死後の幸せを手に入れる方法www
皆さんは神様の存在を信じますか?
人間は、この世に宗教という概念がある限り、神様を信じるか信じないか、どちらかに賭けざるを得ません。
信仰を持ってる人もいるでしょうし、無神論者もいるでしょう。
「宗教なんて興味無いよ」「神様なんているわけないじゃん」という人は神様が存在しない方に賭けてると言えますし、「神様を賭けの対象にするなんて!」と怒っちゃう人は、神様がいる方に賭けてます。
それで、まあどちらに賭けるかはその人の勝手なんですが、これは「パスカルの賭け」と呼ばれる思考実験です。
考える葦で有名なあのパスカルね
パスカルの結論は、神様を信じた方がぜったい得!との事です。
考え得るパターンは4つ。
②神様を信じる-神様は存在しない
③神様を信じない-神様は存在する
④神様を信じない-神様は存在しない
このうち、
①は大当り。天国で幸せに暮らします。
②は残念。でもまあどうせ死ぬわけだしあんまり損はしません。
③は最悪の結果です。地獄で永遠に苦しみます。
④は信仰に労力を割かなかった分、ちょっぴり得します。
確かに、こうして見ると、神様が存在する方に賭けるのはローリスクハイリターン。存在しない方に賭けるのはハイリスクローリターンだということが分かりますね。
お暇な方は、原文をどうぞ
― いや、どちらかを選べということがまちがっている。正しいのは賭けないことだ。
― そう。だが、賭けなければならない。君は船に乗り込んでいるのだから。」
すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。賭けないということ自体が、結果的に一つの選択となるからだ。
賭け金は自分の人生である。神が存在するという方に賭けたとしよう。勝てば君は永遠の生命と無限に続く喜びを得ることになる。しかも、君の人生は意味あるものとなるだろう。賭けに負けたとしても、失うのものは何もない。
反対に、神は存在しないという方に賭けたとしよう。その場合、たとえ賭けに勝っても、君の儲けは現世の幸福だけである。死後は虚無とみなすわけだから、そこで得るものは何もない。逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。来世の幸福をすべて失うことになるからである。
パスカル『パンセ』
未来の医療技術の発達に賭ける人々
例えば、あなたが現代の医療技術では絶対に治療不可能な不治の病にかかったとします。
パスカルの時代には、死に抗う事はほぼ出来ませんので、死後の幸福をキリスト教の神様に祈るしかありませんでした。
しかし、現代において、科学、医療技術、遺伝子工学等の進化は日進月歩です。
そうすると、今は治らなくてもそのうちきっと…、と思っちゃうのが人間のSAGAです。
そんな人へ、未来へ一方通行のタイムマシンを提供しているのが、アルコー延命財団です。
この財団では、希望者の死体を冷凍保存し、将来確立されるであろう安全な解凍技術、死体の蘇生、クローン技術等に備えています。
全身保存で15万$、頭部だけの保存で8万$。死後も保存されている限り年会費400$がかかります。
これが高いか安いかはよく分かりませんが、現在のところ、121人が-196℃の液体窒素の中で、目覚めの時を待っています。
保存容器
人体冷凍保存については、様々な面での論争は続いています。
医師が死に立ち会わないまま冷凍保存したケースがあり、法的には殺人と見なされる場合もあります。
将来、安全に解凍できる保証がどこにおるのかという批判もあります。
単なる埋葬に高額の費用を取っている詐欺行為と見る人もいます。
杜撰な衛生管理をしているという内部告発もありました。
ただ、一つ言えることは、冷凍保存される人々は、いつか復活させてもらえる事に賭けたという事です。
賭け金は、保存費用と社会的批判。
賭けに勝ったら、健康な体を得て未来で暮らす。負けたら死んだまま。
これってけっこう割のいい勝負だと感じますが、実際どうなんすかね。
エジプトの場合
人体冷凍保存の先駆けとして真っ先に思いつくのがミイラ。ミイラと言えば、エジプトですね。
元々、エジプトではファラオを始めとする偉い人は現世に復活すると信じられていました。復活するためには器としての肉体が必要なため、ミイラを作るという風習が生まれました。
しかし、いつまで経っても復活しないファラオを見て、当時のエジプト人は思います。「え…復活しないじゃん…」
