泣けるコピペはってけ
1 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 10:09:10.94 ID:GnEp5QI60
2 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 10:09:33.69 ID:GnEp5QI60
その時、サキちゃんはまだ2歳。
「あなた、サキのためにビデオを3本残します。 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。
そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」
まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。
そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。
(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)
「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。
だから、こうやってしか会えない。 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」
サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。
「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。
サキちゃん、ちゃんと聞いてね。 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。
じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ! ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」
そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。
新しいママが来た日のサキちゃんに
そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。
3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。 なつかしいママの顔が映し出された。
「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。
…… サキちゃん。今日で本当にお別れです。 …… サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。
(泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)
ママ、もっと生きたい…。 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。 あなたの成長を見つめていたい…。
じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。 それは、『ママを忘れる魔法』です。 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」
そこでビデオは終わった。
しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。 パパと、新しいママにも効かなかった。
ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。
そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。 天国のママに見てもらうために
60 :家族みんなの健康黒酢 ◆ZHV1bvv03c :2012/05/09(水) 02:26:16.41 ID:w3SCFX+iO
いい年してエグエグしちゃったよ……
3 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 10:11:41.75 ID:GnEp5QI60
いきなり母が電話で聞いてきた。 当時、大学三年生で就活で大変な頃だった。
「忙しいから駄目」と言ったのだが母はなかなか諦めない。
「どうしても駄目?」「今大事な時期だから。就職決まったらね」
「そう・・・」母は残念そうに電話を切った。 急になんだろうと思ったが気にしないでおいた。
それから半年後に母が死んだ。癌だった。 医者からは余命半年と言われてたらしい。
医者や親戚には息子が今大事な時期で、心配するから連絡しないでくれと念を押していたらしい。
父母俺と三人家族で中学の頃、父が交通事故で死に、
パートをして大学まで行かせてくれた母。
OKINAWAに行きたいというのは今まで俺のためだけに生きてきた母の最初で最後のワガママだった。
叔母から母が病院で最後まで持っていた小学生の頃の自分の絵日記を渡された。
パラパラとめくると写真が挟んであるページがあった。
絵日記には
「今日はOKINAWAに遊びにきた。海がきれいで雲がきれいですごく楽しい。
ずっと遊んでいたら旅館に帰ってから全身がやけてむちゃくちゃ痛かった。」
・・・というような事が書いてあった。すっかり忘れていた記憶を思い出す事が出来た。
自分は大きくなったらお金を貯めて父母をOKINAWAに連れていってあげる。
というようなことをこの旅行の後、言ったと思う。
母はそれをずっと覚えていたのだ。
そして挟んである写真には自分を真ん中に砂浜での三人が楽しそうに映っていた。
自分は母が電話をしてきた時、どうして母の唯一のワガママを聞いてやれなかったのか。
もう恩返しする事が出来ない・・・ 涙がぶわっと溢れてきて止められなかった。
5 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 10:20:37.45 ID:GnEp5QI60
あなたは私を産むまでずっと父の暴力に苦しんでいましたね
私が産まれて時、あなたは泣きながら喜んだんですね
私が一歳の誕生日に、借金を抱えたまま父が自殺しましたね
借金を返すために昼はパート夜は居酒屋で仕事の毎日でしたね
保育園では遠足のおやつは雑穀のおはぎでしたね
小学校の給食費を払えない月もありましたね
修学旅行のおみやげはご当地キーホルダーだけでしたね
中学の制服は親戚のおさがりでしたね
高校のお弁当はいつもご飯に梅干しと海苔でしたね
無理を承知で大学行きたいと頼んだ時、あなたは反論しませんでしたね
ごみ処理場から捨てる予定の参考書をもらいに行きましたね
お金がかかるから私立は受けられず、国立専願受験でしたね
センター試験の前日には初めて特上寿司を食べさせてくれましたね
センター試験に失敗したけど、あなたは最後まで諦めないよう励ましてくれましたね
前期に落ちて、一度私は自殺しかけましたね
あなたは怒ることもなく、ずっと私に謝り続けていましたね
私もあなたにずっと謝り続けましたね
そして私は気持ちを切り替えて後 私はその後も頑張って勉強して、なんとか後期に合格することが出来ましたね あなたはずっと「おめでとう、おめでとう」と泣き続けてくれましたね
でもあなたは入学の準備の時に急に倒れて病院に運ばれましたね 医者が、癌が全身に転移していてこれから一週間が峠だと告げましたね
私がただただ泣き続けている時にあなたは「この体の傷や癌の一つ一つがあなたを育てあげた立派な勲章なのよ」と微笑みながら言いましたね あなたは最後まで泣くことも苦しむこともなく、静かにこの世を去りましたね
今私は医者になるために毎日一生懸命に勉強していますよ あなたの命を奪った癌に苦しむ人々を治療して助けたいから
私が育った環境は決して恵まれてはいなかったけれど、あなたに生まれ、育てられて本当によかったよ
ありがとう、お母さん
106 :名も無き被検体774号+:2012/05/11(金) 16:20:51.91 ID:/ZC5DMVI0
国立医学部って前期失敗したやつが後期受かるところじゃないよ…創作やな
7 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 10:23:27.09 ID:t/eZxAr00
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
8 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 10:24:44.91 ID:GnEp5QI60
これはマジなける
9 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 10:28:18.91 ID:t/eZxAr00
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」 こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない
26 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 18:19:43.06 ID:claEfMAP0
奥さんの心に旦那が残ってないところが一番泣ける
10 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 10:28:23.55 ID:GnEp5QI60
台湾高雄西海上にて戦死
九月二十五日一時半、我一生ここに定まる。
お父さんへ、いうことなし。お母さんへ、ご教訓身にしみます。
お母さんご安心下さい。決して僕は卑怯な死に方をしないです。
お母さんの子ですもの。----それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳、万歳、こう叫びつつ死んで征つた幾多の先輩達のことを考へます。
お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!!
こう叫びたい気持ちで一杯です。何かいつて下さい。一言で充分です。
いかに冷静になつても考へても、何時も何時も浮かんで来るのはご両親様の顔です。
父ちやん!母ちやん!僕はこう何度もよびます。
「お母さん、決して泣かないで下さい」
修が日本の飛行軍人であつたことに就いて大きな誇りを持つて下さい。
勇ましい爆音をたてて先輩がとんで行きます。
ではまた。
15 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 10:58:49.19 ID:mfXG2FZl0
華やかとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。
ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。
私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそり中身を確認した。
すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪いし、とても食べられなかった。
家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこく尋ねてきた。
私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜っていたので
「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく言ってしまった。
母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らなくなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。
母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」 日記はあの日で終わっていた
かあちゃんごめん・・・
17 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 12:53:24.78 ID:ikOJHEGVi
もうダメだトイレいく
18 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 13:01:48.71 ID:yXRanSPci
和んだというか感謝した話。
中1の時、親の転勤でいきなりアメリカの学校に通う事になってしまった。
中1で田舎の中学でやってた英語なんで「Hello,this is pen」のレベル。
ひたすら「This is ○○」のレベル。
コミュ力はある方だと思っていたが完全にお手上げ。日本人なんて学校で自分一人。
