鼻をほじりながら通貨を発行する
突然ですが、この地球上にはどれだけのお金があるでしょうか?
ある統計によると、ざっくり90.4兆ドル。日本円にすると、およそ1京円(1ドル110円換算)とのこと。ソースは こちら。
いやー、すごい額ですな。
世界には、1京円分の紙幣や硬貨が流通しているということになる…かというと、どうやらそういうわけではありません。
地球上に流通している流通している現金(紙幣と硬貨)の総額は、おおよそ836兆円。お金の全体からしたら、1割にも満たない量です。
マネーのかたち
んん?
現金が1割しかない?
なら残りの9割のお金って、いったい何なのでしょうか?
答えを先に言っちゃうと、この9割のお金は銀行がチャチャっと創ったお金なのであります。
な何を言ってるのかわからねーと思うので、順を追って考えてみましょう。
金庫の現金は誰のもの?
まず、あなたが1万円の現金を銀行に預けたとします。
すると当然に、通帳に「1万円」と記帳されることになります。
この時あなたが預けた1万円札は、銀行の金庫にしまわれます。
ここで質問。
この金庫の中の1万円札は、いったい誰のものでしょうか?
常識的、直感的には、この1万円札は銀行のものっぽく感じます。
1万円分の預金の裏付けが、この1万円札なのだから、銀行のものに決まっています。
ところが、こうした認識は実は根本的に間違っています。
銀行の金庫にしまわれている現金。
これは、本当は「誰のものでもない紙切れ」に成り下がっているのです。
健全な雀荘
な何を言ってるのかわからねーと思うので、ちょっとここで、銀行のやっていることを雀荘経営に例えてみましょう。
ざわ…
日本において、賭博は違法ですね。
麻雀は広く人々に愛されている奥深いゲームですが、それでもやっぱりお金を賭けたら違法です。
そこであなたは、麻雀普及活動の一環として、お金を賭けない地下雀荘の運営に乗り出すことにしました。
コンセプトは、「健全」。
あなたの健全な地下雀荘では、本物のお金の代わりにペリカ をやり取りします。
このペリカは地下雀荘の中でのみ通用し、換金はNG。
新規のお客さんは、店から9万1000ペリカを受け取り、そのペリカを賭けて麻雀を楽しむのです。
ペリカを店外へ持ち出すのは不可とし、麻雀が終わって帰る際には、残ったペリカを再び店に預けて代わりに預かり証を受け取ります。
この預けたペリカは、次回来店時に再び、預かり証と引き換えに引き出すことができます。
ざわ…ざわ…
この地下雀荘の開店準備にあたり、市場調査を行った結果、1日に見込まれるお客さんは、だいたい100人くらいでした。
ここで、話を単純にするために、次のような条件を設定してみます。
・お客さん同士で勝負し、店側は参加しない。
・毎日10人、新規のお客さんが来る。
・1日に来店するお客さんは100人。
・お客さんの実力はだいたい拮抗していて、大勝ち大負けはしない。
この条件で100日間営業してみると、あなたの雀荘のペリカはどのような状況になるでしょうか?
ざわ…ざわ…ざわ…
まず、1日のお客さんは100人なので、本物のペリカ札は9万1000ペリカ×100人=910万ペリカ分の札を用意すれば十分。
開店準備の際、あなたは念のためその倍の1800万ペリカ分のペリカ札を用意していました。
一方で、毎日10人、100日間累計で1000人の新規のお客さんが来てくれたため、あなたがお客さんに渡したペリカは、9万1000ペリカ×1000人=9100万ペリカになります。
本物のペリカ札は1800万ペリカしかないのに、お客さんに9100万ペリカものペリカを渡してしまったのです。
しかしそれでも、雀荘の運営に支障はありません。
1日のお客さんが100人である限り、本物のペリカ札が1800万ペリカ以上引き出されることは99.9%あり得ないのです。
ペリカはどうやって生まれた?
さて、100日目の夜。
雀荘を閉めたあなたの手元には、1800万ペリカ分のペリカ札しかありません。
しかし、この雀荘に流通するペリカは、9100万ペリカにも上ります。
では、この9100万ペリカは、どのようにして発行されたのでしょうか?
答えは明白です。
あなたが仕事終わりにビールを飲みながら、帳簿にチャチャっと数字を書き込んだことによって生まれたのです。
地下雀荘のオーナーであるあなたは、そのペン先だけで、なんの裏付けがなくとも、ペリカを自在に発行する力を持っているのです。
となると、1800万ペリカ分の本物のペリカ札は、いったい何なのでしょうか?