そうして、徐々に信仰は変化していき、現世に復活しないのなら、あの世で復活するに違いないと考えらるようになります。
新しい解釈では、死者の魂はあの世に行きますが、夜には体に戻って充電しないと、あの世でも死んでしまうと考えられており、信仰が変わってもミイラは必要なものでした。
さらに時代が進むと、一般人もあの世で幸せに暮らしたいと思うようになり、ミイラ需要が高まります。元々偉い人の特権であったミイラ化も、貴賎の別なくしてもらえるようになりました。
そして、需要あるところに供給あり。ミイラ職人の数も増え、ミイラビジネスが行われるようになりました。
王様コース、普通コース、廉価コースというように、お金でミイラの処置に段階を付けていた様子が、ヘロドトスの『歴史』に記録されています。
お金で買える幸せがある
死を商売にするなんて、ミイラ職人えげつねえな…、と一瞬思いますが、よくよく考えると、現代の日本でもこういう商売は普通に成立しています。
例えば、戒名。「~院◯◯居士」みたいなやつですね。お坊さんに支払う金額によって、文字数が変わります。
仏教では、死ぬと成仏(=仏様に成る)し、あの世で仏門に入り修行に励むという思想があります。そうした時に、生前の徳や修行の度合いを示す戒名は、長ければ長い程偉いとなるわけですね。墓石のランクなんかも同じです。
こういったビジネスには色々と批判はありますが、死後幸せになる可能性を売ってると言えます。
賭け金はお金だけですから、良心的なギャンブルかもしれません。
現代ではパスカルの時代とは異なり、ローリスクハイリターンの選択肢は神を信じるだけではありません。
皆さんも一度自分の考える死生観の期待値を考えてみてはいかがてしょう?
コメント (83件)
②神様を信じる-神様は存在しない
コレおかしくね?存在しないものをどうやって信じるんだ?
いるかいないか分からないけど神様がいると信じました。けれど、実際には神様はいませんでした。てことだろ
神様は存在しない ということを信じているわけだね
おもしろい
パスカルは学生の時分によく読んだけど
今読み直しても面白いわ
名言のオンパレード
これはくだらない言葉遊びだな
簡単に論破できる
②で神を信仰することに労力割いてんだろアホ
複数の宗教が存在している時点で矛盾だって
小学校あたりで気が付こうぜ
仮に宇宙を統べる神がいてキリストかイスラムのどちらかは実際に真実だとしたら、
反対側やその他信じてる奴はどれだけ敬虔で善人でも地獄行きってこった
一つの事象に対して複数の価値観からのアプローチが可能なことに中学校あたりで気付こうぜ
例えば、ギリシャ神話の神々と、インドや日本の多神教の神々には名前は違えど性質や伝説の似通ったものが多く見られる。キリスト教だって、唯一神といいながらも、天使や悪魔など様々な超常的存在については認めている。ソロモンやエジプトの神々が悪魔認定されているのは有名やろ。
宗教間の矛盾が、必ずしも超自然的存在を否定することにはならんよ。
そんな事より神を信じなかった程度で地獄に落とされる事にびっくりだよ。生前の善行なんざ何の徳にもならんってか?心狭すぎるわ
死んだら成仏って考えは日本だけじゃないの?
仏教なら普通は輪廻転生でしょ
9さん、舌鋒鋭いですね。
日本のイザナギとギリシャ神話のオルペウスの冥界訪問が怖いくらい一致してますね。
インドの若者「現世厳しすぎるから来世で挽回するンゴwwwwwじゃあのwww」グサー
無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり、無とは法界同時に妙法蓮華経の振舞より外は無きなり有とは地獄は地獄の有の侭十界本有の妙法の全体なり、生とは妙法の生なれば随縁なり死とは寿量の死なれば法界同時に真如なり若退の故に滅後なり若出の故に在世なり
現代日本人のベースになってるのは②だよ。
いないと理論的には理解しているけど、その理解を超えたものに一定の敬意を払う。
確固たる経典を持たず文化的な信仰を築いてきた日本人にとって信仰とは心の形。
それが自制だったり、謙虚さだったり、物や命に対する配慮につながっている。
神道が現代日本人の道義心のベースになってるといわれるのもそれ。
「いただきます」であったり「お天道様が見てるぞ」だったり。
歳を重ねるごとにその意味が分かってくるけど、心に余裕があるときほど信仰的になる。
日々に追われて心に余裕がないときほど、墓参りが疎かになったりするものさ。
米10
そこら辺の価値観の違いは国も時代も違うんだからしょうがないんじゃない?
