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	<title>大航海時代 | 腹筋崩壊ニュース</title>
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	<description>あなたの知的好奇心を刺激する</description>
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	<title>大航海時代 | 腹筋崩壊ニュース</title>
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	<item>
		<title>東インドに会社を作ろう！！</title>
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		<dc:creator><![CDATA[腹筋崩壊ニュース 管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 07 Mar 2015 09:15:53 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[世界史]]></category>
		<category><![CDATA[経済]]></category>
		<category><![CDATA[イギリス]]></category>
		<category><![CDATA[インド]]></category>
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		<category><![CDATA[大航海時代]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>
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					<description><![CDATA[そんなこんな※で、17世紀に入ると、出遅れた国々も盛んに航海に乗り出すようになり、スペイン、ポルトガルの2強だった大航海時代は新時代を迎えます。 それを象徴するように、スペイン（ポルトガル）の東インド独占を打破し、東イン [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>そんなこんな<span class="info">※</span>で、17世紀に入ると、出遅れた国々も盛んに航海に乗り出すようになり、スペイン、ポルトガルの2強だった大航海時代は<span class="blue">新時代</span>を迎えます。</p>
<p>それを象徴するように、スペイン（ポルトガル）の東インド独占を打破し、<span class="red">東インドで直接貿易をする</span>という快挙を成し遂げる国が現れます。</p>
<p><span class="info">※そんなこんな→

<a href="https://fknews-2ch.net/archives/43344131.html" target="_blank">香辛料美味すぎワロタwww</a>

<a href="https://fknews-2ch.net/archives/43501513.html" target="_blank">会社をつくるということ</a></span></p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">思わぬ伏兵</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">東インドへの到達</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">東インド会社ブーム</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">「東インド会社」の意味</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">思わぬ伏兵</span></h2>
<p>その国の名は、<span class="red">オランダ</span>。</p>
<p>それまで歴史の表舞台に出ることもなく、じっと息を潜めていた伏兵が、ここに来ていきなり世界経済の頂点に立ったのです。</p>
<p>というかまぁ、オランダがそれまで歴史の表舞台に出てこなかったのは当たり前で、もともとオランダはスペインの一部「ネーデルラント地域」でした。</p>
<p>この地域は、中世以来、商工業が発展しており、ヨーロッパの中でも<span class="blue">一、二を争う先進地域</span>であり、スペインにおいても非常に重要な場所でした。</p>
<p><a title="View_of_Amsterdam" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/c/3/c3764483.jpg" target="_blank"><img fetchpriority="high" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/c/3/c3764483.jpg" alt="View_of_Amsterdam" width="480" height="349" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">世界で最も豊かな都市だったアムステルダム</p>
<p>しかし、<span class="red">カトリック</span>を国教とするスペインに対し、ネーデルラント地域には<span class="blue">プロテスタント</span>が多く住んでいました。</p>
<p>それでもそこそこ上手くやっていましたが、フェリペ2世がスペイン王に即位すると、プロテスタントへの弾圧が始まってしまいます。</p>
<p>重税を課したり、自治権を奪ったり。現地の人々がこれに反抗的な態度を取ると、ついには<span class="red">異端審問</span>まで行うようになりました。</p>
<p><a title="2015-03-06-16-44-18" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/6/5/65b15afb.jpg" target="_blank"><img decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/6/5/65b15afb.jpg" alt="2015-03-06-16-44-18" width="480" height="327" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">異端審問イメージ</p>
<p>我慢の限界に達したオランダの人々は、スペインに対して反乱を起こし、そのまま独立戦争へと発展。1581年にはスペインの統治を否認し独立を宣言します。その後もスペインとの戦争は続きますが、</p>
<p class="info">この時、オランダ側をこっそり支援していたのがイギリスでした。さすがw</p>
<p><a title="Batalla_de_Gembloux" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/4/3/43e96d91.jpg" target="_blank"><img decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/4/3/43e96d91.jpg" alt="Batalla_de_Gembloux" width="480" height="304" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">「80年戦争」と呼ばれる長い独立戦争。1648年まで続きました。</p>
<p>もともと、経済が発達した地域だった上に、儲けるのが大好きなプロテスタントが周辺国からドンドン移住してくるようになったオランダ。</p>
<p>瞬く間に、<span class="blue">世界一の商業国</span>へと変貌していきました。</p>
<p>ただ、オランダは新興国。地力ではスペインやイギリスといった大国には劣ります。それらに対抗するには、とりあえず<span class="blue">稼ぐ</span>。ガンガンお金を稼いで国力を増強させていく必要がありました。そうして「<span class="blue">貿易</span>」に力を注いでいくようになったのです。</p>
<h2><span id="toc2">東インドへの到達</span></h2>
<p>1594年、アムステルダムで、「<span class="red">直接東インドに行って香辛料を調達してくる</span>」ための会社が設立されます。