発行されたペリカの総額は、9100万ペリカ。それに現物の1800万ペリカを加えた10900万ペリカが、雀荘に存在するペリカでしょうか?
それはおかしいですね。
あくまでも、雀荘に存在するペリカの総額は9100万ペリカのはずです。
とすると、閉店後に戻ってきたペリカ札は、額面こそ1800万ペリカと書いてありますが、その価値は0ペリカと考えるべきです。
つまり、返された途端にペリカ札から価値は抜け出て、単なる紙切れに成り下がったのです。
ペリカ札
そして翌朝。
再びお客さんがやって来て、次々にペリカを引き出します。
この時、帳簿上の預かりペリカの枚数が減り、代わりにペリカ札がお客さんの手元に渡ってゆきます。
空っぽだったペリカ札に乗って、本物のペリカが帳簿からお客さんの手元へと移動していくのです。
こうして考えてみると、我々の直感とは異なる現実が現れてきませんか。
お客さんからしてみると、ペリカ札は正真正銘、本物のペリカです。
しかし、雀荘のオーナーであるあなたにとって、ペリカ札はあくまでも営業中のみペリカになるだけの、本物のペリカを運ぶ「入れ物」に過ぎません。
本物のペリカはあくまでも、あなたが鼻をほじりながら、帳簿にチャチャっと書き込んだ数字なのです。
キャッシュレス雀荘
やがて時が経つと、お客さんはめんどくさがって、いちいちペリカ札を引き出さなくなっていきます。
一回一回、本物のペリカをやり取りするのは手間。
そして、帳面だけでペリカの数字をやり取りし、最後に精算したペリカの増減だけをあなたに伝えるようになっていきます。
ここに至って、ついに帳簿上のペリカは、物理的なペリカ札を必要としなくなったのであります。
銀行の場合
あなたが経営する地下雀荘では、ペリカ札が1800万ペリカしかないのに、9100万ペリカが流通していました。
そして、最終的にはペリカ札が0でも成立するようになってしまいました。
なぜこれが成立するかといえば、「本物のペリカ」とは、あなたが鼻をほじりながら、チャチャっと帳簿に書き込んだ数字の方だからであります。
ペリカ札は、お客さんの手元にある時はペリカとして振る舞いますが、本質的には本物のペリカの「仮の入れ物」に過ぎないのであります。
この関係性を、銀行に当てはめてみましょう。
すると、帳簿上のペリカは銀行預金に、ペリカ札は現金に、それぞれ対応させられそうです。
信用創造
銀行は、流石に現金をタダで配るなんてことはしてくれません。
しかし、例えば融資をする時。
現金をドサっと目の前に用意するなんてことはありません。
普通は、預金口座の残高を増やすことによって、融資を完了します。
融資は帳簿にチャチャっと金額を書き込んだ(記帳した)だけで、完了するのです。
そして、そこに現金の裏付けなど存在しないにも関わらず、そのチャチャっと書き込んだことによって0から生み出された預金残高は、正真正銘のお金なのです。
我々の地球では、現金が836兆円しかないのに、1京円ものお金が流通しています。
この1京円のうち9164兆円は、こうして創造された銀行預金なのであります。
そして、836兆円の現金は、市中に出回っている時はお金として振る舞いますが、一度銀行の金庫に戻ると、雀荘のペリカ札と同じように、ただの紙切れに成り下がってしまうのです。
狐につままれたようなカラクリですが、これこそが、銀行の最重要業務である「信用創造」というテクニックなのです。
詳細は次回。
参考文献・サイト様
Bank of England “Money creation in the modern economy”
経済学を疑え!!←大変勉強になりました。
シェイブテイル日記 すべては銀行の信用創造行動から始まる
コメント (36件)
>開店準備の際、あなたは念のためその倍の1800万ペリカ分のペリカ札を用意していました。
>一方で、毎日10人、100日間累計で1000人の新規のお客さんが来てくれたため、あなたが支給したしたペリカは9万1000ペリカ×1000人=9010万ペリカになります。
>本物のペリカ札は1800万ペリカしかないのに、お客さんに9010万ペリカものペリカを配ってしまったのです。
ここ一瞬分かりにくい
そもそも、
×9万1000ペリカ×1000人=9010万
○9万1000ペリカ×1000人=9100万
という具合にかけ算を間違っていましたので、いろいろ修正しました(ノ∀`)
>まず、1日のお客さんは100人なので、本物のペリカ札は9万1000ペリカ×100人=901万ペリカ分の札を用意すれば十分。
この時点で既に計算が間違っている。91000ペリカ*100人=910万ペリカ分
>あなたが仕事終わりにビールを飲みながら
記事が更新されたっ…!ありがてぇっ…!キンキンに冷えてやがるっ…!