前提が、存在する:存在しない=50:50の時にようやく成り立つ式だね。
最初から死んでる猫を箱の中に入れて
生き返ると思う→生き返る、生き返ると思う→生き返らない、生き返らないと思う→生き返る、生き返らないと思う→生き返らない、なんて選択肢で「生き返ると思う」なんて選ぶ人はまあ本当にごく少数だと思う。それは死んだ生き物は生き返らないという事実が先にあるから。
事実に対しては、この選択肢は全く意味をなさない。神がいるかいないかも事実として結果が存在するうえでの設問になるので、パスカルの話も同様でしかない。それは確率の問題のように見える100%か否かであるだけ。生命が生き返る法則が分かれば、その可能性は真逆にさえなる。
そして、悲しいことに、我々人間が、生命がなぜ誕生したかが分からない限り、神様がいる(ある)という可能性は非常に高い。それを無視して話を進めるのは全く論理的であるとも科学的であるとも言えない。
なぜ、神が存在が死後の世界の幸せを確約してくれる扱いになってるかがわからん
「信じる」「信じない」を「賭け」って言い切るのが面白い。結局は自分のチョイスって事かな。予想屋(宗教家とか占い師とか政治家とか教師とか医者とか詐欺師とか)の言う事に従うのも結局は自分のチョイスだし。
とか思た。ここの記事読むのいつも本当に楽しいです。
かなり古いが「須弥山と極楽」って本が古代インド仏教の地獄と極楽を詳しく解説してて面白い。
日本人の感性からは信じられないほど論理的なのな。
どう考えても②の結果が最悪に思えるんだが
※21
あの世が有るか無いかの違いだと思う
神信じる神いる→あの世で神の恩恵受けられる=幸福な時間がある
神信じる神いない→あの世での幸せがあると思ってたけどあの世なんて無かった=死んだらそこまで
神信じない神いる→あの世で神の恩恵受けられない=幸福でない時間がある。コレが地獄ということか?
神信じない神いない→あの世なんて無いから信じ無かったけどその通りだった=死んだらそこまで
※15
それ、儒教と道教なんだよなあ
※18
前提条件に突っ込まれても困るぜ
地獄の沙汰も金次第だろ
複数の神があるような気がしても、
この世のものに過ぎない=偶像として却下
じゃあ人間が従うべき権威は何か?一番上は何か?
創造神=唯一神=三位一体の神っていう論理だからなぁ
実際に突っ込むとわかるが論破できねぇ
で、この神を信じるのか信じないのかっていうのが
この「パスカルの賭け」ってわけだ。
日本人には前提条件が多すぎるかもな。
神を信じる以外のローリスクハイリターンで出てくる例が冷凍保存でバロス
結局、未来で死ぬことに変わりはないじゃねェかという。。。
しかもそれ復活じゃなくて変生(別人格として再活動する)であって事実上の死なんですが、
それはいいんですかねぇ
最強は死ぬ直前に洗礼
↑ということを知らなかった、のならセーフじゃなかったっけ?