その名は、「遠方会社<span class="info">Compagnie van Verre</span>」。9人の豪商が出資した会社でした。</p>
<p>この会社が東インドへ航海するにあたって、越えるべきハードルはたった1つ。

<span class="blue">スペイン（ポルトガル）が支配している拠点（港）を使わないこと</span>。きびC。</p>
<p>従来のインド航路は、</p>
<p><a title="001" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/5/b505a720.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/5/b505a720.jpg" alt="001" width="480" height="280" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p>こんな感じ。アフリカ大陸南端を経由したあと、コツコツ補給を繰り返しながら北上してインドを目指していました。</p>
<p>これに対し、この航海で取られたルートは驚くべきものでした。</p>
<p><a title="001" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/c/bce569c1.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/c/bce569c1.jpg" alt="001" width="480" height="284" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">敵の港が使えないなら、一気に進めばいいじゃない</p>
<p>このように、すげー飛ばして一気にジャワ島まで到達したのです。</p>
<p>実際、旅程は厳しもので、壊血病や飢餓や原住民との闘い等により<span class="red">249人のクルーは89人にまで減りました</span>。</p>
<p>しかし、わずかながら見事に香辛料を持って帰ることに成功し、ヨーロッパの国々に衝撃と希望を与えました。</p>
<h2><span id="toc3">東インド会社ブーム</span></h2>
<p>このオランダの大成功で、東インドへ到達することが可能だと分かると、後発国もグイグイと東インドを目指すようになります。</p>
<p>この時期以降に設立された「東インド会社」をざっと並べると、</p>
<p>・イギリス東インド会社

・オランダ東インド会社

・フランス東インド会社

・ポルトガル東インド会社<span class="info">※5年で倒産</span>

・デンマーク東インド会社

・スウェーデン東インド会社</p>
<p>ただし、注意して欲しいのは、これらはすべて、あくまでも<span class="red">「東インド」との貿易を行うため</span>の会社だということ。白々しく聞こえるかもしれませんが、けっして領土を拡張しようとか侵略してやろうみたいな意図はありません。</p>
<p>「会社」ですから、あくまでその本質は<span class="blue">民間営利企業</span>なのです。</p>
<p>その「<span class="blue">利益追求</span>」という目的を達成するための手段として、「貿易」「略奪」「搾取」「侵略」があっただけです。</p>
<p>彼らは「民間企業」ですが、現地を統治する権利、軍隊を持つ権利、通貨を発行する権利などなどを王様から認められた<span class="red">勅許会社</span>です。だからこそ、こういった手段を選べました。</p>
<p>相手が強ければ「貿易」を選ぶし、相手が弱ければ「略奪」「搾取」を選ぶ。</p>
<p>そんな中、当時の中国や日本が西洋の植民地にならずに済んだのは、中国・日本が強かったからです。</p>
<p>勝敗がどうなるかは別として、東インド会社にとって、中国・日本との戦争は<span class="red">多大なコスト</span>がかかるのが見え見え。運良く侵略に成功したとしても、そのコストを<span class="red">ペイできない</span>という打算的な判断だったというわけですね。</p>
<h2><span id="toc4">「東インド会社」の意味</span></h2>
<p>ちなみに、<span class="blue">インドに設立した</span>から「東インド会社」という名前だと思っている方も多いと思いますが、それは誤解です。</p>
<p>そうではなく、<span class="red">当時はアジア全域を「東インド」と呼んでいた</span>から「東インド会社」なのです。</p>
<p>その活動領域はインドだけではなくアジア全域に及びますし、本社は本国にあります。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/0/4/046608c0.jpg" alt="Old_East_India_House" width="400" height="473" border="0" hspace="5" /></p>
<p class="info">イギリス東インド会社の本社（17世紀）</p>
<p><a title="East_India_House" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/7/a/7a7e6544.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/7/a/7a7e6544.jpg" alt="East_India_House" width="480" height="338" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">イギリス東インド会社の本社（18世紀）</p>
<p>東があれば西もある。</p>
<p>新大陸方面の貿易については、これも各国が同じように「<span class="blue">西インド会社</span>」を設立し、せっせと貿易を行っていました。</p>
<p>こちらは特に<span class="red">奴隷貿易</span>なんかが得意分野でした。アフリカ→新大陸→ヨーロッパ→アフリカ→…の三角貿易のアレですね。</p>
<p class="info">参考：<a href="https://fknews-2ch.net/archives/41597028.html" target="_blank">奴隷貿易の効率性www</a></p>
<p>東インド会社と比較すると畜生度の高い行為を行っていますが、やっぱり目的は利益追求であって、侵略したり植民地化したりというのはその手段にすぎません。</p>
<hr />
<p>といった3記事に渡る前置きを経て、次回は「イギリス東インド会社」について書きます。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>会社をつくるということ。</title>
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		<dc:creator><![CDATA[腹筋崩壊ニュース 管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 22 Feb 2015 16:30:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[世界史]]></category>
		<category><![CDATA[経済]]></category>
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		<category><![CDATA[大航海時代]]></category>
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					<description><![CDATA[さて、前回見たとおり、大航海時代の初期において、東アジアにおける覇者はポルトガル。 そして、新大陸における覇者は、スペインでした。 →前回記事：香辛料美味すぎワロタwww 目次 ポルトガルの没落とスペインの繁栄イギリスの [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>さて、前回見たとおり、大航海時代の初期において、東アジアにおける覇者は<span class="red">ポルトガル</span>。</p>
<p>そして、新大陸における覇者は、<span class="red">スペイン</span>でした。