ESLという英語が第一言語じゃない生徒の為のクラスへ入れられたんだけど、
クラスのほとんどはヒスパニック。先生も授業中はほとんどスパニッシュ。アウェー感はんぱない。ここでも友達作りに失敗。
ほかの授業も、周りは発言をどんどんして、グループワークをするっていうのに、ただ黙って小さくなってノートをとり続ける自分。ぼっちパネェ
元々が友達が多かっただけに、孤独に耐えられずに学校で腹痛を起こすこともしばしば。
そんな自分を見つけてくれたのは、サンタクロースだった。
酔っ払ったサンタクロースを想像してくれたら良い。
赤ら顔で顔中が真っ白な髭の先生。流石にサンタクロースほど髭は長くないんだけど、ビジュアル的にはそんな感じ。
太った大きな赤ら顔のおじいさんで、いつも笑ってて、いつもジョークを言う先生だった。
学校の隅で一人で弁当を食べてたある昼休み、サンタクロースがいきなりやってきて、「コニチワ」と挨拶してくれた。
びっくりしてると、「コニチワ、ワタシは○○デス。アメリカ人デス。どうぞヨロシク」と拙い日本語で挨拶してくれた。
ただびっくりした。
人気者のサンタクロースは、自分には遠くて眩しい先生だったのに、今、目の前でたどたどしく挨拶してくれた。
私も、ぼっちの寂しさで色々切羽詰ってたんだろう、驚く先生放置でぶわあああと涙流して号泣。
おどおどするサンタクロースは、私の頭を撫でたり、抱き締めたり、擦ったり、あわあわと動揺。
なんとか思い出した英語で「Thank you, Im so glad」と繰り返してた。
19 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 13:02:18.79 ID:yXRanSPci
それから、お昼休みはサンタクロースのオフィスに行くのが習慣になった。(オフィスは個人部屋。職員室がない)
オフィスでサンタクロースは、よくホットチョコレートを出してくれた。
そして言語力が必要になる歴史にさっぱりついていけていなかった自分に補習もしてくれた。
ちょくちょく「ダイトウリョ」「ミンシュシュギ」とか日本語を挟んでくれる優しさが、また嬉しかった。
多分、事前に私が詰まりそうな単語を調べていてくれたんだと思う。歴史以外の教科でも、いつでも快く助けてくれた。
そして授業中のジョークに日本のことを色々取り入れてくれるようになった。
サンタ「NYはしょっちゅうキングコングに攻撃されてるけれど、しょっちゅうUMAに攻撃されてる国があるんだよー。どこか分かる?」
生徒「は?えーっと、・・・・やっぱりNY?」
サンタ「ちがうよ、JAPANだよ、TOKYOだよ!ゴジラだよ!」って具合に。
丁寧にゴジラの写真までプリントアウトしてきてくれたり、授業中に歴史DVDをみる時、ゴジラのPVをみせてくれたり。
そうやって日本のことを色々と話題提供してくれたお陰で、クラスのみんなが私に親しみを覚えてくれて、仲間に入れてくれるようになった。
サンタ「Helloは日本語でコニチワだよ、じゃ、○○(私)に言ってみよう、せーのっ」
生徒「コニチワー!」とか。だからみんなが私をみつけると「コニチワ(・∀・)」って声を掛けてくれるようになった。
だんだん、歴史のクラスに受け入れられていくのが分かった。そしてそのクラスメイトからの紹介でどんどん友達ができるようになった。
そして一緒にランチを過ごす友達が沢山できて、やがてサンタクロースのオフィスから足の遠のいていった私を、
サンタクロースは「ヨカッタネェ、ヨカッタネェ」って喜んでくれた。
20 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 13:02:49.25 ID:yXRanSPci
そして卒業セレモニーで、“一番頑張った生徒”に選ばれて表彰される事になって、全シニアと保護者の前で短いスピーチをする事になった。
そんな所だったんだけど、スピーチではもちろんサンタクロースの事を話した。
自分がどれだけ不安だったか。どれだけさみしかったか。どれだけ嬉しかったか。どれだけ救われたか。どれだけ感謝しているか。
サンタクロースには感謝してもしきれないし、受け入れてくれていったクラスメイトも大好きだということをスピーチした。
サンタクロースと歴史クラスの仲間達が泣いてた。自分も泣いてた。
アメリカの卒業式は沈黙で厳かで涙で・・・ってのじゃなくて、歓声あげて、バルーン持込で「WE LOVE MY ○○」とかいっぱいプレート持ってくるような派手なのに、
自分のスピーチですすり泣く人が出て、自分も写真撮られているのにずるずる汚い顔で涙や鼻水たらしながらスピーチした。
スピーチが終わると、サンタクロースが駆け寄ってきて、抱き締めてくれた。
サンタクロースにも一言どうぞって事で、サンタクロースが私の話をしてくれた。
最初、いきなり自分のクラスに英語の話せない生徒が入ってきてどうしよかと思ったとか。
どうやって授業をしていけばいいのか不安だったこと。
本当は中国人かと思ってたこと。一人ぼっちの私をとても心配していたこと。仲良くなりたかったこと。
友達ができていくのをみる事ができて、本当に嬉しかったこと。
私は、サンタクロースの、あの大きな腕や胸や抱き締められたときに胸にぶつかってくるようなお腹の大きさと暖かさを絶対に忘れないと思った。
そして彼がいたから、今はアメリカの大学にも進学できた。本当に感謝している。
感謝なんて二文字じゃ伝えられないくらい感謝している。
サンタクロースは何も言わなかったけれど、ネットで日本のことを色々調べてくれた事も、
心配してくれていたことも、一人の生徒としてとても愛してくれたことも、
私に素晴らしい青春をくれたことも、全部全部忘れない。
今でも、サンタクロースは、私のカミサマです。
長文しつれいしました。
21 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 13:25:01.87 ID:p3o278fc0
これ初めて見た
泣いた
いいなぁ
22 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 13:31:26.51 ID:2+Zv6ME7i
昔、当時中学生の弟が学校帰りに床屋で丸坊主にしてきた。
失恋でもしたのかと聞いたら、小学校からの女の子の友達が今日から登校するようになったからだ、と。
彼女は今まで病気で入院しており、薬の副作用で髪の毛が全部抜けてしまったらしい。
「女が丸坊主じゃ恥ずかしいって言ってたし、だったら他にも丸坊主がいりゃいいかなと思って。
野球部の奴等は元々丸坊主だけど、野球部じゃない丸坊主がいた方がいい」
と弟は言っていた。
翌日、丸坊主で登校した弟は帰宅するなり「同じ事考えた奴が一杯いた……」と。
なんでも優等生から茶髪問題児を含め、クラスの男子全員が丸坊主かそれに近い頭になっており、
病気の子と仲が良い女の子達までベリーショート、一人は完全な丸坊主になってたらしい。
更に担任の先生(男性)まで丸坊主。
丸坊主だらけの教室で、病気の子は爆笑しながら「ありがとうありがとう」と泣いたという。
示し合わせたわけでもないのに、全員同じ事考える当時の弟のクラスに和んだ。
ちなみに病気の子は今も健在、弟は意外に丸坊主が気に入ったらしく、それからずっと丸坊主。
23 :名も無き被検体774号+:2012/05/07(月) 14:30:29.33 ID:GnEp5QI60
イイハナシダー
36 :名も無き被検体774号+:2012/05/08(火) 11:04:34.86 ID:zkrtcyZ90
バスの中で、10歳ちょっとくらい?の子供と30代くらいの美人なお姉さん
(最初お母さんかと思ったけど違った)
子供が椅子の背凭れ睨みながらボタボタ泣いてる
その背中をお姉さんがトントンってたたきながら
姉「大丈夫。大丈夫。お母さんは大丈夫。大丈夫」
って言い続けてる
あんまり低い声で真剣な顔で言ってて、事情がありそうだったんで
バスの中がシーンとしてた
子「お、」
姉「大丈夫」
子「俺どうなんの」
姉「お母さんは大丈夫」
子「ダメかも、もうダメかも、だって皆、ダメって言ってたし、」
姉「大丈夫」
子「お母さん死ぬ?俺一人になる?」
姉「どうしようもなくなったらおばちゃんがお前一人くらい育て上げてやる。
だからお母さんは大丈夫ってだけ考えときなさい」
子「俺居たら余計嫁に行けなくなるよ」
姉「うっさい。居なくても行けてないんだから居たって一緒です。お母さんは?」
子「……」
姉「お母さんは?」
子「大丈夫」
姉「うん」
二人がバス降りるとき()総合病院前だった、
運転手さんが「お母さんは大丈夫」って言ってあげたのを期に
バスの皆が「大丈夫!」「絶対大丈夫!」って言ってた
私も言ったし、お母さんがどうしたのかわかんないけど
大丈夫であってほしいと思った
37 :名も無き被検体774号+:2012/05/08(火) 13:36:01.68 ID:Ma3aRrql0
38 :名も無き被検体774号+:2012/05/08(火) 14:08:07.24 ID:xZV2G7zHi
俺自身が味わった不幸や悲しみとかでないので
なんだか微妙にスレ違いかもしれないが
どうしても吐き出したかったのでさせていただく。
半年前、友達の薦めで某チェーン店の美容院に行ったの。
外観も接客も明るい雰囲気でとても良い感じだった。
ふと車椅子で深く帽子をかぶった女の子(おそらく12.3)
が連れの人と一緒に来店した。
飛び込みだったらしく、しばらく待たされたあと
彼女は店内に案内され、何人かの美容師達の手によって
椅子に映ったところまでは良かったのだが。
帽子を外すと、そこには薬か何かの影響なのか、
パサパサの髪に、ところどころ抜けてしまって
とてもカットやカラーができるような頭じゃなかった。
その場の空気も一瞬凍ったと思う。
そして奇異の目を向けてしまったかもしれないそのときの
俺にはほんとアホ、としか言いようがないのだが。
彼女自身、なんだかつらそうな顔をしていて、
どうやら連れの女の人(母親という感じじゃなかった。看護婦?)
が半ば強引に連れてきた感じらしい。
そうしたら奥の方から年配の男性(40くらいかな)
が出てきたのね。
その人がやたら陽気で、ガハガハ笑うような、
ほんとに美容師なのか、と問いただしたくなるようなオッサン。
39 :名も無き被検体774号+:2012/05/08(火) 14:08:30.85 ID:xZV2G7zHi
で、オッサンが女の子に
「絶対きれいにするから、ばっさり切っちゃってもいいかな?」
と聞いたの。
俺は内心、髪の毛抜けちゃったりして傷ついてるみたいなんだから
そんなに切ったら良くないんじゃないか、なんて思っていた。
もう、自分の頭よりもそっちが気になっちゃってしょうがなかったんだけど(俺はパーマだったんでしばらく時間がかかったので)
そりゃあもう、出来上がりには驚いた。
ものすごいショートにして、その毛先もなんだかクルクルして
俺が書くとなんだかおばさんの髪型か、と想像されちゃうかもしれないけど、なんていうか、雑誌とかでよく見るモデルみたいな
髪型で。
パーマもカラー剤も使ってないのに大変身だったの。
もうぜんぜん前と違うの。
で、なにより違ったのはその子の表情なわけ。
仕上がりをみてものすごいにこにこしちゃって。
ちょっとやせてたけどすごい可愛い子だったってのがわかった。
最初はあんなに無口だったのにもうオッサンのバカみたいな
しゃべりにいちいち大笑いしててさ。
もうその美容院の中がほんわかムードだよ。
美容師ってホントすごいな、と思った。
一緒についてきてた人もすごい感謝していて。
俺もその日はなんだかとてもいい気分で、いい美容院を見つけた
とおもいながら帰ったんだけど。
43 :その3 ラスト :03/03/07 00:49 ID:S2PDadTO
先週またその美容院に行ったのね。
その日の施術もとどこおり無く終わって、
さあ支払いだと言うときに、この美容院次回の予約ができるので
それをしようとしたの。
そうすると顧客ファイルみたいなのを開いてチェックするんだけど。
俺の後がその例の女の子のファイルだったわけ。
その子があのあと毎月予約をしてはキャンセルしていたらしい印の
後と(時間が記入されてはバッテンがついていた)
俺の行った日の三日くらい前の日からずーっと黒い太い線が
引かれていたのを見たときに(それも、誰かが悲しくて書き殴ったかのような線で)
急に不安な気持ちになった。
普通、美容院変えるとしても連絡なんてしないし、
もう行きませんなんてわざわざ伝えるなんてしない。
ああ、これは、とちょっと悟ってしまった。
俺の勘違いで、引っ越しだとかなんかそういう理由で
これなくなったんだと思いたいけど、
そのオッサンが黒いスーツパンツで仕事をしてるのを見てしまった。
あのときの表情とか笑い声とかすごいフラッシュバックして
帰り道に号泣してしまった。
41 :名も無き被検体774号+:2012/05/08(火) 14:48:32.77 ID:3Wk5DvgD0
悲しいけどこれが現実なんだ・・・
42 :名も無き被検体774号+:2012/05/08(火) 14:59:23.28 ID:L9MbGPsDi
633 名前:ネトゲ廃人@名無し[sage] 投稿日:2006/05/12(金) 21:44:09 ID:???