特定のペリカ札を回してつかっても
お客の数は決まっていてさらに客はそのお札を返さないといけないから
一日に使われる限度額は発行したペリカ札を超えない。
また、帳簿上ペリカの総量が増えても問題ないってことか。
この例が銀行に遠からず当てはまると・・・なるほど。
いつもながら勉強になるなあ。次回はよ。
この地下雀荘で一斉に取り付けが起こったら…
火事で帳簿が焼けてしまったら…
銀行の信用創造は最悪の詐欺行為だ!許せん!
と、騒いでた人はどこに行ったのだろうか?
ごめん。前から思ってたけど、このシリーズつまんないわ。
これから偉そーな人が上から目線で延々と語るよー
更新お疲れ様です~いつも楽しく見せていただいています。
これ書いて何がしたいの?
しゅごいでちゅねーって褒めてほしいの?なにも面白くないぞw
こういう部分をつついて貨幣経済は遠からず崩壊するのだ!とか喧伝して信者を集めてる人がいる
親族がそういうのに嵌っちゃってて困ってるわ
ペリカは店内でしか通用しない、だからこれは成り立つのは判るんだけど
日本銀行券は日本がその信用を補背負いしていて、店外にも持ち出せるよね?
ペリカがそうなると、ペリカの数が絶対に足りなくなる
なのでこの続きに希望
僕みたいな馬鹿でもわかるように説明してほしいな
手形交換所のおかげやろ
おもしろい!
全ての通貨はそもそも基本的に仮想であるという話ですな。
一京っていうとすごくあるような感じするけど兆の一個上でしかないからあんまりたくさんあるって感じしないなあ
穰くらいあるならまあたくさんあるなあとは思ったのに
お金ってあんまりないのな
元は幾らでも刷れると思って発行したら潰れたんだよな
ジンバブエもハイパーインフレになったし
何らかの信用の裏付けは必要じゃないかな
>>14
単純に銀行にある全ての預金を全て現金化は出来ないって話じゃないの?
銀行業って金を預かる金庫番だけだと稼げないから融資という金貸しで営業してる
んでその資金は他人の預金を一時的に勝手に使ってるわけだから金庫に現金は半分も存在してない
糞の役にも立たない宝石なんて石ころに価値がある世界だから破綻してると思うけどなあ
宝石で魔法が使えるなら理解できるんだけどさ
つべで
お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム
を検索してみ
実際に噂がもとで地方銀行が引き出し騒ぎになって潰れたところが出たよね。信用がなくなれば数字だけのお金は消えちゃうのかな?
あと別の話だけどポイントって私企業が勝手に通貨発行してるのと変わらんと思うんだけど・・・。こっちは物を買ったり換金したりできるし。一兆ポイントをどーんと付与して国中にばら撒いたりしたらどうなるの?
※22
それはその会社が勝手にタダで商品配るのと変わらないから、会社が倒産して終わりじゃね
※23
会社の規模が駄菓子屋さん程度なら一瞬でポイント全部使われて終わりだけどイオンとかトヨタぐらいの規模ならポイント全部使われるのに何年もかかるし、もらった全員に一度にポイント使われることもないからこの記事で言う「ちょちょいと鼻をほじりながら書いた~」効果でなにか天災じみた破綻でその企業が潰れるまで誤魔化し続けれるんじゃないかなー?
>地球上に流通している流通している現金(紙幣と硬貨)の総額は、おおよそ836兆円。お金の全体からしたら、1割にも満たない量です。
ん?1京は1000兆でしょ?
8割あるぞ?
>>25
多分1万兆円(小並感)だと思うんですが
>26
ほんまや・・
俺馬鹿すぎる・・
貨幣の本質は価値!