<!-nextpage->

→前回記事：<a href="https://fknews-2ch.net/archives/43344131.html" target="_blank">香辛料美味すぎワロタwww</a></p>
<p><a title="daikoukai" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/8/d/8d8215b2.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/8/d/8d8215b2.jpg" alt="daikoukai" width="480" height="270" border="0" hspace="5" /></a></p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">ポルトガルの没落とスペインの繁栄</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">イギリスの苦労</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">イギリス「スペイン船から略奪するンゴwww」</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">会社の素晴らしさ</a></li><li><a href="#toc5" tabindex="0">勅許会社</a></li><li><a href="#toc6" tabindex="0">プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">ポルトガルの没落とスペインの繁栄</span></h2>
<p>この2国が他のヨーロッパ諸国に先駆けて大航海時代へ突入できた理由は、<span class="blue">14世紀後半</span>という早い段階で、「<span class="blue large1">中央集権化</span>」に成功したからと言われています。</p>
<p>それまでのヨーロッパは、国内にたくさんの有力者がいて、権力が分散している状態でした。それが、一人の王様のところに集中する社会になったのです。</p>
<p><a title="crown" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/e/b/eb66d6a9.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/e/b/eb66d6a9.jpg" alt="crown" width="480" height="328" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p>「<span class="blue">中央集権化</span>」によって何が起きるかというと、</p>
<div class="kakoi">王様という強いリーダーシップの下、巨額の資本を投入できる</div>
<p>ようになるのです。</p>
<p>インド航路を自力で開拓するような「<span class="red">探検事業</span>」は、莫大な資金が必要でありながら、成功する保証はありません。絶対権力者の主導が絶対に必要となります。</p>
<p>ポルトガルは、1415年～1503年のわずか90年弱で、インド航路を開拓したわけですが、この偉業は、当時のポルトガル王室の聡明な決断力（と領土拡大欲）のおかげと言えます。</p>
<p>香辛料貿易においては、見事に他のヨーロッパ諸国を排除して独占。

その利益率は<span class="red">数百％</span>にも上ったと言われています。原価10円のものを60円とかで売るイメージ。笑いが止まらなかったことでしょう。</p>
<p><span class="red">しかし、ポルトガルはそこからがうまくありませんでした。</span></p>
<p>そもそもポルトガルという国は、<span class="red">人口100万人</span>くらいの小国です。現代の日本でいうと、千葉市くらいの人口ですね。</p>
<p>そんな小国が、全盛期には世界中に植民地を領有していたのです。</p>
<p><a title="800px-Portugal_Imperio_total" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/3/6/362b21b1.png" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/3/6/362b21b1.png" alt="800px-Portugal_Imperio_total" width="480" height="211" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">ポルトガル海上帝国の最大領土</p>
<p>これらをすべて平定し、支配を維持するためにかかるコストは膨大なもの。</p>
<p>想像してみください。千葉市が世界中に植民地を作り、それを統治し続けることを。</p>
<p>かなり厳しいですよね。荷が重すぎる。</p>
<p>こうして、貿易や植民地経営に富や人手が割かれ、ポルトガルは本国の維持すらおろそかになってしまいました。</p>
<p>こうして衰退していく中、ポルトガルにトドメを刺したのは、<span class="red">王家の断絶</span>でした。</p>
<p><span class="blue">1580年</span>、時のポルトガル王が、跡取りを残す前に逝ってしまったのです。