知っていて、そうしようとしているのであれば
神を使役しようとしていることになるからAUTO。
神なんていないけど神を信じることで人生において精神の安定を図れるなら②でも全然いいんじゃない
いずれにせよ神がいなければ死ぬ瞬間にそれまでの人生が無意味化して人間は絶望する。
というわけで②か④が真実の解ならば、人間は早々に人生終了させた方がお得という事になってしまう。
よって①か③にしか真実の解がないということになる。
ところがあえて③を望むバカはいない。
なんだこの誘導尋問w
もし、本当に神がいて神がこの世をデザインし創造したのだとすれば、
その神っていうのはかなり皮肉屋で根性ひん曲がっていることは確かだな。
3番おかしいだろ
その考え自体がキリスト教に影響されてるし
仏教的な考えだとまた全然違う答えじゃねぇかハゲ
※16
じゃこのパスカルの掛けは俺らには通用しねぇじゃん
バカじゃんパスカル
改めて神を盲信してる人間って怖いと感じるな
ニーチェは死んだ
―神―
大抵の場合信仰には金が必要なので信仰してりゃ得とは限らない
冷凍保存された奴らを未来で金かけて生き返らせてくれるやつがいるとは限らない
信仰ではなく、心の支えや、災害なんかの恐怖を神の仕業だとか
そう考えて生きれるから神は居なくならない
いいことをしたら天国に行ける、努力したら見てくれるとか
精神安定剤みたいなもの
人間は人間を尊敬出来ないし、人間は何かわからない恐怖を認められない
尊敬、恐怖を神様にすり替えるととっても楽だし
別に信仰をどうこう言いたいんじゃないと思う
神も死後の世界も心の拠り所であって理性を持たせるための方便だろ
よく考えてみろよ
自分が人の親だとして、いつまで経っても自分の臑囓ってくる子供ならうぜえと思うだろ?
親なら子供には立派に自立して欲しいと願うもんだ
「神は慈悲深い、見捨てない」ってそれ甘やかしてるだけちゃうんか
むしろ何かと自分を頼らせようとするならメンヘラじゃねーか
だから、長いスパンにおける人類にとっての正解は③か④だ
神の存在の有無は関係ない、神を信じて頼ろうとする性根が間違い
でも変な壷買ったりつらい修行をしたり、よくわからん集会に参加しないといけないんだろ?
どこがどうローリスクなのか説明を求める
葬儀に呼ばれて行って心の内で何の意味もないのにと思うのが正解だとは思わない
じゃなきゃお坊さんも呼ばないし、お経も唱えない、死体はただの物になってしまう
米39が言いたいのは神なんかに頼らず「自立」することこそ正しい、
みたいなことなんだろうが、
本当の自立と言うのは、たとえばきちんと親子の関係性を
成立させることができるかどうかということだ
これらを破壊してしまうのが現代におけるいわゆる「自立」だ
なのでこの関係性が取り戻されなければならない、
と思っていたら関係性そのもの(神)の方が
人間を見捨てていなかった=①というのが正解
③と④を選ぶという事は関係性に背を向けて
自分という人間の思う「自立」をしようということだから、これこそメンヘラ
※40 リスクは死後?で生前なら賭け金(コスト)なんじゃないかな?たぶんw
死ねば終わりなので、死後について考える必要が無いと思うのであれば、
リスクについてなんら対策を練っていない投資家みたいなものだという事になる
神様にワイロを贈り天国へのパスポートをねだるなんて本気なのか~♪
神は見返りもワイロも要求しないどころか、パスポートを先に用意してくれる
その関係性にどう応答(コスト)するのかが、「パスカルの賭け」だね
誰だって自分の親に育ててもらうのにワイロ贈った覚えがないのと同じ
ワイロ(賄賂)についてはちょっと面白い話がある
日本だと神々への捧げ物という意味(まいない)があるけど
向こうさんでは一説によると「パンを贈る」という意味があるんだよ
パンとキリスト教の関係を調べることを※44にはオヌヌメしておくw
神なんていらねえんだよ!(人類至上主義)
※42
堅苦しい物言いだが、つまるに「親は敬え」ってこったろ?
お前さんが親孝行者ってのは解ったが、俺は神(親)を頼るなって言ってるだけで貶せとは言ってないぜ
自立したあと、神(親)への対応は個人の裁量って意味で③か④だ
それに>>(神)の方が人間を見捨てていなかった=① ってのは、神の視点や考えだ
お前さんが神そのものかイエスのような代弁者でないかぎり、考えを語るのはおこがましいぞ
え、俺も騙ってる?