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
43 :名も無き被検体774号+:2012/05/08(火) 14:59:49.96 ID:L9MbGPsDi
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。
N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
空が、綺麗なんだよ。
A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」
A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。
44 :名も無き被検体774号+:2012/05/08(火) 15:09:59.63 ID:N1y/BJuci
47 :名も無き被検体774号+:2012/05/08(火) 23:33:08.71 ID:eTFI5mmH0
ネトゲやったりとかゲーム買ったりとか。たまに親にも怒鳴り散らしたりもしたな。
そんな駄目な俺が2年くらい前かな。カーチャンスレ見てから必死でバイトと勉強して
やっとCMとかやってる大手企業に就職できたんだ。本当にうれしかったよ。やっと親孝行ができると思ってね。
そんで去年かな。ある程度お金が溜まったから旅行に連れて行ってやろうと思って内緒で旅行を予約したんだ。
定番だけど温泉ね。出発の一ヶ月前に内緒で家に帰って発表したら
「ありがとう……本当にありがとう……」
と涙を流しながら喜んでくれたんだ。この為にお金を貯めたのかってくらい嬉しかった。
そんで、それを近所とかに自慢してやがるのww一人暮らししてるから近所のおばちゃんから帰省の時に言われたときは恥ずかしかったw
それで出発の3日前になって電話が掛かってきたんだよ。けど仕事中だから電話に出られなくてさその時は無視してたんだ。
んで後でかけ直したら親父が出てさ
「旅行は中止だ……」
って涙声で言うわけ。訳が分からなくて「何でだよ?風邪でも引いたの?」と聞き返したんだ。そしたら後で
「母さんが……ひき逃げされて……それで……」
頭が真っ白になってその後はよく覚えてないけど。気がついたら葬式の準備が進んでたんだ。
結局母さんは2日間意識不明だったんだけど容態が急変して死んじゃったんだ。
楽しみにしていた旅行が最悪の轢き逃げの所為で葬式になっちまったんだよ。
母さんの遺品を整理しながら自分を悔やんだね。なぜもっと早く親孝行出来なかったのかと。
遺品の中にあった日記帳にはさ
「○○が旅行を予約しててくれたみたい。やったー!」
とか
「旅行まで残り3日!!前日には○○も来るだろうから一杯ご馳走を作れるようにしとかなくちゃ!」
とかギッシリ書いてる訳。それ見てたら泣けてきてさ。濡らしたらもう読めなくなるのに。
涙で文字が滲んで読めなくなるのにボロボロと流れてきたんだ。
その後で家から出てって犯人捜したけど結局見つからず。たぶん捜査は殆ど終わってると思う。
だからこんな事が起こる前に恩返しできるやつは早く恩返ししろってこと
今は父さんに恩返ししてる。文章下手ですまん。
あと飲酒運転とかしてるやつは絶対にするなよ!絶対にだぞ!!
49 :名も無き被検体774号+:2012/05/08(火) 23:55:43.58 ID:wTwy8xet0
50 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 00:03:35.92 ID:eTFI5mmH0
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
51 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 00:11:38.17 ID:cmISSP+e0
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエ○ビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。
52 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 00:13:56.15 ID:cmISSP+e0
友達とちょっと遠くの公園までチャリで遊びに行く事に
なのでおこづかい頂戴って親に言ったら300円しかもらえなかった
皆1000円持ってきてるから1000円頂戴よ!って言ったら
だめって言われて、あとから親の財布から1000円くすねた。
財布に1000円しか入って無かったのに・・・
その当日の朝、靴はいてたらお母さんがきて
もう行くの?しょうがないから1000円あげるね
って言ってきた
でも当然そのその財布には何も入って無くて・・・
ごめんね。お財布に1000円なかったからあげられない。気をつけてねいってらっしゃい
って笑顔で言われた
10年以上経った今でも罪悪感で泣きそうになる
今も描きながら涙出てきた。
お母さんごめんなさい
53 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 00:15:37.73 ID:cmISSP+e0
俺が殺したも同然だった・・・
あの日、俺が楽しみにとってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった
学校から帰り、冷凍庫を開け、アイスを探したが見つからなかった
母親に問い詰めると、弟が欲しがったのであげたと言った
その時楽しみにしていた俺は、すごく怒った
母親に怒鳴り散らし、最後に「死ね!」と叫び、夕飯も食べずに部屋に篭った
それから何時間か経った
俺は寝てしまっていたようだ、が、父親が部屋に飛び込んできたので目が覚めた
「母さんが轢かれた・・・!」
あの時の親父の顔と言葉を、俺は一生忘れないだろう
俺達が病院に着いたとき、母親はどうしようもない状態だと言われた
医者は最後に傍にいてあげてくださいと言い、部屋を出た
それから少しして、母親は息を引き取った
その後、母親があの時間に外にいた事を父から聞いた
買い物に行くと言って出て行き、その帰りに車に轢かれた事
現場のビニール袋の中には、アイスが一つだけ入っていた事
救急車の中でずっとごめんねと呟いていた事
その時、俺のために母はアイスを買いに行って事故にあったとわかった
通夜と葬式の間中、俺はずっと泣いた
そして、今でもこの時期になると自然に涙が出てくることもある
母さん、ごめんな
俺が最後に死ねなんて言わなかったらと、今でも悔やみ続けている
54 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 00:16:51.58 ID:cmISSP+e0
俺が中3の時の話
元々母さんは精神病を患ってた。
でも俺が生まれる何年も前に、ほとんど完治してたらしくて、俺は全然病気の心配何かしてなかった。
そんなある日、母さんが事故にあった。 どうやら曲がり角のところで車に跳ねられたらしい。
幸い命に別状はなかったが右腕と右足がほとんど動かなくなり、さらに動くと首にも激痛が走るらしかった。
元々活発だった母は、動いたり外に出ることができなくなって、段々うつ状態になっていった。
そして、治っていたはずの病魔がだんだんと動き始めた。
そん時は地獄のようだったよ。 俺が今まで見たこと無い母さんが現れるんだ。
毎日毎日、その日によって性格が変わるんだ、 暴れだしたり、かと思えば泣きだしたり、俺に暴言をはいたり…
帰ってきたら母さんが首に縄巻いてんだぜ? 包丁持ってたり、俺に包丁つきつけて
「一緒に死のうか…まさ君…」って言ったこともあった。
ホントに辛かった。
親父は親父で仕事が忙しくて、ほとんど海外にいた。 頼れる親戚も兄弟もいなかった。
おまけに俺は受験だった。 いろんな不安で心が押しつぶされそうになった。
これはさすがに家族には手に負えないってなって、精神病院に入院することになった。
入院先は閉鎖病棟。 面会に行った時、閉鎖病棟の隅っこで小さくなって俺の名前を泣きながら叫んでる母さん見たときはホントに泣きそうになった。
すこしだけど良くなって、母さんが家に戻ってきた。
叫んだりはしなくなったけど、こんどは記憶の感覚がごちゃまぜになった。
中3の俺が2歳になったり、8歳になったり、時には死んだ母さんの弟になったり…
それでも行動的なところだけは昔のままで、歩けないのに歩こうとして転んで血を流すなんてしょっちゅうだっ
た。
普通なら俺がどうにかしなきゃいけないんだけど、どうしても勉強で忙しくて、見て見ぬふりしちまってた…
入試前日、俺が学校から帰ってくると、母さんがいろんなところに擦り傷作って台所になっていた。
足もとには大きな買い物袋…
どうやら買い物行って来て、そこらじゅうで転んで擦り傷作ったらしい。
そしたらさ、色んなとこから血出しながらサンドイッチ作ってんだよ。 俺が小さい頃一番好きだった母さんのサンドイッチ
「まさ君喜ぶかな? まさ君…まさ君…」 って泣きながら俺の名前呼んでんだ…
「明日は一緒に、お出かけしようね」 とか、「明日は運動会だね」とか色々言ってんだよ。
なぜか知らないけど明日は特別な日ってことだけは知ってんだな… とか思いながらさ、
そしたら急に泣き出してこう言うんだ。
「まさ君… お母さんはどうなっちゃうんだろ… まさ君…まさ君…」
ず~っと俺の名前を呼ぶんだよ。 立ってるのも辛いはずなのに、泣きながら…
ホントに切なかった。
次の日、母さんのサンドイッチを持って入試に行ったよ。 昼飯食った後の5時間目の社会。
なんでかわかんないけど眠くなっちまって、一問もとかずに眠っちまったよ。
そん時見た夢はいまでも覚えてる。 俺が母さんに抱きしめられてた夢だった。
母が死んで今日で一年とちょっと。高齢出産だったこともあって、
俺の同年代の友達の親と比べると明らかに年くってた。
俺が「なんでもっと若く生んでくれなかったの!?」と責めたこともあった。
俺が思春期のころとにかく心配性な母がうざいのと、親父には恐くて
何も言えなかったから何でもかんでも
母に当たってた。たくさん文句言って寝ようと自分の部屋に入ったとき
母のすすり泣く声が聞こえたときは自分の不甲斐なさに気付き俺も泣いた。
お母さんが死ぬ時っていつか来るってわかってた。
でも気付いてからは遅いんだよね。そんな俺も今年で23才になる。
20才を迎えたくらいから親孝行したいなって思って
高齢出産だった母に孫の顔を見せてあげたいなって思ってた。
それで、先月生理来ない彼女が病院行ったら子供が出来てたよ。お母さん。
無事に生まれてくれたらいいな。
俺を生んでくれてありがとう。高齢出産だったから辛かったろう。
でも孫の顔見せてあげたかったな。抱かせてあげたかったな。
でももうお母さんの笑顔見れないんだよね。あの笑い声ももう聞けないんだよね。
でも俺少しは一人前の大人になったよ。学歴も無いし給料安いけど
ついに家庭を持つよ。こんな幸せなことってなかなか無いよね。
俺の子供にはお母さんからもらった優しさを少しでも分けてあげたい。
休みの日は子供といっぱい遊ぶ。俺が小さい頃のお母さんよりは
動けると思うよ。なんたってまだ俺若いからね。
お母さんが死ぬ前日に俺に言った言葉。
「今日はお風呂入ってもう寝なさい」
あの時寝なきゃ良かったな。今でも思うよ。一晩中話しとけば良かったよ。
なんで死んじゃうんだよ。お母さん。もっといっぱい甘えとけば良かった。
もっといっぱい話したかった。旅行に連れて行ってあげたかった。
それで美味しい物いっぱい食べさせてあげたかった。
次の日冷たい体に抱きしめても、声かけても何も返って来なかったよ。
お母さん、天国から俺の事見える?