その結果、スペイン王フェリペ2世がポルトガル王を兼任することになり、ポルトガルは<span class="red">実質スペインの支配下</span>に置かれることとなってしまいます。</p>
<p>この瞬間、ポルトガルが大航海時代の競争から脱落したと同時に、スペインは史上最も繁栄した時代に入ります。</p>
<p><a title="King_PhilipII_of_Spain" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/0/5/05bedd22.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/0/5/05bedd22.jpg" alt="King_PhilipII_of_Spain" width="480" height="956" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">フェリペ2世。スペインを絶頂期に押し上げた君主。</p>
<p>もともと、<span class="blue">西インド（新大陸）方面</span>に広大な植民地を保有していた所に、ポルトガルが持っていた<span class="red">東インド方面</span>の植民地が加わったのです。</p>
<p><a title="Iberian_Union_Empires" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/9/8/9821b273.png" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/9/8/9821b273.png" alt="Iberian_Union_Empires" width="480" height="222" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">赤がスペインの植民地。青がポルトガルの植民地。</p>
<p>スペインは文字通り「<span class="red">太陽の沈まぬ帝国</span>」、つまり、24時間365日、領土のどこかで必ず太陽が昇っている、巨大な帝国となったのです。</p>
<h2><span id="toc2">イギリスの苦労</span></h2>
<p>このように、17世紀にはいる頃までは他国を大幅にリードし、世界最強の帝国となったスペインでしたが、大航海時代の覇者となることはできませんでした。</p>
<p>すこし時代を遡って、1485年のこと。</p>
<p>スペイン・ポルトガルに100年もの遅れをとっていましたが、ようやくイギリスも中央集権化を成し遂げます。

そうして、ようやくヨーロッパの外へと目を向けられるようになったのですが、現実は厳しいものでした。</p>
<p>東回りインド航路は<span class="red">ポルトガルの縄張り</span>。

西回りインド航路は<span class="red">スペインの縄張り</span>。

例のローマ教皇のお墨付き、「<span class="red">教皇子午線</span>」によって、後発の国は排除されていました。</p>
<p><a title="800px-Spain_and_Portugal" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/0/b037924e.png" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/0/b037924e.png" alt="800px-Spain_and_Portugal" width="480" height="247" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">トルデシリャス条約。世界をポルトガルとスペインで半分こ</p>
<p>ローマ教皇が「白い」と言えば、カラスも白くなるのがこの時代。もともとカトリックを国教としていたイギリスにとって、教皇子午線を簡単に無視することはできません。</p>
<p>教皇子午線自体は、1506年には代替わりした教皇により「やっぱ廃止するわ」と宣言され、いちおうオープンにはなります。</p>
<p>が、そもそもインドへと至る航路はポルトガル自身が開拓したもの。その主要な港や拠点を他国にやすやすと使わせるはずがありません。</p>
<p>そこで、イギリスは「南へ進むのがダメなら北へ」と考え、1553年から<span class="blue">北東航路</span>を探索します。ロシアの方から北極海を通って最短距離でアジアへと至る夢のルートです。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/5/d/5d483d68.png" alt="northern-sea-route" width="379" height="250" border="0" hspace="5" /></p>
<p class="info">北東航路</p>
<p>→海が凍って進めず、断念。<span class="info">この航路でアジアへたどり着くのは19世紀後半のこと</span></p>
<p>次に、「北東がダメなら北西へ！」ということで、今度は<span class="blue">北西航路</span>を探索します。北米の北から北極海を通って最短距離でアジアへと至る夢のルートです。</p>
<p><a title="Northwest_passage" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/6/e/6e397e25.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/6/e/6e397e25.jpg" alt="Northwest_passage" width="480" height="180" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">北西航路</p>
<p>→地形が入り組んでいてみんな迷子になり、断念。</p>
<p>これらの経験から、どうも北から回るのが無理そうだと分かります。</p>
<p>結局、イギリスはスペインが支配するインド航路へ殴り込みをかけるしかありませんでした。</p>
<h2><span id="toc3">イギリス「スペイン船から略奪するンゴwww」</span></h2>
<p>イギリスは、とりあえずスペインへの嫌がらせから始めます。</p>
<p>1553年に即位したエリザベス1世は、こっそりと<span class="red">海賊に出資</span>して、スペイン・ポルトガルの貿易船を略奪させたのです。</p>
<p><a title="ermine" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/d/1/d1c305a9.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/d/1/d1c305a9.jpg" alt="ermine" width="480" height="594" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info"><span class="pink">処女王</span>エリザベス1世。

なお、愛人はたくさんいたもよう</p>
<p>この「海賊への出資」に対する利回りは<span class="red">4,000％</span>にも上ったと言われ、イギリスの国庫に多大な貢献をすると共に、スペインの力を着実に削ぎました。</p>
<p>さすがブリカス。畜生行為ではありますが、一石二鳥の戦略とも言えます。</p>
<p><a title="Francis_drake" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/a/bacc7f66.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/a/bacc7f66.jpg" alt="Francis_drake" width="480" height="569" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">フランシス・ドレーク（1543－1596）。

この時代を代表する、海賊。懸賞金2億2千万ベリー。

のちに、世界一周したり、スペインの無敵艦隊を撃破したり、いろいろすごい人。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/c/4/c4a60992.jpg" alt="Raleigh,Walter(Sir)02" width="466" height="600" border="0" hspace="5" /></p>
<p class="info">ウォルター・ローリー（1552－1618）。