俺のは一般的な親の思考を神=親として当てはめてみただけで、俺も神の意志なぞ分からん
だが、全知全能・万能っていう前提条件なんだから、人の思考なんか簡単にトレースできるだろって仮定だ
あと「自立」「無宗教」「無信仰」なんかの定義をしない以上議論は水掛け論になるぞ
そもそも、俺は「信じる(信仰)=頼る」と独自に読み替えてるしな
パッと見、お前さんは「信じる(信仰)=敬う」に思えるから、そこからして前提が違う
一言はっきり言えよ
金と名誉が欲しいと
神=金儲け・権力を生み出す道具
いるかいないかはわからない
神を信じないだけで、地獄に落ちるって神クズ過ぎない?
神がいるとしても宗教家に金を払うことが信仰したことだと神が認めるとは思えない
※51
お前だって無償でお礼ひとつ言わない奴の為に仕事したくないだろ
⑤間違った神を信じる―地獄に落ちる
※48の言うとおり「自立」ってのは親元からの独立を通常意味する
日本人の「神々」からの自立感覚はそれとほぼ同じなんだが、
「神」からの「自立」ってのはキリスト教だと創造主からの離反を意味しかねないんだよね
人間は生まれながらに「何か(権利、意志、肉体など)」
を持っていて「自立できる」と日本人は信じているけど
あっちさんは「与えられたものでなければ」そもそも持っているはずがない、
っていう感覚だからな
で、③と④の「信じない」っていう選択肢は「神との関係性の否定」を表すので
日本人的には「(何物にも頼らない)常識的大人」になったことを意味する
ところがキリスト教だと「与えられておきながら」「起源を主張する」という
ことになるので立派な罪になってしまうのさ
もちろん③と④を選ぶことも人間には可能なのだけど
その「選択能力」も神から与えられているんじゃね?っていう発想だから
「あー①か②しかないのねwおkおk」 ということになる
そういった前提の上でパスカルは①~④までの
この悪質な「賭け」をふっかけているのさ
ちなみにこの「賭け」を「知ってしまった」以上①、②以外は負けなので
③、④を選びたい場合はこの賭け自体を記憶から抹消することをお勧めする
※49の「神=金儲け・権力を生み出す道具」っていう疑いは
人類の今までの歴史の中で既出中の既出
それについては結論が出てる
「人間に使われるような道具としての「神」は神じゃない」ってことだ
じゃあ本当の「神」って何よ?ってところからやり直さないといけないのさ
※50「いるかいないかはわからない」は人間の現実
人間の肉体に備わった五感で認識できないのだから当たり前。 で、
「認識できないなら存在しないも同じだよね」っていうのが一般的な科学的立場
「認識不可能な存在こそ神だよね」っていうのが一般的な宗教的立場
ところがキリスト教だと、もともとは認識できていたのだろうけど、
(原罪によって)今はできなくなってしまっている、と考えるんだな
じゃあどうやって信仰するんだYO!ってことで、目に見える人として
この世にやってきた神の御子イエス・キリストを見ろ、とかいう無茶を言ってくるわけだ
これなら認識できるだろ?んんんんn?
腹立つわw
※51「神を信じないだけで、地獄に落ちるって神クズ過ぎない?」
「神」を「信じないこと」が「神との関係性の否定」であって
「自分自身の唯一性(起源)を主張する」ことになるから
自分自身を神と関係ない場所に追いやってしまうことを引き起こす
人間がそのようになるのを神は望んではいないからこそ
2000年前、救い主が現れた!とか言い出すのがキリスト教
※53「神がいるとしても宗教家に金を払うことが信仰したことだと神が認めるとは思えない」
※49の疑惑とも関連するけど、宗教では人間の行為に限って言えば
まず「信じる」という心の働きの方が先行する。
で、信じて神との関係性を認めた人間には、神が何を望んでいるのかという、
「神の意志」に対して様々な「応答」をしていく責任が発生する
その「応答」が献金だったり、慈善活動だったり、布教だったりするわけだ
もちろん、これは人によって現れ方が違う
よって神が見る(評価する)のは「信じること」であり
必ずしも「金を出す」ことではないだから※52の言っていることは正しい
ところが具体的な行いを伴わない「信仰」は
口だけの信仰ということになり死んだ信仰(嘘)になってしまう
よって自分が「何をすべきか」を神に「求める」ことになる
この「求めること」を「神に頼る」とするのがキリスト教なんだね
なので「神に頼ること」が正しいとか言い出す
最終的には「自分の信仰するという決断」も神が与えて下さったのだとか
日本人にはよくわからないことを言いだして…(中略)
キリスト教徒:「見ろ、やっぱり神はいるじゃないか!」
日本人:「(゚Д゚)ハァ?」ってなるんだな
たぶんここにいる人間全員が嫌う言葉に「偽善」っていう言葉があると思うけど
何が「善」なのかってのを問うたときに、それって誰もが認識できるの?