俺の事もう心配しなくていいからね。子供の名前何にしようかな。
お母さんだったらどうする?明日仕事休みだから彼女とお墓参り行くよ。
最後に生きてるとき言いたかったけど言えなかった言葉。
「お母さん、生んでくれてありがとう」
56 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 00:25:02.63 ID:cmISSP+e0
突然の心臓病でなくなりました。その日のことです。
近所のスーパーに勤めていた母ですが、学校から帰ると
勤めを早退した母は床に臥していました。
「お母さん、どうしたの?」と聞くと「心配しないでもいいよ、ちょっと風邪をこじらせただけだから」とか細い声で答えました。
昨日からなにも食べてない様子だったので「なにか買ってこようか」と聞くと
「おまえも今、期末試験中で大変なのに、いいの?」「もしよかったらリンゴが食べたい」「じゃあ、すぐ買ってくる」
リンゴを買って家に着いたとき、母はもう死んでいました。
枕元に、ほんのわずかな時間に、苦しみながら書いた母の言葉の走り書きがありました。
「哲、ひとりになってもお母さんお父さんはいつもおまえを守っているよ ありがとう」
とありました。
私は、それ以来リンゴを見ることもむろん食べることもできなくなりました。
あれから九度目の桜を見る季節がもうすぐやってきます。
私にとっての桜の季節は、ただリンゴをにぎりしめながら泣きつづけた日々の思い出なのです。
58 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 01:03:50.25 ID:Ne8CCyK2O
泣いた泣いた泣いた。朝目が腫れてるわ絶対。
天国のお母さんに喜んでもらえるような素敵な家庭を作って。
幸せになってね。
57 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 00:28:26.85 ID:cmISSP+e0
ちょっとした事で母とケンカした。
3月に高校を卒業し、晴れて4月から専門学生となる私は、
一人暮らしになる不安からかここ最近ずっとピリピリしていた。
「そんなんで本当に一人暮らしなんて出来るの?あんたいっつも寝てばっかで‥ゴミ出す曜日は確認した?朝は起きられるの?火事だけには気をつけてよね?」
事あるごとに聞かされる母の言葉にうんざりして、
ついに今日
「あぁー!もぉーうるさいなあ!!自分で決めたことなんだから大丈夫だって!!わざわざ不安を煽るような事は言わないでよ!!すこしは私の気持ちも考えて!最初っから上手くいくわけないでしょお!?自分の娘ならちょっとくらい応援してくれたっていいじゃん!!!」
と自分でもビックリするぐらい大声で母に怒鳴ってしまった。
はっとして
「やばい!怒られる」と思ったが母は何も言わず、悲しいような怒っているようなどこか複雑な顔をしてそのまま車に乗って行ってしまった。
いつもと違う母の様子に少し戸惑ったが、特に止めもせず、イライラしながらもテレビや携帯を見て一人で適当に時間を潰した。
夕方をすぎても夜になっても母は帰って来なかった。遅い。遅すぎる。
まさか事故にでもあったのか‥?冗談じゃない。それだったら病院から電話があるはず‥
なんて考えていたら外で母の車のエンジンの音が聞こえた。
「ただいまー。」
いつも通りの母の声にほっとした反面、なんでこんな帰りが遅いのか問いただそうとした瞬間、
目の前にやたらと大きな薬局の袋が置かれた。
「何これ?」と母に聞くと、
重たそうなその袋を見ながら
「あんたの薬。一人暮らしするとき薬がなかったら大変でしょう。とりあえず一通りあったもの買ってきたから。あんたはすぐ体調崩すからねぇ。」
頭痛薬、咳止め、湿布や包帯、口内炎の薬、のど飴など袋の中にはありとあらゆる種類の薬が入っていた。
「こんなにたくさん‥」驚いてもうそれしか言えなかった。こんな時間まで私のために母は‥
「一人暮らしかぁー。見送ってやらなきゃいけないのにねぇ。お母さん心配でね、すごく寂しいのよ。
風邪引いた時とか本当はお母さんがそばにいてあげたいんだけどねぇ。」
もうそれ聞いて涙が溢れて溢れて、自分の不甲斐なさと母への申し訳なさで顔あげられなかった。薬だって決して安いもんじゃないのに。
自分の娘を応援しない母親なんて居るはずないのに、なんで気づいてあげられなかったんだろう。もっと応援しろだなんて‥
一番私のことを思ってくれて支えてくれたのは他でもなくお母さんなんだよね。
分からず屋でゴメン。いつもいつもいつもいつもありがとう。
その後、遅めの晩御飯を母と一緒に食べました。
残り少ない母の味をもっと大切にして行こうと思います。
読み辛い長文失礼致しました。
62 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 07:53:04.78 ID:MxmLpVRc0
二十歳でやっと結婚させて貰えて、嫁に指輪とウエディングドレス、それと成人式で着てもらおうと振袖も贈った。
23歳で独立して、金銭的な不自由なんて無いと思えるだけの金額は毎月渡してきた。
それでいい、それだけでいい、それが結婚生活というものなんだと思ってたんだ。なんとなくこのスレ見るまでは。
思い返せば結婚してから15年、一度も「愛してるよ」なんて言葉は吐いたことが無い。
会話すらほとんど交わさなくなってるのに、毎朝弁当は作ってくれるし帰れば風呂の用意もしてくれる。
それが当たり前だと思っていた自分が、情けなくなって泣きそうになった。
だからきちんと思いを伝えようと決心してやっと昨日言えた。
久しぶりに帰ってきた娘と3人で晩飯食ってたときなんだけど、言おうと思ったら何故か涙が出てきた。
それを見つけた娘と嫁が??って顔してたけど、半ば叫び声で「いつもありがとう○○、愛してるよ」と言った。
そしたら嫁号泣、娘も何故か号泣、俺は既に号泣。3人泣きながら飯食い終わった時の娘の一言が効いた。
「私お父さんの子供でよかった」だとさ…
俺はもう何も思い残すことは無い。このスレよありがとう。
64 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 11:48:44.57 ID:JfneUiB7i
待ち合わせた彼女を待ってて見かけたのは、大学生風のカップルだった
男が女の子の正面に立って、何かしきりに手を動かしてた。手話だ
彼はやっと手話を覚えたこと、覚えるのは結構大変だったこと
女の子を驚かせようとして、その日まで秘密にしてたことを伝え、
女の子の方は彼が勉強してることを知らなかったこと、本当に驚いたこと、
嬉しいと思っていることを伝えて、そのうちもどかしくなったのか彼の手を握って
2度3度、嬉しそうにその場でほんの少し飛び跳ねてみたりしてた
悪趣味な盗み聞きだとは解ってたけど、その時ようやく手話を使いこなせる
様になったばかりの俺には、それは例えば外国の街で突然耳に入ってきた
日本語が気になる様に、申し訳ないけどどうしても気になる光景だった
たぶん、俺はにやけてたと思う。怪しい奴に見えたかもしれない。
でも、それは微笑ましくて、こっちまで心があったかくなる光景だった
服の裾が引っ張られる感覚に振り返ると、そこに俺の彼女が来ていた
何を見てたのかとか、顔が嬉しそうだとか、もっとはやく私に気づけとか、
微妙に頬を膨らませて、もの凄い勢いで手話を繰り出す彼女に、
俺は手話でごめんなさいと伝え、ちょっと昔を思い出してたことを伝えた
それでも彼女は少し首を傾げ、その”昔”を知りたそうな表情だったけど、
俺は笑ってごまかした
今目の前にいる女の子を驚かそうと、秘密で手話を勉強してた頃の事だ
……とは、恥ずかしくて言えなかっ
65 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 12:06:47.50 ID:SH8/uBz7i
いいよねこれ。女の子がすごいかわいい
68 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 13:27:32.73 ID:hdblo0lB0
犬 「眠るの!?僕、眠るの!?ねぇ!今!ここで眠る!?」
飼い主「あぁ、眠るよ」
犬 「本当!?大丈夫なの!?ただ疲れただけじゃない!?」
飼い主「あぁ、15年も生きたから大丈夫だよ」
犬 「そうかぁ!僕犬だから!犬だから歳わかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん!でも15年も生きたんだ!そうなんだぁ!じゃぁ眠っていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。いいんだよ」
犬 「よかったぁ!じゃぁ眠ろうね!穏やかに眠ろう!」
飼い主「うん、眠ろうね」
犬 「あぁ!15歳だから大往生だね!ね、ご主人様!」
飼い主「うん。静かに眠っていいよ」
犬 「あぁーご主人様は今ぼろぼろ泣いているよー!笑って見送って欲しいよー!今までありがとねぇー!」
77 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 15:58:22.55 ID:oc+PGbZQ0
え?>>68が青信号犬コピペなのか?
すまん
あ、青信号とやらはいったいどこに絡むのだろう…?