貴族にして冒険者にして詩人にして海賊にしてエリザベス女王の愛人。

ちょくちょく新大陸へ赴き、イギリスにとって初めての、「新大陸における植民地」を築いたイケメン。</p>
<p>この海賊たちは、航海者としても優れた実績を残した人物も多く、イギリスの大航海時代に、海賊行為の枠を超えて、大きく貢献をしています。</p>
<h2><span id="toc4">会社の素晴らしさ</span></h2>
<p>ところで、この頃から、航海に出る方法がちょっと変わってきます。</p>
<p>それまでポルトガルやスペインが行ってきた大規模な探検・航海というのは、基本的に国家事業。</p>
<p>ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓や、コロンブスの新大陸発見も、王室が主導で行った、「新たな交易ルートの開拓」事業でした。</p>
<p>それが、徐々に民間の商人たちによって行われるようになったのです。</p>
<p>先に書いた北東航路の探索なんかも、「<span class="blue">モスクワ会社</span>」という会社による探索事業でした。</p>
<p>ただ、この当時の船乗りの<span class="red">生還率20％</span>が物語るように、航海を伴う事業というのは<span class="red">超ハイリスクハイリターン</span>。</p>
<p>遠くまで航海をするには、何隻もの帆船を手に入れ、向こうで売る商品を購入して、命知らずな船員を集めて、航海に必要な物資を調達して…

というように、はじめに<span class="red">莫大な資金</span>が必要となりますが、成功する保証はありません。</p>
<p>その上、「沈没」や「難破」はもちろん、「海賊」「乗組員の逃亡や持ち逃げ」等々、高額の投資がパァになるリスクを山ほど抱えていました。</p>
<p>ですが、成功すれば巨万の富が得られるわけですから、チャレンジする価値はあります。そうして、多くの商人が成功を収め、そして多くの商人が散りました。</p>
<p>やがて、商人たちは、なんとかして航海のリスクを軽減しようと知恵を絞るようになります。そうして生まれた仕組みの一つが、「<span class="blue">会社</span>」なのです。</p>
<p>感覚的な話ですが、</p>
<div class="kakoi">
①1億円投資して5000万円儲かる</p>
<p>②100万円投資して50万円儲かる</p>
<p>※但し、どちらも20%の確率でパァになる。</p></div>
<p>どちらも期待値は同じなわけですが、皆さんならどっちを選びますか？</p>
<p>もし方々から借金して①を選んで失敗したら中央線に飛び込むしかありません。

一方、②なら失敗してもまだチャレンジできる可能性は残りますよね。</p>
<p>つまり、「100人で力を合わせて①にチャレンジ」＝「一人一人は②になる」。

回数を重ねれば重ねるほど<span class="red">間違いが起こる可能性</span>はドンドン少なくなっていき、期待値通りの結果が得られるというわけです。</p>
<h2><span id="toc5">勅許会社</span></h2>
<p>それともう一つの重要な要素が、「<span class="blue">勅許会社</span>」という仕組み。</p>
<p>民間の活動が活発になると、王様は「<span class="red">危ない橋は民間人に渡ってもらって、上前だけハネるほうが賢いよね</span>」なんて考えるようになります。</p>
<p>そこで、王室は会社に対して「<span class="blue">勅許</span>」を出して、王様の名前で「会社設立の許可」と「<span class="blue">一定の権利</span>」を与えるようになります。</p>
<p>一定の権利というのは、例えば次のようなもの。</p>
<div class="kakoi">
・新たに発見した地域での貿易を独占する権利・軍隊を持つ権利</p>
<p>・現地で独自の警察機構を持つ権利</p>
<p>・他国と交戦する権利</p>
<p>・銀行を設立する権利</p>
<p>・現地の王様と交渉する権利</p>
<p>etc&#8230;
</p></div>
<p>東インド会社とか、なんで単なる「会社」ごときが現地であんなにデカイ面してたのか不思議だったのですが、王様からそういう権利を与えてもらっていたわけですね。</p>
<h2><span id="toc6">プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神</span></h2>
<p>この会社という制度は、特に<span class="blue">プロテスタント国家</span>において、大いに盛んになっていきます。</p>
<p>超ザックリ言うと、</p>
<div class="kakoi">
<b>・カトリック</b>

利益を追求するような行為は卑しい。財産を溜め込んだりしてると最後の審判で救済してもらえないぞ。</p>
<p><b>・プロテスタント</b>

神様が救済してくれるかどうかは、あらかじめ決まっていて人間には覆せないよ。

なら、禁欲節制して神様が与えてくれた自分の仕事（天職）に精を出そう。
</div>
<p>プロテスタントの方の理屈は、本来は<span class="red">禁欲的に生きる</span>ための教えでした。