っていう問題が発生する。しかし答えは「認識できない」だ。
ある人には「善」であっても他の人にとっては「悪」だったりするからね
で、認識できないのが神であるから神は善であるという論理が成り立ってしまう
じゃあ人間は善を認識できないのだから善いことは何一つできず
人間のやることなすこと全部、偽善なのか?ということになる
ところがキリスト教には認識可能な善としてイエス・キリストがあるので
これを認識する者、信じる者は善を成すことが可能ということになる
わかりやすい代表的な例としてマザー・テレサなんかが挙げられる
あれを「偽善」とか言ってしまうと「死者の家」で息を引き取った
貧しい者たちから全力でフルボッコにされるだろう
ところが、あれを「善」と言ってしまうと
キリスト教の神の存在を認めた(信じた)ことになってしまう
で、ひるがえって「あなたは信じるの?」っていうのが①~④
キリスト教から独善的な臭いがプンプンするのはこのせいだ
ところがその感覚は自分が「偽善(悪)」であるということの
証明になってしまうのだな。(神が善であるのに自分の判断を善としたため)
怖すぎるぞw
GHQが何被害者ぶってんだ。日本を支配しようと必死な白人。しかし、白人が行なってきた有色人種の奴隷化や大量殺人は白人が賠償しなくてはいけないし、有色人種が裁かなくても、天は必ず白人を裁くだろう。
神を信仰し祈り供物を捧げたものが死後神に便宜を図っていただくのか。
収賄か?そんな職権濫用野郎を崇拝できるかよ・・・
この考察、前提が色々と綻んでると思うけど。
「人間は神の失敗作に過ぎないのか、神こそ人間の失敗作に過ぎないのか」
ニーチェは宗教が人に作られた治世ツールだと知ってたよ。
でも子供騙しは情報化社会によって終わって淘汰するよ。
いま神はHP満タンで攻撃力が4倍になるか覚醒スキルに列強化がいくつあるかとかその程度のものだよ。
不滅の存在たちが意味もなく存在してるのでそのなかの一人が想像主となってゲームのルールを作って俺たちがそのロールプレイしてると思ってる
目的はまた遊びたくなるような世界を作ること
平和とかどうでも良い
でもルールを破ると神が介入してくる
そんなイメージ
各々の持論は死んでから答え合わせしようぜwww
答え合わせないかもしらんがな
遺体の冷凍保存は従業員が脳みそサッカーやってた所もあったよね
⑤神は信じる。だが、こんな世界を造った神などクソ食らえだ。
地獄?上等だよ、かかって来い!
って奴だっているだろ
神がいる確立が不明なのでどちらが得かなんて決められない。実際に見たものだけを信じるべき。
すげーシンプルだけどさ
この場合の神様は、
神様が存在して、神様が底抜けに優しくて、信仰した者を救済してくれる
って大前提だよな
神様は存在したが、信仰にあるものとは実は全然違って、間違った信仰によりえらい目に遭う
ってことも充分考えられそうなんだが
ってか信仰なんて時代やその時の権力者の考え方次第でなんぼでも変わるし
どう考えても選択肢に対しての結果が全然足らなくね?