79 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 16:03:38.92 ID:SH8/uBz7i
元は
犬 「渡るの!?これ、渡るの!?ねぇ!信号!信号渡る!?」
飼い主「あぁ、渡るよ」
犬 「本当!?大丈夫なの!?赤じゃない!?」
飼い主「あぁ、青だから大丈夫だよ」
犬 「そうかぁ!僕犬だから!犬だから色わかんないから!」
飼い主「そうだね。わからないね」
犬 「うん!でも青なんだ!そうなんだぁ!じゃぁ渡っていいんだよね!」
飼い主「そうだよ。渡っていいんだよ」
犬 「よかったぁ!じゃぁ渡ろうね!信号渡ろう!」
飼い主「うん、渡ろうね」
犬 「あぁ!信号青だから信号渡れるね!ね、ご主人様!」
飼い主「うん。前見てていいよ」
犬 「あぁーご主人様と僕は今信号を渡っているよー!気をつけようねぇー!」
これなんだ
80 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 16:13:10.55 ID:oc+PGbZQ0
おおっ!!ありがとぉぉぉ(´;ω;`)
毎日、おいしいご飯をくれました。
外で汚れたら、お風呂で洗ってくれました。
いつも、いっぱい遊んでくれました。
たまに、イタズラして怒られました。
けれども、すぐに頭なでてくれて許してくれました。
ご主人様が泣いて帰った時、僕が慰めました。
そしたら、いっぱい僕を抱きしめて、いっぱい泣いてました。
いつも、ご主人様の布団で寝かせてもらいました。
いつも、ご主人様の暖かさが伝わってきました。
僕の体が痛くなって、ご主人様は夜中に走って病院に連れ て行ってくれました。
病院で先生のお話を聞いて、ご主人様泣いてました。
家に帰っても、ご主人様は泣いてました。
だから僕はまた、ご主人様をなぐさめました。
そしたら、ご主人様は僕を抱きしめて、『ごめんねごめんね』っていっぱい泣いてました。
数日後…僕は体が動かなくなりました。
ご主人様は僕を抱きしめて、また泣いてました。
いつもより、いっぱい僕の名前をよんでくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。
僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様、なんで泣いてるの?また僕が慰めました。
僕は…少し眠くなりました…
ご主人様がもっと強く抱きしめてくれました。
ご主人様の暖かさがいっぱい伝わりました。
ご主人様…僕が起きたら、またいっぱい遊んでください。
僕はすごく幸せです。
おやすみなさい。
僕は…眠りにつきました…
70 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 14:26:19.53 ID:5Tonfjeei
私の祖父は無口で頑固で本当にこわくて親戚中が一目置いている人でした。
家に行ってもいつもお酒を飲んでいてその横で祖母がせわしなく動いていた記憶があります。
私が結婚する事になり、ドキドキしながら主人を連れて行くとずっと黙ったままやっと口を開くと「ビールは何を飲むんや?」でした。
その日はなんとか無事に終わり、式の当日終始酒をつぎにまわってた。
その後、子供が生まれ少し育児ノイローゼ気味になった私を見てなぜか毎日孫の世話をしに来るようになった。
当然子供の面倒など見たことないので、する事がめちゃくちゃでイライラしていた私は嫌味ばかり言ってしまった。
2ヵ月後、あまり調子がよくないと言っていた矢先他界した。
なんでもっと優しくしてあげなかったんだろう?
紙オムツの仕方を聞かれて、それぐらいわかるでしょってなんで冷たく言っちゃったんだろう?
あの日、自分でどうにかしようと思って変な形になったオムツが残されてた・・・
その後、毎日つけていた日記が見つかり、式の当日「あのバカ娘がとうとう嫁に行った。最後の挨拶では涙が出た。幸せになれ。」って書いてた。
おまけに家には主人があの日答えた「アサヒビール」が押入れいっぱい詰められていた。
71 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 14:26:29.35 ID:I7qkrRhg0
皆さんのお話を読み、俺が高校生の時に逝った爺ちゃんの事を思い出しました。
乱文かと思いますが綴らせてもらいます。
俺は爺ちゃんにとって4番目の孫でしたが他の孫達は皆地方に住んでいて、自営業の寿司屋を継いだ親父の子である俺を爺ちゃんは内孫として特に可愛がったそうです。
でもまだ俺が小さい頃は、爺ちゃんが苦手でした。
小学生の時、俺は少年ラグビークラブに通っていて毎週日曜日の練習後は仕事で迎えに来れない両親の代わりに爺ちゃんが迎えにきてくれました。
けど昼飯でたまにファミレスなんかに入ると爺ちゃんは昭和初期からの職人気質で(寿司屋の板前です)中々届かない料理にウエイトレスを度々呼んではいつも怒っていました。
その時の爺ちゃんは子供ながらに怒らせちゃいけない存在なんだと思っていました。
ある時、赤いファイアーパターンが自慢のMTBを爺ちゃんが勝手に真っ黒に塗ってしまったことがありました。爺ちゃん曰く、
『赤い自転車なんて女の子の乗り物だぞ!』
らしく、流石に両親に泣き喚いて親父が爺ちゃんをこっ酷く注意したそうです。
普通の祖父なら新しい自転車を買うのかもしれません。けど爺ちゃんは俺を地元の馴染みの喫茶店に連れてってこう言いました。
『俺が死ぬまでお前は此処でアイスくりぃむ食べ放題だぞ!』
あの恐い爺ちゃんがアイスって、可笑しかったのを覚えています。
いつも額に皺を寄せて恐い顔をした爺ちゃんでしたが甘いモノは大好きでその間だけ笑顔になるのが俺自身とても嬉しかったんです。
それと癖なんですが俺は小さい頃から皺などの柔らかい部分を撫でるのが好きで爺ちゃんに逢った時はよく顎下辺りを撫でさせてもらいました。
この時も爺ちゃんは嬉しそうに笑ってくれたんです。
492: 04/26 12:55
中学に入る頃、爺ちゃんは足を怪我して歩かなくなりました。
家族に甘えていたんだと思います、リハビリをしっかりすればまだ歩ける可能性はあったのに爺ちゃんは全然リハビリを受けませんでした。
日に日に身体も衰弱し、入退院を繰り返しました。
俺自身、中学生になってからは色々忙しくなり、あまり爺ちゃん家にも顔を出さなくなりました。
高校の入学式、久々に爺ちゃん家に行った時には爺ちゃんは身体も小さくなり、一歩もベッドから出れない状態になっていました。
自宅療養を願い、もうあまり時間も無いと医者も言ったので週2でヘルパーを頼み、婆ちゃんと一緒に介護をしていました。
あまり喋ることも出来なくなっていて名前を呼ぶのが精一杯という感じです。
それでも爺ちゃんの好きな苺ジャムパンやアンパンなんかを持っていくと爺ちゃんは笑顔になって顎下を指で指してきました。
俺はやるせない気持ちで爺ちゃんの顎下を撫でました。
もっと、もっと撫でてあげたかったよ、爺ちゃん。
春、爺ちゃんの好きな桜が咲いた日の夕方、爺ちゃんは天国に逝きました。
親父に呼ばれて急いで駆けつけて、死に目には逢えませんでしたがその顔はうっすらと、口端を上げて笑っていました。
婆ちゃんが泣きながら俺の手を握っていました。とても、とても強く。
皆で身体を拭いてあげました。
上着を脱がして背中、胸、腕…。俺の番になりました。
その時、初めて俺は涙を流しました。嗚咽も無く、ただひたすら涙だけが頬を伝っていました。俺は握ったタオルを顎の下にもっていきました。
皆が泣きました。俺がその部分を好きだというのは皆知っていました。
俺は涙で前が見えないのにゆっくりと、優しく、あの柔らかい部分を撫でてあげました。
まだ暖かく、爺ちゃんの顎下はとても柔らかかったです。
葬式は自営業の店で上げる事にしました。戦後の焼け野原から築いた場所で還してあげたかったんです。白袴も断りました。
生前爺ちゃんのお気に入りだった茶色のジャケットとストライプの入ったパンツを履かせてあげました。死化粧を施してジャケットを着こなした爺ちゃんは、あの頃の元気な爺ちゃんに戻ったようでした。
72 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 14:26:51.23 ID:I7qkrRhg0
沢山の人が通夜に来ました。親戚、近隣住人、数少くなった友人達、若い頃世話になったというヤクザ者まで、本当に沢山の人が集まりました。
遺影はまだ爺ちゃんが元気な頃に撮ったと思われる写真が使われました。
どうも爺ちゃん自身が用意していたものらしく棚に封筒で包んでしまってあったそうです。ただ何故か荒画質の荒さが目立っていました。
それでも爺ちゃんの表情は、俺の大好きだったあの笑顔でした。
それから数日後、後片付けをしていたオカンから電話があって爺ちゃん家に行きました。するとそこには涙を流したオカンと婆ちゃんと親父がいました。親父が俺に何かを差し出しました。
『見てみろ、お前が、あの爺さんの笑顔を作ったんだ』
俺は差し出されたものを見ました。写真のようでした。
ジャケットを着た爺ちゃんが写ってました。袴を着た幼い俺が写っていました。
俺の七五三の写真でした。爺ちゃんの顔の部分に印がついていました。
遺影に使われた笑顔は、俺の七五三で笑った笑顔でした。
俺は写真を見た瞬間、初めて人前で声を上げて泣きました。
息が出来ませんでした。息の仕方も忘れてただ泣きました。
婆ちゃんが抱きしめてくれました。オカンが手を握ってくれました。
爺ちゃん。俺、出棺の時コンビ二に走ってジャムパンとアンパン買ってきたんだ、天国で売ってるなんて限らないからさ。
爺ちゃん。あの後、喫茶店に行ったんだ、爺ちゃんと一緒に食べた同じ席に座って同じ抹茶アイスを2つ頼んでさ、美味かったろ。
爺ちゃん。最後、あまり行けなくてご免な、優しくない孫でご免な。
爺ちゃん。それでもあんたは、最高の爺ちゃんだったよ。
爺ちゃん。本当に、本当に、有難う。
74 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 15:46:29.39 ID:5KhpVLMPO
78 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 16:00:14.69 ID:5Tonfjeei
某議員サイトでの自衛隊のあまりの叩かれ方に辟易してここにやってきました。
外野でボロカスに言われても、こことか見てると、分かる人は分かってるんだなって思ってほっとしました。
被災したとき、俺はまだ中学生でした。全開した家で、たまたま通りに近い部屋で寝てたので、腕の骨折だけで自力脱出できました。
奥の部屋で寝ていたオカンと妹はだめでした。
