはなかった。
寮の行事や規律維持、3度のメシの食材の手配まで一切合切を生徒がやる。執行部たる寮委員会が企画・立案、実行し、重要なことは各部屋から代表を出す総代会で議決する。ルールを破れば懲罰委員会(戦後に創設)で処分を決める。退寮となれば、ほぼ自動的に退学処分になるほど、「寮の自治」は尊重されていた。
(以下省略)
4: ノルウェージャンフォレストキャット (京都府) 2012/11/20(火) 01:46:42.25 ID:DjOIcTS/0
7: ジャングルキャット(やわらか銀行) 2012/11/20(火) 01:52:08.49 ID:KndkASR00
本郷の生活(明治後期)
寮歌を吟じないで歩いているときは、思索にふけっている時である。一高生に秋思あり。
寮の生活(大正期)
旧寮3階の寝室。無断外泊はやかましく、「不時点検」という制度があった。 また、深夜を揺るがすストームも絶えなかった。
自習室(大正期)
自習室。ひとつの机を4人で使う。机の中央に素朴な本箱。電燈がひとつ。駒場でも同様。
ボロいところで暮らしてるけどこいつらの実家って鳩山会館みたいなところなんだろ?
そんなおぼっちゃんがこんなドヤ暮らしみたいな生活やっていけたんだろうか
30: ペルシャ(チベット自治区) 2012/11/20(火) 03:24:29.31 ID:V2x2Mpf20
堅苦しい生活から解放されて楽しいお( ^ω^)
8: サーバル(千葉県) 2012/11/20(火) 01:54:18.58 ID:DB2GZwpD0
13: しぃ(大阪府) 2012/11/20(火) 02:12:25.21 ID:+dRt+FKQ0
キチガイや
14: ツシマヤマネコ(九州地方) 2012/11/20(火) 02:15:59.43 ID:qiHuRVz3O
しかし、戦前のエリートやらに幻想を持ちすぎだろw
16: チーター(富山県) 2012/11/20(火) 02:19:44.75 ID:OtqIOa+u0
精神的には絶対にかなわないと思うわ
17: ラ・パーマ(東京都) 2012/11/20(火) 02:22:33.29 ID:g7Xdd+bY0
今でも中高で部活動に入ると割とあるよね
20: キジ白(北海道) 2012/11/20(火) 02:23:00.70 ID:nhDp3ilY0
勝手に懐かしむのは結構だけど周りに押し付けないでね
21: ソマリ(やわらか銀行) 2012/11/20(火) 02:35:24.36 ID:Gw6iSDO10
あと先輩のシゴキに耐えた云々が武勇伝みたいだけど、
シゴく方の視点が無いよね
思うがままに他人を虐げて楽しんでるのは人間として大きな何かが欠落してるんじゃないですかね
29: キジ白(福岡県) 2012/11/20(火) 03:21:39.72 ID:RacnDKUP0
少なくとも数学と英語とフランス語はFランの俺には一ミリも理解できなかった
32: スペインオオヤマネコ(禿) 2012/11/20(火) 04:26:17.85 ID:/aIVOEn10
33: オリエンタル(新疆ウイグル自治区) 2012/11/20(火) 04:28:46.28 ID:sPDXeHEa0
ドラッグは70年代。戦争前や戦時中やその後は、アメリカはそういう価値観を
もってない。レッドパージとかもありかなり厳しい国だった。KKKもいたり、
ぶきみな国だった、とおもう
これだからゆとりは困ったものだ
1万を超える人々が失職した。「赤狩り」とも呼ばれた。
35: トラ(新疆ウイグル自治区) 2012/11/20(火) 05:11:04.67 ID:5DcGWVlC0
レッドパージあってもそれに対する反駁、反論する余地がちゃんと残されてたじゃん
最後にはマッカーシー自身やりすぎて失脚したくらいだし
右方向に旋回すれば歯止めがなかった日本と違って国としての懐の広さを感じる
37: ボブキャット(チベット自治区) 2012/11/20(火) 05:29:41.66 ID:yBDHYX3Y0
つまりそんな教育は徹頭徹尾全部間違ってたってことだ
正しかったら戦争に負けてないw
そもそも物量が違い過ぎてた訳で
40: しぃ(dion軍) 2012/11/20(火) 05:52:35.08 ID:rMT5fj0G0
このエリート様方はできなかった
45: ピューマ(愛知県) 2012/11/20(火) 06:50:55.07 ID:WH3MfYaC0
自動車の運転ですらまず「運転の心得」と称して精神論を叩き込んだ日本軍
46: チーター(WiMAX) 2012/11/20(火) 07:46:14.12 ID:jbA45Q7xP
49: アフリカゴールデンキャット(SB-iPhone) 2012/11/20(火) 10:49:54.08 ID:6bQnZPTMi
みんな社畜で