パスカルの賭けを記事にするなら「どの宗教が”当たり”なのか」って有名な論争もあったろ
あれもかけよ
神様がいたとしても
どうせ俺みたいな無価値な者がどれだけ祈ったところで、洟もひっかけやしねぇよ
だから、神がいようがいまいが、俺は地獄に行くんだ
死後が不可知でないならば選択する余地があるが、死後と謂う不可知な事象だからこそ死後に備えるほうがいいと言うのは当然のこと。
つまりいかに推論を重ねようと、死後という性質上、死後は存在するか存在しないかという結論は出せない。
論理的に考えれば死後に備えたほうが賢いというのは当たり前。
死後に備えると人生無駄になり損だという発想はおかしい。
当然死後が不可知である以上は教義の正当性自体も、分かるわけが無いのだが、それも含めて信じるしかないのである。
またそういう意味で形而学上どの宗教が正解かという論争も無意味。
釈迦の死に際の自燈明の喩えが分かりやすい。
最終的には他者の知見は何の役にも立たない。
だからJクリシュナムルティは全ての宗教を否定したんだよ。
※70
だから神を信じ死後の幸福を信じて
日頃から善い行いを積めよって話しだよ。
自分で自分を無価値なんて言うなよ
それならせめて自分で自分の価値を認めてあげられるように、神を信じ死後の幸福を信じて以下ループ
神様の存在は信じているけど、冷酷で結構エゲツない存在だと思ってる
信仰の対象は、あるとすれば太陽と御先祖様
宗教を信じてる人たちと無神論者を比べて
どちが寿命が長いか、どっちが収入が多いか、どっちが犯罪者が多いかとか調べないとあかんよな
どっちでもいい
信じる者しか救わない神など信用に値しない
まあ、一神教で言う神は、単なる唯一神。全能の神だから。
キリスト教ではゴッド、イスラム教ではアラー、ユダヤ教ではヤハウェと呼ぶだけに過ぎず
指してる対象は同じ概念なんだな。
だから、複数も宗教があると言うが
アレは信じ方が違うだけであって、信じてるモノ自体は同じモノ。
まあ、神道的に言うと、一神教の神様は野蛮の神様だから、近づかない方がよろしい
ということになるわけなんだがな。
相手を知り己を知れば百戦危うからず。先ず、神の生態を詳細に分析し解き明かす事が重要だと思うんだ。俺たちは霊長類の長だぜ。反乱起こして俺たちが死後の世界の管理者になろうよ。
まあここにいるお前らみたいな愛すべき強がり共には無用の長物だよな、神も宗教も死後の救いもw
でも俺には分かる。それを必要としてる人は世の中に決して少なくないし、それは彼らが劣っている訳でも間違ってる訳でも、ましてや弱いわけでもないんだ、きっとね。
神様を信じた方が良いのは分かった
で、どの神様を信じたら良いのかな?
まやかしでござんす。
実際には、
1:Aという神を信じる
2:Bという神を信じる
3:Cという神を信じる
・
・
・
無限+1:神を信じない
となるからです。
仮に存在するとして、
真の神にたどり着けるかどうか。
アルコー延命財団はセルジオ・カナベーロ医師が真面目にここの死体の蘇生を考えていたな
世界初となる生存している人間の頭部移植を行う予定の医者らしい
逆説的に言えばさ、人が想像しうることは全部存在するって考える方が自然なんじゃないか??
でなきゃ未来に想像した物や事が後に発生した場合、それ自体の信憑性がおかしなことになる。
我々には到底在り得そうもないと思うような物理法則や、不可視のルールの世界、もしかしてそれらがパラレルワールドの正体なのでわ??だってなんていうか夢ってそんな感じじゃん、なんか今いる宇宙の物理法則で考えたら支離滅裂な世界っていうか、それなら夢の説明も付くんじゃない?若しくはアカシックレコードにアクセスして見る世界なのか、或いは本当に無限に存在する自分の過去世のうちの一つなのか、それらは実は経験してるのに、忘れてるだけだったりしてな。
ただし魂の存在を仮定したときに、想像できるからと言って意味のない世界=魂が感動出来ない世界があえて存在するのか疑問ではある。
ただ作ろうと思えば作れると思う、あらゆる宇宙が始まった時のようにどんな世界線の宇宙にするか魂たちが相談し合って決めるんじゃない??
物質から意志が生まれたのではなく、意志から物質世界が作り出されるというのがしっくりくるんだよ。