なんとかしようにも、あたりも真っ暗、俺も怪我していて手作業ではどうしようもなく、明るくなってからようやく近所の人に手伝ってもらって瓦礫をどけながら、必死で掘り返しました。
でもどうしようもなかった。
半日以上たってから、自衛隊の人を見かけて夢中で助けを呼びました。
数時間以上かけたと思います、自衛隊の皆さんは瓦礫の中から母と妹を救助してくださいました。
残念ながら母も妹はすでに亡くなっておりました。
その後、家は家事で焼け落ちました。
あの時自衛隊の皆さんが来てくださらなかったら、妹の遺骨を焼け跡から拾うことになったのかも知れません。
ボロボロになった妹の体を引きずり出して、「ごめんなぁ」とつぶやいた自衛隊の方の顔を俺は一生忘れません。
あの時は、本当にありがとうございました。
それから、俺の怪我の手当もしていただきました。ありがとうございました。
政治家が何を言おうと、俺達はあのときの皆さんに感謝しています。
本当にありがとうございました。
81 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 16:23:37.12 ID:+CiD/cXji
1から拝読させてもらいました。5つ上の兄の居る妹です
私の家庭環境が>>299に似た状態で兄は高校にも行かず働いて私を高校大学まで行かせてくれました
小中高と保護者参加の学校行事の時は必ず参加してくれて、休みの日はお弁当を作って動物園や遊園地
誕生日には県外に旅行へ連れて行ってもらって、バースディプレゼントも貰ってました
普通の家庭の子供と同じように、多分、それ以上に愛情を注いでもらったと自信を持っていえます
兄に「お兄ちゃん、私も来月から働くんだし大検取って大学行ってみない?私、学費出すよ」と言ったら
兄は笑顔で「俺、頭悪いし勉強嫌いだから止めとくよ。それに今の仕事って嫌いじゃないから」と言われました
嘘。私が居ない時や寝ている間に私の教科書で勉強しているのは知っている
兄に「お兄ちゃん、彼女とか居ないの?」と聞いたら
やっぱり笑顔で「俺、昔からモテないからなぁ~」と答える
これも嘘。毎年、バレンタインデーの前後になると「今日、製菓会社の人が来てさ…」
と、あからさまにラッピングや包装を剥がしたお菓子を沢山持って帰ってくる
そして、必ず一通か二通、外し忘れたラブレターが見つかる
恋愛していたら、お金を稼ぐ暇が無くなる。私を養わなければいけなかったから恋愛する暇も無かった
私が高校生になった時に「最近、物騒だからケータイ持っとけ」と携帯電話を買って来てくれた事や
「オシャレでもして格好良い彼氏でも作って良い恋愛しろよ」と服や化粧品を買って来てくれた事があった
嬉しかったけど素直に喜べ無かった。これを買うお金は一体何処から…?と思ったから
「お兄ちゃん、お金大丈夫なの?」と聞いたら「今日、ボーナスが入ったんだよ」と言われた
最初は鵜呑みにしていたけれど、すぐに嘘という事が分かった。
兄の勤め先にはボーナスを支給する事、事態無かった。
そして、兄の部屋を掃除している時に見つけた一枚の紙切れ「治験ボランティアのご案内」
そして、赤いペンでマークされていた一泊二日 謝礼三十万円
当時は意味が分からなかったけど、今なら分かる。私を「普通の高校生」らしくする為に自分の身を切り売りするような事をしたという事が
治験の意味を初めて知った時、兄に抱きついて一晩中泣き明かした
82 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 16:24:07.21 ID:+CiD/cXji
兄は私の為に嘘を重ねる。以前、兄の親友も交えて一緒にお酒を飲んで酔った二人が
「お前も大変だな!気楽な俺とは大違いだ!お前、辛くないのか!?」
「俺はな。妹の事を愛しているからな!こんな事、何とも無いんだよ!こいつが良い高校、良い大学を出て良い会社にも就職が決まった!
中学を卒業して俺一人でどうにか此処までやってこれたのもこいつに対する愛があるから出来たんだよ!
後はこいつが良い男を見つけて、良い結婚して幸せな家庭さえ築いてくれれば俺はそれで、もう十分満足!幸せだ!
こいつの為だったら、俺は何だってやれるんだよ!俺はこんな立派な妹を持って誇りに思うぞ!」と言って二人で熱く語り出した
私の為だったら何だってやれる。と言うよりもやって来たんだと思う。
私が素直に施設に入っていたら、兄もここまで苦労する事は無かった筈なのに何で、兄一人だけが苦しい思いをしたんだろう
私が居なければ、夜間校や通信性の学校にも行けた筈だし恋愛も出来た筈なのに、何で私一人の為にここまで苦労したんだろう
兄と二人で暮らすようになった時の年齢は15と10当時は未だしも、高校生になっても成人を迎えても私に頼るような事も弱音を吐く事も
無かったのは何故だろう。考えるだけで涙が出てくる
もっと自分を大切にしてよ!!と叫びたくなる事がよくあったけれど、私はこの人が兄で良かった。この人の妹で幸せだったと思う
私が高校と大学に受かった時、一緒に涙を流して喜んでくれた。嬉しい事があれば一緒に笑ってくれたし、悲しい事があれば
一緒に泣いてくれた
中学の時、大きな病気をした時、治るのに一週間かかったのにも関わらず、仕事を休んで着きっきりで看病してくれて辛いけど
嬉しかった。目を覚ます度に兄がすぐ横に居てくれて「大丈夫か?」と額に手を当ててくれた時は本当に心強かった
83 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 16:24:49.50 ID:+CiD/cXji
17の時、兄に一度だけ手を上げられた事がある。クラスの男の子が贈ってくれたプレゼントを換金したからだ
「意外と良い値段で売れたよ!このお金で美味しい物でも食べようよ!」と言った瞬間、兄から平手を受けた
どんなに辛い事があっても何時も笑顔の兄が本気で怒っていた。痛みよりも、恐怖と疑問の方が大きかった
「これを贈った人は、どんな気持ちでお前に贈ったと思う?○○に喜んで貰えると思って贈ったんじゃないのか?
それなのに、お前はその人の想いを踏み躙るような事をしたんだぞ!」
なんて馬鹿な事をしたんだろうと思った。兄に嫌われたとも思ったし、もしかしたら私は捨てられるのだろうかと思った
急に怖くなって来て泣きながら必死に謝っていたら、優しく抱きしめて「痛かったろ?ゴメンな」と謝って頬を冷やしてもらった
安心したら途端、頬が滅茶苦茶痛くなった。冗談で済む程度の報復を考えたりした
しかも、なんだかんだで、そのお金でちょっと贅沢をしたのも今は良い思い出
兄に内緒でバイトを始めた。前にバイトすると言ったら「小遣いが欲しいならやるから、勉強や友達と遊ぶ方を優先しとけ」
と言われたからだ。本当は少しでも兄の負担を減らしたかったから。でも、兄は私に協力させようとはしない
ばれないようにする為に沢山は働けない。それでもこつこつとお金を貯めて、私が初めて自分の力で得たお金で兄に
プレゼントを買った。スーツとネクタイと靴。金銭的な余裕があっても兄なら「いざという時に役に立つから貯めておこう」
と言うのは分かりきっていたから。
兄に「お兄ちゃん、何時も有難う!」と言って渡したら、兄は驚いていた。「そして、これどうしたの?」と聞かれたので
「実はお兄ちゃんに内緒でバイトしてて買ったの。ちゃんと自分の力で買ったんだよ。お兄ちゃんの靴もスーツもボロボロだったから」
と言ったら、兄の表情が硬くなっていた。内緒でバイトしていたから怒られるのかと思っていたら、泣いて喜んでくれた
そのスーツを初めて着てくれたのは授業参観の時。中々、着てくれなかったから凄く嬉しかった
84 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 16:25:20.32 ID:+CiD/cXji
人生を振り返ってみると、兄の存在はとても大きいと思う。もしも、兄が居なければ、あの時、施設に入っていたら
今頃、私はどうなっているのか想像が付かない。
兄に「もし、お母さんが死んだ時に私が居なかったり、施設に入ったりしてたら。お兄ちゃんは今頃、どんな風になっていたと思う?」
と聞いてみた。答えは聞くまでも無い。勤勉な兄だから仕事をしながら学校に行って良い恋愛をしていたに違いない
でも、兄は「父親の事、覚えてる?」と私に聞き返して来たので「覚えてないけど、どうして?」と答えたら
「多分、お前が居なかったら今頃、あの糞親父みたいに酒とギャンブルに溺れて、借金まみれになって人に迷惑をかけまくっていると思う
○○っていう守るべきたった一人の家族が居たから、俺はここまでやってこれたんだと思う。人間、目的無しに生きていける程、
強くは無いからね。お前のお陰で少しも恥ずかしくない人生だったと思うよ。ありがとうな」と頭を撫でられた
来月からは私も社会人になるんだし、兄に恩返しをしていこうと思う。
で…ブラコン撲滅スレなわけですが、もしかして私、ブラコンか!?と思う時が…
普通に彼氏欲しいとか思うんですけど「あ、あの人、カッコイイー♪」なんて思う事はよくあるけど
話してたら、「うわっ、何この人。物凄い子供みたい」「器小さっ!」みたいに思った後に必ず付くのは「お兄ちゃんなら…」
大切な家族。尊敬する人って思っているつもりなんだけど…でも、兄とどうこうなりたいわけでは無いし、性的な魅力を感じるわけでは無いし
兄に恋人が出来て、結婚とかなったらきっと嬉しいと思う。私のせいで今まで出来なかっただけにね
2時間前
兄「あれから12年か…お前も、もう一人前になるんだな~」
妹「大変、お世話になりましたっ」
兄「でも、アレだな。意外と余裕だったな?お前、大学院でも行くか?」
お兄ちゃん…恩を返し切れそうにないですorz
85 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 16:30:32.67 ID:cmISSP+e0
一昨日妹が死んだ。
居眠り運転の車にはねられての事だった。
まだ23歳と若く、これから楽しい人生が待ってたはずなのに。
小さい頃両親が交通事故で無くなり、兄妹離れ離れで暮らさなければ成らなかった。
生活能力の無い俺達にとって、それはごく当たり前の事だったと思う。
俺は17歳、妹は12歳だった・・・・。
俺は父親方の親戚に引き取られ、妹は母親方の親戚に引き取られていった。
2人とも引き取られたのは良いが、やはり他人が家に来ると言う事は受け入れがたい部分も有ったのだろう。
俺はそれ位の事は重々承知している。
ただ12歳と幼かった妹にとっては非常に辛かったと思う。
俺は何とか我慢をして生活していく事は出来た。
ある日、妹は親戚を盥回しされているんではないかと、俺の親代わりの親戚が話をしているのを聞いてしまった。
10 :1:04/06/01 20:47
いてもたってもいられず、その親戚の家に電話をしたら、もう他の家に預けたと言う。