しかし、やがてこの教えが広まっていくうちに、「商売で得た利益は、<span class="blue">天職を頑張った証</span>である」と考えられるようになりました。</p>
<p>つまり、「利潤を得ることが正当化」されたのです。</p>
<p>そのため、プロテスタント国家における商人のモチベーションはメチャメチャ高いものでした。</p>
<p>なお、イギリスは、もともと敬虔なカトリック国でしたが、1538年にカトリックと袂を分かち、プロテスタントとなります。</p>
<p>そのきっかけは、時のイギリス王ヘンリー8世による次のような事件。</p>
<p class="info">以下コピペ。</p>
<div class="kopipe">
<span class="namaeran">43: 風吹けば名無し 2013/11/28 10:14:52 ID:kbIUYkEK</span>

ヘンリ８世「ババアと離婚して若いメイドと結婚するンゴ」

国民「なんやこいつ･･･」

教皇「それはアカンで」

ヘンリ８世「教皇うるさいンゴ･･･そうや！不倫ＯＫの新しい宗派作ってワイが教皇になればええんや！」→<span class="blue">英国教会設立</span>

<a title="Henry-VIII-kingofengland_1491-1547" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/0/3/035415f7.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/0/3/035415f7.jpg" alt="Henry-VIII-kingofengland_1491-1547" width="480" height="827" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">ヘンリ8世（1491-1547）。好色、利己的、無慈悲。</p>
</div>
<p>一方のスペインやポルトガルは、コテコテのカトリック。</p>
<p>この点からも、いずれは衰える運命であったと言えます。</p>
<hr />
<p>そんなこんなで、王と商人たちの間に<span class="blue">win-winの関係</span>が出来上がります。</p>
<p>王様は、商人たちの頑張りで「<span class="blue">交易ルートの構築</span>」や「<span class="blue">植民地の取得</span>」などを得る。

商人たちは、国のトップから絶対的な「<span class="blue">お墨付き</span>」を得て、事業が成功すれば儲けが確約される。</p>
<p>商人たちのモチベーションはイヤでも上がり、利益の追求に邁進するようになります。そして、彼らの活躍こそが、スペインのアジア独占を突き崩していくことになるのです。</p>
<p>次で完結します。</p>
<p>たぶん。</p>
]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>香辛料美味すぎワロタwww</title>
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		<dc:creator><![CDATA[腹筋崩壊ニュース 管理人]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Feb 2015 07:35:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[世界史]]></category>
		<category><![CDATA[文化・芸術]]></category>
		<category><![CDATA[インド]]></category>
		<category><![CDATA[グルメ]]></category>
		<category><![CDATA[スペイン]]></category>
		<category><![CDATA[ポルトガル]]></category>
		<category><![CDATA[大航海時代]]></category>
		<category><![CDATA[東インド会社]]></category>
		<category><![CDATA[貿易]]></category>
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					<description><![CDATA[人類は、古来より貿易に精を出してきました。 貿易というのは、異国との商取引。 見たこともない珍しい食べ物、貴重な資源、美しい工芸品、新しい知識・技術などなど、魅力あふれる品々。 貿易を通してそれらをお互いに交換することで [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>人類は、古来より貿易に精を出してきました。</p>
<p><a title="ltrdrn4tlhdiadzbesrd" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/1/9/19fd6c17.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/1/9/19fd6c17.jpg" alt="ltrdrn4tlhdiadzbesrd" width="480" height="222" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p>貿易というのは、異国との商取引。</p>
<p>見たこともない珍しい食べ物、貴重な資源、美しい工芸品、新しい知識・技術などなど、魅力あふれる品々。

貿易を通してそれらをお互いに交換することで、これまで文明が発展してきたと言っても過言ではありません。</p>
<p>貿易では、ありとあらゆるモノが商品として扱われました。人間（奴隷）だって商品です。こうした人の移動は、<span class="blue">文化交流</span>という点でも、世界に大きな影響を与えてきました。</p>
<p>また、貿易には<span class="blue">国を豊かにする</span>みたいなメリットもあります。</p>
<p>例えば、自国で生産するのが難しい商品は輸入して済まし、余った労働力を得意分野の生産に注入する。</p>
<p>そうすることで、生産の効率化を図ることができ、国全体としては豊かになるという理屈。</p>
<p>こうした貿易のメリットが理論化されたのは近年のことですが、人類は経験値としてそのメリットを知っており、多くの交易ルートが構築されていきました。</p>

  <div id="toc" class="toc tnt-number toc-center tnt-number border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-6" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-6">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">香辛料の魅力</a></li><li><a href="#toc2" tabindex="0">香辛料依存症</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">全ては香辛料のために</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">世界を半分こ</a></li></ol>
    </div>
  </div>