その価値を何に見いだしたかによって言い分けるんだから、金属主義とか表券主義は×
つまり、×金属主義→○素材主義
×表券主義→○信用主義
残念ながら今回のシリーズは前回邪馬台国の話題に比べると下火だねぇ。
いや前回が異常だっただけか、あれは。
貨幣と通貨は意味が違うからな
貯金とか株式、有価証券、いわゆる金融資産とは実は富ではない。これら富とは債権、貸し。つまり貸しとは将来的にその貸しが支払われることを期待できるものであるが、現在は当然、未来実態経済が贖える量をはるかに超える信用創造がつみあがっている。つまりその富とは名目上のものに過ぎず富としての実態のないものが、仮想の通貨、経済の血液として回っている。
誰かの誰かに対する貸しが、擬似通貨として蓄積の増減することによりわかることは、経済が成長していれば蓄積は減少し、経済世界を怒涛のように流れるが、経済が停滞すると、その蓄積が増大し、特定少数のもとに蓄積する。これは陰謀でも、金持ちが優秀だからでも、はたまた資本主義の不公平ゆえでもない。富がリスクを嫌い、保身に走り、有効に再投資されていないということ。これは技術革新が停止し、もはや経済を前に進める力を、経済自体が失っているからにほかならない。これはよく言われる分配の問題とかでは解決できない。
つまり世界の富裕層に富が集中しているとは、世界経済がしにかけているということである。
思うに
経済を成長させる上で最良なことは、リスクをとり、何がしかの実態としての新しい、富、商品、サービスをつくり出した企業が対価として富(貯金)を生み出し、その富(貯金)が有効に貸し金として新しい産業、技術、商品、サービス、つまり富を再生産するというサイクルが継続されること。
次に良いことは、リスクはとらないが、労働者がその生み出した労働の対価としてえた富を蓄積し、それが貸し金として再投資され、また消費することによりそれがまた次の消費へと連鎖すること。
公共事業については、そのつくり出す公益性がいかなる生産性上昇を社会に与えるが測定が難しく経済波及効果が低い(新しい価値創造につながらない)、それでも、国債を発行することにより、なんらかの経済活動がないと崩壊する運命にあった富(貯金)が生存を継続でき、労働者に賃金を払い消費のサイクルの継続が維持される。
最悪なのが社会保障。なんら価値を生み出すことなく通貨を得、モラルの崩壊した状態で消費し、国家、経済のマイナスとして存在し、国家のリソースは有限で、予算が決まっているので経済成長と同期して額が拡大しさらに経済成長の寄与する、と言ったことなく、小額消費しただけで終わってしまい、なんら未来にはつながらない。
よく言われる偏在する富の分配は誤り。仮に偏在する富を貧民にすべて配っても経済は成長するどころか、停止、後退するであろう。経済の成長とは消費ではなく、技術革新、それに蓄積が運用され、運用の過程で労働力が投入されること。しかし相対的にその三要素が停滞、減少、衰退し、消費だけ伸びるとは、極論すれば、だれも価値を生産せず消費することしかしないからである。
産業が崩壊した状態で、消費だけ伸びれば、全ての供給は安い海外が行うことになり、日本の産業発展になんら資することはない。そして権力が凶暴(金持ちへの増税、資産課税)に乞食に撒き散らされ無駄に食い散らかされた蓄積を失い、将来における産業発展の重要な要素を日本は失うことになる。
そして現在の富(貯金、金融資産)と言われているものは経済活動があって初めて成立する。つまりそれが支払われ対価を得る時点で初めて意味があり、使われない債権の山があってもまったくナンセンス。つまり金もちが債権の山の上に乗っかっていることは大英帝国がその絶頂期の終末と同様なことが今世界経済に起こっているということ(金融資産の停滞、金融資産の死産化、経済の停滞、崩壊)。
※32
>実態としての新しい、富、商品、サービスをつくり出し
言うは易しでなぁ…
しかも案ずるより産むが易しとはいかない。
これを成功させた者が歴史に名を残したりするだけにどれだけ困難なのか明白というものだ。
シナの高度成長を持ち上げるものがいるが、シナの経済成長は何も経営者が能力があるからではない。地域格差、技術格差、資本の流入などを利用したもの。つまり奴隷植民地経済。
すべての経済成長は技術革新がその正体であり、シナはすべてパクリで実際オリジナルの技術は存在しない。つまり奴隷植民地が成長が停滞した先進国との格差を利用して奴隷労働を内的に行わせ利益を出しているにすぎない。実は米においても名目上のGDPをブラックマンデー以降二倍に押し上げたIT革命も、内容は技術革新ではなく地域的格差による利益確保をより広範囲に行うことを原則としており(従来の流通、サービス、娯楽などをネットに組み合わせただけ)世界はなんら経済的に成長していない。同一の商品、サービス、法人、株価に対し数字のゼロが増え、裏付けのない信用創造だけが膨張。
結果従来のサービス、小売り、流通が崩壊したが、比較するにそのマイナスを上回るプラスの利益は社会全体では得られてはいない。うわべだけのGDP成長、数字のゼロの増加に反し世界は貧しくなっている。
まだ、やってたのここ
前の糞まとめに戻した方がマシだって
キチガイ