殺人光線、地球全体の照明化、太陽エンジン、地震発生装置、天候操作技術・・・。
安物のSFみたいな荒唐無稽の話だと思いますか?実はこれらは全て、100年前に生きた一人の男が発明したものなんです。
日本では不自然なほどマイナーで、オカルトファンからマッドサイエンティストとして知られることの多い人物ですが果たして本当にそうだったのでしょうか。
幼少期
彼の名は二コラ・テスラ。
1856年、現在のクロアチア西部に生まれました。
彼には7歳違いの兄デンがいましたが、デンは早くから「神童」と呼ばれていました。二コラ自身も後にデンのことを「生物学的に説明する事が出来ない程稀にみる天才的知性」だったと語っています。
一般的に兄より優れた弟はいないわけですが、幼少期のエピソードでひとつとても気になるものがあります。
デンは12歳の時に落馬事故により亡くなります。しかしながら、一説によればデンは地下室の階段から転げ落ちて亡くなっており、その最期に「弟に突き落とされた」とうわ言を言っているのです。
この時二コラ5歳。もちろん真偽は不明ですが兄の死が二コラの人格形成に何らかの大きな影響を与えたのは想像に難くありません。
あるいはそのことが引き金となったのでしょうか。彼は幼少期に頻繁に幻覚を見ていたそうです。起きていても頭は空想的なビジョンで満たされ、夜は本を読みふける日々。
「少年時代、私は幻影に悩まされた。それはしばしば強烈な閃光と共に現れた。
それが現れると、視野の中に現実の物体は失せ、思考や行動も 妨げられるのだった。
それらの幻影は、かって私が実際に見た事のある物や景色であり、決して私が想像したものではなかった。
ある言葉が私に発せられると、その言葉が喚起するイメージがいきいきと私の脳裏に映り、時として、そのイメージが現実のものかそうでないのか、私自身見分ける事が出来なくなる事があった。」
彼はこう述懐しています。
その幻覚を伴う天才的な直感と集中力によりわずか5歳にして水車を発明、また聖書や古典詩なども暗記したそうです。まるで天才だった兄の魂が宿ったかの様に。
若き日
哲学や詩に通じ語学にも堪能で、特に数学や物理学には抜きんでた才能を発揮する青年テスラ。
というと完全無欠の秀才の様に聞こえますが、実は奨学金をギャンブルで使い果たして工科学校を除籍となり、それがバレるのを恐れて家族との連絡を絶つなどクズエピソードも残っています。
ある日ゲーテの「ファウスト」を暗唱しながら散歩していた彼は、雷に打たれた様にある装置の設計図を閃きます。
それはかのエジソンが推進する直流電流より何倍も効率的で安定的な、交流電流を使った装置でした。
この革命的なアイディアの普及と実用化にはエジソンと直接会わなければならないと考えた彼は単身渡米します。
おなじみエジソンおじさん
既に白熱灯や蓄音機といった発明をし、巨万の富を得ていたエジソン。彼がテスラと会ってどう感じたのかはわかりませんが、正規の学校教育を受けていなかったエジソンにはおそらく彼の言うこと全ては理解できなかったのではないでしょうか。
それでもその才能に利用価値はあると思われたのでしょう、彼はエジソンの会社で働くこととなりました。
入社後も直流電流による事業を進めるエジソンに対し(エジソンが発明した白熱灯や蓄音機も当然直流電流で動くものでした)、交流電流の優位性を唱えるテスラ。
既に莫大な投資も行っている事業を1からやり直す必要のあるこの技術は、エジソンにとって次第に邪魔なものとなっていきます。
エジソン「交流交流言うけどさ、うちの会社の機械をひとつでもそれで動かしてみろよ。それができたら$50,000の賞金をあげるわ。出来なかったら2度とそれやんないでね。」
テスラ「出来ました。」
エジソン「え?」
テスラ「出来ました。$50,000くれ。はよ。」
エジソン「・・・ば、ばっかじゃねーの!?賞金とかウソだし!アメリカンジョークだし!あ、君はヨーロッパのド田舎村育ちだからわかんねーか!アメリカンジョークわかんねーか!ダッセェ!交流とかダッセェ!」
テスラ「てめーは俺を怒らせた。」
テスラは結局この会社には1年ほどしかおらず、自らの会社を創ることとなりました。
1886年。
テスラ30歳のことです。
~後編へ続く~