<h2><span id="toc1">香辛料の魅力</span></h2>
<p>そんな貿易において、かつて一世を風靡した超人気商品の一つが、<span class="red large1">香辛料</span>でした。</p>
<p><a title="2015-02-08-15-16-38" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/0/4/04b9a3eb.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/0/4/04b9a3eb.jpg" alt="2015-02-08-15-16-38" width="480" height="296" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p>そもそも、あの<span class="red">刺激的な味</span>が病みつきになる上、<span class="blue">防腐作用</span>なんかも強いと考えられていましたし<span class="info">（実際はそうでもない）</span>、その強い香りは<span class="blue">病魔を追い払う</span>と信じられてきました。</p>
<p>そんな香辛料のメッカといえば、<span class="red">インド</span>。</p>
<p>インド人は、紀元前からコショウを嗜んでいたと言われる筋金入りの香辛料大好き民族です。そのためか、東アジアで生産された香辛料は、自然とインドへと集まってくるようになりました。</p>
<p>ヨーロッパにおいても、古代ギリシャ・ローマ時代から香辛料は知られており、料理やお香などに利用されていました。</p>
<p><a title="roman food 1" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/2/f/2ff3d982.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/2/f/2ff3d982.jpg" alt="roman food 1" width="480" height="331" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">ローマの一般的な食事風景</p>
<p>現代でこそ、場末のラーメン屋にすらコショウが常備されており、香辛料なんて何のありがたみもありませんが、当時の農業技術では、ヨーロッパで香辛料を生産することはできませんでした。</p>
<p>そのため、ギリシャ・ローマはインドとのアラブを経由する交易ルートをわざわざ開拓し、香辛料貿易を盛んに行うようになりました。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/5/a/5abc59c2.jpg" alt="Italy_to_India_Route" width="350" height="206" border="0" hspace="5" /></p>
<p class="info">ローマとインドを結ぶ交易ルート</p>
<h2><span id="toc2">香辛料依存症</span></h2>
<p>ヨーロッパ人の香辛料需要は日増しに増え続け供給が追いつかず、<span class="red">同じ重さの金と等価</span>で取引されるという、恐るべき末端価格を叩き出すようになります。</p>
<p>もはや、<span class="red">富の象徴</span>という趣すらありました。</p>
<p>やがてはローマも衰退してしまいますが、香辛料の需要が減ることはなく、アラブ商人が香辛料をインドから地中海へと運ぶ役割を担い、それをヴェネチア共和国がヨーロッパ全土へ流通させていました。</p>
<p>相変わらず超高級品であり続けた香辛料ですが、それでもヨーロッパ人にとって、香辛料は必需品。</p>
<p>ヨーロッパの冬は厳しいもので、作物も育たず、家畜も処分するしかありません。その期間はどうしても<span class="red">腐りかけの塩漬け肉</span>を食べるしかないのです。香辛料がなくてはやってられません。やや高値だと分かってはいても、買うしかありませんでした。</p>
<p>それに、中世に入る頃には、もうインドへの行き方なんて忘れちゃっています。一つ目の人間がいるとか信じられたりしており、もはや空想上の存在と言っても過言ではないほど遠い存在となっていました。</p>
<p>さらに、15世紀に入ると、強大な<span class="red">オスマン朝トルコ</span>が地中海まで勢力を伸ばし、インドとの交易ルートを完全に遮断します。</p>
<p><a title="640px-Japanese-Ottoman1683" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/a/e/ae5cd2c9.png" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/a/e/ae5cd2c9.png" alt="640px-Japanese-Ottoman1683" width="480" height="452" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">トルコに囲まれてしまった地中海。</p>
<p>その上、領土内の貿易に<span class="red">エゲツない率の関税</span>が掛けられ、香辛料の価格は暴騰し、流通量は激減してしまいます。</p>
<p>ここにきて、深刻な香辛料ジャンキーとなっていたヨーロッパの国々は、早急にトルコの領土を通過しない<span class="red">香辛料の交易ルート</span>を開拓する必要に迫られることとなったのです。</p>
<h2><span id="toc3">全ては香辛料のために</span></h2>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/b/bbf3fb65.jpg" alt="2015-02-09-12-01-13" width="424" height="274" border="0" hspace="5" /></p>
<p>しかし、この当時、航海技術・知識はまだまだ未熟。船乗りの生還率は一説には<span class="red">20％</span>に満たなかったとか。</p>
<p>それでも、新たな交易ルートを発見できた者には巨万の富と名誉が約束されていたため、貴賎の別無く、多くの冒険家が外洋へ船を出していきました。</p>
<p>その他、レコンキスタ<span class="info">（熱狂的再征服）</span>とか技術の進歩とか、なんやかんや色々あって、ついに1415年、<span class="blue">大航海時代</span>が幕を開けました。</p>
<p class="info">（てきとう。この辺はまた別の機会に）</p>
<p>なお、15世紀のヨーロッパ人の知識は、だいたい次の通り。</p>
<div class="kakoi">
<p>・地球は丸い</p>
<p>・下の方にアフリカ大陸がある（形はあんまよくわからない）</p>
<p>・東の方で香辛料が作られている</p>
<p>・ヨーロッパと地中海周辺とアフリア以外は<span class="red">全部インド</span></p>
<p><a title="Biancomap" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/0/5/05074ac0.jpg" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/0/5/05074ac0.jpg" alt="Biancomap" width="480" height="627" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">1436年に描かれた世界地図。地球狭すぎ。</p>
</div>
<p>この状態からスタートして、なんとか香辛料が手に入る国へ行く航路を見つける必要がありました。</p>
<p>選択肢は二つ。</p>
<div class="kakoi">
①東にインドがあることは分かっているので、アフリカを南から回って東へ進む。