俺がその親戚に「何でちゃんと見てくれないのか?」と問いただしたら、「大人には大人の事情がある!」その一言で片付けられてしまった。
そう言われた俺は、ただただ悔しくて悔しくて泣いた。
自分の無力さを恨んだ。
両親が交通事故で亡くなり、唯一の肉親がたった一人の妹だった。
そんな妹を毎日毎日「泣いてはいないか?」「元気にしてるのだろうか?」と思っていた。
そして俺が高校を出て就職し、21歳で一人暮らしを始めたときに妹に「俺の借りているマンションに一緒に住まないか?」と言ったら、妹はすんなりと受け入れてくれた。
そして一緒に住むことになった夜に、これからとこれまでの生活の事を話し合った。
妹はやはり親戚の家ではあまり良くない扱いを受けていたそうで、俺の申し出を聞いた時、嬉しくて泣いていたと言う。
やっとこの生活から解放されるんだと。
31 :1:04/06/01 22:06
それからの俺の生活は大変だった。
お金が無く公立高校にしか行かせてやれなかったが、普通に高校生として生活させてやりたいと、必死になって働いた。
毎日毎日働いた。
やりたい事もせず、俺の事は置いといて何よりも妹のために頑張って働いた。
こうして妹が高校を卒業して就職が決まり、その日は2人でささやかなお祝いをした。
あの小さかった妹が、大きくなりこうして俺の前で笑ってる。
俺は涙が出そうになった。
その時、妹が、「ありがとう」と言うのが聞こえた。
小さく小さく聞こえるかどうかの小さな声だった。
本当にそう言ったたかどうかは分からないが、その時俺にはそう聞こえたんだ。
そして妹が父の日だからとネクタイをプレゼントをしてくれた。
俺は、なんで父の日にプレゼントなんだよ~って笑って聞いてみたら、「両親が亡くなって、代わりにここまで育ててくれたお兄ちゃんがお父さん代わり」なんだと。
俺は嬉しかった。
両親が亡くなり妹のために何も考えず必死に働いてたから・・・
そういった心から嬉しがる事が無かったから非常に嬉しくて、トイレで妹に気付かれないように声を殺してクゥクゥ泣いた。
ネクタイを締めて見せてくれとせがむ妹に、恥ずかしいからと必死に断わった事を今更遅いが悔やんでいる。
何故あの時見せてやらなかったんだと。
今でも妹のふくれっつらが目に浮かぶ。
86 :名も無き被検体774号+:2012/05/09(水) 16:32:45.64 ID:cmISSP+e0
妹が事故に遭ったとの連絡を会社で聞いた時、最初は何がなんだか理解できなかった。
病院に駆けつけた時には既に息を引き取った後だった。
眠るようにベッドに横たわる妹の顔見た時、俺は嘘だと思った。
何でなんだと。
両親が亡くなり兄妹離れ離れに暮らすはめになり、挙句の果てに親戚に盥回しにされ、邪魔者扱いを受けて暮らしていた妹。
こんなにも不幸な暮らしを受けて生きてきた妹に、やっと見つかった幸せな日々。
「お兄ちゃん、今まで見守ってくれててありがとう。私は十分幸せだから今度はお兄ちゃんが幸せになってね」と言ってくれていた優しい妹に、何でこんな仕打ちが有るんだと!!
俺の幸せなんかお前の後で十分なのに、何でお前が先に逝くんだと・・・・・。
何で両親だけじゃなく、たった一人の妹までこうなるんだと、俺は病室で妹の顔を見ながらそう思った。
俺の幸せなんかお前の後で十分なのに、何でお前が先に逝くんだと・・・・・。
葬式は俺の友人・妹の友人とその彼氏、あと優しくしてくれた親戚の者だけで静かに行った。
たらい回しにした親戚も来ていて「残念な子を亡くしたね」と言った時に俺は怒った!激しく怒った!
小さい頃に邪険に扱っておきながら何を今更と、何であの時優しくせずに今そんな言葉をかけるのかと。
それを言うとその親戚達は何も言わずその場から離れた。
今思えば少し言い過ぎたかもしれない。
でも、その時優しくしてくれてれば、妹はもっとましな人生を送っていたかもしれないと思うと、黙ってはいられなかった。
176 :1:04/06/01 23:47
友人や親戚には言えないのでここで妹の事を少し話したい。
妹は俺が病気の時に必死で看病してくれていた優しい子だった。
妹は辛くっても中々俺に相談しない繊細な子だった。
妹の高校の卒業式には両親の遺影と一緒に参加した
ご飯食べて帰るなら連絡しろって言われた事を忘れて外で食って帰った時には怒られた。
妹に怒鳴りつけて泣かせた事もあった。
妹の帰りが遅いと怒り喧嘩になった。
妹に彼氏が出来たと聞いて複雑な気持ちになった。
妹が泣いてた時も一生懸命話を聞いてやった。
妹との色々と書き込めないくらいの思い出が一杯有った。
これからも喧嘩もしながら兄妹仲良く暮らして行きたかったけど妹はもう居ない。
結婚の挨拶に妹の彼氏が来たら追い返そうと思ってたけど、それすらもう出来ない。
それでも俺は当たり前の事だけど、これから妹の居ない生活を生きていかなければならない。
妹の言葉通り精一杯生き、そして幸せになる事が妹への最高のはなむけになると俺は信じている。
188 :1:04/06/01 23:53
俺は無神論者だけどこれだけは言わせて欲しい。
この世に神様が居るとしたら、あの世で妹が幸せで有る事を切に願う。
来世でも妹に会え、その妹が人並みの幸せな暮らしがしていることを願う。
今度生まれ変わってもまたあの頃と同じ家族で出会いたいと俺は願う。
最後に俺の家族へのメッセージを言わせてください。
お父さんへ
「こんなに立派になりました。妹の事よろしく」
お母さんへ
「あなたの息子は精一杯生きています。先に逝った妹を可愛がってください。」
妹へ
「いろいろと迷惑かけたけど、安心してください。そちらに逝った時にはまた兄妹として仲良くしよう」
最後になりますが皆さんへのメッセージを大きな声で言わせてください
「ありがとう」
89 :名も無き被検体774号+:2012/05/10(木) 11:29:42.41 ID:JOn8h9tu0
その姉ちゃん明日が出産予定日なんだけどな
ここ見てたら家族に優しくしようと思えるわ
91 :名も無き被検体774号+:2012/05/10(木) 11:36:37.70 ID:fiuFu2Zni
土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。
当時俺25歳、嫁33歳、娘13歳。
まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。
娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。
子供はあえてつくらなかった。
収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、
子供は娘1人いればいいって事になった。
突然嫁が交通事故で逝った。
娘17の時。
突然2人きりになった&現実味がなくて二人して呆然。
これからどうしようと思った。
生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りは出来た。
何の問題もないはずだったけど、嫁側親戚が騒ぎ立てた。
そらそーか。
血の繋がらない29の男と17の女。
ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。
「あなたはまだ若いんだから」とか、
「再婚するにも子供がいちゃ・・・しかも自分の子供じゃないのに・・・」
とか、散々言われた。
でも、俺は間違いなく娘は俺の娘だと思ってた。
何よりも、嫁のたった一人の忘れ形見だ。
俺が育てて行く以外の選択肢は全く頭になかった。
そんな親戚の騒ぎは右から左に流した。
娘も「今更こんな足の臭いオッサンとどーにかなるかw」と笑ってた。
当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。
92 :名も無き被検体774号+:2012/05/10(木) 11:37:00.14 ID:fiuFu2Zni
三者懇談や進路面談で学校に行くと、必ず教師に変な顔をされた。
部活で遅くなった娘を迎えに行って「お宅の生徒が円光をしている」と
近隣住民から学校に通報された事もある。
それでも2人で暮らして来た。
再婚なんか考えた事もなかった。
それくらい娘には穏やかな、幸せな時間を与えてもらってた。
娘に話があると言われた。
「結婚したい人がいる。」と。
娘は25になってた。
俺が嫁と結婚したのと同じ歳。
正直複雑な心境だった。
次の日曜に相手の男に会った。
娘を見る目が優しかった。
こいつなら大丈夫だと思った。
安心した。
諦めもついた。(笑)
あっという間に披露宴だ。
「お母さんが亡くなった時、本当にどうしようかと思った。
お父さんはまだ若かったから、私がいたら絶対に足枷になると思ってた。
だから、これからも一緒に暮らすのが当たり前みたいな態度でいてくれたのが
本当に本当に嬉しかった。
私のお父さんは、お父さんだけです。
今まで本当にありがとう。
お母さんが亡くなってからも、今までずっと幸せな子のままでいられたのは
お父さんがお父さんだったからです。」
娘がしゃくりあげながら読む花嫁からの手紙を聞いてたら
バージンロード一緒に歩いてた時点で必死で堪えてた涙がどっと溢れた。
93 :名も無き被検体774号+:2012/05/10(木) 11:37:28.07 ID:fiuFu2Zni
「ぱんつ」「しゃつ」「とれーなー」「くつした」とか書いた紙をはっつけていった。
そこまで俺自分で何も出来ない父親かよwww
しかも平仮名www
近いうち娘に良く似た孫とか出来ちゃうんだろうな。
そんで「俺まだじーちゃんとかいう歳じゃねーし」とか言っちゃうんだろうな。
俺、間違ってなかった。
大変だったけど、父親って立場、選んでよかった。
嫁と結婚して良かった。
娘の父親になって良かった。
1人になって部屋は何か広くなっちゃったけど。
微妙な抜け殻感は否めないけど。
今度はいつか生まれて来る孫の為に頑張ってみようかな。
95 :名も無き被検体774号+:2012/05/10(木) 13:36:23.45 ID:V0+0IHHbi
96 :名も無き被検体774号+:2012/05/10(木) 13:53:09.54 ID:jzIG5agci
俺はセイコーマートで働いて三年目になる。いつもくる小さな子の話を一つ。
その子は生まれつき目が見えないらしく白い杖をつき母親と一緒に週に二、三度うちの店を訪れる客だった。
ある日、その子が一人で入口の前に立っている。入口のドアが引くタイプだったので俺はドアを開けてあげようとした。
その瞬間!同年代らしき糞ガキ二人が「お前さぁ、目見えねぇんだろ?素直に親帰ってくるまで家でおとなしく留守番でもしてろよ。バカだなぁ」といった。
さすがに俺も障害をもった人間に冷たくする人間は許せなかったので入口に向かったその時!
