サイトアイコン 腹筋崩壊ニュース

マルクスとレーニンのお言葉

マルクスとレーニン。

共産主義あるいは社会主義の提唱者として、誰もが知っている名前でしょう。

共産主義、社会主義というと、粛清や虐殺のイメージがつきまとい、なんとなく息苦しくて、危険なイデオロギーとして拒否反応も大きいかと思います。

しかし歴史は常に勝者が書くもの。本当に彼らは血も涙もない様な冷酷な思想家だったのでしょうか。

本格的な研究はここではできませんが、彼らの遺した言葉を一度聴いてみましょう。

スポンサードリンク

マルクスのお言葉

カール・マルクス(1818‐1883)は、プロイセン(現ドイツ)生まれ。

詩人や大学教授に憧れた青年時代を過ごした後、新聞記者から社会思想家となり、パリ、ロンドンと亡命生活を続けた生涯でした。

また、偉人にありがちですが、存命中に彼が評価を受けることはほとんどなく、生涯のほとんどを貧しい中で過ごしています。享年64歳。

一般社会編

意識改革を説いてオチをつける論文はみな眉唾だ
教育もまた、教育を必要としないだろうか?
役に立つ物が増え過ぎると、役に立たない者が増え過ぎる

自己啓発編

学問には平坦な大道はありません。
そして、学問の険しい坂道をよじのぼる労苦をいとわないものだけに、その明るい頂上にたどりつく見込みがあるのです
汝の道を行け、しかして、あとは人の語るにまかせよ
人間とは、自分の運命を支配する自由な者のことである
自分の利益や名誉のみを追う人間は、有名になりえても、すぐれた人間となることはできない
われわれは、他人を解放する前にまず自分を解放しなければならない

宗教編

宗教は抑圧された生物の嘆息である
宗教とは、民衆の阿片である

社畜にグサリ編

一日に16時間もの苦しい労働を売り、かろうじて死なない権利を買い取る労働者もいる
プロレタリアは二重の意味で奴隷になる。
第一にプロレタリアは働き口をどこかから得なければならない。
第二に生存の手段をどこかから得てこなければならない
労働者の生活を左右する需要は、ブルジョワの気まぐれにより左右される
ローマの奴隷は鎖によって、賃金労働者は見えざる糸によってその所有者につながれる。
賃金労働者の見かけ上の独立は、雇い主がたえず代わること、契約という法的なフィクションの中で維持されている
プロレタリアは、たかだか食べる、飲む、産む、住む、装うといった動物的な活動にいてのみ活動の自由を感じるに過ぎない。
人間を人間たらしめるところの人間的な活動である労働においては、自己を喪失しているのである
スポンサードリンク

レーニンのお言葉

ウラジミール・レーニンは1870年ロシア生まれ。

秀才として学生時代を過ごした後、マルクス主義に目覚め逮捕、亡命。
運動家として地位を高め権力の座に就くと、ソヴィエト連邦初代最高指導者となりました。

1924年、53歳にて病没。

一般社会編

無関心は権力者、統治者への静かな支持である
富者と詐欺師は、メダルの表裏の違いしかない
繰り返される虚構こそが、受け容れられる真実となる
信頼はよいものだ、しかし統制はもっとよい
資本家を否定しようと思うものは、資本家たちの貨幣を破壊しなければならない
自分の病気をあからさまに名指し、容赦のない診断を下し、その治療法を見つけ出すだけの勇気が無いような政党は、尊敬に値しないだろう

自己啓発編

働かざる者、食うべからず
※レーニンが新約聖書からこの言葉を引用し、有名にしました
誰が君を褒めるか言ってみたまえ、君の過ちが何なのか教えてあげよう
青年の最も重要な課題は、学習である
学べ、学べ、なお学べ

宗教編

宗教はある種の精神的な安酒だ。その中で資本の奴隷は自分の人間的尊厳と欲求を、なんとか人間らしいものになることで忘れる。

社畜にグサリ編

資本主義社会の民主主義は、絶えず資本主義的搾取の狭い枠内で締め付けられているので、事実上はつねに少数者のため、有産階級だけのため、金持ちだけのためである
不平等な経済的・政治的発展は資本主義の絶対的法則である
労働者階級の力は組織である。個々の労働者自体は無である

スポンサードリンク

「すべてを疑え」

最後にもうひとつ蛇足を。

マルクスの言葉に、「すべてを疑え」というものがあります。

例えば、オカルティズム、ナチスドイツや大日本帝国、共産主義、そして現代のイスラム etc…。

これらは並べて語るものではありませんが、歴史に無関心な人は、これらを「わるいもの」として、なんとなーく受け入れてしまっているように感じます。

これは健全とは言えません。

やはり人間たるもの、情報をただ受け入れて終わりではいけません。

その情報を「疑い」、そして真実を「学ぶ」。

これを繰り返していくことこそが重要であり、やがて「自分の運命を支配する自由な生き方」へと繋がっていくことになるのです。

・・・と、意識改革を説いたところで、マルクスの最初の格言に戻ります。

意識改革を説いてオチをつける論文はみな眉唾だ

何が何だかよく分からなくなってきたので、この辺で失礼します。ではでは。

モバイルバージョンを終了