②地球は丸いのだから、まっすぐ西に向かえばインドに到達するはず。
</div>
<p>①を選んだのは、ポルトガル。</p>
<p>バルトロメウ・ディアスやヴァスコ・ダ・ガマといった有能船長に恵まれたこともあり、<span class="blue">1498年</span>にインドへ一番乗りを果たします。</p>
<p><a title="640px-Vasco_da_Gama_-_1838" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/5/4/544f7861.png" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/5/4/544f7861.png" alt="640px-Vasco_da_Gama_-_1838" width="480" height="660" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">ヴァスコ・ダ・ガマ。有能。</p>
<p><a title="Caminho_maritimo_para_a_India" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/3/b36596d7.png" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/3/b36596d7.png" alt="Caminho_maritimo_para_a_India" width="480" height="342" border="0" hspace="5" /></a></p>
<p class="info">ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路（黒線）</p>
<p>こうして、大航海時代の幕開けからわずか<span class="blue">100年足らず</span>で、ポルトガルはインド航路を開拓。

さっそく植民地なんかも作っちゃったりして、ポルトガルは豊かで華やかな時代を迎えました。</p>
<p>香辛料の禁断症状が引き起こした偉業と言えましょう。</p>
<p>なお、ライバルのスペインは、<span class="red">コロンブスの口車に乗ってしまい</span>、うっかり遠回りな②を選んでしまいました。</p>
<p>ですが、運良く新大陸（アメリカ）を発見して豊富な金銀を手に入れたので結果オーライ。</p>
<p>この新大陸は、ヨーロッパから見て「西側のインド」ということで、<span class="blue">西インド</span>と呼ばれるようになります。</p>
<p>カリブ海に浮かぶ群島が、「西インド諸島」と名付けられたのはこのためです。</p>
<p>逆に、いわゆる東アジア全域は、ヨーロッパから見て「東側のインド」ということで、<span class="red">東インド</span>と呼ばれるようになりました。</p>
<p>こうして、アジア方面はポルトガル、アメリカ方面はスペインがそれぞれ優先権を持つという流れが出来上がっていきました。</p>
<h2><span id="toc4">世界を半分こ</span></h2>
<p>海外進出に成功したポルトガルとスペインは、時のローマ教皇に<span class="red">教皇子午線</span>というお互いの優先権の「分割線」を設定してもらい、お互いの権利を確固たるものにしていきました。</p>
<p><a title="800px-Spain_and_Portugal" href="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/0/b037924e.png" target="_blank"><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/b/0/b037924e.png" alt="800px-Spain_and_Portugal" width="480" height="247" border="0" hspace="5" /></a>

<span class="info">青は1494年に設定された分割線（トルデシリャス条約）。

青線の右側はポルトガル、左側はスペインが、それぞれ優先権を持って搾取できるというわけ。

なお、緑の線は、「<span class="red">そういえば地球って丸いよね</span>」と気付き、1529年に慌てて設定されたもう一本の分割線（サラゴサ条約）。</span></p>
<p>最初はただ香辛料が欲しかっただけだったはずなのに、どんどん話のスケールが大きくなっていきます。</p>
<p>というか、勝手に世界を半分こするとか、中々ふざけた話ですが、当時のローマ教皇の権威は相当なものだったので、キリスト教圏の国々がこれに異議を唱えることは不可能となっています。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="pict" src="https://fknews-2ch.net/wp-content/uploads/fknews/imgs/4/c/4c63c376.png" alt="989abcef" width="256" height="224" border="0" hspace="5" /></p>
<p class="info">イメージ画像</p>
<hr />
<p>こうしたポルトガル、スペインの大成功を目の当たりにしたヨーロッパ諸国も、16世紀に入る頃にようやく、大航海時代に突入していきます。</p>
<p>しかし例の「教皇子午線」が邪魔をして、なかなかうまくアジアやアメリカに進出していくことはできませんでした。なので、16世紀くらいまでは、日本に来れたのは、ポルトガル人とスペイン人だけだったというわけですね。</p>
<p>はたして、この状況からヨーロッパ諸国はどのように巻き返しを図っていくのでしょうか。</p>
<p><a href="https://fknews-2ch.net/archives/43501513.html" target="_blank">つづく</a></p>
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