ガキの片方が「ほら、先に入れよ。ドア開けといてやるからよ。」と言った。
そしてその子の手をつなぎ、「何買いに来たんだ?」と二人組の片方が言うと、その子は「お母さんがすごい熱が出てるの。だから水枕に入れる氷買いにきたの。」と言った。
そして俺がレジで「398円です。」と言うと、二人組が「いいよ。俺が出しといてやるよ!そのかわりお前のお母ちゃんがよくなったら俺たちと遊べよな!」といい会計をすました。
そしてきっとその子の家までだろう。片方が氷をもち、片方はその子の手を繋いで帰っていった。
小さな子ども達の友情に感動!
100 :◆efQmQvotwQ:2012/05/11(金) 12:26:16.57 ID:l1w9aIYlO
どうして私が悪いのにケンカになると先に謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしてお小遣減らしたのに文句一つ言いませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして交代でやる約束した洗濯をし忘れたのに怒りませんか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして子供が出来ないのは私のせいなのに謝りますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして自分が体調悪い時は大丈夫だと私を突き放して私が倒れると会社休んでまで看病しますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして妻の私に心配掛けたくなかったからと病気の事を隠しますか(゚Д゚)ゴルァ!
おまけにもって半年とはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
長期出張だと嘘言って知らない間に手術受けて助からないとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で俺の事は忘れていい男見つけろとはどう言う事ですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちの気持ちは無視ですか(゚Д゚)ゴルァ!
正直、あんた以上のお人よしで優しい男なんか居ませんよ(゚Д゚)ゴルァ!
それと私みたいな女嫁にすんのはあんた位ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
もう一つ言い忘れてましたが私、お腹に赤ちゃん出来たんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたの子供なのに何で生きられないのですか(゚Д゚)ゴルァ!
そんな状態じゃ言い出せ無いじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
それでも言わない訳にはいかないから思い切って言ったら大喜びで私を抱きしめますか(゚Д゚)ゴルァ!
101 :◆efQmQvotwQ:2012/05/11(金) 12:27:58.28 ID:l1w9aIYlO
元気な子だといいなぁってあんた自分の事は蔑ろですか(゚Д゚)ゴルァ!
病院で周りの患者さんや看護婦さんに何自慢してやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
病気で苦しいはずなのに何で姓名判断の本で名前を考えてやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうして側に居てあげたいのに一人の身体じゃ無いんだからと家に帰そうとしますか(゚Д゚)ゴルァ!
どうしていつも自分の事は二の次何ですか(゚Д゚)ゴルァ!
医者からいよいよダメだと言われ泣いてる私に大丈夫だよとバレバレの慰めを言いますか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちはあんたとこれからも生きて行きたいんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
それがもうすぐ終わってしまうんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
バカやって泣きそうな私を包んでくれるあんたが居なくなるんですよ(゚Д゚)ゴルァ!
忘れろと言われても忘れられる訳ないでしょ(゚Д゚)ゴルァ!
死ぬ一週間前に俺みたいな奴と一緒になってくれてありがとなですか、そうですか(゚Д゚)ゴルァ!
こっちがお礼を言わないといけないのに何も言えず泣いちまったじゃないですか(゚Д゚)ゴルァ!
あんなに苦しそうだったのに最後は私の手を握りしめて逝きやがりましたね(゚Д゚)ゴルァ!
何で死に顔まで微笑みやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!(゚Д゚)ゴルァ!
そんなのは良いから起きて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
生まれてくる子供を抱いて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
子供に微笑みかけて下さい(゚Д゚)ゴルァ!
たのむから神様何とかして下さい(゚Д゚)ゴルァ!
ダメ女な私にこの先一人で子供を育てろと言いやがりますか(゚Д゚)ゴルァ!
そんなあんたが死んで5ヶ月…
子供が生まれましたよ(゚Д゚)ゴルァ!
元気な女の子ですよ(゚Д゚)ゴルァ!
目元はあんたにそっくりですよ(゚Д゚)ゴルァ!
どこかで見てますか(゚Д゚)ゴルァ!
私はこの子と何とか生きてますよ(゚Д゚)ゴルァ!
あんたも遠くから見守って居てください。
103 :名も無き被検体774号+:2012/05/11(金) 15:00:01.32 ID:MhM/7vS90
ある日目が覚めると俺の体が全身落書きだらけで泣きながら「姉ちゃんに落書きされた」と訴えると「足の裏はお母さんです。可愛く描けたと思っています。」と応えたカーチャン
うつ伏せで寝てるとカンチョーしてくるカーチャン
俺が車に轢かれそうになった時に悲鳴をあげながら庇ってくれたカーチャン
俺の代わりに轢かれたカーチャン
なぜか無傷のカーチャン
職場でいじめられて「たっくんがいじめられてたとき助けてあげられなくてごめんね、一人じゃどうしようもないものなんだね。」と謝ってきたカーチャン
新しい職場では無駄にもててたカーチャン
引篭った俺を外に出そうとお出かけに誘ってくるカーチャン
断ると悲しそうな顔をするカーチャン
気まぐれでOKするとちょっと驚くくらい喜ぶカーチャン
明日お弁当作るから公園で食べようねと笑顔のカーチャン
次の日「お弁当ができたら呼ぶから準備しておいてね」と言ったまま呼びに来なかったカーチャン
見に行くとキッチンで倒れてたカーチャン
もう会えないカーチャン
最後まで迷惑かけて心配かけてたけど大好きだったカーチャン
104 :名も無き被検体774号+:2012/05/11(金) 15:14:23.46 ID:zF4J8Vvy0
109 :名も無き被検体774号+:2012/05/11(金) 20:09:57.70 ID:w7EHUqMiO
115 :名も無き被検体774号+:2012/05/12(土) 19:38:47.63 ID:6DWQpSX7O
これから買い物行く予定なのに
116 :名も無き被検体774号+:2012/05/12(土) 21:25:48.70 ID:aHRIQSjR0
私も
母の日だし、お母さんに何かしよう
永遠なんてない
125 :名も無き被検体774号+:2012/05/13(日) 02:09:25.71 ID:6gHVu47GO
私が2歳の時に家出て行ったきり会ってないから顔も覚えてないし、記憶もないwwwwwwww
子どもの頃、寂しくて寂しくて住所も分からないのによく母親に手紙とか書いてたわwwwwwwww自分バカスwwwwwwww
そのたびに、ばあちゃんや親戚が「お前は捨てられたんだ」とか言うから、手紙書くのやーめたwwwwwwww
でもやっぱり寂しいとかどんだけ寂しがり屋さんだよwwwwwww
寂し過ぎてこんな思いさせてる母親が憎くて仕方なかったわwwwwww
「お母さんがお前に会いたがってる」って兄ちゃんに言われたとき、
私「は?今更会いたくなんてないわwwwwwww私に母親なんていねえしwwwwwww」って言ったら兄ちゃんすげえキレたwwwwww
女なのにグーで殴られたぞ、おいwwwwwwwww
そんで兄ちゃん言うんだよ「1回会ってみろ、それでも母親と思えないならこれ以上何も言わないから」だってwwwwww
殴られたくないから渋々会いに行ったわwwwwwww
約束の場所にいったら小学生ぐらいの男の子となんか普通のBBAがいてさwwwwwwwww
私に気付いたガキがこっちに走ってきて
126 :名も無き被検体774号+:2012/05/13(日) 02:16:07.99 ID:6gHVu47GO
うっはwwwwwwww再婚してらっしゃるーーーwwwwwwww
そう言ってガキが私の手を引っ張って母親の所に連れて行ったんだけどwwwwwwちょ、まだ心の準備がwwwwww
なんて思ってたけどさwwwwww母親が持ってた袋の中身見たら涙腺がいきなり故障したわwwwwwwww
袋いっぱいにあたしが小さいときに好きだったアメが入ってやがんのwwwwwww
私が泣くといつも口に入れてくれたアメwwwwwwずっと親父だと思ってたらwwwwwwwwおまえかよwwwwwww
そしたら、母親も泣き出しちゃってさwwwwwwwww
「会いたかった。私が好きなもの買って行こうと思ったけどお母さんには小さいときの私しかわからないから、だからあの時好きだったアメしか買えなかった、ごめんね。」だってさwwww
私、二十歳越えてるっつーのwwwwwwバカかwwwwwww
再婚相手との間の子どもの名前に私と同じ漢字使ったりwwwwwwwwアメ馬鹿みたいに買ってきたりさwwwwwwwまるで私ちゃんと愛されてたみたいじゃんかよwwwwwwwww
しょうがねえから言ってやったよwwwwwwwww
母の日だしなwwwwwwww
「私もずっとずっと会いたかったんだよ。お母さん」
駄文長文スマソ(´・ω・`)
コピペじゃなくて申し訳ないけど、なんか誰かに聞いてもらいたくてさwwwwwww
泣けるような話ではないけどさ、なんかはじめてお母さんっていいなって、すげえなって思えたよ。
コメント (7件)
管理人さん、こういうのをまとめて本にしたらいいと思う。あるいはそういった運動をすべき。
日教組に潰された「道徳」というものを取り戻せるだろうし。
。・゜・(ノД`)・゜・。
>>106
俺のカテキョの先生は前期落ちて後期岐阜大学の医学部受かったぞ。
勝手に決めるなはげ
本文>>126
この人はよっぽどのお人よしか馬鹿なんだな
自分も父子家庭だけどこんな感情なんて1ミリも浮かばんわ
小学校2年でいなくなって恨み辛みしか抱いたことないな
そんなに良い母親なら捨てたりしないよ
ちょっと優しくされたからドッキュンですか
詐欺とかに引っかかりやすいタイプだな
私にも兄がおりますし、仲は良いですが彼氏と兄を比べるコピペが鳥肌立つぐらい気持ち悪い。
一泊2日で30万も貰える治験があったら俺がやりたいわ。
でも知らないコピペ結構あって良かった。
いい人間に恵まれたやつらの自慢話じゃん